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剣を置いて、スープを注ぐ

作者: 紅茶

 勇者ミナトは、魔王城に暮らしている。

 本来であれば、魔王を打ち倒す存在であるはずなのだが、ついつい情にほだされて、魔族の側についてしまったのだ。


(これから、どうすればいいんだろうか……)


 とはいえ、人間に害をなす気など毛頭ない。

 人間に反旗を翻して、この世を魔族の世界にするつもりない。

 彼の目的は、ただ一つ。


(どうすれば、人間と魔族が、仲良くなれるのだろうか……!!)



ミナトは考える。

どうして人間と魔族が敵対しているのだろうかと。


ミナトはその答えを、毎朝の食卓にあると考えた。


「ミナトー!ご飯できたよー降りといでー」


 階下からミナトを呼ぶ女性の声がする。

 お母さんかよと突っ込みたくなるが、現状ミナトは、彼女に養われている身なのだから、あながち間違いではないのが、いやなところ。


「いま行く~」


 人間なかなかしぶといもので、環境が変われば順応するもので、不便がない程度にはこの世界の人ともコミュニケーションを取れるようになった。

 唯一の難点は食生活で……


「今日のゴハンは、アルルナゲゲルデントの目玉煮だよ! 最近忙しいから、元気の出るものにしてみたんだ!」


 宝石でも散りばめたかのようなに輝く銀色の髪に、太陽を宿して離さない燃えるような瞳。レースのついたエプロン姿が似合わない、褐色の肌をした少女が、ミナトに向かってメニューを紹介する。


「アル、アルゲ? なんて?」

「アルルナゲゲルデント」

「アルルナ?」

「ゲゲルデント」

「なにそれ?」

「ほら、その辺歩いてるやつ」


 少女が窓の外を指差すと、そこには全身が目玉ばかりの、生き物とも言い難い何かが歩いている。否、歩いていると言うのと正しくはない。

 ミナトには、その目玉の集合体がただ蠢いて、地面を転がっているようにしか見えなかった。


(あれ、食べられるんだ)


 再びミナトは、視線をテーブルに戻す。

 出されたお皿には、7、8個の目玉が茶色い液体の上にプカプカと浮かんでいる。


「いや、でもこれって目玉だけだよね? 肉とかないの?」

「ないだよねーこれが。アルルナゲゲルデントは目玉以外は猛毒だからさ。全部捨てちゃうんだ~」 

「可食部が目玉だけとか、とんでもない高級食材だな」


 とはいえ窓から見えるアルルナかんとかは、全身に目玉が生えていて、むしろ目玉の集合体が動き回っているような生き物。

 可食部が目玉だけというより、目玉しか食べるところがない。


「人間が食べても大丈夫なの?」

「むしろ人間が食べるべき食材だよぉ」


 一つ、目玉をすくい上げてみる。

 こちらと目があったような気がして、気持ち悪かった。


「これ、生きてんの?」

「死んでるよ~決まってんじゃんっ」

「ですよね」


 大きさは大体、ウズラの卵一個分。

 口に含んで、舌で触れる限りには、弾力がありその味わいは謎に包まれている。

 浸っていた液体は、どうやら醤油がベースの甘しょっぱい味付けで、焼肉のタレとよく似ていた。


 恐る恐る歯を押し付けてみる。

 プッチュっと音がして、中から液体が漏れ出す。


(味つけは……悪くない……)


 しかしミナトの直感が警告する。

 人間には、いくら味がよくとも生理的に受け入れられないものがある。

 ミナトの場合は、コレがソレだった。


(これ、ダメな奴だ……)


 反射的に吐き出したくなるけれど、魔族にとっては貴重な食材。

 それに、目の前にはこの料理を作ってくれた人が座っているのだ。

 そんな失礼なこと、できるはずがない。


 それに目の前に座る陽気な少女は、嫌がるそぶりも見せず、美味しそうに食べている。

 きっと魔族にとってはごちそうなのだ。


 ミナトは意を決して、ひと思いにゴクンと飲み込む。

 ドロドロとした感触が、まるで別れを惜しむかのように喉をつたい、ゆっくりと下へと流れていった。


「どう美味しい?」

「オイヒーヨ」

「ほんと? よかった! 口にあって! 人間には食べづらいかなと思って今まで出さなかったんだけど、これ食べないと栄養偏るから、たくさん食べてね!!」


 ミナトは絶望した。

 ミナトの言葉を受けて、少女がドンっと机に置いたのは、瓶にギッシリと詰められた、アルルナゲゲルデントの目玉だった。


「これ、今日の分だから!」


 少女はミナトにウインクをして、「ちゃんと食べてね」と一言告げると、自分のお皿をもって、奥へと引っ込んでしまった。


(まじかよ)


 食事とは、当然、人間が生きるために不可欠な要素である。そしてその質が、そのまま人生の質的価値を高めると言っても過言ではない。

 そのときミナトに、一つアイディアが浮かんだ。


「なぁ、魔族って、いつもこういうの食べてんの?」


 呼びかれると、奥からひょっこり、少女が顔をだす。

 手にはフライパンとタワシ。

 洗い物中である。


「ん? こういうのってどういうこと?」

「えーと、つまり、アルルナ? デントゲゲルだっけ」

「アルルナゲゲルデント」

「そう、アルルナゲゲルデント。やっぱり魔族は、こういうのが好きなのか?」


 ミナトの問いかけに、少女はすこし考える。


「もちろん、それぞれかな。でもそれ食べなきゃ、栄養偏っちゃうから」




 つまるところ、魔族の飯はまずい。


 別に食材は目玉だけではないけれど、種類は極端に少なく、基本的には動物性のたんぱく質ばかり。


 彼女の言葉から察するに、多分彼女も、この目玉が苦手なのだろう。

 きっと魔族の食文化には、健康衛生上、仕方なく食べているものがあるのだろう。

 もちろんそれは、人間も同じだ。

 必要な栄養素を摂るために、子どもが嫌う、苦い野菜を食べさせるし、大人だって、苦手なものでも必要ならば頑張って食べる。

 しかし魔族と人間の食文化の違いは、そこにあるのだ。


 人間の場合は、苦手なものでも、代替品がある。


 例えばビタミンCを摂りたいと考えたとき。

 別に酸っぱいレモンを食べなくとも、他の果物を食べれば十分だ。


 しかし魔族には、それがない。

 もともと荒廃した土地柄だ。

 耕地に適した土地は少ない。

 だから不味くても、それを食べるしかないのなら……。

 

 





 

人間界から、美味しいものを取り寄せて、それを魔族にふるまえば、仲良くするきっかけになるのではないか?







