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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第二部 少年期教会編
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73 楽しいレクリエーション1

 修道女シスタたちの指導は難航を極めた。


 最後まで立って施術を見ていたルシールですら、実際に小刀を用いての切開、瘤の摘出には強い抵抗があるらしく、その後、俺の監視下で新たに発見した瘤を一つ除去した時には疲労困憊で、顔を青ざめさせていた。


「ルシール、よくやった。今日は休め」


「ま、まだ行けます。やれます……!」


 普通の者が、たとえ治療の為とはいえ、他者を傷付けるのは非常に精神的な負担を覚える行為だ。慈悲と慈愛を兼ね備えた者は特に忌避感を覚えるだろう。


「こ、これは外法です……こんな事は許されません……!」


 へたり込んだ修道女シスタの一人が、恐怖に震える声でそう言った。


「……だから?」


 何をしてもいいという訳ではないが、この程度の事で何を、というのが俺の心境だ。


 ルシールは『外法』と言った若い修道女シスタにつかつかと歩み寄り、その襟首を捻り上げ、思い切り頬を張り飛ばした。


「……お前は、オリュンポスで何を見ていたのです。憎たらしいあれで、何人が死んだと思っているのです……」


 そのルシールの声は、強い怒りに震えていた。


 どうやら、俺の『実践』は修道女シスタたちには厳し過ぎたようだ。


「そこまでだ、ルシール」


 冷静を欠いているルシールの肩に手を置くと、ルシールは全身を震わせて強く反応した。


「人には向き不向きがある。況してや人を傷付ける行為に嫌悪感を覚える事は、決して悪い事じゃない」


「……!」


 ルシールは強く唇を噛み締めただけで答えなかった。

 彼女の意思は固く、変わらない。それもよし。


「今は休め。これは命令だ」


「……」


 ルシールも自身の疲労と冷静さを欠いた状態を理解しているのだろう。黙って視線を伏せた後は、静かに頷いた。


「……次はポリー。やってみろ」


「……」


 静かに頷いたポリーだが、やはり嫌悪感は拭えないのだろう。額に玉のような汗を浮かべ、それが頬を伝っている。


「……ポリー、無理をする必要はない。他にも出来る事は山ほどある。出来ない事は、出来る誰かに任せればいい。それだけの事だ……」


 ポリーだけでなく、他の修道女シスタたちも気遣っての言葉だったが、ポリーは強情に首を振った。


「これを任せる? 子供のディートちゃん一人に? 冗談じゃないよ! こんな事、怖くなんかない! 見てな!!」


 そう怒鳴ったポリーは、この日、二つの瘤を除去して見せた。


「……あたしは、子供を守る為なら、鬼でも悪魔でも、なんにでもなるよ……!」


 そう言い切ったポリーだが、嫌悪と忌避感は隠しようがない。二つの瘤を除去した所で手の震えが止まらなくなり、そこで俺は今日の研修を終了した。


◇◇


 アスクラピアの二本の手。


 一つは癒し、一つは奪う。


 彼の者は永遠に一である。


 多に分かれても一である。永遠に唯一のもの。


 一の中にこそ、多を見出だせ。


 多を一のように感じるがいい。


 そこに始まりと終わりがあるだろう。


◇◇


 その日、一人窓際に立ち、沈み行く陽を前に祝詞を口ずさみ祈り捧げる俺は、遥かな夕空に輝く銀色の星を見た。


 適性をみせたのは、ルシールとポリーの二人だけだ。


 今回、適性を見せなかった残りの者たちも時間経過によって適性を育む可能性がある。

 だが、それは望み過ぎだ。

 俺はこれ以上のものを望まない。充分な結果を得たと思ったからだ。


 初日の研修を経て、ルシールは己の惰弱に涙を流し、震えの止まらないポリーは、何度も「怖くない」と呟き、ちょっとしたノイローゼ状態になったが、そこはアスクラピアの術で緩和させた。アレックスに掛けたのと同じ術だが、正しい使い方をしたから特に問題はない。


