第七話 レイの神殿イベント①
私は半ば機械になった気分でペンを走らせ、回されてくる書類に次々と目を通していく。
医療格差の是正。魔導インフラの整備計画。来年度の税収予測。少子化対策。治安維持費の再配分。
……ちょっと待って、重い、重すぎる。
この国のあらゆる政策に関する一次スクリーニング、つまり王に上げる前の仕分けが、まるごと私のデスクに投げ込まれているのだ。
「殿下、こちらの農地改革案もご確認を」
「殿下、至急の承認が必要な騎士団の予算案です」
「殿下、こちらは明日までに。……あ、これも追加で」
……やめて。もう無理。
脳内メモリが、政治経済学部の講義内容を総動員してもオーバーフロー寸前だ。
目の奥が熱い。手首もじんじんする。指の関節まで固まってきて、ペンが滑り落ちそうだ。
それでもペンを止めたくない。止めた瞬間、ある事実が胸に刺さるから。
これを、たった十六歳のルカが、ずっと一人でやらされていたとしたら?
私が大学で習った知識を引っ張り出して、やっと呼吸できるレベルの仕事を、高校一年生そこそこの少年に丸投げするなんて。
これ、ブラック企業どころか児童虐待の域じゃない?労基じゃなくて児相案件だよ。
「いやはや、一時はどうなるかと思いましたが……最近の殿下は、ようやく王太子としての『自覚』と『知性』が芽生えてきたようで」
「…………は?」
思わずペン先が止まり、私は書類から顔を上げた。
今、なんて言った?芽生えた?最近?
傍らで見守っていた政務官のおじさんが、満足げに、そしてどこか上から目線で頷いた。
褒めているつもりの口調が、逆に腹に刺さる。
褒める前に、人を一人でも付けろって話だ。
「以前は書類の処理も滞りがちで、失礼ながら、我々も将来を危ぶんでおりましたが。今の殿下の采配は実にスムーズだ。無駄がない」
「……あの、それって」
「ようやく、王としての『器』が育ってきた証拠ですな。これなら陛下もご安心されるでしょう」
……どうやら、このおじさんの話を総括するに、恐ろしい事実が浮き彫りになってきた。
ルカはこの城の中で、ずっと大きな誤解を背負わされていたのだ。
――無能。やる気がない。怠慢な王子。
けれど、それはルカのせいじゃない。
だって、このおじさんたちの言葉の端々から、『教える』『導く』『手順を踏む』みたいな発想が一ミリも見えてこないんだもん。
できるのが前提。できなければ欠陥。はい、終了。そんな扱い。
ちゃんと順を追って説明すれば、ルカは理解する。地頭だってかなりいい。
この間だって、私が半ばヤケで出した例題を、彼は数分でスラスラ解いてみせた。
それなのに周りの大人たちは、『政治のいろは』も叩き込まず、ただ難解な仕事だけを山積みにして、遅れたら『無能』とレッテルを貼って切り捨てていたんだ。
「これ、ルカ……あ、私に付いている教育係とか、専門のアドバイザーはいないんですか?」
「は?何をおっしゃいますか。殿下は王家の一員なのですから、これくらいは自力でこなして当然でしょう」
「いや、無理でしょ!十六ですよ!?高校一年生の少年に、いきなり税制改革や医療政策の決断を迫って、ノーヒントで正解しろなんて……鬼か、あんたたちは!」
「それに学校にも通っているではないですか」
「高等教育課程でこんなんやるわけないでしょ!?授業で税制改革の実地演習とか、どこの異世界エリート校よ!」
政務官が、鳩が豆鉄砲を食ったみたいに目を丸くする。
「殿下……何を、奇妙なことを……」
「あ……いや、独り言です。忘れてください」
危ない。つい本音が出た。
けれど、この城の空気はあまりに冷たすぎる。
誰も彼を導こうとせず、ただ能力を見誤り、見下している。
学園での、あの冷ややかなクラスメートの視線も、全部繋がった。
「ルーカス様は公務を理由に逃げ回っている」
「実務能力が低いらしい」
やらされた執務が捗らないことで、こんな噂が年頃の男子生徒たちの間でまことしやかに囁かれる。
誰かが近づけば「どうせ忙しいんだろ」と引く。手を差し伸べる前に、距離を取る。
そんなの、ただの孤立だ。笑ってる余裕なんて、残ってない。
そんな噂のせいで、ルカに婚約の話が出るわけもなく、気がつけば彼は『高嶺の花』ではなく――
『遠巻きにされる寂しい王子』になっていたのだ。
胸が重い。最悪だよ。
『……僕はもう、疲れてしまったんだ』
入れ替わった瞬間、あの真っ白な空間でルカがぽつりと零した言葉。
その時の、諦めきった虚ろな表情が頭から離れない。
十六歳って、本来なら一番多感で、一番くだらないことで笑って、泣いて、騒いでいい年頃だろ。
それなのに、あんな顔をさせちゃ絶対にダメだ。
……けれど。
私が代わりに公務をこなして『有能な王子』を演じたところで、根本的な解決にはならない。
一年後、私たちが元に戻ったら、ルカはまたこの地獄に放り出される。
結局、ルカ自身がこの状況を変えなきゃいけないのだ。
それと、もう一つ――私たちの偽装は、いつか必ず踏み抜く。
「そろそろ『聖女様』も、この国の空気に慣れた頃だろうな」
不意に、王――ルカのお父さん――が重厚な声を響かせた。
玉座の前で、会議室の空気がすっと冷える。
嫌な予感って、どうしてこう当たるんだろう。
聖女が何なのか、私にはさっぱり分からない。
けれど、こんな仰々しい肩書きを背負わされた以上、何かしら相応の『ノルマ』があるに決まってる。
しかも私は奇跡なんて起こせない、ただの女子大生だ。
できるのは、せいぜいプレゼン資料の要点をまとめるくらいで、神の御業とは無縁。
「そうだな。手始めに、神殿で民の安寧のために『祈り』を捧げてもらおう。ルーカス、次の公休日、聖女を伴って神殿へ向かえ」
「…………はい。承知いたしました」
私は、無意識に横を盗み見た。
そこには、真っ青な顔で立ち尽くす私――いや、私の身体の中のルカがいる。
まさに血の気が引く、とはこのことだ。
この世界の『祈り』が、近所の神社でお賽銭を投げて『南無南無』して終わるわけがない。
絶対に、魔力だの神秘だのが絡んだ、逃げ場のない公開イベントだ。
下手したら、民衆の前で「ほら、聖女なら光ってみせろ」みたいな、公開処刑に近い儀式が待っている。
ルカと私。
二人の偽物のメッキが、ついに剥がされかねない『神殿イベント』発生って、笑えないにもほどがある。
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