89 震える死者5
この時点で、最早、種としての限界を超えた強さを発揮するアレックスは、紙切れを破り捨てるより容易く魔物たちを即殺するが、俺たちのダンジョン攻略は遅々として進まない。
「この筋肉ダルマめ! 何度、道を間違えれば気が済む!」
「なんだと!? あたしが左って言った時、てめえが右に行こうとしてたの見てたぞ、コラ!!」
激しく罵り合いながら進む俺たちだが、アレックスは楽しそうに嗤っている。
そのアレックスの背中を追う俺は、アレックスの戦闘能力を一段階上のものとして評価した。
十一層を抜け、十二層へ。
手加減を知らない脳筋のお陰で魔物の返り血に塗れながら、俺たちは先を急ぐ。
そして十三層に至り、出現する魔物の種類が変化し始めた。
「レヴァナントだ!」
見た目自体はゾンビに似ているが、少し違う。目を凝らすと半ば霊体化しているように見えるが……
「おらぁ!」
半ば霊体であるレヴァナントに物理攻撃は通じにくい筈なのだが、アレックスの拳は問題なく対象を木っ端微塵に破壊した。
俺たちは、また腐肉に塗れる羽目になった。
「筋肉ダルマ……貴様は……!」
最早、祝福による浄化の時間すら惜しんで進む俺たちは全身が汚れに汚れ悲惨な事になっている。
「てめえが考えた『手』だろうが! こんな恐ろしいもん作りやがって!!」
酷い言い種だ。
俺は魔法金属の使用を考案しただけで、材質を決定したのはマリエールだ。だが、想像以上の性能と破壊力。霊体にも有効となれば期待を上回る。
更に十四層に至り、全身血塗れの修羅と化したアレックスは殺戮に酔い、ご機嫌で魔物を吹き飛ばし続ける。
「ノって来たぜ!」
「……」
今の所、アレックスの様子に異常は見られない。オリハルコンはアレックスの戦意に反応し、正常に作動している。
「アレックス! もう一つ重ねるぞ!」
ここで更にオリハルコンに干渉し、アレックスを強化する。余裕がある内に限界を測るのが目的だ。
「来やがれ!」
まだ剣を抜く必要すらない。アレックスはゲタゲタと血と嗤いに噎せながら叫んだ。
バチンと指を鳴らすと新たに強化の術が発動し、アレックスの両の拳が更に輝きを増した。
その刹那、アレックスの右の拳から衝撃波が放たれ、数体のレヴァナントを巻き込みながら弾き飛ばした。その威力は最早物理攻撃の枠を超えている。だが――
「む……!」
アレックスの表情が一瞬だけ違和感に歪み、そこで俺たちは一度立ち止まった。
◇◇
「どうした、アレックス。やはり痛むか?」
この隙に、俺はパチンと指を鳴らして汚れに汚れた身体を浄化する。
アレックスは口をへの字に曲げ、不満を露に言った。
「……いや、痛みはない。でも、素手での強化はここが限界だ……」
術による強化から来る負担の痛みはない。だが、強力過ぎる。衝撃波による反動で若干のノックバックがあり、次の動作が遅れるというのがアレックスの言い分だった。
「そうか。では、一度術を解くか?」
「……いや、これも試しておきたい。このまま行こう」
「ふむ……そうだな。一理ある。この際だ。存分に試しておけ」
そして再び俺たちはダンジョンの奥へと駆け出す。途中、何度も行き止まりに出会し、その度にお互いを激しく罵り合いながらも進む。
十五層。
二段階目の強化された拳の使い方が分かって来たのか、アレックスの動作が洗練され始めた。
襲い来る魔物たちを霊体、生体の区別なく吹き飛ばすのではなく、無駄なく破壊する。また状況により、衝撃波を放つ右の拳を上手く使い分けている。返り血の方は相変わらず激しいが、ノックバックによる一瞬の硬直はなくなった。
「……アレックス。もう一つ行くか……?」
疾風の如く足場の悪いダンジョンの岩肌を駆け抜けるアレックスだが、それには首を振った。
「いや、このままだ。これでいい」
思ったより冷静な答えに、俺はまた一つアレックスの評価を一段階上のものにする。血と殺戮に酔いながら、戦闘に於ける判断はあくまでも冷静。
「では、防御術を重ねる。守りは忘れろ。俺がフォローする」
というのが、実の所、ここまで俺は戦闘には参加していない。アレックスは剣を抜くまでもなく両手の拳だけで戦っているというのが現状だ。
