第二十二話 ルカに向けられる視線①
「聖女様、こちら三番テーブルにお願いします」
「は~い!よいしょっ」
トレーを胸の高さに掲げて、慣れない足取りで歩く。
指先が少し震えて、カップの受け皿がカタ、と鳴った。
生まれて初めての接客。文化祭とはいえ、これは僕にとっての社会進出に他ならない。
……落とすな、落とすな。
目の前のテーブルまで、あと三歩。
「失礼しま――」
言いかけたところで、背中から飛んでくる視線の熱に、肩がすくむ。
教室のあちこちで、男子の声がやたらと弾んでいるのが聞こえた。
僕じゃなくて、たぶん『聖女様』に反応してるんだ。そう思っても、落ち着かない。
もし、いつか聖女じゃなくなって、どこか遠くの街で暮らすことになったら……。
ひっそりと、こういう小さなカフェで働くのもいいかもしれない。
朝はパンの匂いで目が覚めて、昼は忙しくて、夜は疲れて眠る。そんな普通の生活。
たまにルカが遊びに来てくれたり……とか。いや、逆だ。僕が、レイに会いに行くのか。
ありえない未来を夢想して、口角が勝手に上がった。
その瞬間。
「聖女様……!あの、追加のサービスなど……」
「え!?つ、追加?」
不意に、男子生徒が距離を詰めてきた。近い。
鼻先が触れそうな圧に、僕は反射的に身体を逸らし、トレーを盾のように抱きかかえる。
「例えば、オムライスに絵を描くとか……」
「え、絵!??」
「このラテに『ラブ注入』的な呪文を……っ!」
「ら、らぶちゅうにゅう!?」
わっと笑い声が上がる。
いや、笑いごとじゃない。そもそも絵心なんてないし、ラブ注入って何!?呪文なの!?罠なの!?
「お帰りなさいませ、ご主人様……って言って、微笑んでくれるだけでいいんです!」
「ご、ご主人様!?む、無理です!僕には絶対無理、無理、無理!!!」
「お兄ちゃんと呼んでくれても……っ!」
「ぼ、僕にお兄ちゃんはいませんっ!!」
言えば言うほど、彼らは面白がって前に出てくる。
僕の後ろは壁。逃げ道が、どんどん狭くなる。
――やだ。近づかないで。
鼻息荒く迫る彼らをすり抜け、呼び止める声も無視して、僕は逃げるようにカーテンで仕切られた裏側に飛び込んだ。
布の向こうは、厨房代わりの狭いスペース。小道具の箱と、予備の皿が積まれている。
「はぁ……はぁ……っ」
息が喉に引っかかって、うまく吸えない。
心臓が耳元で鳴っているみたいにうるさい。
胸の奥でドン、ドン、と太鼓を叩かれているみたいだ。
元々友達もいなかったし、レイと入れ替わってからも、他の男子と深く関わることはなかった。
だから知らなかった。世の中の男子が、こんなふうに――全身を舐めまわすような目で、人を見てくることがあるなんて。
視線が肌をなぞるだけで、背筋に冷たいものが走る。鳥肌が立って、指先がきゅっと強張った。
ぞわっとする。胃の奥がひゅっと落ちる。
気持ち悪い、って言い切るのも違う。もっと、怖い。
逃げたい。身体が先にそう判断してしまう。
レイとなら、しゃべるのも、見つめられるのも、不意に触れられるのも、全然嫌じゃなかったのに。
むしろ、もっと、なんて思ってしまうのに。
他の男の人に同じことをされると、こんなにも恐怖が形になるなんて。
「はぁ……レイが、側にいてくれたら……」
小声で零しても、返事はない。
彼女は今、演劇の衣装に着替えているはずだ。
たぶん、鏡の前でネクタイを結びながら、いつもの顔で淡々としてる。
その姿を想像しただけで、少しだけ呼吸が戻った。
「聖女様、大丈夫ですか?」
カーテンの向こうから、クラスメートの女子が心配そうに声をかけてくれた。
「さっきの男子たちは、私が追い払っておきましたから!ご安心を!」
「う、うん。ありがとう……助かったよ」
優しさに、肩の力が抜ける。
けれど、ホッとしたのも束の間、彼女は一通の白い封筒を、両手でそっと差し出してくる。
「あの……先ほど、この手紙を聖女様に渡してほしいと頼まれまして」
「手紙?」
「はい。『渡すだけでいいから』と。とても真剣な様子でした」
――まさか、ラブレター!?
じ、人生で初めてもらってしまった……!
どどどどうしよう!?一応婚約者だし、レイに相談すべき!?
でも、それはそれで書いてくれた人に失礼な気がする……いや、そもそも婚約者って、王太子だから僕なわけで、あれ、でも中身はレイで――頭がぐるぐるする。
迷った末に封を切ると、そこには丁寧な、けれどどこか震えているような切実な字が並んでいた。
『振られるのはわかっている。
でも、せめて一度だけでいい、直接想いを伝えたい。
旧校舎の三階、音楽室で待っています。
来てくれたら、それだけで救われます』
名もなき誰かの告白。
叶わないとわかっていても、想いを伝えたい。
その苦しさが、今の僕には痛いほどわかる。
僕も、レイに対して同じ気持ちを抱えているから。
言いたくても言えない、この胸の締め付け。
……レイと一緒に、と頭をよぎったけれど、想い人の『婚約者』を連れて行くのは、この手紙の主に対してあまりにも無神経だ。
それに、もしレイが隣にいたら、僕はきっと、断る言葉を選び間違える。
ちゃんと一人で行って、誠実にお断りしよう。
来てくれたら救われる、なんて書くくらいだ。適当に流したら、余計に傷つける。
場所は旧校舎。音楽室。
行って帰ってくるだけなら、三十分もかからない。
演劇の開演には、間に合うはず。間に合わせる。
「ちょっと、外の空気を吸ってきます」
女子生徒にそう言い残し、賑わう教室を後にした。
背中越しに聞こえる笑い声と、鉄板の焼ける音が遠ざかる。
旧校舎に近づくにつれ、祭りの喧騒は薄まり、廊下は不気味なほど静かになり、足音だけがやけに響く。
「……ここかな、音楽室」
重い木製の扉を押し、壁のスイッチを探して灯りを点ける。
ぱっと白い光が広がった。
すでに誰かが待っているかと思ったが、室内はもぬけの殻。
埃っぽい空気の中に、ピアノの影がぼんやりと浮かび、譜面台がひとつ、傾いている。
真ん中まで進み、辺りをきょろきょろ見回した、その瞬間――。
パチン。点けたばかりの灯りが消え、視界が漆黒に染まった。
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