第十二話 ルカの初ケンカ①
あの日以来、僕とレイの時間は、まるでお互いを避けるみたいに、完全に別々の軌道を描き始めた。
学園の廊下ですれ違っても、彼女は決して目を合わせようとしない。
こちらが「……レイ」と呼びかける前に、肩がわずかに強張って、視線だけすっと逃げる。
食事の時間もずらし、登下校もあえて別の馬車を使う。
遠くから見える背中が、いつも少しだけ早足だ。
あんなに「私の裸を見るな!」と厳しく言われ、僕の抵抗も虚しく頑なにお風呂へ一緒に入っていたのに。
今では、脱衣所の前で名前を呼ばれることも、背中を流す温かいお湯の音を聞くこともなくなった。
湯気の向こうで彼女が小言を言いながら泡を立てる、あの変な安心感も――消えた。
一人でお風呂に入るのは、本来なら当たり前で、一番落ち着くはずの時間だったはずなのに。
今の僕には、石造りの浴室に響く水音があまりに静かすぎて、胸が痛くなるほど寂しい。
蛇口をひねる音、桶が当たる音、ぽたぽた落ちる雫。全部が一人だと言ってくる。
時折、レイが僕を心配するような、あるいは何かを言いかけるような視線を感じることはある。
廊下の端から、柱の陰から、彼女はチラッと僕を見ている。
けれど僕がそれに気づいて顔を向けると、彼女はハッとしたように、まるで悪いことを見られたみたいに目を逸らしてしまう。
なんなんだよ、それ……。
無視するくらいなら、いっそ怒鳴ってよ。
話しかけてよ……僕が悪いなら、悪いって言ってよ。
僕はこれまで、友達らしい友達もいなかった。
だから、誰かと喧嘩をするなんて生まれて初めての経験だったんだ。
何を、どう切り出せばいいのか。どんな顔をして謝れば、レイといつも通りに戻れるのか。
胸の中に答えがある気がするのに、言葉にしようとすると、喉の奥がきゅっと固まってしまう。
僕にはその正解が、どうしてもわからなかった。
僕がレイの隣から消えたことで、周りには連日、彼女を慕う女生徒たちが群れをなすようになった。
「殿下!今日のお昼休み、ご一緒してもよろしいですか!?」
「殿下、昨日のあのアドバイスのお礼に、お菓子を焼いてきたんです。よろしければ……!」
「あの……殿下。もしよろしければ、このお手紙を、あとで読んでいただけますか?」
手紙!?
しかも、ピンク色の封筒に可愛らしいハートの蜜蝋まで貼ってある。封を押す指先の震えまで見えるくらい、近い。
入れ替わる前の僕には、あり得なかった光景だ。
いや、僕がだったら、こんなふうに真っすぐ好意を向けられるだけで、怖くて逃げていた。
手作りクッキーのラッピングはプロ顔負けだし、その熱のこもった視線は、明らかに『王太子』への恋慕で満ちている。
……僕ですら、レイに手紙なんて書いたことがないのに。
気になんてしたくない。見たくもない。
そう思っているのに、僕の耳は勝手に大きくなったみたいに、レイの反応を敏感に拾ってしまう。
「ありがとう。嬉しい。あとで自室でゆっくり読ませてもらうね」
受け取るの!?しかも、あのズルいくらいにキラキラした、完璧な王子の笑顔で!!
胸の奥が、ぎゅっと掴まれたみたいに痛む。僕の指が、無意識にスカートの裾を握りしめていた。
「まあ……殿下、なんてお優しいの……」
女子生徒たちが頬を赤らめて身をよじる。
やめて。レイは優しい……優しいから、きっと誰のことも無下にはしない。そんなのわかっているのに。
僕の胸が、締め付けられるように、ぎゅっと痛む。
これが『嫉妬』という感情なのだと、僕は生まれて初めて知った。
情けない。けれど、どうしようもない。レイが遠くに行く気がして、呼吸が浅くなる。
気まずい沈黙が1カ月も続いたある日、ついに王である父上から、僕とレイの二人へ呼び出しがかかった。
謁見の間。高い玉座に座る父を前にすると、僕はどうしても身体が竦んでしまう。
床の冷たさが膝から伝わって、心臓の鼓動が一段大きくなる。
「……さて。なぜ呼び出されたか、自分たちでわかっておるか?」
「……」
「……」
僕もレイも、互いに一言も発さず、重苦しい無言が場を支配する。
これまでなら、レイが機転を利かせて何か言ってくれたはずなのに。
今の彼女は、頑固なまでに口を閉ざしていた。
視線は前だけ。僕の方は、一度も見ない。
「……黙秘か。余の耳にも、色々と不名誉な噂が届いておるぞ。お前たち、最近は口も利かぬそうではないか」
やっぱり、来た。あの日のお風呂場での騒動。深夜の締め出し。
城中のお手伝いさんたちの間で広まった『痴話喧嘩』の噂が、ついに王の耳にまで達したのだ。
『私たち、口は非常に堅いですから』
って使用人たちは言っていたけど、そんなわけはない。人の口に戸は立てれないんだから。
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