very much-A!
確かに僕は冷たい菓子が大好きだ。
プリンとか、くずもちとか、アイスクリームとか、もう最高だ。けれどこれはあんまりだ。
タオルケットをインド人のように巻いた男が僕の部屋に侵入した。早朝、ラジオ体操がはじまるような時間のことだ。
「ここに抹茶大会の開催を宣言したいと思います!」
奴は突然そう叫んだ。僕はその声で飛び起きた。眼鏡を外した僕の目は、のびのび太のような数字の3の形になっていたと思う。変態男の声には聞き覚えがあった。兄の声に似ている。しかし兄はこんな変態ではなかったはずだ。パラレルワールドからやってきた兄なのか、それともつい先日彼女にふられて三日三晩酔いつぶれ、トイレに座り込んでもどしたときに現れた兄の別人格なのか。
バカらしい考えを打ち消し、ベッドから降りて横山ヤスシばりに眼鏡を探す。眼鏡は脇机の上にあるはずだ。脇机の上のものを散らかしながら眼鏡を取る。寝起きで狭くなった僕の視界にも、眼鏡の恵みは降り注いだ。しかしこれを恵みと言って良いのだろうか。般若の面をかぶり、頭にタオルを乗せた変態男は、やはりどう見ても兄でしかなかった。
「こんな朝から何だよ、和貴。桃太郎侍か」
「和貴ではない! そして桃太郎侍でもない! 私の名前は……タオルケット仮面!」
タオルケット仮面は手刀をつくって身構えた。タオルケット仮面のポーズらしい。夏休みに入ったのと同時に彼女にふられて三日三晩焼酎を浴びるように飲んでクダを巻いた挙句、トイレの中で座り込んでもどすような、ごく普通の、けれどもちょっと困った小市民のくせにタオルケット仮面とはなにごとか。
「姉ちゃんに見つかったら二度と立ち直れないくらいの暴言くらうぞ」
「もう見つかった」
「ゆ、勇者め」
姉は優等生のレッテルを貼られたヤンキーだ。歩くドライフラワーの異名を持つほどクールでドライな水気のない女だ。そしてテッポウウオの発射する水鉄砲にも似た暴言を吐く女だ。あんなのをくらえば、羽虫はひとたまりもない。その姉に兄の和貴こと羽虫仮面が対抗できる訳がない。いつも痛い目にあっている癖に懲りない羽虫だ。
「で、暴言にも懲りずにこんな早朝から一体何のお誘いですかコノヤロウ」
「抹茶大会よ」
変態仮面の背後から聞こえた声に、僕はおどろいた。件の姉だった。彼女が黙ってヨッパライ仮面の戯言に付き合うとは思えない。何かあるに違いないと瞬時に悟って身構えた僕を見ると、酔いどれ仮面はふんぞり返って高笑いした。
「実は昨日、君たちの兄、和貴氏が、ただでさえ不況で少ないのに税金のせいでさらに少なくなった夏のボーナスをもらったのだ。優しい君たちのお兄様は抹茶アイスを皆にごちそうすることに決めた」
「なんだ。そういう話なら最初から言ってくれよ」
「そこで買出し班として選ばれたのが君、和豊君と、ここにいる和美ちゃんなのだ」
僕の喜びはすぐに面倒臭いという感情に変わった。コンビニは歩いて五分程なのだけれど、それでもその間、日光の集中砲火をくらうのは明らかだった。早朝とはいえ騒いでいる間にすでに日は昇っており、気温も上昇していた。
「やだよ、暑いもん」
「昼間酷暑なのが予想されるからこそ、涼しい時間帯の今、抹茶アイスを入手しておこうと言うのではないか。夏休みの宿題も朝の涼しいうちにと言うだろう。それとも君は今ここで奇跡が起こって、あの壊れた年代物のクーラーが復活するとでも思っているのかね」
兄の言葉に、はっとした。昨日クーラーが壊れたのを思い出したのだ。
