95 震える死者9
二十一層。
ここからは雰囲気が変わる。ゴツゴツとした岩肌の壁でなく、綺麗に切り整えられた壁。
何者かの手が入った形跡がある。
これまでの足場の悪い通路ではなくなったがしかし――
「――ここからは罠が多くなるわ」
アネットが言った。
「スピード重視で行くけど、ちゃんと付いて来なさいよ」
良くも悪くも足場の良い真っ直ぐな石の通路は進みやすいが、それが曲者だ。
三体の剣闘士を先頭にアネットが駆け出し、その後にアレックスが続く。
そして俺とロビン。
その後に続く聖闘士や狙撃手等の召喚兵も含めれば三十人近い集団になる。
アネット・バロアは『レンジャー』だ。優秀な斥候でもある。
「罠の位置が変わってる。そこの壁には触れないで」
二十層までは力推しが可能だったが、ここからはそれ以外の力も試される。二十一層以降は明らかに何者かの手が入っている。迷宮探索はここからが本番だ。
俺はパチンと指を鳴らして、新たな術を行使する。
補助術の一つである『探査の目』だ。僅かだがパーティ全体の観察眼が強化される。索敵能力のあるアレックスやロビンは、その僅かな強化の恩恵が大きいが、元が戦闘系でない俺には恩恵の少ない術だ。
ここに至り、皆、張り詰めている。術の効果に気付かない者は居ない。前を行くアレックスが親指を突き立てた。
「こんな事も出来るのかよ……」
五感強化の術は既に使っている。子供の身体である俺には恩恵が少ないが、僅かずつでも全ての感覚が強化される事のメリットは大きい。
特にアネットは、探索に特化したクラスであるレンジャーだ。五感強化の術の恩恵が一番大きいのはアネットだ。
そのアネットが率いる先頭集団が、五体のボーンゴーレムと接触した。これはアンデッドであると同時に魔法系の魔物に分類される。
アネットはこれらとの戦闘を嫌い、三体の剣闘士が盾で弾き飛ばして開いた道を真っ直ぐ駆けて行く。その後に続いたアレックスが面倒臭そうに右手の裏拳一発でボーンゴーレムの一体を破壊し、何事もなかったかのように駆けて行く。
スピード重視の進行。
俺はまた指を鳴らして術を行使する。アスクラピアの神官が最も得意とするのが不死者の『浄化』だ。
未だ戦闘経験の浅い俺は少し不安だったが、祝詞を破棄した浄化でも問題なく二体のボーンゴーレムを消滅できた。
ぼっ、と音を立て崩壊するボーンゴーレムの炭のような粉塵の中を俺とロビンが駆け抜け、その後を二十体近い召喚兵が続く。
続いて現れたのはフレッシュゴーレムが一体。
生物の肉や死骸を繋ぎ合わせて作られた巨大な肉の塊。アネットはこれも剣闘士を使って押し退け、戦闘はアレックスに押し付けた。
そのアレックスが面倒臭そうに右の拳を振るおうとする前に、俺はパチンと指を鳴らして『死者の鎮魂』の祝福を行使した。
『死者の鎮魂』は、このフレッシュゴーレムにも有効だったが、嫌だったのは、力尽きるようにその場に崩れたゴーレムがヘドロ化して床面に流れた事だ。
「うわ、汚ねえ!」
アレックスが叫び、そのヘドロを大きく跳び跳ねて回避した。
「失礼」
そう呟いたロビンが俺を抱えて、アレックスに続いて大きく跳躍してヘドロを回避する。
そのヘドロには粘着性があり、転倒の原因になる。召喚兵共は意に介さずそのヘドロを踏み越えて来たが、五体の聖闘士がヘドロで滑って転倒した。
「放置します。追って来るでしょう」
俺は小さく頷き、指を鳴らして敏捷性向上の術を重ねる。
進行スピードが上がる。
先行するアネットは、小型の魔物との戦闘では攻撃を加え、それを殲滅、もしくは頭数を減らすが、ゴーレムのような大型の魔物に関しては剣闘士を使って戦闘を避け、アレックスに押し付ける。
そのアレックスだが、未だ本気ではない。面倒臭そうに払い除けるだけで、アンデッドに関しては俺に押し付ける。
俺を抱えたまま、駆け抜けるロビンが小さく舌打ちした。
「適材適所かも知れませんが、なかなかいい性格をしていますね」
