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十五回婚約破棄された悪役令嬢の小言がなぜか国を救い始める  作者: 月雅


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第9話「王家の影」

やはり王族が絡んでくる。


マルグリット叔母様からの報せを受け取ったのは、ルーヴェンが報告書を持ち帰った翌朝だった。叔母様は朝食の席に書簡を一通持ってきた。社交界の知人からの速報だという。


「宮内府から公爵家宛てに、正式な書面が届くわよ。今日中に」


「内容は」


「帝国皇帝との縁談に対する、王家の懸念表明。外交上の観点から、慎重な対応を求める、という名目」


フォークを置いた。


懸念表明。名目上は助言だが、実態は干渉だ。王家が公爵家の縁談に口を出すこと自体は、制度上は可能だ。公爵家以上の婚約は王家の承認が必要とされている。


だが、これは通常の国内婚約ではない。外国元首からの正式な打診だ。


「ルナリアが動いたのですか」


「直接ではないわ。ルナリアが王太子殿下に吹き込み、殿下が宮内府に働きかけた。殿下の名前で出される書面だから、男爵令嬢の意向が裏にあるとは表向き分からない仕組み」


叔母様は紅茶を一口飲んだ。表情は穏やかだが、目の奥は鋭かった。


「エドワルド殿下が個人的にこの縁談を嫌がっている、という見方もできる。あなたが帝国と繋がれば、クランメール公爵家の外交的影響力が殿下の手の届かないところに移る。王太子にとっては面白くないでしょうね」


二つの動機が重なっている。ルナリアの敵意と、エドワルドの政治的不安。どちらが主でどちらが従かは分からない。だが、結果として王家の名前で干渉が来る。


「叔母様。対処法は三つあります」


叔母様が眉を上げた。私が自分から選択肢を並べることは珍しい。


「一つ目。父の政治力で押し返す。クランメール公爵家は三大公爵家の筆頭です。枢密院での発言権を使えば、宮内府の懸念表明を撤回させることは不可能ではありません」


「可能だけれど、王家と正面からぶつかることになるわね」


「はい。父の立場を消耗します。今後の政治運営に支障が出るかもしれません」


「二つ目は」


「縁談を取り下げて身を引く。王家の懸念が消え、ルナリアの目的も達成される。平穏に戻ります」


叔母様は何も言わなかった。ただ、紅茶のカップを持つ手が止まった。


「三つ目は」


ここからが本題だった。


「ルーヴェン陛下に事態を伝え、帝国側から正式な外交案件として処理していただく」


叔母様がカップをテーブルに置いた。


「説明して」


「帝国皇帝との婚約は、通常の国内縁談ではありません。外国元首との婚約交渉は外交条約に準ずる扱いになります。帝国側から正式な外交ルートで婚約交渉開始を通告すれば、これは二国間の外交案件になります」


「そうなれば」


「王太子殿下の個人的な干渉は、外交問題への不当な介入になります。国王陛下の裁可なしに、王太子が外国元首との正式な外交案件に口を出すことは制度上許されていません」


叔母様は数秒間、黙った。


「あなた、いつからそんなに外交手続きに詳しくなったの」


「帝国の通商条約を読んだ時に、ついでに外交法規も確認しました」


「ついでに」


叔母様が小さく笑った。笑みの中に、何か別の感情が混じっていた。呆れなのか感心なのか、あるいは安堵なのか。


「三つ目を選ぶのね」


「はい」


即答した。自分でも驚くほど迷いがなかった。


一つ目は父を消耗させる。二つ目は帝国の帳簿を放り出すことになる。


二つ目を選べば、処刑フラグから離れられる。安全だ。いつもの私なら、二つ目を選んでいた。


だが、ルーヴェンの報告書が頭にあった。通商条約の七カ所の不利条項。六年間解けなかった問題。あの声の震え。


あれを放置して逃げることが、もうできなくなっていた。


「三つ目を選ぶということは、ルーヴェン陛下に頼るということよ。分かっている?」


叔母様の声が真剣だった。


「一人で逃げるのではなく、誰かに助けを求めるということ。あなたが十年間、一度もしなかったことよ」


胸が痛んだ。叔母様の言葉は正確だった。


十年間、一人で処刑フラグから逃げてきた。婚約して、嫌われて、破棄して、立ち去る。そのサイクルの中に、他人に助けを求める余地はなかった。


「分かっています」


「本当に?」


「……分かっているつもりです」


叔母様は溜息をついた。優しい溜息だった。


「行きなさい。手紙を書くより、直接話した方がいい。陛下はまだ王都にいらっしゃるのでしょう?」


「はい。帝国への帰国は明後日の予定だと伺っています」


「なら今日中に会いなさい。宮内府の書面が届く前に」


午後。公爵邸の応接間ではなく、ルーヴェンが滞在している帝国大使館の客間。


場所が変わったのは、今回の面談が公爵家の私的な相談ではなく、外交案件の協議だからだ。帝国大使館であれば、帝国の領域として扱われる。ここでの会話は、王国の宮内府の管轄外になる。


父が大使館への訪問を手配してくれた。公爵家の馬車で、護衛二名同伴。手続き上の問題はない。


客間に通された。帝国の紋章が壁に掲げられた部屋。調度品はリヴェーゼ式ではなく、帝国式の重厚な木製家具だった。


ルーヴェンは窓際に立っていた。振り返り、私の姿を確認すると、席を指し示した。


「座れ」


「失礼します」


椅子に腰を下ろした。ルーヴェンも向かいに座った。


「用件は聞いている。クランメール公爵から大使を通じて連絡があった」


父が先に動いてくれていた。


「王太子が宮内府を通じて、縁談への懸念を表明する。そういうことか」


「はい。本日中に公爵家宛てに正式な書面が届く見込みです」


「理由は」


「名目は外交上の懸念です。実態は、王太子殿下の個人的な意向と、ルナリア・ヴァイスの工作が背景にあると見ています」


ルーヴェンの目が僅かに細くなった。怒りではなかった。評価するような目だった。


「自分で分析してきたのか」


「はい」


「対処案も持っているな」


「はい。帝国側から正式な外交ルートで、婚約交渉開始の通告を出していただきたいのです。二国間の外交案件として処理されれば、王太子殿下の個人的な干渉は制度上封じられます」