 魔族とて一枚岩でない。

 平和主義者もいれば差別主義者や原理主義者、自由主義者や魔族至上主義者など。

 人間と同じで国民の中にある思想は様々だ。

 今はたまたま、当代の魔王が戦争を好まず、争いたくないというミナトの思想に共感してくれて魔王城で過ごすことができているけれど、しかしそんな魔王に反発するものもいる。


 当然、ミナトへの感情も様々だ。


 魔王が認めている以上、ほとんどの者は口をださないけれど、内心、快く思っていないものもいる。

 

 だからミナトは、自ら城内での移動を制限した。

 極力部屋に閉じこもり外出する際も、人目に触れないように行動した。

 この日も、場内が静まり返る時間に行動を開始した。

 

 太陽が最も高く昇る時間。

 真昼間こそ、魔族の活動が停滞する時間だ。

 人間でいえば真夜中と同じで、ほとんどが睡眠に入る。

 

 ミナトは慎重に自室の扉を開き、辺りに誰もいないことを確認した。

 忍び足で階段を降り、最短距離で城外を目指した。

 努力の甲斐あって、誰にも会わず外に出られた。


 はずだった。


「おや、ミナトさん、お出かけですか?」


 城外へ出てわずか三秒。

 ミナトはすぐさま、魔王軍の一団と鉢合わせた。

 声をかけたのは魔王軍が軍団長、ルクシウスとその手下。

 大きな豚鼻と、天をさすように反りあがった牙が特徴的な、オーク軍の小隊である。


「る、ルクシウスさんと、それにオークのみなさん、一体どうしたんですか? こんな時間に」


 今は日の光が最も高く昇る時間。

 彼らにしてみれば、本来なら眠くて仕方のない時間。

 しかし答えは単純だった。


「当直です」


 当たり前の話だが、警備の者は、いつの時間も巡回きている。

 今日の昼間はオーク軍の当番。

 ただそれだけのことだった。

 

 しかしミナトにとっては、あまり好ましくない状況。

 オークは保守的な連中だ。

 ゴブリンと同様、人間とは長らく敵対してきた。

 因縁のある者も多い。

 

「ミナトさんこそ、こんな時間にどちらまで?」


 ルクシウスには、あからさまに不審な目でミナトを見つめる。

後ろに控える手下たちも、事を起こすのも辞さない雰囲気で、殺気立っているように見えた。。

 少し様子がおかしいなと、ミナトは思った。


 タイミングも絶妙だった。

 城外にある出入り口は複数だ。

 そのピンポイントに、たまたま当直が通りかかる?

 それも部下を引き連れて。

 偶然にしては、出来過ぎている。


(監視、されていたのか)


 ミナトはそう結論づけた。

 別に、そのことについて、文句があるわけではない。

 むしろ当然だと思った。

 その考えに至らなかった自分が、ただ愚かであっただけである。。

 しかし、もし本当に監視されていたのなら、コソコソと動くのは、むしろ逆効果になってしまう。

 ミナトは、つくづく、自分の頭の悪さが嫌になった。

 

「別に、ちょっとそこまで、散歩でもしようかと」

「散歩? こんな日が出ている時間帯に?」

「人間が、昼間に活動するのは知っているでしょう」

「魔族が昼間に活動しないのも、ご存じですよね?」


 後ろの部下が何かを言おうと前にでる。

 それをルクシウスが制止せて、ミナトに言った。


「腹の探り合いはよしましょうか。ミナトさん。率直に言って、我々はあなたを、信用してはおりません。いくら魔王様の客人とはいえ、人間に敵愾心を抱く者も多いのです。無暗やたらと城内をうろつかれては、我々も、あなたの身の安全を保障することができません」


