第19話 ヤンデレヒロインたちの止まらぬ暴走
俺は馬鹿だ。
最初に言っておく、俺は馬鹿だ。
エントリー種目を決めた日の放課後。
なんと俺は水越と一緒にグラウンドにいた!
「2人で練習なんて、ちょっと緊張するね」
「あ、うん」
まだメインヒロインに話しかけられることに慣れていないモブの俺は、またもダサい返事をして自分に幻滅した。
すぐそばに、体操服姿の水越がいる。
健康的でみずみずしい太ももが、すぐそこにある。
どうしてこんなことになったのか。
メインヒロインを避けて、ヤンデレから逃れよう作戦はどこに行ってしまったのか。
悪いのは水越じゃない。
全部俺だ。
問題は俺のチョロさだった。
『放課後一緒に練習する?』
ほんの少し緊張したような、でもなるべく自然を装ったような、そんな一言。
上目遣いの水越にそんなことを言われれば、首を縦に振ることしかできなくなるから試してみてほしい。
まさかの水越からの積極的な言葉に、周囲のクラスメイトも目を丸くして驚いていたのを思い出す。
そりゃあびっくりするよね。
孤高のメインヒロイン水越莉虎が、モブの中のモブである俺を誘うなんて。
俺はというと、そんなクラスのヒロインが唯一気にするモブAとして、ドヤ顔をかましていたわけだが。
――あれは反則だな。
相手は反則技を繰り出してきた。
こっちとしては、回避する手段がない。だから攻撃を受けてしまうのは仕方ない。
放課後のグラウンドは体育祭の練習をする生徒たちで溢れ返っていた。
体育祭が近付いているこの時期は、普段グラウンドで活動している運動部は別の場所に移り、一般生徒の練習のためにグラウンドが完全開放される。
だから自由に走ることもできるし、障害物競走にエントリーしてる人なら実践的な跳び箱や平均台の練習ができる。
「まずは3周くらいしてみる?」
「それもそうだね」
水越の最初の提案はハードルが高い。
本気で走るわけじゃないと思うが、いきなり3周もグラウンドを走らされるのはなかなかの鬼畜ではなかろうか。
でも弱音は吐かない。
だってここにメインヒロインがいるんだ。
――あれ、待てよ。もしここで俺が幻滅されるような弱々しい男を演じれば、失敗を取り戻せるのでは?
ここで名案が思い浮かぶ。
あえて自分の株を下げることによって、メインヒロインにがっかりしてもらおうという作戦だ。
今はむしろ結構好かれてる感じがするから、普通に友達くらいの距離感にしたい。
なんかヤンデレの伏線みたいなのが少しずつ出始めてるからね。
危険が及ぶ前に初期状態にリセットしてしまおうというわけ。
「俺には3周とか無理かもしれない。先に走っててくれないかな」
「……」
おや、これはいい感じかも。
「外に出ただけで汗が噴き出てきたし、ちょっと体拭いてくるね。ヤバいな脇汗」
「……」
ヤバい。
これはさすがにキモすぎたね。
ちなみに、今週は水越と昼食を取ることにしている。あの時のヤンデレの視線に勝てなかったからだ。
これで昼ご飯も一緒に食べたくなくなってくれるかも。
それはそれで悲しいんだけどね。
自分の身を守るためだから仕方ない。
「白狼君……」
「ん?」
「良かったら、その汗、私に分けてくれないかな?」
「あれ?」
「これ、私のタオル。全身を拭くために使っていいから」
「おやおや」
ヤンデレ候補に対して、『汗』は禁句だった。
どうやらその言葉がトリガーになったらしい。
水越の瞳から光が消え、俺の存在そのものを舐め回すような強烈な視線が降り注いだ。
いかにも清潔そうな真っ白なタオルを差し出してくる。
「いや、タオルは自分のを使うからいいよ」
「私のタオル、吸水力が高いから。白狼君のよりも性能いいと思う」
どういうマウントかな。
「いやいや、そこまでしてもらわなくていいって」
「この前のお礼と思って、使ってほしいかな」
ここで上目遣い。
水越はぶりっ子ではない。男を引き付ける最強のスキルを生まれながらにしてもっているのだ。
天才っていうのはそういう才能も含むよね。
そんなことされたら、俺がノーと言えるわけがないじゃないか!
「じゃあありがたく使わせてもらうよ」
水越には全身を拭いていいとか言われたけど、さすがに首元くらいしか拭けなかった。
本人も見てるし。
ていうか、そんなガッツリ見ないでほしいんですけど。
「このタオルは家で洗っておくから、持ち帰ってもいいかな?」
「大丈夫。そこまでしなくても――」
「いや、さすがに礼儀として――」
「汗が染み込んだままでも私は全然――いや……もしかしたら……」
「あの、水越さん?」
「それなら、お願いしようかな」
***
家に帰り、速攻で例のタオルを出す。
これは水越のタオル……これは水越のタオル……。
「白狼、何してるの? 普通にキモいから」
普通に傷付く言葉をかけてきたのは、姉さんの犬織。
危険動物でも見るような目でタオルを警戒している。
「水越さんにタオルを借りたんだ」
「なんで?」
「汗かいたから」
「あんた自分のタオルがあるでしょ」
「うん、あるね」
犬織はピンセットで慎重に例のタオルを持ち上げると、洗面室に急いだ。
「他の洗濯物は全部取り除いて、あのタオルだけ洗濯することにしたから。あのタオルを通してあんたを感じられないように、いつもの洗剤も変えてあるわ」
やっぱり犬織にもヤンデレの才能があるのかもしれない。