第20話 匂いに敏感なヤンデレ異常ヒロイン
「このタオル……違う……」
翌日、朝のホームルームが始まる前。
犬織の助言に従って洗濯した水越のタオルを、本人にお礼を言って返した時だった。
綺麗にたたまれた自分のタオルを確認した瞬間、水越が不気味な声量で呟いたのだ。
「違うって……どういうこと?」
確かめるのが怖いが、一応聞いてみる。
普通にたたみ方が違うとかかもしれないしね。変な誤解はしたくない。
「匂いが……違う」
「もちろん俺の家の洗剤使ったから、いつもの水越さんのタオルとは違う匂いがすると思うけど」
もちろんそういう意味じゃなさそうなことは察してるけど。
「そういう意味じゃない」
「だよね」
「使った洗剤、いつもと変えた?」
「まあ、一応」
「どうして変えたの?」
犬織が全てやったことなんだが。
なんて言えばいいかな。
自分でタオルを借りておいて、お姉ちゃんに洗ってもらいました、だとなんかちょっと恥ずかしい。
この気持ちわかってほしい。
「水越さんのタオルは特別なものだし、いつもの洗剤じゃダメかなって思ったんだよね」
「私のタオルが……特別……」
あれ?
なんかいかんぞ。
返答をミスってしまった恐れがある。
俺にはわかるのだ。
これはヤンデレの炎に注がれる油。特別だとかあなただけだとか言われると、ヤンデレはさらに対象に依存してしまう。
「特別っていうのは、借りたものだからってことで……ちゃんと綺麗にして返したいからね」
「このタオルと一緒に洗った洗濯物はあるの?」
「いや……ないかな」
犬織が他の洗濯物を全て排除したからなんだけど、パンツと一緒に洗うわけにもいかないよね。
「そうなんだ……白狼君の洗濯機に……私のタオルだけ……」
どうして少し嬉しそうなんだろう。
「……ありがと。大切に使うね」
「あ、うん」
なんかメインヒロインが新たな世界の扉を開いた気がする。
そしてその後、今日の昼休みの約束もさせられてしまった。
***
水越のせいで、いや、弱い自分のせいで、昼休みに図書室に行くタイミングを失った。
図書室は猫音子さんとの重要な接触イベントが行われる場所だ。
サブヒロインとの交流は積極的に行いたいのに……どこまでもメインヒロインが俺を引き付けてくる。
だからこそ、ペアダンスの練習は貴重な猫系ヒロインとの接触イベントだ。
全員がするダンスということで、難易度は低め。
とはいえ、猫音子さんには絶望的にダンスのセンスがないため、苦戦中だ。
俺もダンスはどちらかというと苦手である。
「にゃー」
「結構疲れたね」
「にゃー」
「最近『にゃー』しか言ってないけど、大丈夫?」
ヒトの言葉を忘れたのかもしれない。
「猫になるための本格的なトレーニングを始めた」
「トレーニングだったの?」
「うん――じゃなくて、にゃー」
「返事は『にゃー』なんだね」
「にゃー。瞬発的に返す練習をしてるとこ」
「他にはどんなトレーニングしてるの?」
「スリスリする練習」
そう言って、俺の腹に急接近する猫音子さん。
大きな猫目をこちらに向け、八重歯の見える無邪気な笑顔を作ると、そのまま頭をスリスリと。
優しくなすりつけてきた。
なんだこの生き物。
可愛すぎる。
「ネネは猫。だからシロには、やるべきことがある」
なんだろう。
餌をやったりした方がいいのかな。
「むぅ。猫は頭を撫でられると喜ぶ」
「そうなの?」
「にゃー」
どうやらそういうことらしい。
本物の猫を撫でるように、右手で優しく頭を撫でてみる。
すると顔をほにゃほにゃっと綻ばせ、嬉しそうに『にゃー』と鳴いた。
「これでいいかな?」
一応、今は体育の授業中だ。
ペアに分かれて自由に動きを確認している場面ではあるものの、このまま続ければ目立ってしまう恐れもある。
「そろそろダンスの練習再開しよっか」
「にゃー。猫には難しいけど頑張る」
やる気があるのはいいことだ。
「とりあえず、最後の手を繋ぐパートまでやってみる?」
「にゃー」
すると、猫音子さんはいきなりポケットから手袋を出し始めた。
俺と手を繋ぐのは嫌なのかもしれない。
だとしたらショックだ。
「えーっと……その手袋は?」
俺の手汗はキモくない……俺の手汗はキモくない……。
「肉球を再現してみた」
「ん?」
「プニプニ。触ってみて」
「あ、本当だ」
徹底した猫っぷり。
もしかしたら彼女は本当にやり遂げるかもしれない。
人間から猫への進化を。
「それ自分で作ったの?」
「にゃー。夏休みの工作」
かなりのドヤ顔だ。可愛い。
ここで気付く。
俺はいつの間にか猫音子さんのことをペットの猫のように見てしまっていた、ということに。
今までペットを飼ったことはない。
だが、もしかしたらこれがペットを飼うという感覚なのかもしれない。
犬織は名前からもわかる通り犬派だが、俺は生粋の猫派。
ずっと猫を飼いたいと思っていた。
だからか、最近より猫っぽさに磨きがかかっている猫音子さんを見て、男としてではなく飼い主として癒しを感じるようになっている。
もしかしたら猫音子さんは、俺の中でもうすでに、彼女候補ではないのかもしれない……。