「……でしょうね」


「勘違いしないで欲しいのは、別に引きこもっていろというわけではありません。疑われる行動は控えて欲しいのです」


 ルクシウスは続ける。


「例えば外出する際は、我々に話を通していただければ、何もあなたの不都合になることは致しません。むしろ協力したいと、考えております」


 ルクシウスは、あくまでも紳士的だった。

 眼光は鋭くミナトを見据える。

 内心はどう思っていたとしても、表には決して表さない。

 年季が違う。

 ミナトもそれは、理解している。

 生物としての経験が違うのだ。

 ミナトは、勇者といえども所詮、十数年程度しか生きていない若造。

 対するルクシウスは、先々代の魔王のころから仕える古参中の古参。


 体中の傷が、乗り越えた死線の数々を物語っている。


 気を許せる相手ではないけれど、確かに彼の言うとおりだ。

 ミナトは気を使ったつもりでも、見方を変えれば、魔族に知られないように、コソコソと動き回っているともとられかねない。

 それはミナトも、避けたい誤解だ。


「……そう、ですね。確かに配慮が、足りませんでした。次回からはお話を通させていただきます」


「そうしていただければ、幸いです」


 そういうと、ルクシウスは軽く会釈した。

 それにならって後ろの部下も、ミナトに頭を下げる。

 どこまで行っても礼儀正しい。

 これが幾千の軍団を率いる武将かと、ミナトは敬意を感じた。


「それで、本日はどちらまで?」


 それでもやはり、ルクシウスはミナトを信じない。

 煙に巻くのは不可能と判断し、ミナトは正直に話すことにした。





「つまりは我々魔族の食事が、口に合わないと」


 そのように取られるのは心外であったが、要約すれば、そうなってしまうから仕方がない。

 それで他のオークは抜きにして、それでルクシウスが怒り狂うとは思わないで、「端的に言えば、そうなります」と同意の意を示した。


ルクシウスは「なるほど」とだけ言い、それ以上は何も言わなかった。







 二人は城の防壁にある門塔の、兵士の詰所にきていた。

 立ち話もなんであろう、というルクシウスの提案だ。

 この時間、兵隊は当直を除き、みな本館の兵隊室で休んでいる。

 詰所にいるのは当直たちで、三人のオークが、仮眠をとりながら、見廻りの交代を待っていた。


ミナトは、適当な椅子を身繕い腰掛けると、自分の目的を話し始めた。


「まぁ、難しいでしょうな」


 ルクシウスが言った。


「魔族と人間が、仲良くなれるとは思いませんよ」

「しかし人間と交流を持つことに利点を見いだせれば、争いはなくなるのではないかと……」


 ミナトは食い下がる。

 彼にしてみれば、せっかく方法が見つかったのだ。

 まさか始める準備すらしていない段階で、終わりになどしたくなかったから。

 しかしミナトの反論を遮り、ルクシウスが続ける。


「それに同じ食卓を囲めばだなんて……あなたはこれまで、人間と魔族の間に何があったのか知らないのですか?」


「もちろん知っています! ですが……」


 ですがの後が続かない。

 確かに知っているかと問われれば、学校習うのだ。

 もちろん知っていると答える。

 しかしそれが本当に知っていることになるのだろうか。

 それを思うと、言葉が詰まる。

 


「あなたの意見には、確かに一理あります。しかし重大な欠点があるのです」


「欠点?」


「まず第一に、あなたが、『あくまでも人間側にたっている』ということです」


「人間側? いえ、僕はそんなつもり……ただ魔族が、人間と交流する利点に、気が付いてもらえればと……」


「そこですよ。あなたは『魔族が気が付けば』とおっしゃった」


「……はい」


「無意識であれば、話にならない。あなたの言い方では、この戦争は『魔族側に問題がある』と言っているのと同然ですよ」


「あっ」


 言われてミナトは、ようやく気が付いた。

 それと同時に、言われなければ気が付かなかった自分が、恥にも思えた。


 ルクシウスは、やれやれといった面持ち。


「……ほかにだれか、この話をしましまたか? ……魔王様とか」


「いえ、ご飯のことなんて、魔王様には言えませんよ。それに、気安く話せる相手なんて、ここにはいません」


「そうですか、それは、よかった」


「はい?」


「いえ、こちらの話です」


 するとルクシウスは、部下に目配せをした。

 部下はその合図を受けると、大きく頷き、部屋から出ていった。


「あの、何かあったんですか?」


「ご存じありませんか?」


「いえ、何も」


「実はミナトさんが魔王城に来られるてから、魔王城に侵入した人間がいたのです」


「そう、だったんですか……」


 知らなかった。


「やはりご存じなかったのですね。その者は捕虜として捕らえましたが、実はミナトさんに、その捕虜に関して、力添えをしていただきたいと考えていたのです」


「そう、でしたか」


「城から出て、すぐに我々に見つかったのは、驚いたでしょう。実は我々も驚いたのです」


 ルクシウスが、少し顔を緩ませていった。

 部下たちが少し、殺気立って見えたのは、むしろ逆で、慌てていたのかもしれない。

ミナトは納得した。


「いえ、なんだか、すいません。不用意にあなた方を不安にさせてしまって。ですが、少し、安心しました」


「それで、捕虜のことで、力を貸してほしい、というのは……」


「捕らえた捕虜というのが、騎士でして、ミナトさんもご存じでしょう。騎士というのは、プライドが高い」


「はい」


「それでも我々としても、捕虜は丁重に扱いたいのです。満足のいく食事も与えたいし、体に不調をきたさぬよう、最低限の運動もさせたい」


「はい」


「しかし、そこに問題がありました。食事を与えても食べてくれません。そうなると動く体力もなく、どんどんやせ細って、このままでは死んでしまいます」


「……なるほど」


「なのでミナトさんに説得して、なんとか食事だけでも、食べられるようになって欲しいのです」


「そうでしたか。そういうことでしたら、是非もありません。僕にできることなら、なんでもやります」


「そう言ってくれると思っていました」


「部下はもう走らせて、捕虜は食堂に連れて行かせております」


「ああそれで」


「ですのでミナトさんは、そこで捕虜と一緒に、食事をして欲しいのです」


「わかりました」


「きっと、魔族というのが、信用ならんのでしょう。それに食べ物も、きっと人間から見たら、食べ物に見えないのかもしれません」


「まぁ、なんとなくわかります」


「ちなみにその人、いつからここにいるんですか?」


「三週間です」


「結構たつのですね。それで、どれくらいなんですか?」


「三週間です」


「いえ、だからここにいた日にちではなくて……」


「ですから三週間です。彼女はここにきて、まだ一度も食材を口にしておりません」





「あーん、もぅ、やだぁ……やめてよぉ」


 オークのたまり場、地下牢のからは、艶めかしい嬌声が響く。

 それに合わせて、オークたちの煽るような声援と笑い声が聞こえきた。

 

 耳障りの良い艶やかな声に、ミナトの鼓動は早くなる。

 しかしそうして、一歩一歩それとは別に、酷い罪悪感にも苛まれていた。


(最低だ)


 ――自分がまさか、これほどまでにスケベな人間だったとは。

 自覚がなかったわけではない。

 ただ今の今まで、現実を突きつけられては来なかったのだ。

 スマホには秘蔵のコレクションが納められていた。

 女の子と話すのは楽しいし、そういう機会にも、出来れば持ちたかった。


 今、この場にいるミナトは、天から遣わされた勇者でも、異世界からこの世界を救うためにやってきた転生者でもない。どこにでもいる、ただの童貞だった。


 キイィィ――と地下へ続く鉄格子が開かれ、オルガドが招くように手を差し伸べる。


(最悪だ)


