第八話 ルカの女の子の日①
レイと中身が入れ替わってから、1カ月が経った。
最初の数日は、慣れないスカートの裾に引っかかったり、階段で足を取られたり、座る時に膝を閉じるのを忘れて慌てたり、歩くだけで精一杯だった。
髪をまとめるだけでも一苦労で、編み込みなんて魔法の技術に見えた。
でも最近は、鏡の前で立ち止まってもこれが僕だと、少しだけ言えるようになってきた。
仕草も、声の高さも、笑い方も。全部が借り物なのに、借り物なりに馴染んでしまうのが怖い。
「レイ!見て、レイ!……まつ毛、また伸びてない?ほら、これ!」
鏡に顔を近づけて、目をぱちぱちさせる。自分でも笑ってしまうくらい必死だ。
レイの身体は元から可愛くて、整っていたけれど、最近はそれが整いすぎになってきている気がする。
「どれどれ……ぶっ。ほんとだ!何これ、天然のマツエク?バサバサじゃん!」
「え、やっぱり!?」
「あはは。聖女パワー、女子力に全振りしてない?ウケるんだけど」
レイはソファにふんぞり返って、腹を抱えて笑った。
最初は、見ず知らずの女の子を巻き込んでしまった罪悪感で、胸が押しつぶれそうだった。
けれど彼女は、どんな異変も「得だ得」と笑い飛ばしてくれる。
その笑い方が、僕の息を少しだけ楽にした。
だから僕は、気づけば些細な変化ほど、真っ先に彼女に報告するようになっていた。
体重が増えた時は怒られたけれど……
口内炎ができない。
夕方になっても脚が重くならない。
爪が割れない。乾燥しても指先がささくれない。
お腹の調子まで妙にいい。
「今日は……その……すごく便通がスムーズだったよ」
「その報告、デリカシーの欠片もないから。乙女の身体でやめて。せめて『快腸』って言って」
「か、快腸……」
「そう。快腸。はい、復唱できた。よし」
「でも本当に、びっくりするくらい……」
「だからそこから先はいらない!」
怒られたのに、レイは笑う。僕もつられて笑ってしまう。
性別も環境も違うのだから当然かもしれないけれど、以前の僕の身体では当たり前のようにあった片頭痛も、ここに来てから消えた。
夜もぐっすり眠れる。朝の目覚めも軽い。あんなに細かった食欲まで、レイと一緒にいると、ちゃんと湧いてくる。
学園の子たちに囲まれている時も、僕は少しずつ怖くないを覚えた。
誰かが笑ってくれるだけで、こんなにも胸が温かくなるんだ、と。
「髪も伸びるのが早い気がする。ほら、もう鎖骨に届きそう」
「おー、聖女パワーすごすぎ。なんとか商品化できないもんか……」
「しょ、商品化……?」
「冗談。……でもさ、ちゃんと一年後には、最高の状態で返してよね。私の身体」
「うん。絶対に。肌も髪も心も、全部ちゃんと磨いて返す」
そう決めていた。決めていたのに。
その朝、目を開けた瞬間、胸の奥がずしりと沈んだ。
身体が鉛みたいに重い。熱っぽくて、背中にじっとり汗が張り付く。頭の中に鈍い音が鳴っている。
なくなったはずの痛みが、もっと嫌な形で戻ってきたみたいだった。
「んんっ……」
喉の奥が乾いて、息がうまく入らない。風邪、引いちゃったのかな。レイの身体なのに。
僕が弱いせいで、レイの身体を壊してしまったらどうしよう。
そんなことばかり考えて、ふらつく足でベッドから降りようとした。
その時、鼻に鉄の匂いが刺さった。
甘い香りの石鹸やバラの湯の残り香とは真逆の、冷たい匂い。
「……え?」
視界の端、白いシーツに赤が滲んでいる。いや、滲んでるどころじゃない。
鮮烈な赤が、べったりと広がっていた。しかも一か所じゃない。
点じゃなくて、面。僕の脳は『血』という単語を理解したのに、現実として受け止めるのが遅れて、数秒遅れで全身が凍った。
「え、え,え!?なに、これ……!?」
一瞬、時間が止まった。頭の中が真っ白になって、心臓だけが暴れ回る。
血。血だ。こんなに。どこから。どうして。
僕は布団をめくり、身体を確かめようとして、下腹部にズキンとした痛みが走った。
雑巾を絞られるみたいな、逃げ場のない痛み。息が詰まる。
やっぱり内臓?どこかが壊れた?さっきの鉄の匂い、つまり……。
医者。医者を呼ばなきゃ。ここは王宮だ。侍女を呼ぶ?でも呼んだら、どう説明する。
僕はレイだけど、レイじゃない。いや、そんなことより、レイの身体が。
僕はなりふり構わず、レイが寝ている僕の部屋へ飛び込んだ。
「レイ!!ごめん、ごめんなさい!!僕のせいで……レイが死んでしまうかもしれない!!!」
「はあぁ!?なに、朝っぱらから……。まだ六時半よ……」
寝起きのレイが、むくっと起き上がる。派手な寝癖が重力に逆らっている。
いつもなら笑えるのに、今は笑えない。笑うどころじゃない。
「ベ、ベッドに……血が……!たくさん……!!」
「……血?」
レイの目が一気に冴えた。状況を測るように、僕の顔を見て、次に僕の身体の様子を見て、最後に息を吐く。
「どうしよう……僕が、レイの忠告を無視してスイーツを食べ過ぎたから?内臓が……内臓が破裂したんだ!ごめん、レイ、僕が不甲斐ないせいで……!!」
「ちょっと落ち着きなさいって……!」
「昨晩も、レイが寝た後に隠れてプリンだけじゃなくてエッグタルトまで食べたし、その後にモンブランも……。その呪いなの!?死ぬのは僕だけでいいのに!!」
「おま……どんだけ食べてるのよ。十時以降は控えてって言ったでしょ!しかもモンブランまで!?」
「だって……美味しくて……」
どうしよう……
レイに身体を返せなくなる。いや、それどころか、レイの人生をめちゃくちゃにしてしまう。取り返しがつかない。
怖くて、申し訳なくて、視界が涙で滲んでいく。
喉の奥がひくひくして、言葉がうまく出ない。
「う、うぅ……ごめんなさい……レイ……」
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