第八話 ルカの女の子の日②
頭痛がずんずん響く。下腹部が痛くて、脚の力が抜けそうだ。
その痛みがさらに恐ろしくて、僕は完全に最悪の想像へ突っ走った。
血が出る病気。切って縫うやつ。治らないやつ。レイの身体に、僕が。
僕が死ぬのは構わない。でも、レイを死なせるわけにはいかない。
レイは優しくて、面白くて、一緒にいると楽しくて……僕に『生きてていい』って思わせてくれた人なのに。
こんな形で、僕が壊したくない。
……いっそ、僕の魂ごと消えて、僕の身体をレイに全部あげられたら。
本気でそんな悲劇的な決意まで固めかけた、その瞬間。
ふわっ、と。
レイが、僕の肩を優しく、でも逃がさない強さで抱きしめてきた。
胸に額が当たって、彼女の体温がじわりと伝わる。
その温かさに、怖さが一瞬だけ溶けて、僕は呼吸の仕方を思い出した。
「……え?」
「泣かないでよ、ルカ。大丈夫。病気じゃないし、ましてや内臓が破裂したわけでもないから」
耳元で響く声が、いつもより少しだけ低くて、落ち着いていて。
背中を包み込む腕の強さが、驚くほど温かい。
さっきまで全身を支配していた『血』『死ぬ』『どうしよう』という騒音が、胸の奥でふっと遠のいた。
シーツに広がっていた鮮烈な赤。
鼻の奥に残る鉄みたいな匂い。
それがまだ怖いのに、レイの体温だけが、現実を『大丈夫』に塗り替えていく。
「……まぁ、ある意味、内臓の問題っちゃ問題だけど」
「えっ……!じゃ、じゃあやっぱり重い病気――」
「違うってば!!持病でもなんでもない!安心して!!」
「……ほんとに?」
「うん。……ごめん。初めて経験する男子からしたら、そりゃホラーだよね。ちゃんと事前に説明しとかなかった私が悪かったわ」
レイに抱き締められて、子供をあやすみたいに背中をぽんぽんされると、沸騰していた頭が少しずつ冷えていく。
視覚的には慣れ親しんだ僕の身体のはずなのに、レイの体温は僕の記憶の僕よりずっとあたたかい。
陽だまりみたいで、どこか懐かしくて、怖いのに、安心してしまう。
「……レイ、本当に、病気じゃないんだよね?」
「うん。大人の女の子はね、毎月こうなるの」
「……毎月!?」
「そう。今日はまだマシな方。明日はもっと身体が重くて、痛みも強くなるかも」
「えっ……」
「だいたい一週間くらい続く」
「えぇっ!?一週間も出血し続けるの!?血が足りなくなって死んじゃ――」
「死なない死なない。大丈夫。……でも貧血はあるし、気持ち悪くなったりもする」
レイは笑いながら言うのに、僕の腹の奥は、鉛を詰め込まれたみたいにずしんと重い。
下腹部が、ぎゅうっと雑巾みたいに絞られて、ズキズキして、息が浅くなる。
「いたっ……うぅ……」
「あ、生理痛きた?お腹、重苦しい感じでしょ」
「これが……そう……なの?」
「うん。私の身体、それでも軽いほう。代わってもらってるのにごめんね」
「レイは……毎月、こんなのを……?」
「そうだよ。私だけじゃなくて、世界中の女の子はみんな、これを抱えて笑って過ごしてる」
……すごい。
僕は「女の子って大変」なんて軽く聞いたことはあった。
でも、これは、大変どころじゃない。
痛くて、怖くて、しかも毎月必ず来る。
それを平気な顔でやり過ごして、普通に学校に行って、普段と変わらない顔をして。
レイは、そんなことを当たり前みたいにやってきたんだ。
「ねえ……じゃあ、今はどうすれば……」
「とりあえず、今の王子の姿の私じゃ具体的なケアはできないから。お手伝いさん呼ぼうか」
「ケア……?」
「うん。これ、放置すると服もシーツも全部やられるから。あと、身体を冷やさないこと。お腹に温かいもの当てると、ちょっとマシになる」
「そ、そんな便利な……」
「王宮だし、なんとかなるでしょ」
たぶん侍女たちは、これを「当たり前の体調管理」として淡々と片付けるんだろう。
僕だけが大騒ぎして、勝手に世界の終わりを想像していた。
「とりあえず、今日の神殿の『祈りの儀式』はキャンセルしよう。私から王様に、聖女様の体調が優れないって言ってくる」
その言い方が、やけに格好良くて。
痛みでぐちゃぐちゃだった胸の奥が、別の意味でぎゅっと締まった。
……レイがいるなら、大丈夫だって思えてしまう。
「うん……ありがとう。ごめんなさい……せっかくの公務なのに」
「謝らない。これはルカのせいじゃない。仕方ないこと。……今日は学校も休みだし、一日ベッドでゆっくりしな」
そう言って、レイが僕の頭を撫でた。
その指先が、安心するくらい優しいのに、胸の奥が変なふうに跳ねる。
痛いのに、怖いのに、なぜか、涙が出そうになるくらい嬉しい。
なんだろう。
見慣れたはずの『僕の顔』なのに、鏡の中の自分より、ずっと格好良く見える。
頼りになって、強くて、ちょっと強引で、でもちゃんと優しい。
……こんな人が、ずっと隣にいたら、好きになってしまう。
「レイ……」
「ん?」
「ありがとう……本当に」
「どういたしまして。汚したシーツの片付けも、お湯と毛布の用意も、頼んでくるね」
レイが立ち上がって、部屋を出ようとする。
僕は乱れたシーツの上で、膝を抱えたまま、その背中を見つめていた。
心臓が、生理痛とは別のリズムで、トクン、と跳ねる。
顔が熱い。喉が渇く。息が浅い。
これって……まさか……。
「ルカ?顔、真っ赤だけど。熱も出ちゃった?」
「え!?な、ない!全然ない!」
慌てて首を振ると、レイが心配そうに僕の額に手を当ててくる。
近い。僕の顔が、すぐ目の前に。
「……熱はないけど、やっぱり顔色が変だよ?」
「だ、大丈夫!ちょっと……眩しいだけ!」
「?眩しい?」
声が情けなく裏返って、さらに恥ずかしい。
レイが「?」と首を傾げる。
やばい。これ、自分でも信じられないけれど、やばいかもしれない。
こうして僕の『初めての生理』と『生まれて初めての恋』が、最悪で最高なタイミングで同時に始まった。
十六年の人生で、いちばん混乱して、いちばん胸が震えた、忘れられない朝だった。
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