87 これも、運命
冗談の効果は覿面だった。
「あは、あはははは……!」
アネットは乾いた笑い声を上げ続けていたし、アレックスに至っては汗が止まらず、一人で十層まで駆け抜けた時より余程消耗しているように見えた。
その表情は青ざめ、唇が小さく震えている。
「い、今、あ、あんたは本気で……」
「なんだよ、アレックス! 冗談だろ! 分かれよ、馬鹿野郎!」
俺は大笑いして答えたが、あのロビンですら表情を引き攣らせ、いつものような皮肉を込めた笑みを浮かべる事すらしない。
「俺たちはパーティだ! なあ、ロビン!」
「は、はい……私たちはパーティの仲間です……」
まぁ、半分くらいは本気だった。だからロビンがビビるのも無理はない。
その後の俺たちは、パーティの仲間らしく団体行動でダンジョンを出た後は、場所をオリュンポスのクランハウスに移した。
◇◇
新たに二十層までの攻略を話し合う会議には魔術師のマリエールも参加して、やはり口の中で飴玉を転がしている。
「ちゃんと謝った?」
そのマリエールの言葉に、アレックスはガクガクと首を振って頷いた。
「いや、明確な謝罪の言葉は聞いてないな」
俺は慈悲と慈愛を込めて微笑むだけだ。
アネットが青ざめた顔で言った。
「わ、わざとじゃない。こっちもエンゾが出て行ってバタバタしてんのよ……」
それにはこう答えた。
「アネット・バロアはクソ女だ!」
ロビンが思い切り吹き出して、アネットはかんかんに怒った。
「何よ、それ!」
「銀貨五枚だ。忘れたとは言わせんぞ」
俺のその言葉に、ロビンが分からないといったように首を傾げた。
「……銀貨五枚? なんの話ですか?」
ロビンが知れば大変な事になるだろう。さあっと顔を青くしたアネットは、強張った笑みを浮かべて頷いた。
「そう! 私はクソ女よ!」
まぁ、これぐらいで冗談はさておき、その後の話し合いについては、真剣に『ヒュドラ亜種』についての動向を話し合った。
「……つまり、アレックス。お前の言う事を総合すると、ヤツは『ボス部屋』を出て逆侵攻を掛けているという事か?」
「……そうだね。あたしはそう思ってる。予想外だったんだよ……」
「ふむ……」
と、そこで俺は深く考え込む。
「……では、今の五十層にあるボス部屋はどうなっているんだ? もぬけの殻なのか?」
その質問に答えたのはマリエールだ。
「もしくは、別の何かに占拠されている」
全員の眉間に皺が寄る。マリエールの言葉が真実なら、それはヒュドラ亜種を超えたヤバいヤツだ。
だが今回、俺たちは五十層の攻略を目的にしていない。目的はあくまでもヒュドラ亜種に絞られる。
「……四十層以前に会敵する可能性があるという事か?」
その俺の質問に答えたのはアレックスだ。
「いや、それはない。もしそうなら、凄い騒ぎになってる」
アレックスの話では、『逆侵攻』は四十一層までが限界だろうとの見解だ。
というのが、『ボス部屋』特有の一方通行の仕組みによるものだ。つまり、三九層から四十層のボスに挑戦する事は出来るが、四十一層から上……四十層のボス部屋に入る事は出来ない。
現在、ヒュドラ亜種の逆侵攻を危惧した冒険者ギルドが四十層攻略と直通エレベーターの使用を禁止している。そこを抜ける資格があるのは討伐依頼を受けた俺たちだけだ。
つまり、最悪の場合、四十層を抜けたその直後、会敵する危険がある。
「まず、四十層のボス部屋攻略が 、あたしたちの目的になる」
そうして四十層まで直通のエレベーター使用権を経て、一度地上に戻り、準備を整える。だが……
「……なんで、そんな事になったんだ?」
アレックスは気分悪そうに鼻を鳴らした。
「よくある事さ。身の程知らずの馬鹿が、ボス部屋に挑んで逃げ出す。その馬鹿を追ってボスが上の階層に上がって来るんだ」
「……お前の事か?」
「ちげーよ! 馬っ鹿 ! 本当、テメーはあたしをなんだと思ってんだ!!」
命知らずの馬鹿に決まってる。
俺はまた深く考える。
つまり、現在のダンジョン探索は最深で五十層までであり、『ボス部屋』は攻略されていない。それ以降の深層については未知の領域になる。だから、マリエールの指摘した危惧も可能性はゼロではない。
俺は聖印を切った。
「……凄く嫌な予感がする……」
未知の領域には何が潜むか分からない。今の四十層には、目標だけでなく五十層より下の『何か』がやって来ていてもおかしくない。その『何か』がヒュドラ亜種をボス部屋から叩き出したのだとすれば……
その可能性に、皆が押し黙る。
暫くの沈黙があり、口を開いたのはアネットだ。
「……予想外の事が発生すると思うべきね……」
