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「…………ようやく大人しくなったか」
城の1階にて黒の服を纏う者が居た。魔王だ。
「毎日悲しみに暮れられるのも心苦しいが、あれはあれで強烈だな」
はぁと思わずため息が漏れる。モップを握りながら。今日彼等が残した靴の足跡を綺麗に消そうと掃除に専念していたのだ。もう一度言う、彼は魔王である。
「ル〜〜カ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
声のする方を見上げれば、囚われの身であるはずの姫君が降りて来るではないか。それも、階段の手摺に座って滑り落ちながら。
「お前っ!?」
乙女の髪が鮮やかに靡く。窓からの陽に照らされて黄色に煌めき、魔王の目に映った。まるで遠い異国、南国の鳥の鮮やかな尾羽のようだと。
「よ…っと!」
華麗に着地! 見るとルカはあんぐりと口を開けてマヌケ顔になってるわ。
「どう? 1度やってみたかったの。華麗な登場でしょ?」
片手で髪をふわりと靡かせ、う〜ん♪ 完璧!
「汚い!!!!!!!!!」
「はぁあ!?」
何で!?!? 危ないよとかならまだわかるけど、汚いって何よ! 汚いって!!
「何だこの裾は!? まさか自分で切ったのか!?」
「ええそうよ。だってその方が動きやすいでしょ!」
「切り口は真っ直ぐじゃなくて気持ち悪い! その後裾をまとめて縫い直していないし……」
「気持ち悪いって失礼でしょ! 別に私はちょっとぐらい不格好でも気にしないわ!」
「お〜ま〜え〜〜〜〜〜〜!!!! ほつれた糸を階段に撒き散らしたな!?!?!?!?」
「え?」
階段の方を見ると……
「あ」
確かに黄色の糸が手すりの下にちらりほらりと。
「ごめんなさい!」
これは……これは、ルカが怒るのも無理はない。私だってこんなことされたらイラッとくるわ。
「本当にごめんなさい! 一本一本摘んで回収するわ! 必ず全て残さずに!」
「くっ……あははははははっ!」
「へ?」
何で、何で私笑われてるの?ま、まぁ怒られ続けるよりいいけど。
「君は本当に忙しい姫君だな。動きやすくしたいからってドレス着るか? しかも一本一本摘み取るって……地道な作業過ぎるだろ。温室育ちの高慢な性格かと思えば素直に謝って。けど、勢い良く手すりから降りてきて、髪ふさぁっとかカッコつけたのに、この有り様とか」
「ちょっと人が誠心誠意謝っているんだから、からかわないでよ!」
笑い過ぎて涙目まで浮かべていやがるとか、失礼しちゃうわ! まぁ確かに、ちょっとカッコつけましたけど、ちょっとは。
「ま、手すりの拭き掃除にはなったかな」
ム〜カ〜つ〜く〜〜〜〜〜〜!!!!
私のお尻が…拭き掃除とかデリカシーが無さすぎるでしょ!!
「そこで何もせず大人しく立っていて。動けば糸くずが落ちるから。替えの服とガムテープを持って来る」
「ガムテープ?」
着替えはわかるけど、何でテープ??
彼は階段を一段ずつ飛ばしながら駆け上がり、途中止まって片足を上の段に上げたまま顔だけを振り返らせた。
「細かなゴミは指じゃなくて、テープの粘着を利用して取る方が効率がいい。指で一本一本摘んでいたら午後が糸拾いで終わるよ、お姫様」
ちょっぴり自慢気に微笑むルカ。私に打ち解けてくれた雰囲気に妙に私の心が弾んでる。落ち着かない。
「ねぇ! 襟元にリボンがある服が多かったけど、そういう服を着る子が好きなの?」
あ、顔あっちに向いちゃった。また階段を急ぎ足で駆け上がって行く。ちょっとぐらい返事してくれたって良いじゃない……。
「さあな」
「………………」
今、上の方で聞こえた。彼の返事。
きっときっと、わざとぶっきらぼうに言って顔は少し赤くなっているのかも…。
きっと彼好みの服に着替えたら、もしかすると彼との雰囲気もまた変わるかもしれない……よね…………。
彼が選んでくれた白い丸襟のワンピースに大きな白いリボン、ピンクベージュのジャンパードレス、甘々系美女を見たらきっとうっとりと心を奪われ…………
「君は蝶々結びさえもまともに出来ないのか」
現実は甘くなかった!
着替え終わった姿を見せたら第一声がこれ。腕を組んでまあ〜上から目線で蔑んでくること!
