第六話 レイの王太子としての一週間②
私の中で『入浴契約』に続く、新しい地獄が確定した。
敵は、王でも女神でも魔王でもない。糖と脂だ。
しかも私の身体に、私のいない場所で、着実に蓄積されていく。
「わ、わわっ……ご、ごめん……。なんか、何を食べても美味しくて、みんなが『美味しいですね聖女様』って言ってくれるのが嬉しくて……全然、そんなこと考えてなかった……」
「これから夏なのに、ノースリ着れないじゃない!!」
ルカが涙目で縮こまる。
……あざとい。あざといけれど、許されない。
だってこれは、私の身体。私の人生。私のジーパン。
私の異世界での戦いは、魔王との戦いじゃなかった。
『自分の身体の代謝』との戦いへと、静かに、しかし確実に変わろうとしていた。
怒鳴り散らした私を前に、ルカが耳まで垂れ下がった子犬みたいにしゅんと縮こまった。
「毎日が……楽しくて……」
その消え入りそうな呟きに、私の胸が不意にちくりと痛む。
……考えてみれば、たった十六歳の少年なのだ。
私が今、吐血しそうな思いでこなしているこのブラックなスケジュールを、ルカはずっと一人で背負ってきた。
公務、執務、視察、訓練、延々と続く会議。
息をつく暇もないのに、誰にも弱音は吐けない。王太子だから。
それを思えば、誰にも文句を言われず、好きな時に好きな場所へ行ける今の生活が、彼にとってどれほど眩しい解放なのか――。
私は、叱られた子犬みたいに肩を落とす私を見下ろしながら、深く息を吐き出した。
怒りの熱が、少しずつ冷めていく。
代わりに、じわっと別の感情が滲んでくるのが腹立つ。
「も~……わかったわよ。食べてもいい」
「……え、食べていいの?禁止にしないの?」
パッと顔を上げたルカの瞳が、これ以上ないほどキラキラと輝き出した。
……だから、その顔でその目を使うな。反則。
「仕方ないでしょ。せっかくの休暇中なんだから。楽しい記憶は大切」
言いかけて、私は指を立てた。
「……その代わり!適度に運動。夜十時以降の間食は禁止。あと、今の体重がデッドライン。ここから一グラムでも増えたら、その時はスイーツ断食刑ね」
「うんっ、約束する!」
「軽っ」
「……やっぱりレイは優しいね」
「優しいのハードル、低すぎない?これ、二十歳として当然の健康管理アドバイスだから」
「ううん。僕にとっては、誰よりも優しいよ」
にこっと、花が綻ぶみたいに微笑む私の顔。
可愛い。悔しい。
自分の顔なのに、中身がピュアなだけで破壊力が跳ね上がるなんて、反則にも程がある。
「レイとも、今度一緒に行きたいな。僕が見つけた美味しいスイーツ巡り」
「……いいね。そのためにも、溜まってる公務を少しは手伝ってよ」
「え!?で、でも、僕はレイみたいにできない……」
「大丈夫。できるようにする。教えられることは教えるよ」
私は笑いながら、ルカの隣にごろんと寝転がって、右手の小指を彼の方へ差し出した。
「なに、これ?」
「約束の指切り。……まさか、したことないの?」
「……一度も、ないかも」
マジか、王子様。
そんな基本の遊びも知らずに育ったなんて、どれだけ王太子だけの生活が詰め込まれてきたのよ。
私はぐいっと私の手を引き寄せ、戸惑うルカの小指に自分の小指を無理やり絡ませた。
「いい?復唱して。ゆ~びき~り、げんまん、うそついたら、は~りせんぼん、の~ます。指きった!」
リズムに乗せて歌いながら、小指を上下に力強く振る。
ちょっと強め。勢い大事。儀式だから。
「……なにそれ、変な歌」
「『指切り』の儀式。嘘をついたら針を千本飲まされるっていう、なかなか過激なルールなんだけどね」
「怖い……。でも、なんだか楽しいね。指が繋がってるみたいで」
ルカが本当に嬉しそうに、クスクスと喉を鳴らして笑った。
その笑い声が、部屋の空気を少しだけ明るくする。
「……楽しみだな。レイと一緒に、街に出るの」
「ん。私も楽しみにしておく。……さーて、それじゃあ、あと一踏ん張りして終わらせちゃいますか!」
視界の端には、まだ片付いていない書類が山のように積まれている。
現実に戻れば、そこは絶望のブラック職場。逃げ場なし。王子の机。王子の仕事。
「僕、お茶を淹れてくるよ。レイの好きな……ストレートでいい?」
「うん、お願い。熱めでね」
「は~い!」
ルカが軽やかな足取りで部屋を出ていく。
一人になって、私は大きく伸びをしながら天井を見上げた。
「…………あと三百五十八日、か」
長い。絶望的に長い。
でも、あいつのあんな笑顔を見せられると、まあ、身代わり生活も悪くないかな……なんて思えてしまうから不思議。
……私、いつからこんなに『こなすだけ』の毎日になってたんだろう。
大学に入って、バイトして、山のような課題に追われて。
いつの間にか心に余裕がなくなって、こんな風に全力で笑うことを忘れていた気がする。
いや、笑ってはいた。笑ってたはず。でも、こういう笑い方じゃなかった。
「レイ、お待たせ。とびきりの茶葉を使ったよ」
「ありがと。……ふぅ、美味しい」
差し出されたカップを両手で包み、一口飲む。
熱いお茶が、疲れた体にじわりと活力を注ぎ込んでくれる。
肩の奥のこわばりが、ほんの少し緩む。
「よし、やろっかな!」
私は書類に向き直った。
ルカが自然に隣に座り、一緒に書類を覗き込んでくる。
その距離が、いつの間にか当たり前になりつつあるのが、少しだけ怖い。
「これは、北の村からの陳情書?なんて書いてあるの?」
「えっとね、これは……」
説明しながら、ペンを走らせる。
こうして、私の波乱に満ちた異世界王子生活一週間目は、これまでにないほど穏やかで、ほんの少し温かい空気の中で幕を閉じた。
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