「全くだ」
四十層を目的とするなら、道程は既に半ばという所だが、第一階梯の神官の祝福は、この階層でも十分に通用する。
問題なく進める。だが、動きの鈍重なフレッシュゴーレムに関しては俺も戦闘を避け、肉体崩壊によるヘドロ化を避けた。
その場合、後方の召喚兵共が戦闘に入り、若干時間を稼いだ後は戦闘を放棄して俺たちの後を追って来る。
二十二層に入り、出現する魔物の種類に変化がなく、この流れは変わらない。
ロビンは俺を抱えたままだ。
目下、俺たちの目的は戦闘ではなく、四十層への到達だ。俺が自分で走るより、ロビンに抱えられていた方が早い。結構な屈辱だが、体力、神力の温存にも繋がる為、文句は避ける。
その俺とロビンの姿を見て、アレックスが言った。
「ディート。もう一丁、早く」
俺は小さく頷き、指を鳴らして更に術を重ねる。進行スピードがまた上がる。それはいいが、この辺りからは種族的に弱い『人間』の俺には付いて行けない速度になって来た。
俺は自身に術を重ねて五感を強化し、反応速度を上げる事で対応する。
二十三層に入り、後方の召喚兵たちの遅れが目立って来た所で、扉を抜けた先にある玄室で小休止になった。
エンカウントが予期されたが、それはない。ただ部屋の中央に石棺があり、それ以外には何もない一室。
ロビンの抱擁からもがいて飛び降り、俺は鞄から取り出した伽羅の破片を口に突っ込む。
「あの棺桶はなんだ。中身が気になる。見てみたい」
アレックスとアネットが吹き出した。
「スライムが山ほど吹き出すわよ。私たちは大丈夫だけど、あんたには大事件になるんじゃない?」
「……そうか」
スライムは不思議生物だ。『魔法』系に属するこの魔物は『神官』の俺にとっては厄介だ。
「それ以外には何もないのか? こう……何かお宝が入ってるとか、何かしらあるだろう」
アレックスは、いよいよ堪えられなくなったのか、腹を抱えて笑った。
「何もねえよ。お前みたいな好奇心旺盛なヤツを引っ掛ける罠だよ!」
「なんだ、つまらん」
まあ、そんな事もあるだろうが、『ダンジョン』というのは、もっと希望に溢れているべきだ。
ロビンが目尻を下げ、心配そうに言った。
「……ディートさん。ダンジョンに惹かれているんですか……?」
俺は頷いた。
「ここは危険だが楽しい。とてつもない未知の香りがする」
「……」
俺の言葉にロビンは益々心配そうに目尻を下げ、逆にアレックスとアネットは興味深そうに口元に笑みを湛えている。
「ロビン。お前は何も思わないのか? ここは明らかに『造られた』ものだ。いったい誰が作ったんだ? 神か? どのような神が作った? それとも悪魔が関与しているのか? 最奥にはどんな神秘があるんだ?」
「それは……誰にも分かりません……」
ここは異世界だ。俺には想像もつかないような謎と神秘がある。それに心惹かれずにいるのは、死んでいるのと同じ事だ。
「俺は、いつかそれを見に行きたい」
ロビンは悲しそうに首を振った。
「冒険者たちは、皆、そう言ってダンジョンの奥へと進み、帰らないのです」
「それも一興だ。この目に神秘を焼き付けて眠るのなら、俺はそれを喜ばしく思う」
ロビンは強情に首を振った。
「駄目です。許しません。貴方の進むべき道は、ここではありません」
「お前も来い。きっと素晴らしい何かがある」
「だ、駄目です……!」
「お、今、揺れたな?」
俺が大きく笑うと、アレックスとアネットも腹を抱えて笑った。
今は、運命がこの探求心を満たす事を許さない。それを本当に残念に思う。だが全てを終え、俺が使命を全うしたその時は、俺はきっと、この神秘の奥へ旅立つのだろう。
この異世界に於いてすら、ダンジョンとは現実からかけ離れた存在だ。ほんの一時ではあるものの、地上での災厄を忘れた俺は、この事に感謝を捧げて静かに祈った。
いずれ、いつの日か、罪と死を糧に進む道を踏み越えて、この道に戻る事を強く祈った。