82 ゴミはゴミ箱へ
十層のボス部屋にて待ち受けるのは、偉大なる不死者、吸血鬼が十体。
青白い肌にスキンヘッドの異形。涎を垂れ流す口には長い牙が覗いている。
「うおおぉあ! いてえ! クソ! 痛すぎる!! ディート、おめーはぶっ殺す!!」
広いボス部屋に入り、身の丈を超す大剣に武器を持ち替えたアレックスは、容赦なく吸血鬼たちを斬り倒した。
その大剣の威力は絶大で、一振りで五体の吸血鬼を薙ぎ払った程だ。
「凄まじいな……」
二メートルを超す鉄塊を振り回すのだ。その一撃の威力は遥かに俺の想像を超えている。
敵でなく、俺にぶち撒ける呪詛の言葉には問題があるが、それにしてもアレックスの力は凄まじい。
アネットは腰に手を当てた姿勢で、呪詛の言葉を吐きながらも戦い続けるアレックスを静観している。
「どうだ、アネット」
「アレックスなら問題ないわね。痛がってるけど、徐々に反応速度は上がってる」
「ふむ……以前と比べて、どの程度の回復だ?」
「……そうね。七割ぐらいかしら……」
複雑そうなアネットの顔を見るに、本来の七割よりやや下がるという所か。とりあえず上等というべきだろう。
アレックスは、大剣のたったの三振りで吸血鬼を全滅させた後は、右手を襲う痛みに悶絶して辺りを転がり回った。
「いてえ! 畜生、ディート! なんとかしろ!!」
強い嫌悪感があり、俺は一歩引き下がった。
「俺を殺すとか言ってるヤツを、治してやる必要があるのか?」
「嘘だよ冗談だよ! 分かれよ、馬鹿野郎!!」
笑えない冗談だ。
アレックスの言葉は、どんなものであれ、半分は本気だ。
「ロビン」
「はっ」
俺の意図する所を汲み取ったロビンは、辺りを転がり回って悶絶するアレックスに歩み寄り、その顎先を思い切りブーツの爪先で蹴っ飛ばした。
「がっ……!」
低い呻き声を上げ、仰け反るようにして吹き飛んだアレックスの姿に慌てたのはアネットだ。
「ちょ、教会騎士! あんた、なんて事すんのよ!!」
ロビンは澄ました顔で言った。
「痛みを取って差し上げました。非難される覚えはありません」
ロビンのブーツは爪先が鋼鉄製になっている。
人間離れしたタフネスを誇るアレックスだが、そのブーツで顎先を思い切り蹴飛ばされたショックで気絶して沈黙し、今は痛みを訴えない。
「…………」
ロビンは静かに言った。
「アネットさん。この人は、さっきから何度も私の主を殺す殺すと言ってます。ディートさんは、まだ十歳です。私は、この人相手に油断はしない。殺さなかっただけ感謝して頂きたい」
これが『教会騎士』だ。
教会騎士、レネ・ロビン・シュナイダーの優先順位は、仕える神官……俺の安全が常に第一にある。
「アネット、この馬鹿に言っておけ。リーダーなら、それらしく振る舞え。自分の言動に責任を持て。冗談でも仲間を殺すと口にするようなヤツを信頼する程、俺は頭がお花畑に出来てない」
「……」
俺の本気が伝わったのだろう。アネットは押し黙り、額にうっすらと汗を浮かべている。
「遊ぶのはいい。だが、締めるべき所は締めろ。遊びでも冗談でも、俺を殺す等と言うな。次はそれなりに扱うぞ」
「わ、分かったわ……」
アレックスと、人間の子供である俺とのフィジカルの差は大きい。身長だけでも俺より1m近く上背がある。ヤツは人間とは違う生き物だ。『冗談』でも簡単に俺を殺せる。本当に笑えない冗談だ。
俺は神官服の裾を翻す。
戦いの場に於いて運命を決めるのは、一瞬間の他にない。長く経験を積んだとしても、決定的な事は瞬間に訪れる。
即ち。
今、駄目なものは明日も駄目だ。こいつの事は長い目で見て来たつもりだが……
「馬鹿が……」
俺は、アレクサンドラ・ギルブレスという個性が嫌いだった。
◇◇
予定通り十層の攻略を済ませた俺とロビンは、ボス部屋でアネットたちと別れた。
そのボス部屋を抜けた先にある石造りの玄室にはエレベーターがあり、一階までは直通という仕組みになっている。
下の階層に降りるには資格がいるが、上がる分には資格はいらない。俺はもう帰ってしまうつもりだった。
「吸血鬼の牙を拾っておきました。次回は十層までのエレベーター使用が可能です」
「……討伐証明か。これは、うっかりしていたな……」
まあ、俺たちがそうしなくとも、アネットがそうしていただろうが。
「……それより、ディートさん。魔素酔いの方はどうですか……?」
「あまりよくない」
少し……いや、かなり苛立っている。本当はまだダンジョンの奥へと進みたい。アレックスに対する仕打ちは、その気分と関係ない訳じゃない。