高位神官の『予感』は、よくないもの程よく当たる。アネットの場合、アレックスの件でそれを熟知している。
その後は幾つかのイレギュラーの可能性について話し合われた。
討伐目標はあくまでも『ヒュドラ亜種』である事。
覆し難い不利な形勢に陥った時の撤退方法……どこまでやるか。
アレックスの出した答えは……
「狩るのはヒュドラ亜種だ。それはいい。でも、今回、あたしは退かない。ヤツかあたしか。死ぬまでやる」
流石、最強の戦士の一人。
俺がアレックスに期待したのはこの戦意だ。
「俺も付き合おう」
「当然だね。あたしは、もうあんたをガキ扱いしない。あんたも死ぬまで残ってあたしと戦うんだ」
母は俺を殺すつもりで試練を与えている。
だが、俺はこの試練から逃げるつもりはない。同じ試練に臨むアレックスが不退転の決意を固めているのなら、これ程心強い事はない。
ロビンは不貞腐れたように言った。
「ええ、ええ! 私も付き合いますよ! 忘れないで下さいね!」
「……私も。決まりね……」
皆、決死の覚悟で臨む。やるか、やられるか。その覚悟を確認して、俺は頷いた。
「よし。では、アレックス。どんな事でもいい。ヤツの事について話してくれ」
ソファに腰掛けたままのアレックスは、難しい表情で腕組みの格好になった。
「首が八つあった。最初はただのヒュドラだと思ってたけど、切ったら増えた」
八本首の大蛇。それだけならただの『ヒュドラ』だ。しかし、アレックスが首を落とした所、落とした首が再生して逆に首の数が増えたのだと言う。
最終的には、首が十六本まで増えた。アレックスはそこで一度後退し、大剣が使えるエレベーター前の広間までヤツを誘導した。
十六本首の大蛇。首を落とせば逆に増える。アレックスは巻物を使い、大剣に炎の属性を付与して戦った。すると傷口が焼き付き、首の再生は止まった。
「殺ったと思った。でも、最後の首を落とした時……変身した。全身が紫に変色して、辺りに肉が腐ったような匂いが広がった」
……アンデッド化だ。元々、強い呪を持っていたのか、或いは戦闘中、アレックスたちを壮絶に憎む事で発生したのかは分からない。
「そこからは幾ら切っても駄目だった。傷を焼いても再生が止まらない」
「……アンデッドなら、聖属性の武器が有効です。持ってなかったのですか……?」
そのロビンの意見には、アレックスは更に険しい表情になって答えた。
「『震える死者』だぞ? アンデッド共の巣窟だ。持ってたに決まってる。『壊呪』の巻物を使ったさ」
壊呪……超強力な対不死者用の必滅魔術だ。アレックスが使ったのは巻物だが、効果は変わらない。おそらくマリエールが作成したものだろう。
「そうしたら……あの野郎、身体を割って逃げやがった」
「知性がある。始末に負えんな……」
「そこで、やけに生臭い風が吹いて、全身に寒気が走った。一呼吸の間もなくバーナードとミランダが死んだ」
強い即死効果のある死の息吹きだ。
「……そこで、あたしはキレちまった。絶対にぶっ殺してやるって思った……」
パーティの二人が即死したが、それでも退かないのがアレックスだ。しかし……
「クソ程切り付けてやったけど、そこから先は首の再生が止まらなかった。『炎』属性は駄目だ。あんまり効かねえ。強い『聖』属性じゃねえと止められねえな。あれは……」
寺院と教会は神官を囲って外に出さない。もし、アレックスのパーティに神官が居たなら、この戦闘はアレックスが勝利した可能性もある。
そこまで言って、アレックスは深い溜め息を吐き出した。
「お次は腐食の息吹きがやって来て……あたしの両手はおじゃん。エレベーターはすぐそこだったけど、そのブレスでマクシーンがやられた」
そこで撤退を余儀なくされたアレックスだったが、エレベーターに乗り込む際に更に一人の仲間が殺された。
アレックスは血を吐くように言葉を絞り出した。
「……モーリスが、あたしをエレベーターに押し込んでくれたんだ。畜生……!」
これが、アレックスを除くパーティ壊滅の全容だ。
「……そうか」
俺は、このやりきれなさに首を振った。
アレックスが教会と寺院を嫌う訳だ。
高位でなくてもいい。アレックスのパーティに神官が一人でも居たら、この悲惨な結果は回避出来ただろう。
俺は聖印を切り、アレックスの仲間の冥福を祈った。
自己犠牲は母が好む最も美しい徳の一つだ。
母は、俺を通じてアレックスの復讐に加護を与えた。
俺とアレックスとの出会いは運命だ。
俺が二十年の寿命を使ってアレックスを助けた事も、その両手を繋ぎ、再び戦士としてダンジョンに立たせたのも全て因果の内の出来事だ。
母の戯れる指先が因果を弄ぶ。
戦士の死と運命とは、斯くも見事に調合されている。