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息子のせいで不幸な一家、幸せになる

作者: マサシゲ


 埃っぽく淀んだ空気の暗い室内に唯一ついている電気スタンドの明かりの元、年季の入った椅子に座って背中を丸め、小声を漏らしながら一人の男が紙にペンを走らせる音が響いている。無数の毛玉がついているくたびれたグレーのスウェットの上下を着た小太りの体に手入れなしで伸び放題の髪、精悍さを感じない顔の輪郭に無精ひげを蓄えている一方でその目は純粋無垢な、―年齢不相応なほど輝いた瞳でノート上でせわしなく動かしているペン先を見つめている。


 そんな部屋の主、A太は手に持ったペンをひたすらノートに走らせる。ノートのページはミミズが走ったような字で無数の方程式と計算式がこれでもかと詰め込まれるように書かれていた。


 彼の周りには全ページ書き終わった直接床にうず高く積まれたノートの山があり、その上にいつ着たのかわからない服が無造作に乗っている。その脇のゴミ箱からは開口部からいくつもの丸められた紙が飛び出していて、更に入りきらずにあふれ出たであろう紙屑がゴミ箱の周囲を覆って山のようになっていた。


 とにかく部屋の隅々まで使い終わったノートの山が床一面に敷き詰められていて、挙句に窓のカーテンは閉め切られ壁際に立てられている本棚の目の前に室内の他の場所と同じようにノートが積まれている。数学関連のタイトルが書かれた背表紙が微かに姿をさらしている本棚の本はもう相当手に取られていないだろう。


 快適とか言い難い環境の中、ひたすらノートにペンを走らせていたA太の手が止まった。


「…うー」


 ぽつりとA太が呟く。しかし室内は並大抵の人間ならどこがうるさいのかと首をかしげるほどしんと静まり返っていている。


「うるさい、うるさい…」


 うわごとのように同じ言葉を繰り返しながら勢いよく立ち上がると部屋を飛び出していくA太、部屋のドアを開けた拍子に陶器同士が当たる音がした。扉の前に置いてあったA太が食べた後の食器類を扉で弾き飛ばしたのだ。食器が廊下を転がることなど気にも留めず、木目調のフローリングの廊下をA太が素足で派手な足音を立て勢いよく少し離れた別の部屋の前に向かう。中から微かにピアノの音がするそのやたら真新しい扉には練習中と書かれた看板がぶら下がっている。


「うるさい! うるさいのー!! やめろー、やめろー!!」


 扉の前に立ったA太が無表情で子供のような叫び声を上げながら看板がぶら下がった扉を右手の拳で力任せに叩き始めた。叩かれるペースに合わせて看板が踊り、太い腕から繰り出されるパンチに綺麗にニスが塗られた木製の扉の叩かれた部分が少しづつ凹んでいく。


「―ちょっと、何しているの!?」


 食器同士が当たる音を聞きつけたA太の母、クリーム色のワンピースを身に着けたD代がスリッパ特有の足音を鳴らしながらリビングから飛び出してくると扉を叩いているA太を見て驚いたように目を見開いた。すぐさまD代が黒のセミロングの髪を揺らしてA太に駆け寄る。


「A太、B子の邪魔しちゃダメ! もうすぐコンクールなの…!!」


「いやだ―、いやだー! うるさい、うるさいー!!」


 駆け寄ったD代が扉を叩くのをやめさせようとA太の右手を押さえにかかり、A太の動きが一瞬止まる。しかし男性と女性の腕力の差を生かすように、A太がD代を投げ飛ばした。


「キャッ!?


 投げ飛ばされたD代が廊下に倒れこみ、止まり際に廊下に転がっていた食器の一つに当たり小さく甲高い音を立てた。


「うう…」


「うるさい、うるさいー! やめろー、やめろー!!」


 蹲ったまま顔を腕で覆い唸り声を漏らすD代の事など意に返さず、A太は再び激しく扉を叩き始める。扉にかかっていた看板の紐が刺さっていた押しピンごと外れて廊下に落ちる頃には、扉の一部はひどく凹み始めていた。するとD代とは反対方向から男の怒鳴り声がこだます。


「やめろ!!


