壊れゆく均衡
ケンは汗だくになりながら、荒い息を吐く。木々の隙間から、遠くにキャンプの灯りが見え隠れする。敵の気配はない。味方の安全地帯が、すぐそこだ。
「はぁっ、はぁっ……もうすぐだ……ここらには敵兵もいないだろうし、寧ろ味方しかいねぇ……お前は助かったよ……」
エリカの目から、涙が零れた。背中で感じるケンの体温が、彼女に生きる希望を灯す。
「私も...生きて、帰れるんですね...ありがとう...」
だが、ケンの足が突然止まった。声に、微かな違和感が混じる。散った仲間たちの顔が、脳裏に蘇る。トムの笑顔、リナの怯え、ハリスの視線。それらが、ケンの心を抉る。
「味方……兵……?」
エリカの声に、不安が滲む。背中から、キャンプの気配が感じられない。
「...どうしたんですか? 味方のキャンプが...見えないんですか?」
ケンはゆっくりとエリカを地面に降ろした。彼女の体が泥に沈む。ケンは腰のホルスターから銃を取り出し、震える手で構える。目が、虚ろに揺れる。ジャングルの風が、二人の間を吹き抜け、葉ずれの音が不気味に響く。
「…アカン」
エリカの体が恐怖に震えた。銃口が、自分に向けられているわけではないが、ケンの異変が空気を凍らせる。
「ど...どうして...? 味方は...敵が...?」
ケンの全身がガタガタと震え始めた。銃を握る手が白くなり、静かなトーンで、だが狂気の淵を覗かせる声で語り出す。彼は必死に自分を保とうと、言葉を紡ぐ。散った仲間たちの声が、耳元で囁く幻聴のように。
「お、落ち着いて聞いてくれ……ワシ、壊れ始めたわ……まだギリギリ自分を保ててるかもしらんから、落ち着いて聞いてくれ……」
エリカは震える手で、ケンの手を握りしめた。冷たい指が、彼の震えを抑えようとする。
「はい、聞きます。落ち着いて...ゆっくりでいいです...」
ケンの目は、ジャングルの闇を彷徨う。声は落ち着いているが、震えが止まらない。銃を握りしめたまま、彼は本音を吐露する。
トムのジョークが、リナの叫びが、ハリスの命令が、心を蝕む。
「このままキャンプ地に辿りついたら、お前はその治療でしばらく戦いにいかんでいい事になるやろ……? ワシ、それ羨ましいと思ってしまったんや……だから今ここでお前と同じように自分の脚撃って味方兵に発見されたら……自分も戦いにいかんでいいようになるんじゃないかって思ってるねん……」
エリカは男の手を強く握り返した。痛みのない方の手で、必死に彼を引き留める。ジャングルの風が、二人の間を吹き抜ける。彼女の目には、散った仲間たちの影が重なる。
「一緒に...生きましょう。二人で戻れば...きっと...」
ケンの声が、かすかに揺れる。涙が、髭の生えた頰を伝う。
「わかってるわかってる……ギリギリや……ギリギリ踏み止まってる……ただ、ワシももう壊れてるよな? お前は肉体の一部が壊れて……ワシは心の一部が壊れてしまってるよな……?」
エリカは震える手で、ケンの頰に触れた。泥と汗にまみれた肌が、温かく感じる。彼女の目は、優しく彼を見つめる。
「二人とも...壊れてます。でも、まだ...お互いがここにいます。一緒に...治していきましょう」




