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十五回婚約破棄された悪役令嬢の小言がなぜか国を救い始める  作者: 月雅


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第5話「噂の値段」

「なぜ君は嫌われようとする?」


ルーヴェンの声は静かだった。責めるでもなく、探るでもなく、ただ事実を確認するような口調だった。


テーブルの上の紙が目に入った。昨日の帳簿とは別の書式。帝国の諜報筋が作成したであろう報告書の体裁をしている。


「何のことでしょう」


「とぼけなくていい」


ルーヴェンは紙を手に取り、表を私に向けた。


一枚の紙に、名前と日付と、短い一文が並んでいた。


第一回。ヴェルナー男爵家。婚約期間四ヶ月。破棄理由、性格の不一致。 第二回。グラーフ子爵家。婚約期間三ヶ月。破棄理由、家風に合わず。 第三回。ヴァルトシュタイン子爵家。婚約期間五ヶ月。破棄理由、相性の問題。


ずらりと十五行。最後の行にはロンバルト侯爵家。婚約期間五ヶ月。破棄理由、相性の問題。


全部、正しい。書類上の理由も、期間も、一字の誤りもない。


「帝国の情報網は優秀ですね」


声が震えなかったのは、十五回の経験のおかげだと思う。


「裏を見ろ」


ルーヴェンが紙を返した。裏面にも文字が並んでいた。ただし、こちらは私が知らない情報だった。


第一回。ヴェルナー男爵家。破棄後一年で木材取引量が三割増。 第二回。グラーフ子爵家。破棄後八ヶ月で港湾使用料の見直しに成功。 第三回。ヴァルトシュタイン子爵家。破棄後の出荷時期変更により収穫量が約一・五倍。


全十五行。全部、婚約破棄の後に起きたことだった。


「偶然だと言うつもりか」


「偶然です」


嘘だ。偶然ではない。


私が婚約期間中にした指摘は、全部、嫌われるための行動だった。帳簿の無駄を突き、非効率な慣習を批判し、食卓の席で経営の愚かさを説いた。


嫌われて、破棄されて、立ち去る。それが計画だった。


指摘が的確だったのは、前世の知識があったからだ。改善が実行されたのは、相手の家がまともだったからだ。私の手柄ではない。だが、私の指摘がなければ起きなかったことでもある。


「十五家すべてが破棄後に業績を伸ばしている」


ルーヴェンは紙をテーブルに戻した。


「これを偶然と呼ぶには、数字が揃いすぎている」


返す言葉がなかった。数字は嘘をつかない。それは私自身が一番よく知っている。


「噂は二種類ある」


ルーヴェンは椅子の背に体を預けた。


「一つは、十五回も婚約破棄された哀れな公爵令嬢。もう一つは、婚約すると家が繁盛する不思議な令嬢。だが、俺が見ているのはどちらでもない」


「では何を見ていらっしゃるのですか」


「十五家分の実績だ」


その言葉に、胸の奥が揺れた。


噂はいつも、両極端だった。哀れだと笑う者。不気味だと避ける者。便利だと利用しようとする者。


数字そのものを見た人間は、いなかった。


「だから聞いている。なぜ嫌われようとする。これだけの実績を持つ人間が、なぜ毎回逃げる」


核心だった。


処刑フラグ。王族との婚姻。乙女ゲームの設定。そのどれも、口にできない。「私は前世で乙女ゲームをプレイした記憶があり、王族と結婚すると処刑されるので逃げています」。言えるわけがない。