 頭ではそういいつつも、本能が期待してしまう。

 ひんやりとした空気。

 重苦しい石畳。

 それらに相反するとように、熱気の籠った嬌声が木霊する。


 地下牢は暗かった。

 部屋部屋の鉄格子には蜘蛛の巣がはり、長い間使われてこなかったことが伺える。

 煌々と照らされた最奥の部屋が、ミナト達の目的地だ。

 歩みを進めるほどに明かりは近づき、声が大きくなる。

 角を曲がれば、すぐそこにある。

 ミナトは固唾を飲み込んだ。

 振り返るとオルガドが早く行けと合図を送る。


 意を決して――ミナトが一歩、踏み出すと、そこに広がっていた光景は――




 ――卓を囲み、楽し気にトランプに勤しむ三人のオークと、一人の女騎士がいた。


「――は?」


 和気あいあい。

 団欒。

 朗らかな絵面で、気のせいではあるけれど、彼らの周りにはクローバ―にも似た穏やかな点描が浮かんでいるようにすら思えた。


 例えば、遊びにかこつけて、イヤラシイことをするとか。

 例えば、よろけたふりをして、接触を試みるとか。

 大学生でも、もっと不純な行為に及んでいるであろう、しかし、今この場では、そういったエロ方面の要素は一欠けらもなく、過剰な接触どころか、衣類が少しでも乱れていようなら、「ちょっと、ブラ紐見えちゃってるよ」とつぶさにオークが、注意する始末である。


(いや、それもどうかと思うけど!)


「んー…と、これだっ! あーんもぅ最悪ぅ!」


「がははっ! そんなに口に出すもんじゃないっての! ほら、これで俺の上がり!」

「はぁ、また負けちゃった……あれ?」


 悔しさからか、天井を仰ぐ女騎士。

 ミナトに気がついたのはその時だった。


「びっくりしたぁ、本当に人間住んでるんだね?」

「お、来ましたかミナトさん! な? 言った通りだろ? ミナトさん! 俺たちの友達!」


 一人のオークが、ゲハゲハと笑うながら、女騎士を指さして紹介を行う。

 そして立ち上がったかと思えば、のっそのっそとミナトに近づき、力任せに肩を抱いた。


「うわっとと、酒くさっ! かなり飲んでませんか⁉」

「あぁん? 全然飲んでねぇよですよ! たったの……1、2、3、4……」


 オークが指折りに数えている。

 片手では足りなくなったあたりであきらめたのか、「沢山だっ!」と叫んでまたもやゲハゲハと笑った。


「あの、オルガドさん?」


 ミナトは恥ずかしくなっていた。

 勘違いはどうやら自分だけで、他のみんなは。初めからこのつもりだったと気づいたからだ。

 ――同人誌のような、エロい妄想をしていたのは、ミナトだけなのだ。


「ん? 言ったじゃないですか、みんなで遊んでるって。魔王様には言わんでくださいよ。捕虜と酒飲んでるなんて、知られたらボコボコですわ」


 オルガルドは、言い終わるとガハガハ笑った。


「そう、だったんですね」

「ミナトさんもやりましょうや? 人間に会うのも、久しぶりでしょう?」


 そして席に着くように促されるミナト。

 茫然として、判然としたままのミナトは、言われるがままに従った。


「しゃあっ! もう一戦だ! ミナトさん入ったから、リセットな!」

「まじぃ! やったぁ! 今度は一番にあがってやるんだから!」

「ガハハっ! 負けねぇぜ! はい、ミナトさんの分ですよ」


 そして訳が分からないままに、ゲームは始まった。


 ――すべては、ミナトのことを慮ってのことだった。

 元気のなさを、同族のいない寂しさと捉えた、オルガドなりの、配慮だった。


「どうですミナトさん、楽しいでしょう?」


 数ゲーム終えたあたりで、オルガドがミナトに耳打ちした。

 表情はニンマリと崩れている。


「えぇ、まぁ」


 反応に困った。


「さて、そろそろ私らは、仕事に戻らにゃなりませんな!」

「えー隊長! まだいいでしょう!」


 しかしオルガドは、ブーブーと文句を垂れるオークの頭を殴り黙らせると、地下牢を引き上げていった。


「人間同士、つもる話もあるでしょう。ミナトさんは、良かったら付き合ってやって下さい」


 それだけ言い残して。


「......」

「あ、どうも」

「いえ、こちらこそ、どうも」


 ミナトからしてみれば、要らぬお世話である。

 人間同士、といっても、初対面だ。

 つもる話どころか、名前すらしらない。

 その上エロい妄想をしていた分、バツが悪い。

 上手くコミュニケーションを取ろうにも、ぎこちなくなってしまう。


「あの、ミナトって言います」

「あ、はい、知ってます」

「あ、ですよね、さっき紹介されましたし」

「……」


 会話が続かない。

 てめーも名乗れよ、と突っ込みたかったが、堪えた。

 話題はいくつか思いつくけれど、何が地雷か分からない。

 ひとまずオーソドックスに名前を聞こうかと口を開きかけたが、その前に、


「あの、ミナトさん、ですよね? 勇者の」


 女騎士の方が、先手を打ってきた。


「あ、はい。そうです、勇者の」


 勇者と名乗る勇者が、どこにいるんだ。魔王城でだらけている男を、誰が勇者と信じるのだろうか。ミナトは心の中でセルフツッコミを加えたが、しかしどうやら、女騎士には確信めいたものがあったようで、


「はぁぁっ! やっぱり! 噂は聞いていたんですよ! 魔王城に暮らしているって!」


「噂になってるんですか?」


「えぇ、もう! 世界中で有名ですよ! まぁ悪く言う人もいますけど」



 それは、意外な反応だった。

 ミナトが、魔王討伐のために活動していたのは、昔の話だ。

 今は魔王に与する、言ってしまえば、人類の敵だ。

 だから悪く言われるのは当然である。

 しかし、悪く言う人『も』いる、というのは、想定外だった。



「どういうことですか?」


「人間界じゃあ、一大ムーブメントなんですよ! 魔王と仲良くなる勇者! 力ではなく愛で問題を解決しようとする姿勢! 私、ファンなんです!」


「へ、あぁ、はい、ありがとう、ございます」


 人間界は、今そんなことになっているのか。

 若干のカルチャーショックを受ける前に、ミナトはいくつか、腑に落ちる部分があった。


 ミナトのファン。

 そのことを、きっとオルガドは事前に聞いていたのだろう。

 そしてこの子に引き合わせようと、画策したのだ。


(あのニヤケ面。そういうことか)