 大声に思わず動きを止めたA太が声の下方向を見ると、玄関のドアを背景に紺のスーツと藍色のネクタイ、白いワイシャツを身に着けたC夫が怒りの形相で仁王立ちしていた。C代と同じくその顔に刻まれたシワが四十代にしては多く見える。


「A太、何をしているんだ!!


「あ…」


 黒の短髪の生え際には文字通りの青筋が浮かべているC夫はずんずんA太に向かって歩みを進める一方で、A太は蛇ににらまれたカエルの如く動かない。


「また母さんを傷つけたのか! 何度言ったらわかる!?」


「えっとー、えっとー」


 A太の目の前で立ち止まったC夫がA太を睨みつけるが、肝心のA太は上半身を左右に動かし俯いて両手で自らの頭を抱える仕草をした。


「分からないのか? なら―」


「やめて!!」


 もじもじしているA太を見てその様子が癇に障ったのか、右手を振り上げるC夫。ようやく起き上がってそれを見たD代が叫ぶ。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 A太がもじもじしたまま謝罪の言葉を口にすると、C夫がバツの悪そうな顔になり上げた右手をゆっくり下ろした。


「…部屋に戻ってなさい」


「わかりました、わかりました」


 感情を押し殺したようなC夫の声にA太もすっかり意気消沈したような声を吐き出しながら足早に自室に戻っていく。A太が扉を閉めるよりも早く、C夫がD代に駆け寄る。


「大丈夫か?」


「ええ、またA太がピアノの音に反応したみたいで…」


 心配そうなしゃがみ込んで両手でD代の二の腕を掴むC夫、D代の表情は焦燥感を隠していなかった。その直後今度はA太が叩いていた扉が開く音がした。廊下の二人がそちらに顔を向ける。


「…二人とも大丈夫?」


 半開きになった凹んだ扉の隙間からB子が顔を覗かせる。あどけなさの残る十代の顔つきで黒のポニーテールに白のトレーナーにショートパンツ、白い靴下といういで立ちで非常に整った顔付きをしている。いわゆる美人というやつだ。


「ああ、大丈夫。心配しないで、こっちで何とかするから、練習の追い込み頑張りなよ」


「わかった。じゃ…」


 B子と目が合ったD代が何か言いかけるも、それを制したC夫があからさまな作り笑いで言葉を紡ぐ。それを聞いたB子が無関心を装った表情を向けると、静かに扉を閉めた。


 そしてB子が黒いポニーテールを揺らして部屋の中心に置かれているピアノの前に置いてある椅子に腰かけた。ピアノの譜面台にはポイントや注意点がいくつも書き込まれた譜面が置かれているが、開かれているのは曲の途中のページだった。


「またやり直し…」


 B子がため息をついて譜面を手に取るとページを捲って一番最初のページに戻す。そして壁にかかっている時計をちらりと見たが、その周囲の無数の小さな凹凸が生えているグレーのスポンジも視線に入った。その部屋には床以外の壁と天井、照明などどうしても張り付けることができない部分以外全て消音スポンジが貼られているのだ。


 これも全てピアノの音に過剰に反応するA太への対策だった、既にあらかじめ彼女のいるこの部屋には必要にして十分な防音対策が施されているというのに。


「…間に合うのかなぁ」


 近づいているコンクールへの練習不足を痛感しながら、B子が再び鍵盤をたたき始めた。




 後日、C夫とD代はとある大学へ足を運んでいた。この大学に日本の数学の第一人者と呼ばれる教授が在籍していたからだった。昼下がりの日の光が差し込む大学の小奇麗な応接室にて白髪交じりの短髪で鼠色のスーツ上下に身を包んだ男性が一人用のソファに腰掛け、微かにタバコの臭いを漂わせながら手渡された資料に目を通している。彼の目の前には二人用のソファに寄り添うように腰掛けE彦を固唾をのんで見守っているC夫とD代の姿があった。