憎らしい日差しが窓辺に忍び込んで来ている。窓を開けてもレースのカーテンすら全く揺れない。梅雨どきのひどい蒸し暑さは感じなくなっていたけれど、それでも十分に暑い。
「どうせならエアコン買っ」
言葉の途中で姉に蹴り飛ばされた。姉のかかとが見事にみぞおちに入った。寸前で身を後ろに引いたから致命傷は避けられたが、それでも少し痛い。ベッドの上で僕の体が軽くはねる。恐怖で僕は震えあがった。絶対になにがあっても姉にだけは逆らいたくない。
「とにかく。買出しに行きましょう」
「ハーゲンダッツのグリーンティ、忘れずに買ってきてね」
迷惑仮面が姉にハーゲンダッツと言付けたのを聞いて、僕は強く心惹かれた。ハーゲンダッツを食べられるチャンスだ。ハーゲンダッツを食べるのは一体何ヶ月ぶりだろう。ごちそうしてもらう日が来るとは、我慢した甲斐があったというものだ。
「解りました。和豊、行っきまーす!」
兄は敬礼をして私と姉を送り出した。
「頼んだぞ和豊君。幸運を祈る」
◆◆◆
僕は姉と一緒に近所のコンビニに出かけ、抹茶アイスクリームだけを山ほど買った。すでに熱気が僕の身体にこもっている。まるで口の中に脱脂綿を詰められて水分を奪われたような不快感がイライラをあおる。僕たちの家はマンションの最上階であるせいか、階段にも妙な熱気がこもっていた。ためいきを一つついて、玄関の扉を開け、北向きの兄の部屋に直行する。そこで見つけた扇風機の前に座り込んで、僕は暑い日の犬のようにだらしなく口を開けた。扇風機がどこにもないと思っていたら、兄がこっそり自分の部屋に持ち込んでいたらしい。
すぐに兄和貴ことタオルケット仮面が現れた。きっと僕がコンビニから帰ってきたのを察知したに違いない。姉は早速コンビニの袋の中を漁っていた。コンビニの袋の中には大量の抹茶アイスが入っている。
「姉ちゃん漁んの早ッ」
「抹茶大会の準備してんのよ。決して漁ってる訳じゃないわ」
「ところでその抹茶大会ってのは何?」
僕がたずねると、タオルケット仮面は不敵に笑って声色を渋くして語った。眉間にしわまで寄って、眼光まで鋭くなっている。
「説明しよう! 抹茶大会とは抹茶アイスをいかに早く食すかを競う大会である。ここに各社選りすぐりの抹茶アイス群が集結した! 我々は今から、冷夏の割にヒートアイランド現象でやたらとクソ暑く感じられるこの夏を乗り切るために抹茶大会を開く! 戦いは最終的に優勝カップことハーゲンダッツグリーンティに行き着くまで続けられる。わかったかね、和豊君!」
「腹壊すじゃん。まだ寝ぼけてんのかよ、和貴……」
数々のアイスクリームを乗り越えなければハーゲンダッツにたどり着くことはできないということだ。こんな状態では肝心のハーゲンダッツに行き着くまでに腹を下してしまうではないか。それに気付いてやる気を失いかけた僕に、兄がサンバカーニバル前夜祭のブラジル人のごとき陽気な声をかける。
「私は君の兄、和貴ではないとさっきから言ってるだろう。私の名前は……タオルケット仮面! もしくは赤い彗星と呼んでくれたまえ。何故ならこのタオルケットが赤いからだ」
「やだ、絶対何があっても呼んでやらない。呼んでやるとしてレッドバロン止まり」
「まあまあ。抹茶大会は、抹茶アイスの重力に惹かれた庶民たちのささやかな楽しみを満喫しようという大会なのです」
僕の眉間にみるみるしわが寄っていくのを見て心配したのか、姉が僕と兄の間に入ってそう言った。
