61 『聖女』
三年前の事になる。
聖エルナ教会に、七日に渡る神の『刷り込み』を受けたエリシャ・カルバートという七歳の少女が訪れた。
その少女は、完璧な少女だった。
全ての事柄に、まるで聖書を書き移したかのような模範的な回答をしたその少女は、アスクラピアの使徒としても模範的な行動をした。
銀色の髪に白皙の肌を持つ美しい少女だ。
バイオレットの瞳には聖痕と呼ばれる神の証が浮かんでいる。
人々が挙って有り難がるそれの正体は……
あまりにも長い神の『刷り込み』が、幼い少女の人間としての自我を奪った事の証明だ。
教会騎士、レネ・ロビン・シュナイダーはこれを『聖女』とは認めない。
『聖女』エリシャ・カルバートは、教会上層部が『焼き付け』という邪法によって作り出したおぞましい作り物の偶像である。
しかし、エリシャの持つ神力は比類なく強力だ。その力は失われた四肢を再生し、死の淵にある者すら、たちまちの内に元通り復元する。文句なしの『第一階梯』。正にアスクラピアの代行者と呼んでいいだろう。
だが、このおぞましい作り物を、ロビンが崇拝した事はただの一度だってない。
『聖女』エリシャは、慈悲深く公正で、慈愛に満ちた奉仕の心を忘れず、そして無欲である。
だが、人間性がない。
人間らしい苦悩がない。聖書にある事柄をなぞるだけの世にもおぞましい怪物である。
教会騎士レネ・ロビン・シュナイダーは、人間らしい苦悩と苦難の先に得た物を愛する。
立ち塞がる困難に立ち向かい、あらゆる暴力に逆らって自己を守り、力強く振る舞う神の手の存在をこそ信じる。
それこそが『人間性』である。
『聖女』は、決して怒らず、決して泣かない。人間らしい感情の発露がない。
聖女の癒しは皆に公正に与えられるが、ロビンにはいつも聖女が手を抜いているように見える。
母は、人間が造り出したこのおぞましい怪物の存在を許さないだろう。
だが、聖女の強大な力は、正に奇跡と呼んで差し支えないものだ。
美しく華麗。清廉にして潔白。
『薬』や『外科的措置』のような『外法』は決して使わない。
その結果として、救える命が救えない。厳然とした不可能が存在する。
ロビンにとって『奇跡』とは、人間らしい全力の行いが起こすものだ。そこに綺麗も汚いもない。
道半ばにして倒れた仲間たちは、決して聖女を認めないだろう。
この『聖女』が、手段を問わず、あらゆる手を尽くして命を救う者であったなら、ロビンは多くの友人の命を失わずに済んだだろう。
躊躇いなく外法を使い、感情を剥き出しにして怒り、時には苛烈な鞭を振るう事も辞さないディートハルト・ベッカーなら、あのおぞましい怪物より更に多くの命を救えただろう。
母の手はより大きくなり、その指先から零れ落ちる命はより少なかっただろう。
ディートハルト・ベッカーという少年は恐ろしく苛烈だが、その性分は砂糖より甘い。
彼の癒しの手は躊躇いなく外法を使う。だが、何をしてもいいとまでは思っていない。
マリエール・グランデの一件で彼が見せた苦悩は、正しくその人間性が見せた苦悩だ。
ロビンは思うのだ。
アレクサンドラ・ギルブレスに行った非道は、彼女を死なせない為の配慮でしかない。
ディートハルト・ベッカーの本性は、蜂蜜より甘く優しい。
◇◇
ルシール・フェアバンクスは、過去に起こった出来事を居住塔にある自らの居室で振り返っていた。
『聖女』エリシャ・カルバートを見た時の衝撃は忘れない。
凄まじい神力を振るい、母の手から零れ落ちそうな命を救い上げ、慈悲と慈愛に溢れるその行動は、数多の者の好意と信頼を勝ち取った。
だが、『聖女』の癒しを受けた者の中に、恐ろしい悪魔の種子が芽吹いた者がいる。
癌。
ディートハルト・ベッカーが言う所の『悪性腫瘍』だ。
聖エルナ教会で修道院長として活動していたルシールは、過去幾度かに渡り、この悪魔の種子と対面した事がある。
それを宿した者は、一人の例外なく死んだ。
苦しみ、苦痛の果てに死んで行った。
『慈悲』と『慈愛』の心を持つ事は、癒者として最低限の条件だ。
ルシールの癒しは、この悪魔の種子に全く通用しなかった。
だが、これが『聖女』なら?
