80 震える死者2
俺は、先ずポケットから青石を取り出し、聖水を辺りに振り撒いてモンスター避けの結界を張った。
少し長い話になる。
「すまない、アネット、アレックス」
俺は二人に素直に謝罪して、現在、使用中の補助術と付与術に関して説明した。
「先ず、アレックス。お前は屈強な戦士だが、精神に影響を与える呪詛や術に関しては耐性がない」
無論、その弱点をアレックスは理解している。今は精神異常耐性を持つアクセサリでその弱点を補っているが、それでも不安は残る。
「……だから精神異常耐性を高める術を使っている。あとは、攻撃力に防御力を強化する術と、身体能力を上げる術も使っているが、これはおまけのようなものだ。過信するな」
アレックスは驚いたように顔を上げ、意外そうに言った。
「おまけ?」
「あまり意味がない。十の力が十一、十二になる程度だ。気付かないのは無理もない。おまじない程度のものだからな。だが、その分効果時間が非常に長い。丸一日は効果が持続する」
「……」
「これらの術はあくまでも土台に過ぎない。強い術は効果も大きいが、持続時間が短く反動も大きい」
「……具体的には?」
「ごく短い時間だが、お前の力を数倍に引き上げる事が可能だ。だが、やり過ぎれば、最悪の場合、お前は死に至る。もしくは酷い後遺症が残る」
強い力には代償が必要だ。ましてや、自らの限界を超えた力とあれば尚更。
「……アレックス。お前は屈強な鬼人の戦士だ。母の術によるお前の身体能力強化の限界値は、今の四倍程度だ。それが後遺症を残さないぎりぎりの上昇値だ……」
「四倍………!」
その恐るべき上昇値に、アレックスは不吉な笑みを浮かべて喜んだが、俺としては、これは切り札的な戦術であり、あまりやりたくない。
「正に鬼札というやつだ。効果時間は短いが、その時、お前は鬼神の如き力を得るだろう。だが、術が切れた時は、その反動で気絶するか、物の役にも立たんようになる」
「そ、そうか……」
何処かがっかりしたようなアレックスに、俺は頷いて見せる。
「これの使い所は、お前が判断しろ。指示があれば幾らでもやってやる。だが、それで勝負を決め損ねた時、対価はお前の命になる。よく考えてから指示しろ」
「……」
アレックスは難しい表情で考え込み始めた。
「そして、視力強化の術だが……」
そこでアネットが、驚いたように辺りを見回した。
「ちょっと、暗くなって来たわよ……」
「……」
アレックスも同じように感じたのか、目を細めて辺りを見回している。
「……という事だ。これの効果時間は長くない。度々、術を掛け直す必要がある。分かっていると思うが、戦闘中、この術が切れた時は最悪だ。すぐ下がれ」
俺はパチンと指を鳴らして、再び視力強化の術を掛け直す。
「あ、明るくなった」
感心したように辺りを見るアネットに、俺は頷いた。
「後は冷気に耐性を強める術を使っている。お前たちは平気かも知れないが、人間の俺には堪える寒さだ」
「……!」
そこでロビンがあたふたと自らの外套を脱ぎ、俺の肩に掛けた。
「……申し訳ありません。失念していました……」
有能なロビンとしては痛恨の極みなのだろう。目尻を下げ、冷気から守るように俺の身体を引き寄せた。
そして、問題のある今の俺の状態だ。
「……すまん。今の俺は魔素に酔っている。自分で言うのもなんだが、今の俺の判断は危うい。以後は下がり、回復と補助に専念したい……」
今の俺の精神状態は危うい。放って置けば、神力の限界までダンジョンの奥地へ進むだろう。そうしたい強い欲求がある。
「…………」
アレックスもアネットも、複雑な表情で俺を見た。
「……お前、それを自分で気付くのかよ。本当にガキか……?」
その言葉に関しては無視して、俺は三体の剣闘士を指差した。
「……それで、こいつらの事だが……」
そこでロビンが、少し俺を引き寄せる手に力を込めた。
この中で、唯一、剣を持った剣闘士の召喚という異常に気が付いているのがロビンだ。アレックスやアネットは毛ほども気付いていない。
「こいつらに関しては、実際に使ってみるといいだろう」
そう言って、俺はアレックスの手に触れた。
「……!」
その瞬間、アレックスは目を見開いて俺を見つめ返した。
「繋がったか? こいつらの指揮権を委譲した。好きに使え。場合によっては潰しても構わない。幾らでも補充してやる」
「……そんな事も出来るのか……」
高位の神官がどれ程の脅威か改めて実感したのだろう。呟いたアレックスは険しい表情だ。
「ちょっとちょっと、私もやってみたい、それ」
「……後でな」
好奇心旺盛なアネットの言葉に首を振って、俺は視線を伏せて逸る気持ちを圧し殺す。
「俺からは以上だ」
以降の俺は魔素に身体を慣らしつつ、回復役兼、補助付与役の役目に専念する。