「なるほど」


 初老に近い男性が顔を上げややずり落ちた眼鏡を指で持ち上げる。


「E彦先生、どうですか?」


 恐る恐るC夫が口を開くと、E彦が体を起こす。


「確かに仰ったとおり、イシトルピの定理の計算や方程式の記述が散見されますな」


 E彦の言葉に二人の表情が明るくなる。


「じゃ、じゃあ息子は数学の才能があるんですね!?」


 前のめりで興奮したように口を開くD代に対し、E彦が眉を顰める。


「ん~、それはなんとも」


「どうしてですか!? さっき定理の計算とかが見られるって…」


「まぁ落ち着いてください」


 続いて思わず声を荒げているC夫へ右手を翳して静かに制するE彦。


「確かに数学への並外れた理解はあるようだ。しかしこの定理の証明は世界有数の数学者が長年頭を悩ませている数学の世界で最大の謎、もしお宅の息子さんが天才だったとしても解明にたどり着けるとは思えない」


「でも、方程式とかも書いているなら偶然とかじゃないんじゃ…」


 何とか食らいつこうとするC夫にE彦が無表情ながら圧をかける前のめりになる。初老に差し掛かったとも見える皺が畳まれた顔には、笑顔がなかった。


「はっきり言いましょう、我々の世界では論文が全てです。実際に解明したとしても定理を証明したと論文にまとめて発表しなれば意味がない。息子さんにそれだけの能力がありますか?」


 E彦のその言葉に俯いて押し黙る二人、少しの間沈黙した後再びE彦が口を開いた。


「今日はもう帰った方がいいでしょう。息子さんも心配しているでしょうし…」


 先ほどととは売って変わって明るい声色になったE彦を顔を上げた涙目のD代が睨む、すると素早く立ち上がって応接室を飛び出していった。一瞬呆気に取とられるC夫。


「お、おい!? 申し訳ありません、ではまた!」


 C夫が机に乗っている持参した書類を慌ててかき集めると、慌ただしくE彦に会釈してD代の後を追った。応接室の扉が閉まるのを見届けたE彦が再び不愛想な顔つきに戻ると、机に残されていたC夫の勤め先の名刺を手に取って立ち上がる。そして部屋に備え付けている電話の受話器を手に取ると慣れた手つきで本体のダイヤルボタンを押していく。


「もしもし、F造先生ですか? ご無沙汰してます~」


 受話器を取ってすぐ、つながった相手先へ明るい声色で社交辞令を言って見せるE彦。


「実はですね、ちょっとお耳に入れたい話がありまして。―会って話せませんか?」


 E彦のその視線の先の右手にはC夫の名刺があった。



「申し訳ありませんね、急遽予定を合わせていただいて…」


 更に数日後の昼下がり、E彦はA太の家にいた。ふんわりとバラの香りとぼしき芳香剤の匂いが漂うリビングのソファに腰掛けて同じくソファに座っているC夫、D代と向かい合っている。C夫は薄い黄色のポロシャツにジーパン、D代は薄い青の女性用ブラウスにクリーム色のパンツ姿だ。


「いえいえ。それで、そちらの方は…?」


 あからさまに不機嫌そうな表情を隠そうともせずE彦に冷ややかな視線を送るD代をしり目に、微かに笑みを作っているC夫が口を開く。そしてE彦の隣に座っている男性へ目をやった。紺のスーツの中に白いワイシャツを着ていて、ネクタイは付けていない。黒い短髪の少し太った男性だった。


「初めまして、F造と申します。以後お見知りおきを…」


 慣れた手つきで上着の内ポケットから名刺入れを取り出し自然な笑みで自己紹介をして見せるF造、一枚の名刺を二人分の湯飲みが置かれたテーブルの上に差し出すとそれをC夫が手に取った。


「…人工知能?」


「はい、わたくし十年以上前からAIの研究をしてまして。最近ポッと出の奴とは違って、純粋に研究目的で使われるものですが」


 F造の名刺の肩書を見て目をまくるするC夫に、E彦よりは若そうなF造が自信たっぷりと言わんばかりに口を開く。


「―そのAIを作ってる方がうちの子に何の御用です?」


 F造の話に自らの太ももの上で右手で左手のこぶしを押さえるような仕草をしながらD代が語気を強めると、F造が微かに眉を顰める。


「既にお二方もご存じだと思いますが、現在政府主導で新型スーパーコンピューターの「HINODE」を建造していますよね。それに組み込むAI機能の一部に是非A太さんの才能をお借りしたくて…」


