第一話 レイの異世界転生の幕開け④
ようやく周囲を下がらせ、広すぎて落ち着かない王子の私室で二人きりになる。
豪奢なソファ。分厚い絨毯。天井の彫刻。
――この部屋、落ち着ける要素がゼロだ。
私たちは、黙って見つめ合った。
正確には、私が般若みたいな顔で睨みつけ、私が申し訳なさそうに縮こまっている構図だ。
……いやほんと、どうしてこうなったのよ。
「あんた、どういうつもりよ。説明しなさい」
「……」
「私の身体、早く返しなさいよ。さっきから黙ってないで、なんとか言いなさいよ!」
このまま無言でやり過ごすつもりか。
さっき王様は、この身体を『ルーカス』と呼んだ。
なら、中身はこの王子の魂に違いない。つまり、犯人は目の前。
「ルーカス!聞こえてるんでしょ!私、今日から前期試験なの!これを落としたら単位が、私の卒業が、奨学金が死ぬの!今すぐ元に戻して、私を日本に帰してよ!」
「……それは、申し訳ないけど、無理」
観念したみたいに、やっと私の唇が動いた。
聞こえてきたのは、聞き慣れた自分の声。
でも、その響きはひどく弱々しい。喉の奥で萎んでいくみたいな音だ。
「……僕は、年に一度の『女神の流星』が流れる夜に願った。入れ替わったのは、その女神様の力によるものなんだ」
「何それ、ペルセウス座流星群の異世界版?そんなの聞いてないんだけど!」
「だから……戻れるチャンスがあるとしたら、次の『女神の流星』が落ちる、一年後……」
「は?…………いちねんご?」
耳を疑った。一年。
この構造的欠陥付きの身体で、一年間もここで生活を続けろというの?
しかも、単位も、卒業も、奨学金も、全部その間に死ぬ。私の未来、秒で解散。
私はよろよろと足をもつれさせ、大きな窓を開けてテラスに出た。
目に飛び込んできたのは、見たこともない絶景。
タワーマンションも、電信柱も、ハイブリッド車も、コンビニの看板も、何一つない。
自分の目線より高い建物が存在しない、地平線まで続く緑と石造りの街並み。
空はやたら広い。雲が近い。風が、乾いている。
「……ここ、Wi-Fi通ってる?」
「わいふぁい……?それは、新しい魔法の種類かな?」
絶望的な返答。
乾いた風が吹き抜け、部屋のカーテンを揺らす。
背後から、柔らかい私の声が聞こえた。
「僕の名前は、ルーカス・アルベール・ヴァルディエ。君の……名は?」
入れ替わって『君の名は』ってか……やかましい。
振り返ると、そこには完璧に僕っ娘を演じきっている、あまりにも可憐な私がいた。
頬はほんのり赤くて、目元は潤んでいて、罪悪感が顔に出ている。――腹立つほど可愛い。
「……桐谷、麗……」
「そう、レイ、か」
私が名乗っただけで、彼は少しだけ安心したように息を吐いた。
その仕草まで『聖女』っぽいのが、余計に腹立つ。
「……とりあえず、一年間よろしくね。君の身体は、僕が責任を持って大切にするから」
「一年……前期試験が……単位が……バイトが……飲み会の約束が……留年、確定じゃん……」
がっくりと肩が落ち、膝の力が抜けた。
私はその場に、項垂れるように跪いてしまった。王子のなりで。最悪。
「あ、あの……大丈夫?顔色が真っ青だよ、レイ」
「大丈夫なわけないでしょおおおおお!!!私の、私の平凡で平和な人生を返しなさいよおおお!!」
王城の空に、王子のなりをした女子大生の絶叫が、虚しく響き渡る。
こうして、私の異世界王子生活は幕を開けた。
人生最大かつ最悪の単位消失。留年確定の予感とともに。
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