 すべてを理解したミナトは、気の抜ける思いがした。

 一人だけエロい妄想をして、恥ずかしい奴だと自戒した。


 オルガドは、ミナトが元気がないのを知っていた。

 それ故に人間と引き合わせたかったのだけれど、しかし彼は、ミナトの性格も良く知っている。

 見ず知らずの相手と、仲良くおしゃべりなどできるはずがない。


 であれば、だ。

 相手が嬉々として、ミナトと話してくれるようでなければならない。


「あのー女騎士さん?」


「クルセラです」


「クルセラさんは、捕虜なんですよね?」


「捕虜? なんででですか」


 女騎士――もといクルセラは、首を傾げる。


「そっからかよ……」


「あぁ、地下牢に居るからですか? ミナトさんに会いに来たって言ったら、流石に私みたいなのが、魔王城に居たら問題だからって、オルガドさんがこちらに居ろって、案内してくれたんです」


「なにそれ、いい人過ぎない?」


「私もびっくりしました。オークって、女の子孕ませるだけじゃないんですね」


「僕も意外でした」


(まぁ、なんにせよ)


「みんな、良いやつなんだよなぁ」


「ん? なにか言いました」


「いえ、こちらの話です」


 そしてミナトは、ひとまず今日の所は、魔王城を出ていくことを諦めた。

 手合わせするという約束もある。


(それに僕は、なんだかんだで貰ってばかりだ)


 改めて考えれば、ここに置いてもらっている、そのお礼すらしていない。

 黙っていなくなるのは、不義理が過ぎるだろう。

 何かお礼をしてから、ここをでよう。

 そう心に誓う、ミナトであった。



「今日は……誰もいないな」


 ここにいてはまともな食に有りつけない。

 どうにも最近、食事の質が、落ちているのだ。

 ここを出て、行く当てがあるのかと聞かれれば、返答に詰まるのだけれど、もっとマシな食事があるはずだ。


(海だ! 海産物なら、きっと魔王の影響も少ないはずだ!)


 そんな浅はかな期待を胸に、京浜ミナトは、今度こそはと魔王城から出ることを決意した。


「あれ? ミナトさん、出かけるんですか?」


(またかよ……)


 振り返ると、そこには、本来、地下牢に閉じ込められているはずの、女性が立っていた。

 名前はクルセラ。

 魔王軍の捕虜として、オークに捕らえられた、という設定の女騎士だ。



「クルセラさん、どうしてここに?」


「ミナトさんこそ、何しているんですか?」



 クルセラは、訝し気にミナトの全身を嘗め回すように見る。

 そんなクルセラの表情に、疑心暗鬼に駆られたミナトは、またもや要らぬ誤解をしてしまう。


(まさかこの人、オルガドさんに言われて、僕を殺しにきたんじゃ……)


 発想のコペルニクス的転回である。

 疑心暗鬼という状態異常に陥った京浜ミナトは、もはや真っ当な思考力など、持ち合わせていないのだ。

 捕虜がどうしてここにいるのかだとか、監視なら声かけないだろとか、その誤解はこの間解いただろうとか、そんな当たり前のツッコミは置いといて、正常な思考力なら、到底たどり着けないアイディアに、疑心暗鬼ミナトの思考は飛躍するのだ。


(あ、あり得る! この人騎士の癖に魔王城いるし! 僕が数年かけて仲良くなったオークたちと、たった一日で仲良くなるし! 絶対そうだ!)


 絶対違う。

 しかしこれこそが、疑心暗鬼ミナトの真骨頂。


「そんなフル装備で、まるで戦争に行くみたい……まさかっ!」


「い、いえ! 出ていきませんから! 殺さないでください!」


「まさか人間を討伐しに行くつもりじゃ……へ?」


「いや、何の話ですか?」


「いや、ミナトさんこそ、何の話ですか?」



 存外、クルセラもぶっ飛んだ思考力の持ち主である。

 魔王城に単身乗り込み、そのまま住み着いてしまっているのだ。

 真っ当な人間であるはずなどなかった。



 ――以下、回想。


 ゲゲルデントの脳髄!

 解毒に挑戦してみた!

 いや!死ぬっつーの! 

 しばらくこれだからね。


 ゲ、ゲゲルデントの目玉は?

 あぁ、ミナト、あれ好きだったもんね。

 好きではない。断じて。

 比較的食えるだけ。


 もうなくなっちゃったから。

 せっかくの機会だし、ゲゲルデントの活用法を研究してみようかと!


 もう無理!

 ここ出る!


 ――以上、回想終わり。


「なんだー、てっきり愛の通じない人類に、天誅を下しに行くのかと思いましたよー」


 クルセラはミナトの話を聞くと、ケラケラ笑った。


「クルセラさんこそ、僕を何だと思っているんですか。僕も一応、人間ですよ? なんで魔王軍の先兵となって、人間を討伐するんですか……」 


「いやーそれもそうですね。私、思い込み激しいんですよ」


「勘弁してくださいよ」


 棚上げである。


「まぁ確かに、ゲゲルデントは、普通は目玉しか食べられませんもんね」

「あれ、知ってるんですか?」

「知ってるも何も、家畜化されたゲゲルデントは、人類の貴重な食料ですよ。人間ならだれでも食べてますって」


(し、知らなかった……)


「てっきり、魔界特有の生き物かと思ってました」


 事実、ミナトがまだ人間界にいたころは、ゲゲルデントなど存在しなかった。

 まだ野山に本来の自然が残され、牛や豚など、ミナトも昔から慣れ親しんでいる畜産業が営まれていた。


「まぁ、昔はね、でも大体四年ぐらい前から、魔界の浸食領域も広がって、食べなきゃどうしようもないから、頑張って美味しく食べる方法が研究されたんです。いまじゃあ骨まで、しゃぶり尽くしますよ」