ルーヴェンは肘掛けに手を置いた。指は動かなかった。


「望むところだ」


短い返答だった。


「帝国大使に指示を出す。今日中に王国外務省へ正式な婚約交渉開始の通告書を提出する。王国側の窓口は外務省になり、宮内府は管轄外になる。王太子が口を出す余地はなくなる」


予想通りの回答だった。ルーヴェンにとっても、この縁談を他国の王太子に潰されることは許容できないはずだ。帝国皇帝の面子の問題でもある。


だが、次の言葉は予想していなかった。


「ただし、一つ確認する」


「何でしょう」


「これは俺への依頼か。それとも、俺との共同作業か」


意味を考えた。


依頼であれば、私はルーヴェンに問題を預けて、結果を待つ。共同作業であれば、私も当事者として動く。


「共同作業です」


言葉が出た後に、自分の答えに驚いた。十年間、一度も言ったことのない種類の言葉だった。


「通告書の文面に、私からの提案があります。懸念表明の名目は外交上の問題ですから、通告書にはこの縁談が帝国にとって外交的に重要である具体的な理由を記載すべきです。抽象的な通告では、王国側が別の名目で干渉を続ける余地が残ります」


ルーヴェンは黙って聞いていた。


「具体的には、帝国の経済改革に関する顧問招聘という実務上の目的を明記することを提案します。婚約の形式を取る法的理由——帝国法における外国人の財務記録アクセス制限の回避——も併記すれば、王国側が感情論で覆すことは困難になります」


沈黙。五秒。


ルーヴェンが立ち上がった。


「大使を呼ぶ。今からこの場で通告書の草案を作る。君も残れ」


命令ではなかった。少なくとも、命令の口調ではなかった。


「はい」


大使が呼ばれ、草案の作成が始まった。私は通告書の経済関連の記述を担当した。ルーヴェンは外交上の文言を整え、大使が書式を整えた。


三人で一つの書類を作る作業は、不思議な感覚だった。


十年間、帳簿を読むのはいつも一人だった。指摘するのも一人。嫌われるのも一人。


今、隣に人がいる。


通告書の草案が完成したのは、夕刻だった。窓の外が橙色に染まっている。


「明朝、外務省に提出する」


ルーヴェンが草案を確認しながら言った。


「これでエドワルド王太子の干渉は封じられる。ただし、封じられるのは制度上の話だ。感情は別だ」


「承知しています」


「王太子が腹を立てることは避けられない。ルナリアも引かないだろう。だが、制度で封じておけば、彼らが動ける範囲は狭まる」


ルーヴェンが草案をテーブルに置いた。


「帰国は予定通り明後日だ。通告書の提出は明朝。俺が王都を発った後も、この通告書が君を守る」


守る。


その言葉に、胸の奥が震えた。


「ありがとうございます、陛下」


「礼を言うのは俺の方だ。通告書の経済関連の記述がなければ、ただの外交的威嚇で終わっていた。君が内容を詰めたから、覆されない文書になった」


ルーヴェンが私を見た。


「半年後に破棄するんだろう? なら、それまでに俺を叱り続けてくれ」


彼の目は笑っていた。口角が僅かに上がっている。だが、声は真剣だった。笑みと真剣さが同居している。この人の表情の中で、初めて見る組み合わせだった。


「……叱り続ける、ですか」


「帝国の帳簿はまだ山のようにある。通商条約の改定だけではない。税制も、官僚機構も、地方財政も。全部、君に叱ってもらわないと困る」


叱る。私がこの十年間やってきたことを、この人はそう呼ぶ。


嫌味でも小言でもなく、叱る。


「……お待ちしております、ではおかしいですね。参ります、が正しいでしょうか」


自分でも何を言っているのか分からなかった。ただ、黙って頷くだけでは足りない気がした。


ルーヴェンの肩が揺れた。今度は、笑ったのだと分かった。


「来月、帝都で待っている」


帝国大使館を出て、公爵家の馬車に乗った。


馬車の窓から、夕暮れの王都が流れていく。石畳の通り、商店の灯り、行き交う人々。


自分の意志で「逃げない」を選んだ。それは数日前にも感じたことだ。だが、今日は違う重さがあった。


逃げないだけではなく、隣に立つことを選んだ。一人ではなく、誰かと一緒に問題を解くことを選んだ。


恐怖は消えていない。処刑フラグの影はある。攻略サイトの文字列は、頭の片隅にまだ残っている。


でもそれと同じ重さで、別のものがある。


隣に立ってくれる人がいることの重み。


帳簿を一緒に読んでくれる人がいるということ。


馬車が公爵邸の門をくぐった。叔母様が玄関で待っていた。


「どうだった?」


「明朝、帝国大使が外務省に通告書を提出します」


「それで」


「王太子殿下の干渉は、制度上封じられます」


叔母様は長く息を吐いた。


「あなた、変わったわね」


「そうですか」


「一人で全部決めて、一人で全部やって、一人で全部背負って。それがあなただった。今日のあなたは違う」


返す言葉がなかった。


叔母様は微笑んだ。十年間で初めて見る種類の、安堵の混じった笑みだった。


「おかえりなさい」


その一言が、妙に温かかった。

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