「お答えできません」


「理由があるんだな」


「はい」


「言えない理由が」


「はい」


ルーヴェンは黙った。五秒。十秒。長い沈黙だった。


私は面談の打ち切りを覚悟した。ここまで踏み込まれて答えを拒否すれば、普通は怒る。あるいは興味を失う。十五回の経験から言えば、相手の反応は二つに一つだった。


ルーヴェンは怒らなかった。興味も失わなかった。


「いいだろう」


椅子の背から体を起こし、テーブルに肘を置いた。距離が近くなった。


「理由は聞かない。その代わり、一つ提案がある」


「提案、ですか」


「俺が帝国の帳簿を君に見せたのは、婚約のためじゃない」


予想していなかった言葉だった。


「帝国の財政は六年間、俺一人では立て直せなかった。昨日、君は三十分で核心を突いた。俺が欲しいのは婚約者じゃない。帝国の帳簿を読める人間だ」


仕事。


婚約ではなく、仕事。


「婚約はそのための口実でもいい。形式は何でも構わない。君の能力が必要だ」


頭の中が混乱した。


十五回の婚約は全て、嫌われて終わらせるための手段だった。婚約という形式そのものが、私にとっては処刑フラグに繋がる恐怖の対象だった。


その婚約を、「口実でいい」と言った人間は初めてだった。


「陛下。それは」


「今すぐ答えなくていい。考えろ」


ルーヴェンが立ち上がった。椅子が軋んだ。


「ただし、もう一つ伝えておく」


ルーヴェンはテーブルの上の紙——十五行の記録——を手に取り、軽く折り畳んで軍服の内ポケットにしまった。


「噂にはもう一種類ある。社交界ではなく、商人の間で流れているものだ」


扉に向かいながら、振り返った。


「フェリシア・クランメールの助言を受けた家は、必ず利益を出す。彼女との婚約は、最も安い経営顧問料だ、と」


息が止まった。


商人の噂。それは社交界の陰口とは性質が違う。商人は数字で動く。利益が出る相手には金を払い、出ない相手には近づかない。


商人の間で私の名前が流通しているなら、それは実績に裏付けがあるということだ。


「出所は三つの商会だ。ヴァルトシュタイン領の木材商、ベルクハイム領の会計事務所、ロンバルト領の穀物取引所。いずれも、君の婚約期間中に接点があった商人たちだ」


知らなかった。嫌われるためにやったことが、商人には別の意味で伝わっていた。


「噂には値段がつく。良い噂は信用を生む。信用は取引を生む。取引は利益を生む。君の噂は、すでに経済的な実体を持っている」


ルーヴェンは扉を開けた。廊下の護衛が姿勢を正す音が聞こえた。


「俺は噂で人を判断しない。だが、数字は信用する。君の数字は十五冊分、全て黒字だ」


足音が遠ざかった。


応接間に一人残された。


テーブルの上には何もなかった。十五行の紙はルーヴェンが持ち帰った。昨日の帳簿も、今日の提案書もない。空のテーブルだけが残っている。


嫌われるためにやったことが、全部、数字になって残っていた。


いままで、これを「失敗の記録」だと思っていた。嫌われきれなかった証拠。計画の不備。


ルーヴェンは、これを「実績」と呼んだ。


窓の外で鳥が鳴いていた。春の午前の柔らかい光が、テーブルの上に落ちている。


婚約ではなく、仕事。処刑フラグの外側にある可能性。


信じていいのだろうか。


帳簿は嘘をつかない。数字は明確に語る。けれど、人の意図は帳簿には載らない。


椅子から立ち上がった。


考える時間が必要だった。


夕食の席で、マルグリット叔母様が向かいに座った。


「今日の面談、どうだったの」


「帳簿の続きを見ました」


「それだけ?」


叔母様の目は鋭い。この人には誤魔化しが通じない。


「少し、考えることがあります」


「ふうん」


叔母様は食事の手を止めずに言った。


「考えることがあるのはいいけれど、もう一つ考えなきゃいけないことがあるわよ」


「何でしょう」


「ルナリア・ヴァイスが動いている」


フォークが止まった。


「王太子殿下の婚約者候補のあの方が、社交界であなたと帝国皇帝の縁談を潰そうとしているわ。あなたが帝国と繋がることが、王家にとって都合が悪いのですって」


ルナリア。


乙女ゲームのヒロイン。男爵令嬢でありながらエドワルドの寵愛を受け、社交界で急速に力をつけている女性。


私を「最初に王太子を拒んだ女」として敵視していることは知っていた。だが、積極的に動いてくるとは思っていなかった。


「具体的には何を」


「あなたの悪評を補強しているのよ。十五回の婚約破棄は相手を利用しているからだ、とか。公爵家の権力で無理やり縁談を取りつけている、とか。品のない噂をね」


叔母様は溜息をついた。


「男爵令嬢の口から出た噂でも、王太子殿下の寵愛を後ろ盾にしているなら無視できない。社交界の空気は、あなたに厳しくなっているわ」


外からの妨害。


処刑フラグだけでなく、社交界の圧力まで加わった。


「叔母様。私は」


「何?」


「少し、時間をください」


叔母様は黙って頷いた。


自室に戻り、寝台に腰を下ろした。


ルーヴェンの提案。ルナリアの妨害。処刑フラグ。


三つの問題が同時に動いている。


けれど不思議なことに、一番大きく残っているのはルーヴェンの言葉だった。


「俺は噂で人を判断しない。数字は信用する」


数字で見てくれる人に、初めて出会った。


それが何を意味するのか、まだ分からなかった。

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