「す、すごい」


 ミナトは改めて人類の長所を理解した。

 そしてその恐ろしさも。

 魔王が世界を牛耳ろうとも、人間達はその世界に適応してしまっている。

 恐らくはかなりの労力を注いだのだろうし、今に至るまで、多くの代償を支払ったのだろう。

 しかし人類は、それでも挫けずに生きる術を模索して、結果それを勝ち得ている。


 そして合わせて、魔王軍の勝ち目のなさも痛感した。

 魔王の軍団、そしてこの世界の住人は、魔界に暮らして数百年どころではない。

 ゲゲルデントは、彼らが、それこそ幼い頃からずっと慣れ親しんだ『食材』である。

 それなのに、ゲゲルデントの調理法など研究した痕跡はなく、せいぜい目玉の味付けを変えるぐらいである。


 長い目で見れば、どちらが生い先の短い種族なのかは明白だ。

 人間界は常に危険に打ち勝ち、自らを進化させる。

 魔界は有り余る暴力に胡坐をかき、数世紀単位で停滞している。


「まぁでも、そういうことなら私、ミナトさんに協力できますよ」


「協力? ここをでるの手伝ってくれるんですか?」


「いえ、違いますよ。第一、ここ出てどうするんですか? 私が協力できるのは、食生活の向上です!」


「あ、なるほど、確かにゲゲルデントの美味しい食べ方が分かれば、僕はここを出る理由がありませんね!」


「はい! そうすれば、ミナトさんも安心して、愛の伝道に力を注げますよ!」



(あれ? そういう話だっけ。なんかズレているような……)