 明日も明後日も『研修』は続くのだ。この程度で潰れてしまっては困る。


 そんな事を考える俺の元へ、二人の修道女シスタがやって来たのは、祈りを終え、夕餉の時間が近付いてからだ。


 顔は知っているが、名前は知らない。その内の一人は、ルシールに張り飛ばされた修道女シスタだ。


 ロビンは夕餉の準備で厨房に行ってしまった。おそらくだが、二人はそのタイミングを狙って来たのだろう。


 オリュンポスでもそうだが、今日の研修でも一番最初にへたり込んだ二人だ。大きいのと小さいの。どっちも二十歳未満の子供だ。


 俺を見つめるその目が、怒りと憎悪に燃えている。


 そんな目は向こうの世界でも何度か見た。だから俺は驚かなかった。


「何の用だ」


 決意と使命感に燃えた目。ただ、そのどちらもが行き過ぎている。


「神父さまに……お話があります……!」


「そうか。ロビンが帰って来る前に済ませろ」


 二人に今日の研修は刺激が強過ぎたのだろう。目付きが少しおかしい。血走っていて、ぎょろぎょろと辺りを見回した後、俺が許可する前に室内に雪崩れ込んで来た。


 本当に、こんな事は前の世界でも何度もあった。それらの人々は勝手に燃え上がり、望みもしない嫌悪と憎悪をぶつけて来る。

 例えば、こんな風に。


「な、なんで、あんな酷い事が出来るんですか……!」


「酷い事……?」


 中には俺のやり方を受け付けない者がいる。それだけの事だ。


「分からないんですか!?」


 俺はいつもやり過ぎる。

 パルマの貧乏長屋で、俺に突っ掛かって来たエヴァの姿を思い出した。

 言い訳は好きじゃない。

 だが子供のする事だ。大人の一人としては答えるべきなのだろう。


「沢山ありすぎて、どれを挙げればいいか分からない。俺は、いったいどの件に関して言い訳すればいいんだ?」


「……っ!」


 その言葉に二人は絶句して、俺を見据える視線を更なる憎悪に燃やして睨み付けて来た。

 大きいのの頬にはルシールの張り手の痕が残っている。自分で治せばいいだろうに。

 小さいのが叫んだ。


「あれは外法です! 悪魔の邪法です! なんであんな事が出来るんですか!?」


「……そうだな。なんでだろうな……」


 確かにそうだ。

 俺には、あれをする事に抵抗がない。人としてあるべき感情が欠落しているとしか思えない。

 俺は、少し考えて言った。


「……すまん。昔の事で、あまり思い出せないが……多分、お袋があの病気で死んだからじゃないか……?」


「……!」


 そこで大きいのと小さいのの動きが止まった。その視線が困惑したように揺れている。


「お袋は、最期は骨と皮だけになって死んだ。火葬したら何も残らなかった。俺は骨一つ拾ってやれなかった」


「え……」


「びっくりするよな。本当に何も残らなかったんだ。あの病は、何もかも持って行ってしまうんだよ」


「…………」


 そこで、二人の視線は床の一点に釘付けになって黙り込んだ。


「分かってくれたか? それで、俺は次に何を言い訳したらいいんだ……?」


 アレックスを非道に拘束した事だろうか。いや、オリュンポスではもっと酷い事をしたから、あれはそれほどでもない。では、遠造に針を刺した事だろうか。それともロビンを殺そうとした事? アシタの角は繋いだ癖に、エヴァの尻尾は繋がなかった事? 他にも色々しているような気がする……


 これは年若い修道女シスタたちに近付く為のレクリエーションだ。


 残念な事に楽しくはないが。


「アレックスにした事を問題にしているのか? ヤツの身体を見ただろう? おそらくだが、ヤツの身体にある『瘤』の総数は百は下らんだろう。そこまで行っても、ヤツは治療を望まないんだ。だから――」


 大きいのも小さいのも、何故か慌てたように叫んだ。


「もういい! もういい!!」


「そうか」


 これも分かっていた。


 こんな事は向こうの世界でもよくあった。


 皆、勝手に俺を憎み、勝手に怒りをぶつけて来たかと思うと、少しの会話で引き下がる。


 本当におかしな事だが……誰も俺に迷う権利を許さない。


◇◇


 行き過ぎた情熱は望みのない病だ。それらが答えを得る事は――決してない。


 冷静と冷徹と理性だけが答えだ。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 そこで扉が轟音を立てて打ち開かれ、表情を消したロビンとアシタが部屋に飛び込んで来た。


「……っ!」


 アシタが二人に飛び掛かり、ロビンは稲妻のようなスピードで俺に接近し、抱き上げられたと思った次の瞬間には寝室に居た。

 特殊な結界に守られた寝室に入ると、辺りは静寂に包まれる。扉一枚を隔て、外界と隔離されたような感じがした。


「……お怪我は?」


「ない。ただ話し合っていただけだ。二人を傷付けるな」


「……」


 俺を見たロビンは冷淡な『教会騎士』の顔だった。俺を守る為ならなんだってする。


「申し訳ありません。私の失態です」


 そこで寝室に入って来たアシタが、事もなげに言った。


「終わったぜ、ロビン姉ちゃん」


「ちゃんと殺しましたか、アシタ・ベル」


「だから、それは無理って言ったじゃん。ディが許す訳ないって」


 少し沈黙があり、大きな溜め息を吐き出した後、ロビンは険しい表情で首を振った。


「……それで、二人の所持品は調べましたか?」


 厳しく言い放たれたロビンの言葉に、アシタは肩を竦めて見せた。


「あいつら修道女シスタだぜ? 危ないもん持ってる筈がねえ」


 ロビンは、ブーツの踵で強く床を踏み鳴らした。


「ちゃんと調べたかと聞いているんですよ、アシタ」


 ロビンには、怒りの感情が一定値を超えると踵で床を踏み鳴らす癖がある。

 それにアシタは怯み、怯えたように目尻を下げた。


「……持ってなかったよ。そこはちゃんと調べた。流石に、それは許せねえから……」


「だから言っただろう。ロビン、あれはレクリエーションだ。遊びだ、遊び」


 ロビンは激しく舌打ちした。


「それですよ。それ。貴方は蜂蜜より甘い。あの二人は、ルシールの目をすり抜けてここに来たんですよ? そうでなければ、ここに来られる筈がない」


「俺と話したかっただけだろう。そう尖るな」


「話したいだけなら、ここまで来る必要なんてないんですよ」


 灯りを落とした寝室では見えないが、ロビンの眼はおそらく赤く染まっているのだろう。


 沈黙。


 その短い間にも、ロビンが恐ろしい程の殺意に燃えているのが分かった。


「……五戒にも縛られず、やる事だけは一人前。これだから、私は修道女シスタが嫌いなんですよ……」


 暗い寝室で、ロビンが、ぴちゃりと唇を舐める音が聞こえた。そして……


「……それでは、ルシールのヤツに任せましょう……あれの落ち度でもありますから……」


「あぁ、そうしてくれ」


 ルシールなら、下手な事になりはすまい。


 この時の俺はそう考えた。


 ルシールが金属バット(ルシール)だという事を忘れていて、そう考えてしまったんだ……

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