「と、言いますと?」


「あなた!?」


 F造の説明に目を見開いて前のめりになるC夫を見て、血相変えてそれを制しようとするD代。しかしC夫は逆に優しくD代の動きを抑止するように顔を向けると、「話だけだから」と小声で告げる。それを聞いたD代が納得できないといった表情こそ見せるも、静かになった。


「失礼、―具体的には何をするんです?」


「はい、難しいことは行いません。普段A太さんが行っている計算や方程式の記述をスキャンしてAIに読み込ませるんです。AIも人間と同じで、学習しなければ能力を発揮できません。人間も外部からの刺激、見たり聞いたり書いたりして学んでいきます。それと同じことをAIにもさせるんです」


 両手の指を膝の腕で絡ませ「なるほど」と頷くC夫の反応を見ながら、F造が言葉を選ぶような雰囲気を漂わせつつ話を続ける。


「問題は、A太さんに『HINODE』が設置されている施設まで出向いてもらわないといけないことでしょうか。E彦先生からも聞きましたが、A太さんは環境の変化に非常に敏感だとか」


「はい、眠っている時以外は些細なことで癇癪を」


「でしょうね。部屋の扉に凹んだ後がありましたし」


「ちなみに今は? 静かですが」


「今A太は眠っています。一度起きたら気絶するまで何日もぶっ通しで机に向かっているんですが…」


 思わず辛そうにC夫が声色を下げ視線をテーブルに落とすと同時に、D代もバツが悪そうに顔を背ける。すると今度はE彦が口を開く。その視線はリビングの脇の棚に飾られている煌びやかに輝くトロフィー群に向けられていた。


「失礼、あのトロフィーは?」


「え、ええ。あれは娘のピアノコンクールの入賞トロフィーなんです。先生は友達からもうまいと評価をいただいていて…」


 今度はD代が顔をトロフィー群へ向け口を開いて説明を始める。その表情は先ほどとは打って変わって明るい。


「なるほど、ピアノですか。ということは小さいころからレッスンを?」


「はい、本人もとてもよく頑張ってまして…」


「そうでしたか、とても優秀そうだ」


 嬉々としてB子の自慢話をするD代の言葉に耳を傾けていたE彦の目が座る。


「娘さん、大変でしょうな。できれば二人とも才能を生かしてあげたいものですが」


「えっ?」


「あ、いやいや。私も少しばかりピアノをかじっていた時期がありましてね。大変だろうなぁと」


 生気が消えたような表情を見せるD代に、すぐに笑顔で右手の親指と人差し指で隙間を作るような仕草をしてみせるE彦。目も笑顔のそれになっている。


「コホン。話がそれましたが、仮にA太さんを我々に預けてもらえるなら彼にとって最適な環境もご用意しましょう。それくらい、我々は彼の能力に期待しています」


「それは分かりました。でもこちらにも何らかの不利益はあるんでしょう? 例えばお金を工面しないといけないとか…」


 話を聞いていたC夫が深刻そうな表情でF造に問いかけると、F造がバツが悪そうな顔になる。


「ええ、まぁ。少なくともそちらに出費を強いることはありません。ただ…」


 F造がまるで熟慮しているかのように言い淀み、一瞬間を開けて再び口を開く。


「暫くA太さんには会えないでしょうね。その期間も正直、回答しかねます。如何せん国家プロジェクトですから…」


 バツが悪そうな表情で目を泳がせるF造、そしてすぐに目線を正面に戻すとC夫とD代がぽかんと口を開けて固まっているのが目に飛び込んできた。一方で二人はしかめっ面とも泣きっ面ともつかない顔を見せているのようにも見える。