 ミナトが疑問に思ったのは、核心的な部分である。

 そもそも、本来であればミナトの目的は魔王の討伐であり、世界をもとの状態に戻すことである。

 根本的なズレは、何故魔王城でぬくぬくと暮らしているのか、という問題に起因する。


 しかしそれはひとまず置いといて、魔王を討伐するという点においては、魔王城にいるのは間違いではない。

 仮にことを起こそうと思えば、寝首をかくのは簡単であろう。

 であれば魔王城を出ていくというのは、目的にも反した行為である。


 彼はもはや、美味しい食生活を得ることが、主な目的となっているのだ。


 ズレている。

 現時点でのミナトの行動は、自身の存在意義すらも揺るがすほどにズレている。


 ――そしてクルセラ。

 彼女もやはり、ズレている。

 本来ならミナトと同様、魔王軍と敵対するはずであるし、その上今は、名目的には捕虜であるはずなのだ。

 なのにこうして、自由に魔王城内を歩き回り、あまつさえミナトの魔王城生活向上の手助けまでしようとしているのだ。


 ズレている、どころか、もはや何が正常で、何がしたいのか分からない。

 彼らの未来はどこへ行くのか。

 彼らにすら分からない。



「いや、愛の伝道はしないよ」



 突っ込むべきはそこではない。

 しかしそうしてズレに気がつくことは、この先一生ない。

 そして今日も、実りのある思考に辿り着くには、どうにも時間的余裕すらなかった。


「――っ敵襲! 敵襲!」


 魔王城内に響く警報。

 何が起きてのかを端的に告げた。


「あ! ミナトさん! それにクルセラも! こちらに居ましたか!」


 現れたのはオークのオルガド。

 ぜぇぜぇと息を切らしながら、ミナトに状況を伝えに来たのだ。


「て、敵襲です! 衝撃に備えてください――っ」


 揺れる魔王城。

 よろめく三人。

 非常事態であることは間違いなかった。


 三人は急ぎ、ミナトの室内に入り、窓から城下を覗いた。

 まず目についたのはおびただしい数の魔王軍の軍勢である。

 城の前で、隊列を組んで何かと戦っていた。


 そして次に三人が探したのが、魔王軍がまさに今、戦っている相手である。

 ――ミナトの部屋からでは、中々判別がつかなかった。

 それもそのはず。ミナトの部屋は、魔王城で最も高い部分に位置している。

 そして彼らが探す相手は、相対する魔王軍と比べると、あまりにも小さく、まるで米粒のように見えた。


「あ! あれじゃない!?」


 クルセラが指を指す――その米粒みたいな物体が蠢くと、魔王軍が吹き飛び、そして衝撃が魔王城を襲う。


「――ッきゃっ!」

「――っぐ!」

「ここに居ては危険です! 早く下に降りてください!」


 言うより早いか、一斉に部屋を飛び出して、落ちるように階段を駆け下りた。


「何者ですかオルデガさん!」

「我々もわかりません! 前線から一気に押し出され、ここまで退却させられたのです!」


 前線、それはつまり、魔界と人間界の境界だ。

 魔界が浸食しているとはいえ、境界は以前の場所で維持されている。

 しかしその境界は、魔王城からは地平線のかなた。

 5000㎞はゆうに超えている。


「ありえない!」

「ありえなくてもっ! 事実なんです」


 そのとき、クルセラは「ハッ」と思い出すことがあった。

 彼女には、先程の『米粒みたいな奴』に覚えがあったのだ。

 それは彼女の幼少期の思い出、一緒に切磋琢磨して、技術を磨いたライバルの姿。


「――まさか。姫ちゃん?」




 ――彼女は姫騎士。

 王族であり、姫君としての身分を保証されながらも、戦いに身を投じ、自らの力で世界に平和をもたらさんとする英傑に与えられる称号である。





 塔から下りると、クルセラは一目散に正門へと駆け出した。

 しかし城門は、樹齢が50年を超えているであろう丸太を紐でつないだ、大きなイカダのような扉で閉ざされており、城内と外界を分断していた。

 城壁を登ろうにも、5~60mはあろうかという高さで、とっかかりのない壁を、身一つで登るのは至難の業だ。

 探せば他にも、城外へ至る道はあるのだが、クルセラは、それらを探していては手遅れになるだろうと考えたのか、無理にでも正面から扉を突き破ろうとした。


「無茶ですクルセラ様! こちらの門は、オークが50人がかりで引き上げるものです! 人間の力では、決して開けられません!」

「じゃまをおぉぉすんるぅなぁぁぁあああっ‼」


 クルセラの額に青筋が走る。

 二の腕は筋肉が、はちきれんばかりに膨らんでいる。


 おおよそ人間の力を遥かに凌駕した力で、扉を押し上げようとしている。

 彼女の足元は、あまりの圧力に耐え切れず、ビキビキと音を立ててひび割れが走った。


「し、信じられないっ!」

「彼女は、本当に人間かっ⁉」


 しかしクルセラがいくら力を込めようとも、最後の砦となる城門は、ビクともしない。


「どけいっ!」


 更にオルガドも加わった。

 二人して扉の前にしゃがみ込み、持ちあげようと、持てる限るの力を込めた。


「大戦士長⁉ 何を⁉」

「見て分からんか!」

「――っ! 全員! 今すぐ扉を開け!」


 門兵が掛け声を上げると、周囲で見守っていたオーク達は一斉に動きだした。

 各自持ち場につき、声を合わせて綱を引く。


「そぉれ、1! 2! 1! 2!……」


 すると徐々に丸太は持ち上が、人ひとりが通れる程度の高さまで持ち上がった。


「すぐに下ろします! 急ぎお通りください!」

「すまんかったな!」

「いえ! お気をつけ下さい!」


 ミナトら三人が隙間から潜り抜けると、扉は再び、音を立てて閉ざされた。


「ぼーっとするな! 行くぞ!」


 堀を飛び越え、前方へと突っ走る。

 正面には数多の魔王軍が、切り倒されて辺りに転がっていた。


「ひどい……」


 クルセラがそれを見て呟く。

 オルガドは黙って、何も言わなかった。


 そして二人が見据える先には、今まさに、もう一人を切り殺さんとしている姫騎士の姿があった。


 ――純白のドレスに、水玉模様に返り血を浴び、そして金色の頭髪を、やはり返り血で赤く染め上げた壮麗な少女。騎士剣ロングソードを携えて、怒りを湛えた面持ちで、そこにいた。


 ――姫騎士、キクヒメ。

 それが、クルセラが『姫ちゃん』と呼ぶ、少女の名前だった。


「姫ちゃん!」


 クルセラが叫ぶと、そこでようやく、キクヒメはミナトら三人に気がついたようで、意識を三人に集中させた。


「き、貴様! クルセラか⁉」

「姫ちゃん! こんな所で何してる⁉」

「それはこちらのセリフじゃ! 貴様こそ、何故魔王城から現れた!」


 相対する二人。

 しかしスタンスはまるで違う。

 クルセラは魔王軍との和解を選び、少女は対立を選んだ。

 衝突は必然だった。


 一瞬早くキクヒメが振りかぶり、刹那に遅れてクルセラが武器に手を伸ばした。

 ――そして、その刹那が、勝負の分かれ目となった。


 ぷしゅ――と間の抜けた音が聞こえたかと思えば、どしゃり――と血だまりに肢体が倒れる。

 クルセラの血が、同心円状に広がって、地面を赤く、染め上げた。


「き、さまっ!」


 ぶちギレたのはオルガドで、声にならない咆哮を叫ぶと、そのまま野性の如き動きでキクヒメに飛び掛かった。


 ――猪突猛進。


 それがオルガドの、必殺にして最強の攻撃である。

 実態はただ丸まって、突進するだけの攻撃だけれど、鋼の肉体が繰りだすその技は、必殺の鉾と絶対の盾という矛盾した存在を両立させた。


 当たれば、即死。

 当たらずとも掠りさえすれば、それは致命傷となりうる。


 しかし――


「――っ! がはっ!」


 次の瞬間、遠方に吹き飛ばされたのはオルガドの方で、もう一方のキクヒメ、は、まるで何事もなかったかのように平然と、元々の位置に立っていた。

 吹き飛ばされたオルガドは、受け身も取れずに地面に叩きつけられ、そのまま立ち上がることが出来なかった。


を守ってやろう――




「あとは貴様だけじゃな? どうした、かかってこんのか?」

「お、お前、マジかこれ……」


 ミナトは、一瞬の出来事で、状況がいまいち理解できずにいた。

 クルセラは切り捨てられ、オルガドは打ち伏せられ、魔王軍は壊滅的な被害を受けている。


「こ、殺したのか?」

「なにを言っとる、当たり前じゃろ? 魔王軍じゃぞ?」

「い、いやいや、魔王軍だろうとさ、殺しちゃだめだろ、それに、クルセラは、お前と同じ人間だぞ?」

「話が通じんようじゃな。魔王軍と肩を並べて時点で、そやつは敵じゃ」

「いや、でも、知り合いだったんだろ?」

「そうじゃな、幼馴染じゃよ」

「なら、どうして……」

「はぁ。魔王軍に、与したからじゃよ」


 キクヒメは、ため息を吐きながらいった。


「戦わんのならば、そこを退け。いや、やはり魔王の所まで案内してもらおうか」


 そしてミナトに、ロングソードを突きつける。


「さぁ選べ。従うのか? 従わないのか?」


 ――オルガドが倒されたのだ。

 普通に戦ってもミナトに勝ち目はない。

 しかし命を賭して戦えば、仮に自分は死んだとしても、致命傷ぐらいは与えられる。


(こんなもんか)


 ミナトは考えた。

 魔王城にやってきて、そこに暮らす人々との日常を。

 魔王からは、たくさんのものを貰った。自分の命では賄えないほどに。

 魔王軍には、友達もできた。かつては殺し合った間柄。今では共に競い合う間柄。


(せめて、一矢報いるくらいは、できるだろうか)


 ――魔王を討伐するためにここへ来たのに、魔王を救うために命を捨てるとは。

 そして行動を起こそうと、体の重心を前に移したその瞬間、左足に何かが引っかかった。


「だめ、です。みなと、さん」


 それは、息も絶え絶えになりながら、ミナトの左足に抱きついた、クルセラだった。


「私は、だいじょうです」


 しゃがみこんで傷を見る。

 左肩から首元に切り傷がある。しかしどうやら胸当てが邪魔をして、それより下には傷がない。

 傷口に布を当て、強く抑えた。クルセラが「ひぐっ!」と苦痛の声を上げけれど、そのまま右腕をとり、押さえて置くように伝えた。


(確かに、これなら大丈夫だ)


 しかしすぐに治療をしなければ、命が危ないのもまた事実。

 であればミナトに、選択肢は一つしかなかった。


「なぁ! 先に治療したいんだけど、その後じゃダメか?」


 それは、キクヒメの説得だった。


「まぁ、許可なんてとる必要ないか」


 そしてクルセラに簡単な処置を施すと、近くに倒れるオークに駆け寄った。


「貴様! 勝手に動くな!」

「だったら邪魔すりゃいいだろ、僕は別に、戦う気なんてないし」


 オークを見ると、まだ息がある。

 そして傷も浅い。

 オークであれば、治療が必要ないほどに。


(まさか、な)


