侯爵令嬢アズライアの恋。
ーーー10年前の過日。
「殿下〜!」
晴れ渡った空の下。
内海近郊に訪れたアズライアは、砂浜近くの草原に座った婚約者の姿を見かけて声を上げた。
そのまま、幅広帽を手で押さえて小走りに駆け出す。
「お嬢様、はしたないですよ!」
侍女の声を無視して駆け出したこちらに気づいたのか、手にしていた本から目を上げて振り向いたデュロが、目を丸くする。
久しぶりに見た、14歳になった彼は少々日焼けして多少背が伸びていたけれど、聡明な印象の整った顔立ちは変わっていなかった。
「アズライア? 何でここに?」
「何でここに、ではありませんわ! ちっとも帰ってきて下さらないから、わたくしが会いに来たのですわ!!♪♪」
この地域で起こった、魔力振動とそれに伴う地震の調査を、皇帝陛下がデュロに命じたのは去年のこと。
そうして皇都から出て行った彼が、いつまで経っても帰って来なかったのである。
社交シーズンが過ぎても姿を見せないデュロに業を煮やしたアズライアは、旅行をしたいとお父様に願ってこの地に赴いたのだ。
「お会いしたかったですわ〜〜〜〜ッ!!」
「おっと?」
バッとデュロに抱きつくと、彼は優しく受け止めてくれた。
「お嬢様!!」
「何よ、ちょっとくらい良いでしょう!」
口うるさい侍女を睨みつけると、デュロまで優しい手つきではあるけれど、そっとアズライアと体を離す。
「や〜ん、殿下ー!」
「いや、彼女の言う通り、流石にちょっとはしたないぞ?」
少し顔を赤くしながら苦笑するデュロに、ムゥ、と頬を膨らませる。
「殿下は、わたくしに会えて嬉しくないんですの!?」
「嬉しいよ。帰れなくて悪かったな」
「なら良いですわ!」
嬉しい、と聞いてコロッと機嫌が直ったアズライアは、彼の前でクルリと回る。
「どうですの、このワンピース! 動きやすいように可愛いのを作っていただいたのですわ!」
帽子と合わせた薄桃色のワンピースはフリルが可愛らしくて、アズライアはとってもお気に入りだ。
流石にスカートは足首が隠れる長さだけれど、履いているのは足の甲にリボンをあしらった、ちょっとだけ肌が見える、大人びたストラップ付きのローヒールサンダル。
赤い髪と瞳、顔立ちで気が強そうと言われるアズライアだけれど、可愛いものが大好きなのである。
「とてもよく似合っているな。……君は、いつ見ても綺麗だ」
デュロは、眩しそうに目を細めて褒めてくれた。
彼はいつだって、アズライアのことを否定しない。
優しくて賢くて、色んなことを教えてくれて、他の人みたいにアズライアがお転婆でも顔をしかめたりしない。
穏やかに微笑んで、ちょっとだけ困ったように、でも楽しそうに、全部全部、受け止めてくれる。
だからアズライアは昔からデュロのことが大好きだったし、婚約者に選ばれて嬉しかった。
「それで、殿下は何で帰って来ないんですの?」
首を傾げるアズライアに、デュロは少し考える素振りを見せた後に、はっきり言った。
「言えないな」
「言えない?」
「そう。まだ秘密にしておかないといけないことや、分かっていないことが多いからな」
デュロはそう言って、手にしていた本を軽く掲げて見せた。
見たこともないちょっと暗い青色の表紙で、見たことがあるようで見慣れない文字が並んでいる。
「古代文字、ですの?」
「似てはいるね。だからある程度は読める。こういう魔導書がたくさん手に入ったから、今解読したり、内容を研究している最中なんだ。ある程度分かったら公表するつもりだから、その後なら話せるかな」
デュロは嘘をつかない。
彼が話せない、というのなら、隠しておきたいのではなく本当に話せないのだろう。
「なら、聞きませんわ!」
アズライアは後ろ手を組みながら、ちゃんとそう言ってくれたデュロにニッコリと笑った。
「殿下とお話出来るなら、話題なんて何でも良いですもの!」
「……君は、本当に素直だね。アズライア」
ちょっと照れたようにこめかみを掻いた彼は、ふと空を見上げて、悪戯っぽく問いかけてくる。
「なら、少し夢のような話をしようかな」
「どんなお話ですの?」
アズライアがワクワクと目を輝かせていると、彼は想像を超えたことを告げた。
「もし空を飛べるとしたら、君はどう思う?」
「空を?」
突拍子もないことを言われてきょとんとした後、アズライアは空を見上げる。
その後、海鳥が飛んでいるのに目を向けて、それを指差した。
「鳥みたいに、ですの?」
「そうだね。多分」
彼の返事に、アズライアは想像してみた。
まるで天使のように羽が生えた自分が、自由に空を飛ぶ姿。
それを想像したアズライアは、満面の笑みを浮かべた。
「とっても素敵ですわ!!!」
きゃー! と両頬に手を当ててぴょんぴょん飛び跳ねると、また侍女が何かを言っていたが、興奮しているアズライアは無視した。
「もし飛べるならわたくし……誰よりも高く、速く、遠くに飛んでみたいですわ!!」
どこまでも遠くへ。
何のしがらみもない空を。
それは、どれほど素晴らしいことなのだろう。
けれどデュロは、そんなアズライアの言葉にまた苦笑した。
「殿下? 何で苦笑いなんですの?」
「いいや。どのような景色が見れるかに思いを馳せるでもなく、蝶のように優雅に舞うでもなく……隼の自分を想像するのが、凄く君らしいなと思ってな」
アズライアは、そんなデュロに思わず顔が熱くなった。
「わ、わたくしはそんなつもりで言ったのではありませんわ!」
「じゃあ、どういうつもりだったのかな? 俺はそんな君をカッコいいと思うよ」
「違いますわ! その、誰も追いつけない速さで飛べたら……そこは世界で一番、自由な場所なのではないかと思ったんですもの……」
別に、今の生活に不満があるわけではないけれど。
たまに窮屈で、時折煩わしいと思うこともあるから。
きっと、そういう全てを、ひと時忘れられるかもって。
「世界で一番自由な場所か……そうだな」
デュロは、やっぱりアズライアを否定しなかった。
「誰よりも高く、速く、遠くへ……真っ直ぐに前を見て届く自由は、君に良く似合うね」
そう言って顔を綻ばせた彼のことが、アズライアはやっぱり大好きで、ずっと、側に居たいと思った。
※※※
けれど今のアズライアは、翼を奪われている。
実際に飛んだのは、多くの者達の命が散る、戦禍に赤く染まる空で。
その先に、自由なんてなかった。
誰よりも遠くへ行ってしまったのは、デュロの方で。
せめてその背中に追いつく為には……目の前のエーリを説得しなければならない。
今のアズライアが目指す遠き場所は、デュロの待つ獄門の向こう。
どこまでも果てなき空ではなく、地獄にいる愛しい人を目的地に。
「ねぇ、エーリ。わたくしは飛びたいのよ。デュロの下へ」
その為なら、どれだけこの手を汚し、他人を利用したって構わないから。
アズライアは、エーリに囁く。
「知りたいのでしょう? 彼が何を見て、何を感じて、この世界へと挑んだのか」
「……交換条件、ということか?」
厳しい表情の彼に、アズライアはニッコリと頷いた。
次話は本日夕方17時更新です。
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