「蝶々結び? リボン結びじゃなくて?」
「君にリボン結びは20年早い」
「わっ」
ひゅるり。
襟元のリボンが急に彼の手で解かれて…っ。
なんか………そうじゃないってわかっているのに、脱がされてしまいそうな………。
うん、わかってる、見てられないから呆れて結び直してくれることくらい。
でも……でも……距離が近い。
彼の艷やか黒髪と同じ黒い瞳がまるで私の身体を見つめているような錯覚さえ覚えてしまいそう。
「…………っ」
触れられているのはリボンなのに、まるで身体を触られているような緊張感。
私の心臓がばくばくしているの、聞こえていないよね……。
「…………」
「あ、あの……」
「ほら、出来た」
ふわっと柔らかに結ばれたリボン。左右の大きさも完璧に一緒で、男のくせにと少々悔しい。
「ありがとう」
「どういたしまして。さ、掃除してもらうよ、姫君」
その後はルカの指導の元ガムテープを切って輪っかにしてペタペタと糸くず回収をしたり、魔王城掃除に徹した。こんなにも時間があっという間に感じたのなんて初めて。来る者来る者に微笑みかけ続ける真っ白な城とは全然違う時間経過の感覚。
「いただきます」
そう、あっという間に夕飯。城の中だというのにこじんまりとした部屋で椅子が四脚しか置かれていない木製のテーブルでルカと向かい合って座った。
料理はルカ一人でしてくれた。「私も一緒に作るわ!」と声をかけても「いらない」とお前がいない方がキッチンが汚れなくて済むから来るなと言わんばかりの圧で断られたんだけど…。
「美味しそう」
白身魚のソテーに葉野菜とトマトのサラダ、野菜たっぷりのミネストローネスープにそして良い匂いがするパン。国城で出てくる料理より品数が少なくて丁度いい。いつも沢山残ってしまうから、残らないくらいの量がむしろ嬉しい。
用意してくれたナイフとフォークを使ってまずサラダを一口。
「美味しい」
甘い、野菜が。歯ごたえもシャキシャキしていて、ドレッシングが酸味が程良い!
白身魚のソテーもスープもパンも全部全部美味しい!
「美しいな」
「え?」
「君は本当に姫君なんだね。美し過ぎて感心するよ」
あ、あらぁ………っ。急にそんなに褒められるなんて、私に恋しちゃったのかしらぁ…? ま、まさかねっ。そわそわしちゃう。
「テーブルマナーが」
「テーブルマナーかい!?」
「何だと思った?」
「べ、別にっ」
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい!!!!!!
何よ! その見透かしたような顔!
「…………別に綺麗な食べ方だなんて思ったことは無かったわ。これが私の当たり前だったから」
コルチカムの華。物心付いた頃からそう教育されてきた。美しく気品に振る舞い、常に国の象徴として幸せに微笑みなさい、と。自分を押し殺して姫として在り続けることに心が疲弊しても、身体は否応なしに姫らしさが植え付けられている。
「…………どうした?」
「えっ、あ、ううん、別に」
「別にという顔をしていなかった。光が急に消えたかのような表情に堕ちていた」
「そうかしら。ちょっと考え事をしていただけよ」
いけない。私は笑わないと。幸せの花を咲かせていないと。
「良いんじゃないか? ここは魔王城だ。ため息の一つや二つ漏らしても静寂な城内にひっそりと消えていく。無理に笑うより、余程自然………」
どうして………どうして………今日初めて会ったあなたが、1番欲しい言葉をかけてくれるの………。
「やだ、私、ごめんなさいっ」
涙が………抑えられない………っ。
「ごめんなさい……こんなの……困らせてしまって……っ」
「マリー」
今……名前…………………っ。
「君を姫君姫君と呼んでしまって無神経だった。生まれ落ちた場所のせいで自分の生き方にレールが敷かれてしまっている苦しさは、僕も背負っているから、気持ちがわからなくもない」
「あなた…も…?」
「ああ、僕が魔王役を買って出るのはマオウ家だから。コルチカムに災いが訪れた際の悪役となり、華を攫って全国民の矛先を向かせて奮い立たせるのが宿命」
グラスの水を飲みながら語るルカはどこか儚げで……。それでも美しくて…。
「………君は、コルチカム物語を教えられていないんだね。攫われる時も運命の時が訪れたと悟った様子でも無かった」
「コルチカム物語って……?」
何だろう。思い当たる話が全然記憶にない。
「ま、それよりも君は別ジャンルの書物が好きなのかな。触手プレイとやらの」
「ああ―――!!!!!! 忘れて!! 忘れて!! 言わないで!!」
最悪っっっ!!!!! 確かにあの時はパニックになってて、ついあんなことを叫んでしまったわけだけど……!!
「大丈夫? 私室の秘密の本、見つからない場所にちゃんと隠してある?」
「あ………っ」
どうだろう………っ。ベッドの下とか、清掃で見つかっちゃうかも!?!?!? いつもは掃除が入る直前に鞄に仕舞ったりするんだけど、あぁぁあぁ見つかっちゃうかもぉぉぉぉ。
「クックッ……ッッ…はははははっっ!!」
「なっっ!? こっちは笑い事じゃないのよ!!!」
そ、そんなに笑う事ないじゃない!!
目尻に涙を少し溜める程、そんなに面白いのかしら。
「はいはい、そうだよね。さ、食事して忘れてしまおう。僕も聞かなかったことにするよ」
「〜〜〜〜っっっ」
笑いながらスマートに食事をマイペースに再開しちゃって……もぅうううこの魔王って奴は!!!!!