67 アシタ・ベル
困った顔のロビンを先頭に、俺、ルシールの順に居住塔の階段を下って行く。
黙ってアビーの元を去った俺としては、少しばかりばつが悪い。
途中、ロビンは気が進まないのか、何度も溜め息を吐き出して振り返り、俺に何とも言えない視線を送る。
「……ディートさんが、どうしても嫌と言うなら追い返しますが……」
「……」
ロビンには浮浪児も修道女も変わりはない。俺以外の殆どの者を見下している。それが種族的なものなのか、環境によるものなのかは分からない。
「……いや、会う。俺の問題でもあるからな。それにロビン、お前も義理を欠くのは嫌だろう……」
「はあ……まあ、そうですが……」
ロビンとしては会わせたくないのだろう。その理由を俺に求めている。しかし……
アシタか……
ゾイがやって来たのは、なんとなく分かる。だが、アシタが来た理由は分からない。オリュンポスでの失敗の前科があるこの二人を、あのアビーが一組で行動させるとも思えない。
「二人は何か言っていたか?」
「いえ、ただ会わせてほしいとだけ。その内の一人が鬼人でしたので、気になって名を尋ねた所、アシタ・ベルと名乗りました」
「アシタ・ベル……」
孤児で姓を持つ者は珍しい。殆どが忘れているか知らない。ゾイがそうだ。もしくは姓を捨ててしまう。アビーなんかがそうだ。ただのアビゲイル。捨てられたガキ共の女王蜂陛下。
難しく考え込む俺に、ロビンが溜め息混じりに言った。
「有名なのは、ギル氏族とベル氏族ですね。あの負け犬のアレクサンドラ・ギルブレスがギル氏族の出身ですよ」
「何か特色が?」
「どちらも死の砂漠を流離う戦闘集団ですよ。盗賊と大した違いなんてありません。尤も……」
そこで、ロビンは自嘲気味に笑った。
「殆どが『夜の傭兵団』に殲滅されてしまいましたがね……」
「夜の傭兵団……なんだ、それは?」
何処か引っ掛かる響きだ。問い返すと、ロビンは少し驚いたように目を見開いた。
「夜の傭兵団を知らないんですか?」
「知らんから聞いている」
「夜にしか行動しないんですよ。だから『夜の傭兵団』です。一日の半分しか行動しません。なんでも団長の――」
そこで扉口を抜け、外門に佇むアシタとゾイの姿が見えて来て、この話は打ち切りになった。
◇◇
遠目からは分からなかったが、外門に佇む二人は、背中に小さなリュックを背負っていた。
それが意味する所は……
二人がアビーと袂を別ち、俺を頼ってここに来た事を意味している。
「…………」
俺の心は千々に乱れた。
馬鹿な奴らだが、俺はその馬鹿さ加減が嫌いになれない。
俺を見るアシタは不機嫌そうに唇を尖らせ、ゾイはぱっちりした瞳にうっすらと涙を溜めている。
俺と目が合うと、ゾイはまっしぐらに駆け出して……
俺の胸に飛び込んだ。
固く抱き合う俺とゾイの姿にロビンが激しく舌打ちし、ルシールは感極まったかのように鼻を啜る。
ゾイは寡黙なドワーフの少女だ。余計な事は何も言わない。この行動で全てが伝わった。
俺も何も言わない。
ただ、この胸の温もりをいとおしく思う。
暫く、そうしていた。
◇◇
ややあって――
アシタが不貞腐れたように言った。
「あたいには、なんもなしかよ」
「ああ」
俺が頷くと、アシタはますます不機嫌になったのか、眉を寄せて険しい表情になった。
「あたいはゴミ箱のまんまかよ」
「いや、違うが……」
「なら、なんかあるだろ」
「何をしに来た」
そこでアシタはキレたのか、短い髪をガリガリと掻き回した。
「あんたは相変わらずだな!」
「人は生まれ持った性質に逆らえない。そう簡単に変わるか」
そう言い放つ俺の胸の中で、ゾイは小さな嗚咽を漏らして身体を震わせている。
その光景をアシタは煙るような眼差しで見つめ、小さく舌打ちした。
「見りゃ分かるだろ。あんたを頼って来たんだ。そのチビの事は知らねえ」
「……一緒に来たんじゃないのか?」
アシタは不機嫌さを一切隠そうとしない。仲間だろうゾイを見る目は何故か厳しかった。
「違うね。たまたまそこで会ったんだ」
「どういう事だ。アビーは?」
「知らねえ。あんたと同じさ。黙って出て来た」
俺は、こいつが好きでも嫌いでもない。特に興味がないと言い換えてもいい。
「何故だ」
ゾイを抱き締めながら、素っ気なく言葉を返す俺の前でアシタは『腕組み』の格好になり、低い声で言った。