 他の倒れる魔王軍にも、駆け寄った。

 それぞれ簡単な処置をほどこそうかと思ったが、どれを見ても、切り傷は浅く、どうやら強い衝撃を与えられ、気絶しているだけのようだった。


(なんだ、そういうことかよ)


 見れば、キクヒメはミナトの行動を、口出しするでもなく邪魔するでもなく、ただ黙って見つめている。

 なにか言いたげな様子であるが、口をモゴモゴ動かすだけで、なにも言わない。


「お前さ、自分が何やってんのか分かってんのか」

「決まっているだろ! こいつらは人類の敵なのだぞっ! お前も邪魔するなら、たたっ斬るまでだ!」

「やってみろ。できるもんならな」


 その子はもはや、ミナトにとって、恐れる相手打はなくなっていた。

 否、本当ははじめから、恐れるような相手ではなかったのだ。


「嘘じゃないからなっ!」


 剣先が、ミナトの首もとに突きつけられた。

 赤く血が滴る騎士剣ロングソード

 ギラギラと銀色に輝くそのつるぎを、振り上げる手が血に染まる。

 ぽたぽたと流れる返り血が、袖を伝い、少女の体を濡らそうとも、しかしキクヒメは動かない。

 額には汗がにじみ、苦悩に顔を歪ませていた。


(……間違いない)


 ミナトは、キクヒメに吹き飛ばされ、地面に転がる魔王軍を見据える。

 遠目で見れば、死屍累々。

 しかし近づいてみれば、誰彼も切り傷は急所を外れており、その上見た目ほど傷も深くない。

 死なない程度に手加減されているのは明らかだった。


(こいつは、誰も、殺す気がない……殺したくないんだ)



 気づけば少女の瞳には涙がにじんでいた。

 それが一体、何を意味する涙なのか、ミナトには分からない。


「泣くほど辛いんなら、さっさと武器下ろせよ……」

「泣いとらんわ! その減らず口、閉ざさぬなら本当に、本当に! こ、殺すぞっ!」


 ミナトは、口を閉ざした。

 別に怖気ついたわけではない。

 下手に刺激すべきでないと、考えたからだ。


 追い詰められた人間は、何をするかわからない。

 それくらいのことは、ミナトも経験から学んでいる。


 特に、この子ほどの年齢の、少女ならば――


「――っ! おい近づくな!」


 ミナトが、少女の武器を押さえようと手を伸ばすと、それに合わせて少女も後ずさった。

 少女からすれば、ミナトを殺すことなど、赤子の手を捻るほどにたやすい。

 しかしそれを、決してしようとしないのは、やはり彼女も、殺しなど、したくはないからだ。


「わかってんだよ。もう、いいだろ、とりあえずさ、座れよ。武器置いてさ」


「! 手放せるわけがないじゃろう! そうやって貴様らは、寝首をかくつもりなのじゃろ? お父様にしたように!」


「なんの話だよ」


「しらばっくれるな! お前たち、魔王軍の仕業でないなら、誰の仕業じゃ!」


「いいから、落ち着けって、無理ってんなら、そのまま武器持ってていいから、話ぐらい聞かせろよ。わかってんだよ。お前が、誰も殺しやしないって。お前が何もしなきゃ、俺たちは、なにもしない。周り見てみろよ、誰も、お前の事攻撃してこないだろ? 多分、お前が手加減してんの、こいつら見抜いたんじゃねぇの?」


「はぁっ! はぁっ!」


 少女は、息を切らしながら周囲を見渡す。

 確かに、魔王の軍勢が、少女の周りを取り囲んでいる。

 しかし誰一人として、武器をかざしている者はいない。

 全員が全員、ミナトと、そして姫騎士の会話に耳を傾けていた。


「はぁはぁ」


「な、分かっただろ? こいつら、変な奴らでさ、傷つけられたぐらいじゃあさ……仲間が殺されない限り、やり返したりしない。みんなわかってんだ。お前が、仲間を殺さないって」


「はぁはぁ、ふぅ……」


 強張った少女の方が、呼吸がが整うとともに徐々に下がる。

 それに伴い、少女は、握る武器に込める力を、緩めていった。


「ね?」


「……わかった」


「……」


「……話をしよう、傷つけてすまなかった。武装を、解除しよう」


そして彼女は、ついにその手から、ロングソードを手放した。


 ――今回のオチ。


 結局のところ姫騎士――キクヒメは、彼女がここに来たあらましを話すと、何かを思い出したようで、そのまま魔王に会うことなく走って帰ってしまった。


 それから、三日日が過ぎた。

 まるで嵐でも過ぎ去ったかのような有様で、たった一人の少女に、魔王軍が壊滅されかけたという事態に、魔王軍幹部は戦々恐々としていた。


 軍備の増強を求める声も大きいが、しかしあの力を目の当たりにした魔王軍には、いくら増強したところで焼石に水だという意見もあり、議論は紛糾していた。着地点は全く見えないので、とりあえずは戦士長、ゴブリンキングであるオルガドの回復を待つ、ということで一旦会議はお開きとなった。


 そしてそれから、二日が過ぎた。

 魔王城の廊下を、医務室に向かって二人の人間が歩いている。

 ミナトとクルセラだ。

 クルセラの手には、花束とトランプが握られている。


「なぁ、この話って、背景がつまびらかになることって、あるのかな?」


「どうなんでしょう。ですが、予想はつきますけどね」


 一呼吸おき、クルセラが続ける。


「多分、誰かしらの陰謀ですよ」


 そうしてクルセラが語ったのは、キクヒメの王国の内情だった。

 キクヒメの王国は、人類の中ではもっとも魔界に友好的で、特に現国王、つまりはキクヒメの父親は、魔王との講和に積極的だった。


「王国も、一枚岩ではないですからね。現国王に反発する人もいましたし」


「それで、彼女――姫ちゃんの父親が、狙われる事

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