聖女の力はルシールとは比較にならない強大なものだ。聖女の癒しこそ、母の手と呼ぶに相応しい。そう思っていた。
この時までは。
ルシールは地べたに額を擦り付け、聖女の助力を請うた。
快く承諾した聖女だったが、『悪性腫瘍』を見て、幼い少女の顔をポカンとさせた。
そして言ったのだ。
「それは治りません」
こうも言った。
「人は天によって定められた命数を生きるのです。私の手によって、命が伸びるという事はありません。それは運命なのです」
試しもせぬ内から、聖女は命を見捨てて見せた。
地べたに這いつくばり、尚も聖女の助力を請うたルシールは、そのままの格好で、聖女に対して『無礼』であるという理由から、教会騎士に百杖も打ち据えられた。
ルシールの切実な叫びは、聖女には永遠に届かない。
生きとし、生ける者が救いを求める事は罪なのか。
人の命を『運命』等という簡単な言葉で切り捨てていいのか。
この日、ルシール・フェアバンクスの信仰は崩壊した。
◇◇
全ての慰めは卑劣である。絶望だけが義務という場合がある。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
ルシールが蓄財に励むようになったのはこの時からだ。
全てのものに金が掛かる。
そして金は裏切らない。金は生活を豊かにする。生活が豊かになれば、心も豊かになると信じた。
母はルシールの信仰を裏切った。別の物を信仰するのは自然の成り行きだった。
その三年後、一人の少年を連れ帰った憎たらしい教会騎士のレネ・ロビン・シュナイダーは、偉そうに胸を張ってこう言った。
「素晴らしい逸材です。お前たちは、誠心誠意この方に仕えなさい」
「……」
ルシールは思わず笑いそうになった。
お前たち教会騎士が言う所の『逸材』とやらの正体を知っているぞと嘲笑ってやりたい気分だった。
お前たち教会騎士にお似合いなのは、あのおぞましい『聖女』だと叫んでやりたかった。
レネ・ロビン・シュナイダーが連れ帰った少年は、この聖エルナ教会にて二日間の『刷り込み』を経て目を覚ました。
自我の確立が未熟な幼児期の『刷り込み』が長ければ長いほど、逸材とやらも得体の知れない『怪物』になる。
ルシール・フェアバンクスは知っている。
母は強烈過ぎる個性だ。正に神なのだから当然だ。長過ぎる『刷り込み』は、その神性故に子供の弱い自我を焼き付くす。
上層部が行った『邪法』の正体は、『刷り込み』を強制的に引き伸ばす『焼き付け』という邪術だ。
(なんとおぞましい……)
『神官』は、全てあの『聖女』という怪物の卵である、というのがルシールの行き着いた真実だ。
そして未熟な神官ほど、揃いも揃って聖書の言葉を自らの考えのようにひけらかす。そんな者が、あの聖女とどう違うというのか。
少年は頬を染め、口元に微かな笑みを湛えて名乗った。
「改めて、ルシールさん。ディートハルト・ベッカーです。よろしくお願いいたします」
あどけなさを残す微笑みに、ルシールは聖女を名乗る怪物を思い出す。
永遠に眠っていれば良かったのに。
これを教役に推したポリーは、とんでもない愚か者だ。あの場には彼女も居たのだ。三年前、聖女との間に有った出来事から何も学んでいない。
そこまで考えた時、ルシールは強烈な張り手を受けて吹き飛んだ。
忌々しい教会騎士。
百杖も打たれたルシールが死にかけた時、このレネ・ロビン・シュナイダーもその場に居合わせ、指を咥えて見ていたのだ。
ルシールは嘲笑を圧し殺し、聖女にしたのと同じように額を地べたに擦り付けて謝罪する。
これで満足か?
ルシールの信仰は既に擦り切れ、枯れ果てている。
少年は、怒ったように吐き捨てた。
「シュナイダー卿、これはやり過ぎだ」
「…………?」
だが、待て。
この少年は何処かおかしい。あのおぞましい『聖女』は、目の前で百杖も打たれ、死にかけたルシールを見ても顔色一つ変えなかったというのに。
待て待て。そもそも、ポリーは何故、この少年を教役に推したのだろう。
ポリーには出産経験がある。その子供を亡くし、良人は酒と賭博にのめり込んだ。そんなポリーに残ったのは信仰だけだった。その信仰を頼りに、この聖エルナ教会にやって来たのだ。
少年のくすんだ茶色の髪は、一部が白く煤けている。まさかとは思う。『自己犠牲』は、母が好む素晴らしい徳の一つだ。
少年は恐ろしく無口だった。何を考えているか全然分からない。
だが、聖エルナ教会を見て回るその姿は『おのぼりさん』のそれで、名ばかりで何の価値もない聖女エルナの遺したガラクタを珍しそうに見ては祈りを捧げて回った。
その姿は、偉業ある故人を偲ぶ敬虔なアスクラピアの子の姿だ。
まさかとは思う。
あの傲慢な教会騎士のシュナイダーが、本当に『本物』を連れ帰る等とは思えない。
だから、ポリーから、少年がシュナイダーをウジムシ扱いして追い払ったと聞いた時は、腰が抜けるかと思うぐらい驚いた。
それとは別にして、ポリーにはしっかり罰を与えたが。
少年は酷く気分屋だった。
あちこち気ままに歩き回り、時折、伽羅の破片を吐き出しては気の赴くまま井戸を蹴飛ばして祝福して回る。その姿には、聖女の祝福のような有り難みのような物は一切感じない。
シュナイダーは、その少年の行動を咎める事はせず、にこにこ笑って見つめていた。
ルシールには、シュナイダーが、その少年の『人間性』を楽しんでいるように見えた。