「…あの、どうしました?」


 同じく二人の顔見て少し驚いたE彦が恐る恐る口を開くと、二人がハッとした顔になった。


「―すみません、少し驚いてしまって」


 思わず俯くD代の隣で取り繕うように苦笑いするC夫。


「まぁ、無理もない。とんでもないお願いだ、私だって驚きますよ」


 二人を見たE彦も釣られるように愛想笑いを含んだ顔になる。


「…とにかく、少し考えてみてください。もしその気になったら名刺の連絡先に電話してくだされば」


「わかりました」


 F造の言葉に、どこか希望を見出した雰囲気を漂わせるC夫が静かにうなずいた。




「はあ…」


 玄関までE彦とF造を見送ったD代がリビングの一人用ソファに腰掛け蹲る様に上半身を前に倒し両手で顔を覆いため息を吐いた。彼女と同じくE彦たちを見送ったC夫はリビングの少し離れた壁に背中を預けている。二人は言葉を交わすでもなく押し黙っていて、重い空気がリビングに漂った。


「なぁ、D代」


 沈黙を先に破ったのはC夫だった。腕を組んで俯いているが、意を決した声色である。


「あの人たちのいう通りかもしれない」


 その言葉を聞いたD代が素早く顔を上げた、その表情は驚愕と怒りを含んでいる。


「何言ってるの!?」


 続いてD代がテーブルに接触しながら勢いよく立ち上がり、C夫へ詰め寄る。テーブル上にあった湯飲みを倒した音など聞いていないだろう。


「あの人たちが言ってることがどういう意味か分かるでしょ!? A太は機械の部品じゃない、人間なのよ!! 私がお腹を痛めて産んだ!!」


 すさまじい剣幕で捲し立てるD代、怒りの表情に加えて目じりに涙を浮かべている。そんなD代をC夫はどっしりと構え口を横一文字のまましっかり彼女の目を見て思いを静かに受け止めている。


「今のあなたが言ったことは産んだ責任を放棄するのと同義よ。A太を見捨てるの!?」


 はらりと一筋の涙を流したD代をしっかりと見据えて、少し間をおいてC夫が厳しい視線を向けつつ口を開く。


「確かに僕たちには責任がある。動けるうちはA太の面倒をきっちり見る、それは当たり前だ。だがB子はどうなる? 一生A太の面倒を見ないといけない、そんなの可哀そうだ。B子には不自由ない一生を過ごしてほしいんだよ」


 D代の横にやってきて片膝をつき、静かに諭すような口調で思いを語るC夫をぽろぽろ涙を流しながら見つめるD代。その表情はすっかり悲しみに支配されているように見えた。そんなD代の両腕を左右から両手で掴むC夫。


「それにA太に傷つけられるもうんざりだろう、僕もそんな君を見たくない。少しの間だけだから、ね?」


 C夫の言葉にD代はとうとう堰を切ったように泣き出し、俯いて両手で顔を覆った。それを見てC夫がD代を優しく引き寄せると、両手を背中に回して胸元で抱きしめた。その様子を半開きになっているリビングへの扉から呆然と覗き見る制服姿B子、その手にはA太の好物のチョコレートがたっぷり詰まった買い物袋が握られていた。




 あくる日、自室でA太がいつものようにぶつぶつ言いながら紙に方程式を書きなぐっていた。次から次へとノートにびっしり書いていくが、ひたすらページを捲って方程式を書き込んでもノートがなくならない。それどころかペンのインクが切れない。


 ピアノの音どころか普段聞こえる環境音一つ部屋の外からしていないのにA太は気づく様子がなかった。狂ったようにひたすら方程式と計算をノートに書きこんでいく。ひたすら、ひたすら。





 A太がC夫たちの元を離れて数日後、新開発されたAI機能を持ったスーパーコンピューター「HINODE」はイシトルピの定理を証明し世界に衝撃を与えた。


 C夫とD代は経済的、精神的に余裕が生まれB子を全力で支援できるのようになった。


 A太の世話と配慮の必要がなくなったB子はピアノの技術向上にまい進し、一年後に全国コンクールで優勝。その優れた容姿も相まって世界的ピアニストとしての第一歩を踏み出した。


 そして数十年後もA太は「HINODE」の中で数学の計算に明け暮れている。無数の成果を「HINODE」の功績としながら。


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