「……選べって言ったのは、あんただろう……」
「何の事だ。もっと分かるように言え」
相変わらず頭の悪いやつだ。
アシタには少し抜けた所がある。何事に於いてもそうだが、こいつは難しく考える事を嫌う。
「あんまり覚えてねえ。でもオリュンポスのクランハウスで、んな事言っただろ」
「ああ……?」
「なんか、道がいっぱいあって、んで、結局は一人で行かなきゃなんないとかなんとか言ったのは、あんただろ」
「ああ……確かに、そんな事を言った」
アシタは腕組みの格好のまま、大きく鼻を鳴らした。
「だから、あたいは一人で選んでここに来た。そのチビの事は知らねえ。本当に、そこで会っただけだ」
「……」
今は泣いているゾイも同じだろう。自分一人で考え、俺を選んでここに来た。
「せいろう……教会騎士の姉ちゃんには礼を言っとく。ありがとう」
ロビンは、こちらも『腕組み』の格好だ。アシタに向けて小さく頷いて見せた。
「……それで、アシタ・ベル。お前の用件はなんですか……?」
「なんでもする。だから、あたいをここに置いてくれ」
そのアシタの言葉に、胸の中で嗚咽するゾイも何度も頷いて同意を示す。
「……」
ロビンは険しい表情を更に険しくして、見下すような目でアシタと見つめ合う。それからゾイを見て、俺を見たロビンは少し考え込む様子だったが……ややあって、渋々といった感じで頷いた。
「……ちょうど駒が欲しかった所です。いいでしょう、アシタ・ベル。そのなんでもするという言葉を忘れないように」
「ああ、分かった。ベルの名に懸けて誓う。これでいいかい?」
「ええ……結構です」
ロビンは少し顔を背け、物凄く嫌そうな顔で頷いた。
「しかし……」
ロビンには純真一途で優しい心根とは裏腹に、冷たくて残酷な一面がある。
ゾイに向かってはこう言った。
「その小さいドワーフの子は要りません」
「……!」
俺の胸の中で泣いていたゾイだったが、そのロビンの言葉に身体を震わせた。そして、泣き腫らし、絶望しきった表情で俺を見上げる。
「ディ……」
そのあまりにも弱々しい声色に俺は……
頭の奥で、何かが切れた。
「ロビン……この差別主義者が……!」
アシタとゾイとで何の違いがある。二人共、俺を頼って来た事には変わりない。未だかつてない怒りに震える俺だったが、その俺を前にしてもロビンは怯まない。
「ディートさん。馬車に乗ったって、馬に乗ったって、浮浪児は浮浪児です。信用できません」
「アシタは……」
「ベル氏族の者と、ただの浮浪児は一緒ではありません。その角に懸けた誓いは信用するに値します」
因果は巡る。
俺は激しい怒りに震えるのと同時に、アシタの角を繋いだ事に因って生じたこの奇妙な成り行きに目眩を覚えた。
母が、その戯れる指先で運命を回している。
ゾイはここに、俺と一緒に居るべきではないとでも言いたいのか。我慢ならない。
「……ロビン。あぁ、ロビン! お前というヤツは……!」
ざわっと背筋が粟立ち、総身から溢れた神力がプラズマのように迸り髪を巻き上げる。『雷鳴』の前兆だった。
「……!」
その迫力に流石のロビンも鼻白み、僅かに後退りして身構える。ビビったアシタは即行で逃げ出した。
この『雷鳴』は、成長した俺の力と激しい怒りに準じ、未だかつてない凄まじいものになるだろう。周囲にも少なくない影響が出るだろうが構うものか。
「くたばれ……!」
その言霊の秘めた凶兆には、俺を固く抱き締めるゾイですら身体を震わせた。
だが――
この俺の怒りに震えなかった者が一人いる。何事もなかったかのように、言った者がいる。
成り行きを見ているだけだったルシールが、静かに言った。
「それでは、その子は私が預りましょう」
「……」
俺は少しだけ落ち着き……
……思えば、ゾイをロビンに預けるなど正気の沙汰ではない。だが、ルシールなら問題ない。
俺は深く息を吐き出して怒気を静める。
今のは不味かった。
雷鳴は対象を選ばない。おそらくだが、今の俺が本気で雷鳴を発すれば、その言霊の影響を間近に受けるだろうゾイはどうなったか分からない。
「……ルシール。ゾイを頼む……」
「お任せを」
ルシールには一つ借りた。
これも因果の内だろう。
柔らかく笑むルシールにゾイを託し、対面で身構えるレイシストには侮蔑して見せ、俺は神官服の裾を翻した。