「……」
俺は少し考え……口の中の伽羅を吐き捨てた。
「今日は聖エルナ教会には戻らん。ルシールらに迷惑を掛ける可能性があるからな」
「では、宿を手配致します」
「うん……すまない……」
エレベーターに乗り込み、一層に向かう間、ロビンは、ずっと俺と手を繋いだままでいた。
◇◇
ダンジョンを出ると、ギラギラと目に痛い太陽はまだ中空に差し掛かった辺りだった。
時刻は昼下がりという所だ。
俺たちが実際にダンジョンに潜っていた時間は四、五時間という所だ。
疎らに見える冒険者たちの向こうにアシタが立っていて、俺たちを見付けるなり、大きく手を振って駆け寄って来る。
「ようっ、て……二人だけ? アレックスさんとアネットさんは?」
そのアシタの問いに答えたのはロビンだ。
「馬鹿が治らないようなので、少しお仕置きしただけです。それより、アシタ。よく来ました」
「お仕置きって……」
呆れたように肩を竦め、俺を見つめたアシタの顔には、こう書いてある。
またかよ……
その非難の視線は溜め息を吐き出してやり過ごす。ヤツの馬鹿さ加減には付き合い切れない。
「ゴミはゴミ箱に、だ。アシタ、お前はヤツのようになってくれるなよ」
アレックスのせいだろう。どうにも俺は鬼人という種族に対する印象が悪い。すぐ頭に来て、殺す殺すと喚き散らす。腕力頼りなのが尚悪い。そんなヤツには好感の示しようがない。
「わ、分かってる。あたいは、あんな風にはならねえよ」
「そうしてくれ。お前の事は嫌いじゃない」
「あ、うん……そっか……」
アシタは頷いて、何故か困ったように目尻を下げた。
その後はロビンが命じてアシタに取らせた宿にある料亭で、三人揃って遅めの昼食を摂った。
鬼人の血を引くアシタは非常に健啖家だ。アビーが言う所の『穀潰し』なだけあって、二度目の昼食らしかったがよく食べる。
「あ、そうそう。おばちゃんが、すげえ怒ってた」
「好きにさせておきなさい。それより、今日はディートさんも私も聖エルナ教会には戻りません。ルシールには、そう伝えなさい」
「え、マジで? それをおばちゃんに伝えるあたいの身にもなってよ……」
今日はもう黙っていたかったが、俺は小さく息を吐く。
「魔素酔いだ。ルシールにはそう伝えておいてくれ」
「魔素酔い? マジか。もしかして、今、すげえピリピリしてるとか?」
「そうだ。あまり喋りたくない」
そこでアシタは口を噤み、それきり会話を止めた。ロビンに至っては、ダンジョン内に居る時から無駄な発言を避けている。
淡々と食事を進めていると、ロビンが思い出したように言った。
「……所でアシタ。ディートさんが言った『ゴミ箱』とはなんですか?」
「えっ? 今聞くの? マジで? ロビン姉ちゃん、今は止めときなよ。これは姉ちゃんの為に言ってるぜ」
ロビンは、ちらりと俺を見て、小さく咳払いした。
「分かりました。今は止めておきましょう」
ナプキンで口を拭い、俺は席を立った。
「その方がいい。お前には特に心臓に悪い話だ」
「えっ?」
ロビンは首を傾げ、アシタは天を仰いで嘆息した。
◇◇
そして、夜。
俺はアシタの取った宿の一室で、今日の出来事を振り返り苛立っていた。
今日は初めてのダンジョンという事もあり、かなり入れ込んでいた。それがこの体たらく。
まだやれた。だが魔素に酔い、存在の強化から来る陶酔感から暴走し掛けた。あの時は退いたが、頭に来る。仲間? 知った事かと叫んでやりたい。
そうだとも。
俺に仲間は必要ない。白蛇からは一人での戦い方を嫌と言う程叩き込まれた。今からでも遅くない。この足で一人……
そこまで考えた所で、一人きりの室内に遠慮がちなノック音が響いた。
「……誰だ?」
俺の中の蛇が、ゆっくりと首をもたげる。
ロビンには誰も近寄せるなと強く言ってある。今の俺は、その程度には神経過敏な状態で、誰の顔も見たくない。
今は、母その人にすら噛み付いてやりたい。そういう気分だ。
「――クソッ!」
苛立ちばかりが募るこの状態。今の俺は明らかに錯乱している。厄介なのは、この状態に母の術が効果ない事だ。
『レベル』が上がる。『存在』が強化されるとはこういう事だ。異常ではない。成長しつつあるだけなのだ。
――振り回されるな!
気を強く持たねばならない。俺は……神官。アスクラピアの子。赤裸々な人間の本能は、母の子として相応しくない。
俺は荒れた呼吸を整え、神官服の襟を整える。
あのロビンが来室を許可した以上、俺はこの客に会うべきだ。
内鍵を外し、扉を開く。
「……」
そこに居たのは――