第十三話 ルカ、プロポーズされる①
ついに、夜会の日がやってきた。
一ヶ月もの間、冷戦状態だった僕とレイ。
まともに会話もできないまま、僕はネイビーブルーの豪奢なドレスに着替えさせられていた。
「聖女様、背筋を伸ばして。こちらの衣装を身に纏えば、今宵の主役は間違いなく貴女様ですわ」
「これ……本当に僕が着るの……?」
返ってくるのは、にこやかな無言。つまり拒否。
レイの身体になるまで、美しさを維持することがこれほどまでの重労働だなんて、僕は想像もしていなかった。
まず、下腹部を情け容赦なく押し潰すコルセット。
「息が……っ、吸えない……」
「もう少しだけ、ぐっと締めますわよ!」
「ぐえっ」
肺が半分になったような圧迫感。
いや半分どころじゃない。右肺、どこいった?潰れたかもしれない。
さらに追い打ちをかけるように、頭皮まで引っ張り上げられながら、複雑なアップスタイルに髪を編み上げられていく。
「痛っ、痛いよ!頭の皮が剥がれそう……!」
「美のためですわ、聖女様。耐えてくださいませ!」
美のため。そう、美のため。……美って、拷問なんだ。
念入りすぎるお化粧――
ファンデーション、アイシャドウ、チーク、リップ、マスカラ。
塗り重ねられるたびに、皮膚が呼吸を忘れていくような感覚に陥る。
顔が仮面になっていく。
「絶対に、目は開けないでくださいね」
「は、はい……」
まぶたの上を筆が滑るたび、くすぐったいのと怖いのが同時にくる。
くしゃみが出そうになるのを我慢する。
仕上げに履かされたヒールの高い靴は、もはや歩かせるための道具とは思えない。
爪先に全体重がかかり、一歩ごとに鋭い痛みが走る。
これ、武器だ。きっとかかとで人を殺せる。
「……これで、あの大広間を歩くの?冗談だよね?」
「慣れですわ。貴婦人方は皆、この痛みすら微笑みに変えて優雅に舞うのです」
慣れ、って……
この世の女の子たちは、皆こんな思いをしながら夜会に参加し、重いドレスを捌いて、断れないダンスを踊っていたのか。
……女の子、すごい。心の底から尊敬する。
ようやく支度が整い、会場へと向かう。
廊下を歩くたび、長すぎるドレスの裾を踏みそうになり、何度も転びそうになる。
今夜、慣例通りなら最後に入場するのは王太子。
そして僕は、彼女の隣に立つ『聖女』。主役の付属品みたいに見えるかもしれない。
でも……今日は、付属品でもいい。隣に立ちたい。
喧嘩中だし、特に何の約束もしていない。
けれど、僕はどうしても一緒に入場したくて、会場入り口の大きな観葉植物の影に隠れて、彼女を待つ。
植物の葉が顔に当たってちくちくする。……痛い。いや、今日は全部痛い。
じっとしていると、心臓の音がコルセットの圧迫を突き抜けて聞こえてくる。
なかなか来ない……。ひょっとして、僕と会うのが嫌で、公務をすっぽかしたんじゃ。
そんなはずはない。レイは責任感が強い。むしろ、僕がどれだけ避けても、仕事だけは完璧に片付ける。
でも、一ヶ月も拒絶し続けた僕のことを、彼女はどう思っているんだろう。
いっそ今から彼女の部屋まで迎えに行こうか。
いや、行ったら余計に嫌がられる?でも、このまま何も言えないのも――。
そう思い、踵を返そうとした瞬間。
目の前に、レイの姿があった。
「わあぁっ!!?」
「……何してんのよ。入り口で不審者みたいに固まって。入らないの?」
びっくりして足がもつれ、高いヒールのせいで派手に転びそうになる。
レイが呆れたような顔で、僕の細い腕をがっしり掴んで支えてくれた。
手のひらが熱い。触れられたところだけ、痛みが消えるみたいに感じる。
「レイ……!!?……は、入る、つもり……だけど」
「そのつもりなら、ちゃんと立って。転ぶと危ないよ」
至近距離。
一ヶ月ぶりに間近で見る、僕の姿。
見慣れた自分の顔のはずなのに、どうしようもなく格好良く見えてしまう。
僕とは違い、視線が真っ直ぐで、背筋が伸び、全身から堂々とした覇気が溢れ出しているからだ。
……ああ、きっと王太子って、こういう人なんだ。
そして僕は、彼女の正装に目を釘付けにされた。
白を基調とした王太子の礼装。そこに翻るマント。
何の相談も、合わせる約束もしていなかったのに。
レイが身に纏っているマントの色が、僕のドレスと全く同じ――ネイビーブルーだったんだ。
「え……嘘でしょ……」
夜会のために作られたこのドレスの色。
僕の衣装は他の色もたくさんあったはずなのに。
選んだの?わざわざ、この色を?
レイは王族や貴族の風習なんて知らないかもしれない。知らない……はず。
でも、異性が衣装の色を合わせることは、『特別な関係』を公言するのと同じなのに。
『婚約者』とか……あるいは、唯一無二の『恋人』とか。
僕だけが勝手に舞い上がっている。そんなのわかっているのに。
それでも、彼女の横に立つことが許されたみたいで、顔が火照るのを止められない。熱い。胸の奥まで、熱い。
「どうしたの?顔、真っ赤だよ。体調悪い?」
「な、なんでもない!!暑いだけ!!」
「暑いなら、なおさら早く中に入ろ。宰相の話、聞かないとなんでしょ」
レイがすたすたと歩き出す。その背中に、いつもの迷いがない。
……置いていかれないように焦って、僕も一歩踏み出した。
「うん……待って!」
慌ててついていこうとするけれど、慣れないヒールのせいで、生まれたての小鹿みたいに何度もよろけてしまう。
足が痛い。裾が邪魔。息が苦しい。なのに、彼女の横に並びたいだけで、全部我慢できる。
「大丈夫?ほら、つかまって」
「……っ」
レイが無造作に差し出してきた手。
僕はそれを、祈るような気持ちで握りしめた。
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