第十三話 ルカ、プロポーズされる②
温かい。
僕の手のはずなのに、大きく感じる、温度が、指先から伝わってくる。
指を絡めるのはさすがにできない。できないけど――握ってくれた。離さないでくれてる。
それだけで、胸の奥の冷たい場所が、少しだけ溶けた気がした。
二人並んで会場へ足を踏み入れた瞬間、何百という視線が、津波のように押し寄せてきた。
シャンデリアの光が眩しくて、音楽は確かに鳴っているのに――耳に残るのは、さざなみみたいな囁き声ばかりだ。
「お揃いの色だ」
「王太子殿下と聖女様、マントの色が……」
「まさか、既にそこまでの仲に……」
そんな反応になるのも当然だ。
腕は組んでいない。けれど王太子が公の場で、特定の女の子と色を合わせる。
それはあまりにも強力な政治的メッセージだった。
偶然では済まされない。誰も、偶然だなんて信じない。
僕は、ドレスの裾を踏まないように必死で歩きながら、隣のレイの横顔を盗み見る。
いつも通りの、堂々とした歩幅。迷いのない背筋。
……僕だけが、小鹿みたいに揺れている。情けない。
「……これはこれは。ルーカス殿下と聖女様。今宵は一段と仲睦まじくあらせられるようで」
群衆を割って、宰相がニヤニヤと厭味な笑みを浮かべて近づいてきた。
香水の甘い匂いと、冷たい目。笑っているのに、温度がない。
「それがどうしたの?仲が良いのは悪いこと?」
レイがさらっと、毒気のない声で言い放つ。
怖いもの知らずすぎる。宰相の言葉の裏にある牽制に気づいているのか、いないのか。
僕は隣で、心臓が止まりそうなほどハラハラしていた。
コルセットの内側で、鼓動が暴れて息が詰まる。
「最近の殿下の目覚ましい成果には、宰相として鼻が高い限りです。……しかし」
表面上は褒めてるけど、目が笑ってない。
レイ……宰相は、本当に恐ろしいんだよ……。
彼は、王太子である僕を疎んじて、幼い弟をずっと担ぎ上げようとしている。
弟を守りたくて……がんばっていたんだ……でも、僕じゃ無理で……。
「殿下がその『聖女様』の後見人を続けられることについては、少々異論がありましてな。聞けば聖女様は、あちこち視察には向かわれるものの、祈りを捧げるだけで、具体的な『神託』も『癒し』も、何一つ示されていないとか」
レイがわずかに眉をひそめ、宰相が値踏みするように僕を射抜く。
その視線が刺さった瞬間、背筋が冷えた。僕の足元のヒールが、石床に吸い付くみたいに重い。
……宰相の言う通りだ。
僕は……『聖女』の『後見人』である『王太子』である僕にちゃんとした成果を与えなければ、と考えた。
けれど、できたのは結局、国民が持つ聖女への信仰を高めることだけ。
何かを予言したり、誰かを癒したり、本物の聖女らしいことは何もできなかった。
きっと、レイだったらもっと色々なことを考えたかもしれない。
僕が助けを求めたら、迷いなく手を貸してくれたかもしれないのに。
それを、僕は一度も言えなかった。喧嘩したまま、黙ったまま。
「これ以上の後見は、殿下のお立場を危うくするだけです。……そこで提案なのですが、聖女様の後見は、殿下の弟君――カイル殿下にお任せしてはいかがでしょうか?」
狙いはそこか……。
僕から『聖女』を引き離し、まだ幼い弟を担ぎ上げ、王太子の権威を削ごうとしている。
弟を、僕を廃した後の新たな駒にするために。
「実績のない聖女は、次代の王たる殿下には相応しくありませんな」
その言葉が、鋭い刃となって僕の胸を抉った。
ごめんなさい、レイ。僕が、不甲斐ないばかりに。
僕のせいで、君の立場まで揺らしてしまう。
「相応しい?――彼女ほど、私に相応しい相手は他にいない」
レイの、低く、けれど会場の隅々まで通る凛とした声が響いた。
空気が、ぴんと張る。音楽が一瞬遠のいた気がした。
「勝手に期待して、勝手にハードルを上げて、思い通りにいかなければ勝手に落胆する。私はそんな自分勝手な人間たちの言いなりになるために、ここに立っているわけじゃない」
「っ……!しかし, これは殿下の御身のため、ひいては聖女様の立場を守るための……」
「立場?そんなものが問題だというなら――」
レイが宰相を睨みながら、一歩、また一歩、宰相に近づく。
レイが……何を言おうとしているのか、わからなくて……
僕は反射的に、レイの袖を掴みそうになって手を止めた。
「私は彼女と婚約する!!!それで問題ないだろう!!」
え……。え?今、……なんて言ったの?
頭の中が真っ白になって、次の瞬間、会場は水を打ったような静寂に包まれた。
宰相の顔が、見たこともないほど驚愕に歪んでいる。あの余裕の笑みが、一瞬で崩れた。
「こ、婚約……!?王太子殿下と、聖女様が……!?」
「公式な婚約発表なのか……!?」
「色合わせは、その伏線だったのか……!」
「この夜会は、お披露目の場……!?」
ざわめきが、台風みたいに会場を埋め尽くす。
顔が熱い。コルセットの中で胸が膨らまず、息が浅くなる。
心臓が爆発して、中身が全部飛び出してしまいそうだ。
レイが、ふっと振り返った。
「……ね、それでいいよね?」
彼女が、僕に向かって優しく手を差し伸べる。
え。え?これって、この状況でこのセリフって――どう考えてもプロポーズだ。
周囲の視線が突き刺さるのに、今はレイの手しか見えない。僕の指先が、震えを隠せない。
「……う、うん……!!」
僕は震える手で、彼女の掌を握り返した。
その瞬間、レイの指が、ほんの少しだけ強く握り返してくれた気がした。大丈夫だ、って合図みたいに。
次の瞬間、会場から割れんばかりの拍手が沸き起こった。
まばらだった音が、激流みたいな大喝采へと変わっていく。
「おめでとうございます!!」
「なんて素敵な、神話のようなお二人だ!!」
「お似合いです、殿下、聖女様!!」
宰相の顔色が変わっていくのが見える。けれど、もう遅い。
言葉が追いつかないほど、空気が『祝福』に塗り替えられていく。
レイが、一ヶ月ぶりに僕を見て笑ってくれた。
あの、王太子の完璧な笑顔じゃない。僕だけが知ってる、柔らかい笑い方。
……ああ。好き。本当に、どうしようもないくらい、好きだ。
演技だってわかってる。
この窮地を脱するための、彼女なりの『嘘』なんだってことも。
それでも――繋いだ手は、確かに本物の温かさだった。
僕たちの関係は、この夜を境に、取り返しのつかないほど大きく、激しく動き出したんだ。
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