◇◇
俺に代わって前に出たのがアレックスだった。
「こいつら、面白いな!」
右手に剣を持つアレックスのその前を歩く三体の剣闘士は、それぞれスキップしたり踊ったり、はたまた奇妙なポーズを取ったりしてアネットの笑いを誘っている。
「やだ、ウソ! ちょっとちょっと、私もやりたいやりたい!」
A級冒険者の二人にとって、まだまだ浅層である二層は遊び場同然だ。緊張感はまるでなく、アレックスは剣闘士を使って雑魚を蹴散らしながら、気分次第では自らの剣で並み居るアンデッドを凪ぎ払う。
まあ、今は遊びの段階だ。慣らし運転はこんな物でいい。
俺は時折補助の術を掛け直す以外は何もせず、ロビンと手を繋いで、遊びながら先行するアレックスたちの後に続いた。
ちなみに、俺がロビンと手を繋いでいるのは、何も遊びじゃないし、気分の問題でもない。
俺の魔素酔いは続いている。
万が一、暴走した時はロビンが責任を持って制止する。
そのロビンが、キラキラと目を輝かせて俺の耳元で囁いた。
「……私もやってみたいです……」
「また今度な……」
ぶっちゃけ、アレックスやロビンが、狭いダンジョンの通路で召喚兵を使う事に意味はない。単純に、二人の方が召喚兵より強いからだ。広く戦闘域が確保された状況では話は変わるが、ダンジョンの狭い通路では、アレックスやロビンは自分で戦った方が遥かに早く敵を殲滅出来るだろう。
「アレックス。右手の調子はどうだ」
そのアレックスは剣闘士たちを戦わせながら、頻りに右手を気にしている。
「……まだ半分だね……」
「そうか。焦らず、先ずは慣らして行く事だ。目的地までは、まだまだ時間が掛かる」
今日の予定では、十層のボスを倒して、エレベーターで一度引き上げる事になっている。
アレックスとアネットは、代わる代わる剣闘士の指揮権をやり取りして二層、三層とを抜ける間は遊び倒した。
そして四層になり、アレックスはぐるぐると右腕を回して剣闘士たちの前に出た。
「大体は分かった。こいつらは、もういい」
「そうね。私も、もういいわ」
剣闘士の指揮権を俺に戻し、アレックスが前に出た。
「……十層までは、あたしだけでいい。お前らは手を出すな……」
ぼちぼち、アレックスはやる気を出すようだ。パーティの先頭に一人で立ち、アネットは俺の隣まで下がって来る。
俺は伽羅の破片を口の中で弄びながら、アネットとロビンの二人と手を繋いでアレックスの後に続いた。
「アネット。何故、お前も手を繋ぐ」
「ピクニックっぽくて、よくない?」
「まあ、雰囲気はあるが……」
俺は保護者同伴の子供の気分だった。まぁ、今の俺は子供だが。
「ねえ、今日はウチに泊まって行きなさいよ」
そんな事を言うアネットは、アレックスの心配などまるでしていない。
俺も心配はしない。
アレックスはこのパーティのリーダーであり主力だ。一人でもその程度が出来ないようでは話にならない。
「メシは……美味いか?」
俺がそう言うと、アネットは強く吹き出した。
「やだもう。普段、何を食べてんのよ。教会の食事って、そんなに不味いの?」
それに答えたのはロビンだ。
「ディートさんは聖エルナ教会に戻ります。食事の心配は、アネットさんがする事ではありません」
アネットは、ケラケラとロビンを挑発するように笑った。
「なに? 教会騎士さんは嫉いてんの? 子供の言う事じゃない」
「……」
ロビンは黙って笑顔を返すが、アネットを見る目は笑ってない。
この時点でアネットはロビンの逆鱗二つに触れている。
先ず、基本的には俺の食事を作っているのはロビンだ。次に、俺を子供扱いした事がそれだ。
咄嗟にロビンの手を強く握り締め、俺は言った。
「今日は教会に帰る。実は、今回のダンジョン探索には問題が山積みでな……」
このダンジョン探索に、まるで納得していないルシールとの話し合いも済んでないし、ゾイとも少し話しておきたい。
「あら、そうなの?」
金髪のハーフエルフ、アネット・バロアは文句なく美人であり、オリュンポスの中では、遠造に続いて常識人でもある。頭も悪くない。
だが、この女には本当に残念な部分がある。
アネットは俺の肩に手を回し、胸に『の』の字を書きながら耳元で囁いた。
「いいじゃん。そんなの放って置きなさいよ。今のあんたはオリュンポスなんだから」
この女は割と我儘で、一度言い出すと中々譲らない。そして――
「あ、教会騎士さんは駄目よ。あんたはオマケなんだから」
この女は空気を読まない。読めない。背後の事情より、自分の都合を優先する。だから、アビーにもクソ女と呼ばれる訳だが……
「……」
ロビンは笑っている。
そのロビンが黙って握り返した手が、めきっと嫌な音を立てて、俺は悲鳴を上げた。




