84 蹂躙1
翌朝。
宿の一室で目を覚ました俺は、いつものように神官服に着替え、一階部分にある食堂でロビンと朝食を摂っていた。
そして……
朝食を摂る俺の目の前に、つんと澄ました表情のルシールがゾイを伴って立っている。
「ディート。貴方の言う通り、聖エルナ教会の礼拝堂を一般人に開放しました」
そこで表向きには『治癒』の『奉仕』を行い、一般人相手に修道女たちを使って実践を学ばせるのが俺の狙いだ。
「ああ、喜捨の半分は自分のポケットに入れて構わないぞ。残りの半分は聖エルナ教会の運営費としてお前が管理しろ」
ちゃんとした労働をする以上、修道女たちの生活も改善する必要がある。あの豚のエサを食わせる訳には行かない。新たに得た資金は生活環境改善の為に使う。
ルシールは目尻を下げ、困ったように言った。
「……本当に、私たちに給金を出されるのですか……?」
「労働は正しい対価によって報われねばならない。それがなければ次第にやる気が失せていく。修道女たちには、張り切って稼げと言ってやれ」
その俺の言葉を聞きながら、ロビンは口をへの字に曲げている。
「……どうした、ロビン。何事にも金が掛かる。この俺にしても、霞を食って生きている訳じゃないと講釈を垂れたのはお前だろう。修道女たちも例外じゃない。そうだな?」
「……はい。ですが、寺院を敵に回す事になりかねませんが……」
聖エルナ教会に限らず、教会で働く修道女や神官は基本的には無給で働いている。喜捨という名の代価は、教会上層……ここらじゃ『寺院』が全て受け取る事になっていて、ロビンの発言はそれを気にしてのものだ。
俺は鼻を鳴らした。
「上等だ。文句があるなら、いつでも来いと言ってやれ」
『寺院』の公認こそないものの、俺は冒険者ギルドの宣告師より、第一階梯の神官として認められている。位階の事だけで言うなら、俺は『聖女』と同等という事になる。幾ら公認がないとはいえ、『寺院』とやらに、その俺を面と向かって批判する勇気があるとは思えない。
「ルシール。全ての責任は俺が負う。誰の顔色も伺う必要はない。思いっきりやれ」
『聖女』が居る『寺院』とは近い内に必ず揉める。こんな事は行き掛けの駄賃にもならない。
「は、はい……」
それでも何か言いたそうにしているルシールに、俺は虫でも追い払うように手を振って、この会話を強引に打ち切った。
「……それより、ロビン。アレックスたちから連絡はないのか?」
「ありません」
「俺の逗留先と起床時間は伝えてあるのか?」
「それは抜かりなく……」
俺は少しばかり考えた。
アレックスのヤツをリーダーに推したのは俺だが、連絡一つ寄越さないこのお粗末さは気に入らない。
「もう、ヤツの事は考えるのも面倒だ。ロビン、予定通りダンジョン攻略に向かうぞ」
ロビンは眉を寄せ、訝しむように言った。
「アレックスさんとは、合流なさらないので?」
「連絡一つないヤツを待つ程、俺は暇な訳じゃない」
容赦なく言い放つ俺の姿に、ロビンは抑えきれない笑みを浮かべた。
「それは……凄くいいですねっ!」
俺は日本人だ。今はガキのなりをしているが、中身は成人した社会人だ。報連相も知らないリーダーは論外だ。話にならない。
暴力的な言動。短慮。不誠実。
アレクサンドラ・ギルブレスという個性は、俺をどれだけ失望させれば気が済むのだろう。
◇◇
ルシールらと別れ、ロビンの馬でダンジョンへと向かう。
二人乗り。手綱を握るロビンの前に俺が居るという格好。
耳元で、ロビンが囁くように言った。
「……魔素酔いの影響は抜けましたか……?」
「ああ、落ち着いた。でも、もう少し魔素に慣れておきたいのが本音だな」
それにはロビンも同じ考えなのか、小さく頷く。
「そうですね。魔素が幼い貴方に与える影響は大きい。では、また一層から始めるとしましょうか」