度々、回り道を繰り返しながら進んだ十六層で、出現する魔物の頻度が霊体に偏り始めたが、アレックスの猛威は止まらない。完全な霊体である怨霊すら拳での一撃で四散させた。
「……マジですげえな、この手……」
殺戮慣れ、というやつだろうか。一時の狂奮は消え去り、アレックスは静かに現状を分析している。
「……アレックス。手の反応速度はどうだ?」
「……大分、いい。八割方戻って来た。時々痛むけど、その度に良くなる……」
「ふむ……大分、同調が進んでいるな。そろそろ抜くか?」
ここで剣を抜くという事は、本気を出すという事だ。
アレックスは首を振った。
「いや、このままだ。あんたは、ぴったり付いて来な」
現状、まだ余裕がある。素手で戦う方が回復が早いというのがアレックスの判断だろう。これなら、俺も安心して見ていられる。
「このトンチキが! また行き止まりだ!!」
「うるせえ! 付いて来てるだけの癖によ!!」
まぁ、ご愛敬だ。とにかく、戦闘に関する限り、アレックスの判断と力は安心して見ていられる。
十七層に入り、レヴァナント、怨霊、そして悪霊。十層のボスである吸血鬼も雑魚として出現した時は驚いたが、それら全てをアレックスは素手で薙ぎ払って進む。
会敵即殺。戦闘に掛かる時間は殆どゼロといっていい。行き止まりによるタイムロスがなければ尚良かったが、出来うる限りの全速で道を進む。
やがて、一本道の長い通路に差し掛かり……
見知った人影が二つ見えた。
その二人とは、丁度T字路の中央部分で対する事になった。
「はあい、お二人さん!」
元気よく言ったのはアネットだ。弓を持っており、矢は矢じりの部分が明るく輝いている。
一方のロビンは澄ました表情だ。俺と同行出来なかった事を非常に不服に思っているのがよく分かる表情だ。二人の格好は実に綺麗なもので、最早ドブに頭から突っ込んだような有り様の俺とアレックスとでは大違いだ。
気分を害する俺の前で、アレックスは元気よく手を振った。
「よう、アネット。聞いてくれよ、ディートのヤツが右と左の区別もつかなくてよ……こっちは大変なんだよ……」
俺も負けじとロビンに泣き付いた。
「ロビン、聞いてくれ! この脳筋が酷いんだ! 力任せに殴るだけで、まるで手加減というものを知らん! お陰でこの様だ!」
俺はその場でくるりと回り、腐肉に塗れ、見る影もない有り様になった神官服を見せ付けた。
「……」
ロビンは、一瞬だけ眉を寄せて反応したが、次の瞬間にはいつもの無表情に戻った。
勝負中の為か冷たい。
俺の知っているこいつなら、すぐさま俺の世話を焼きたがり、アレックスには余計な事の一つや二つ言ってくれそうなものを何も言わない。他者の神経を逆撫でするお得意の皮肉一つ言ってくれない。
だが、やはりこの勝負はロビンとアネットに分がある。余裕を残し、歩いてやって来た二人に対し、行く先々での戦闘の形跡が生々しい俺とアレックス。それは格好を比較すればよく分かる。
そこでアレックスが言った。
「……んじゃ、ここまでは同着って事で、一休みと行かないかい?」
「そうね。今は急ぐ必要もないし、そうしましょうか」
アネットも同意し、T字路の中央で一度休憩という事になった。
有難い。流石は曲者のアレックスだ。俺の方は神力の消費こそ少ないものの、何せ子供の身体だ。少しでいいから休みたかったというのが本音だ。
アレックスが偉そうに言った。
「んじゃ、ディート。魔物避けの結界を張っておくれよ」
「……」
この脳筋と組まされるとは非常な災難だ。俺は小さく舌打ちして、その辺に唾を吐き捨てた。そして足元をぐりぐりと蹂み躙り、祝福を施して結界を張る。
それには流石のロビンも反応した。
「ディートさん、それは……あまりに罰当たり過ぎます……」
俺は鼻を鳴らした。
「脳筋を守るのに聖水は勿体ない。これで充分だ」
「私たちも居るんですが……」
「お前たちも少しは汚れろ。世の中には3K労働というのがあってだな、この脳筋との同行は正にそれだ。キツい、汚い、危険!」
「サンケーロウドウ?」
おっと。勢いでこの世界にはない言葉を使ってしまった。
不思議そうにする三人の前で咳払いしてお茶を濁し、俺たちは一時休憩という事になった。