コンビニに行くまでの間、僕は姉から兄の話を聞いた。兄はボーナスが出たら彼女と夏休み旅行に行こうと思っていたらしい。しかし彼女にふられたことで計画を中止する羽目になった。飛行機やホテルの予約も全て済んでいたというのに、キャンセルしなくてはならなくなった。キャンセル料までしっかり取られたというのだから悲惨だ。要するに、兄はやけになっているのだ。エアコンを買い換えるには足りない己のボーナスの残骸を、無駄に使って忘れてしまおうということなのだろう。
「その庶民の小さな喜びを、珍妙な髪型の男が踏みにじったのだ! これに断固反対せずに何に反対する! 所詮言葉なんてもんはタダだ。『痛みに耐えてよく頑張った!』とか言われても、我々の生活はちっとも楽にならない。お腹も膨れない。 喉すら潤わないんだからな!」
「亀井静香みたい」
「誰が元彌ママだ」
「もうそれ古いわ。一体何人が覚えてるの」
姉と兄が二人でなにやら奇妙な会話を続けている。僕は半ばやけになって扇風機のボタンを連打する。送風弱風中風強風送風弱風……扇風機の羽根の速度が変わる。口を開けて声を発する。濁った音が漏れた。
「ネェ。モウー。溶ケマスヨォー。溶ケチマウ。まっくしぇいく、ニナテシマイマスヨーウ」
「いけない。それではハーゲンダッツのグリーンティこと抹茶大会の優勝カップを冷凍庫に入れてきます」
僕の行動は効を奏したらしく、兄と姉は不思議な会話を止めた。姉が仰々しく宣言して冷蔵庫へと向かう。のれんの向こうに姉の姿が消える。後ろ髪ひかれる思いとはこういうことなのかもしれない。
「僕のっ、僕のアイスを返してください!」
「ふふふ、ハーゲンダッツはいただいていくわ」
右手を前に出して咄嗟に口から出た言葉は意味不明なものだったが、さすが兄弟なだけある。姉は意味を察してくれたらしかった。
「きたねえっ、お前等の血は何色だっ」
僕は調子に乗って、右手を握りこぶしにして続けた。
「うーん抹茶色じゃないことは確かかなあ。それはともかく溶けるよ」
タオルケット仮面こと兄和貴の冷静な声を聞いて、僕はなんだか急に恥ずかしい気持ちになった。サンバ男が大人しいと、なんだか逆にこっちが恥ずかしくなる。そして兄の奇妙なテンションに慣れつつあるのだと思い知って気がめいった。
そんな私が振り返ると、レッドバロンこと赤タオルケットを巻いただけの標準的な日本人男性は、半ば奇声とも取れる声を出した。寝起きの癖によくそんな声が出るものだ。吹奏楽部で鍛えた肺活量は伊達ではないということか。今にもヨーデルを唄いだしそうなテンションで、インド人のような格好をした兄は、無駄にカロリーを消費するであろうサンバの如き踊りをした。
姉が帰って来たのに気付いた無国籍仮面は赤いタオルケットを開いた。兄のこの行動は変態そのものだ。赤いトランクスが見えた。下も赤とは赤い彗星と呼べと言うだけある。姉は普段トランクス姿で歩く僕たちを見慣れているのでキャアとも悲鳴をあげず、男前に右手をあげて応えた。
「それでは早速第一試合です! 東、爽! 西、抹茶&抹茶氷!」
急にジャッジになった赤タオルケット仮面が木の匙を僕たちに手渡す。コンビニでもらったアイスクリームスプーンだ。紙を破って木の匙を取り出す。姉はコンビニの袋の中から抹茶アイスを取り出した。姉の手から『爽 抹茶味』を渡される。僕は黙ってフタを開けた。
「はじめっ! ファイッ!」
タオルケット仮面の言葉を聞いた刹那、姉はアイスクリームに飛びついた。僕も慌ててアイスクリームを木のスプーンでほじる。姉は冷たいものが案外得意なのだ。早く食わねば試合に負けてしまう。