俺もまた頷く。浅層の魔素ですらあれほどの影響を受けたのだ。落ち着いたとはいえ、今の状態で更に強い魔素に晒されるのは避けたい。
「そうだな。地道にやるか……」
だが、周回するのに同じ戦法を使うのは面白くない。実験的な何かを取り入れたい。
俺は少し考え……
「……それでは、今回は、俺たちなりのやり方で蹂躙するとしよう」
「……」
俺たちなりのやり方と聞いて、ロビンは口元に深い笑みを浮かべた。
「蹂躙。それでこそ、ディートさんです。あの負け犬の下に付くのは、貴方らしくありません」
「……かもな」
蹄鉄が巻き上げる砂塵の中を駆け抜けながら、俺は静かに呟いた。
ダンジョン『震える死者』の風穴のような入口近辺には、まだ早朝という事もあり、冒険者たちの影は少ない。
馬から降りた俺は、早速前準備として術を発動させる。
今回は二人きりの攻略となる。
ロビンは胸に左手を当て、恭しい仕草で頭を垂れる。
「それでは、我が主。どのようにして蹂躙なさいますか?」
「自分でやるのも面倒だ。数で圧倒する。ロビン、幾らあれば足りる」
「とりあえず、聖闘士を百ほど。十層までは、それで事足りるでしょう」
アスクラピアの高等神法。召喚兵の一、『聖闘士』。術の難易度こそ高いが、消費される神力は少ない。故に高位の神官が多用するのがこの聖闘士だが……
「百とは張り切ったな。使い方は任せるが、構わないな?」
『騎士』として試される。
「このロビンにお任せあれ」
俺がパチンと指を鳴らして見せると、恭しい仕草で騎士の礼をするロビンの周囲にアスクラピアの聖印が浮かび上がり、そこから錫杖を持った聖闘士たちが続々と出現する。
ロビンが小声で言った。
「……あの剣を使う召喚兵は使わないで下さい。昨日は馬鹿ばかりで良かったですが、場合によっては面倒臭い事になります……」
剣闘士の事だ。あれは『白蛇』のオリジナルだ。異端の術であり、純粋なアスクラピアの神官の術ではない。母の教義に傾倒する連中は問題視するだろう。
「……ロビン。お前は、俺が剣闘士を使う事に抵抗はないのか……?」
ロビンは微かに微笑んだ。
「私は『騎士』です。母を強く信仰していますが、軍神アルフリードに対する敬意を忘れた訳ではありません」
「ふむ……そうか……」
「貴方が軍神アルフリードの知己を得たならば、私としてはこんなにうれしい事はありません」
「……」
ロビンが騎士を名乗る以上、騎士には騎士の戒律がある。
母に対する『信仰』と、騎士としての『生き方』は矛盾しない。おかしな事だが、この二つは両立出来る。
思い出したのは、あの『白蛇』だ。ヤツは騎士としての生き方を貫くと同時に、母に対する信仰を忘れなかった。
俺の悪い癖で、一度考え込むとそこからが長くなる。
ロビンが俺の顔を覗き込む。
「……ディートさん?」
「うん? ああ、すまない。『アルフリード』と、『アスクラピア』について考えていた」
そこで、ロビンは興奮したように鼻息を荒くした。
「ほう! 面白い! とても面白い! 非常に興味があります!」
説教好きなロビンは、同時に哲学的な思考や問答も大好物だ。
レネ・ロビン・シュナイダーという人物は、これはこれで複雑な生き方している。
「ふむ……では道すがら話すとしよう。暇なら聞け……」
「はい!」
俺はアスクラピアの神官らしく、腰の後ろに手を組んで歩き出す。率いるは、ロビンを『将』に頂いた百の軍勢。
召喚兵による掃討戦。俺たちはダンジョンに巣食う魔物全てを殺しながら進む事になる。
ロビンは薄く笑う。
「それでは、まず……」
将であるロビンの意思に反応し、聖闘士たちは三列縦隊に編成される。
「ディートさん。狙撃手は出せますか?」
「ああ、弓も欲しいのか。問題ない。幾ら欲しい」
「それでは三十ほど……」
高位神官と教会騎士によるダンジョンの蹂躙が始まる。