ここで僕は結構乗り気で試合を行う気になっている自分に気付いて恥ずかしくなる。いや、違う。僕は単純にハーゲンダッツを獲得するためにこうして試合に参加しているのだ。自分に言い訳をしながらアイスの上に木のスプーンをつきたてる。
「かっ、硬い!」
木のスプーンがみしりと音をたてたのに気付いて焦る。このままスプーンが折れてしまえば、僕の負けは確定する。
「秘技! アイドル羽毛飛ばし!」
昔のアイドルが羽毛を飛ばすときにやっていたように、両手でアイスクリームをおおって息をふきかけ、溶かしにかかる。やわらかくしなければ先に進むのは困難だ。普段爽快食感を生み出す爽のシャリシャリ氷が仇になってしまった。
「アイドル羽毛飛ばし……だと!?」
姉が声を上げてジャッジ仮面に視線を送る。審判は「アリです!」と親指を立てて叫んだ。
「姉ちゃんには負けないぜ……負けてたまるか! 燃えろ! 俺の体温!」
姉は木のスプーンで削り取っていた抹茶&抹茶氷を氷でない部分から攻略していこうとしている。氷の部分はやはり少し硬いのか。
「くっ……このまま黙って引き下がる訳には!」
姉の腕の動きが早くなる。アイスを削り取るスピードを上げたのだ。僕の秘技にハイスピードで対抗しようというのだろう。
「ふっ……こちらはもう溶けた……いくぜ! 爽!」
溶けたアイスをスプーンでごっそりすくって口に放り込む。シャリシャリ感を伴った抹茶味が口の中に広がる。美味である。しかし悠長に味わう暇はない。知覚過敏の歯に染みるのを無視して食べる。掌も多少冷たくなっていたが、構ってはいられない。次々口に放り込む。
「た、食べたー!!」
食べ終えてアイスの容器を高々と頭上に掲げて宣伝する。これでハーゲンダッツに一歩近付いた。少ししてから姉は渋い顔でうめきながらアイスを食べ終えた。姉が紳士的に右手を差し出して来る。僕はそれに応えた。異様に冷たい手同士、感覚がほとんどない状態で握手を交わした。
「勝者、和豊! 1ポイント先取!」
◆◆◆
こうして「八女抹茶」対「エッセルスーパーカップ抹茶味」だの「抹茶工房」対「濃茶」だの、熱いのか寒いのかよく解らない戦いが何度か繰り広げられた。さまざまな必殺技が現れ、ジャッジが求められた。激しい戦いだったが今のところ二対一で姉が一点のリードだ。この戦いで勝たなければ、ハーゲンダッツが僕のものとなることはない。
「次は『AYA玉露味』対『辻利』ね……」
姉の声に何ッ、と兄が叫んだ。タオルケット仮面のふざけたテンションではなく、普段の兄の声だった。叫びたくなる気持ちも解る。これは僕と姉の裏切り行為なのだ。なぜならば優勝カップとして定められたハーゲンダッツと同じく上流価格路線のアイスだからである。
「待て! 待て待て!」
兄の声を無視して、僕と姉は戦いを開始した。
「う、美味い!」
僕等はそう叫びながら、互いのアイスを分け合った。ああ、この濃厚な渋さのある抹茶味がたまらない。心の底から抹茶ラブだ。
少女マンガだったなら、僕等の周囲に花が飛び回っていたと思う。うっとりと遠い目をしながらアイスを食べつづける。この感動に浸っていたいが、浸りすぎていては試合に負けてしまう。
事件が裏で起きているのにも気付かずに、僕と姉はアイスを食べた。
「完食!」
右手を高く上げ、僕は勝利宣言をする。これで引き分けだ。抹茶大会は延長戦に持ち込まれるはずだ。
ジャッジことタオルケット仮面のいる場所に視線を送る。そこに彼はいなかった。姉が僕の後ろに視線を送って、恐ろしげな表情になった。怒りで木の匙を持った右手が震えている。僕は嫌な予感を覚えて後ろを振り返る。
そこには優勝カップを満面の笑みでむさぼり食う兄の姿があった。