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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第二部 少年期教会編
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58 ディートハルト・ベッカー4

 時刻は昼を過ぎ、ギラギラと目に痛い太陽が中空に差し掛かる時間になって、俺は日射しを避けたテラスで一人の昼食を摂っていた。


 無事、治療を終えたアネットに関しては、修道女シスタたちに着替えを頼み、自らの居室に運んでもらった。今は静かに眠っている。


 遠造もマリエールも診たし、難題と思われたアネットとの和解と治療という問題も片付いた。


 この日、オリュンポスで済まさなければならない仕事は、あと一つだ。


 アレクサンドラ・ギルブレス。


 俺の言い付けを破って、平気でいるあの愚か者に罰を与える必要がある。


 如何にヤツを懲らしめるか考える俺の剣呑な雰囲気を察したのか、修道女シスタたちは、一人昼食を摂る俺を遠巻きに見つめるだけで、誰一人近寄ろうとしない。


 俺は一人が好きだ。

 それは、この異世界に於いてアスクラピアを信仰する神官になったからではなく、日本でサラリーマンをやっていた頃からそうだ。


 思えば、俺という男はいつだって周囲から浮いていた。


 静けさを好み、孤独を好み、喧騒と人の群がりを嫌っていた。


 趣味の合うごく少ない友人とは、流行りの遊びに興じるより、語り合う事を好んだが、大学を卒業してからは疎遠になった。


 時折、連絡があって「元気か?」と聞かれた時は「元気だ」と返す。助けが必要だと思った時は手を貸してやった。勿論、逆もある。


 男の友情はこれでいい。


 何人かの女性と交際していた事もある。だが、いい感じになった所で、彼女らは決まってこう言った。



「貴方は悪い人じゃないけれど……別の世界の人と居るみたい……」



 そして、彼女らは俺から離れて行く。気が付くと、一人に戻り、安心する俺が居る。


 こうして『ディートハルト・ベッカー』をやっていると考える。


 彼方あちらの世界の俺と、此方こちらの世界の俺。


 どちらが、本当の俺なのだろう。


 よく、分からない。


◇◇


 人は狭い器の中に二つの本性を持っている。


 世界が昼と夜の世界を持つように、人もまた二つの顔を持っている。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 漠然と考えていた所に、つかつかと足音を立てながら不躾に歩み寄って来たのはロビンのヤツだ。


「……アネットさんと和解されたのですね……」


「何故、喋れる」


「契約は、あくまでオリュンポスの『クランハウス内』に留まるものです。ここ……テラスは含まれません」


 俺は小さく舌打ちした。

 ロビンは、そんな俺の不機嫌など気にせず続ける。


「……アネットさんを嫌っていたように思いましたが、意外です……」


「意外なものか」


 俺はナプキンで口元を拭い、ロビンを睨み付けた。


 アネットは、あれはあれで自らの信条に沿って動いていただけであるし、そもそも最初吹っ掛けたのは俺の方だ。

 

 間抜けな顛末に揉めもしたが、あれからとうに一ヶ月以上の時間が過ぎている。俺がそうしたように、アネットの方でも和解の機会を探っていた。そう考えるべきだろう。

 俺は小さく溜め息を吐き出した。


「……ロビン、聞け」


「は」


 俺はやむを得ず、赦しと贖罪に付いて説いた。


「過ちというものは、れも皆、自ら犯し兼ねないものばかりだ。それ故、過ちを赦す事はそう難しいものではない」


「……」


 ロビンは気のない表情で、僅かに視線を逸らした。


 おや、説教好きのロビンさんは、一丁前にこの説教は気に入らないと見える。


 おそらく、似たような説教をされた事があるのだろう。この教会騎士キチガイには、通り一辺の説教は通じないという事だ。

 実に面倒臭いヤツだ。


「……なあ、ロビン。人は……時として肉体と精神の間に迷い躊躇う……」


「…………」


 ロビンは、今度の説教には感じるものがあったのか、興味深そうに俺に向き直った。

 本当に面倒だ……


「……だがしかし、人はおののく魂で悩む力を持つと同時に、至高のものを果たす力を持つ」


「至高のもの……」


 俺は頷いた。


「その至高のものとは、希望と愛とを備えた信念だ。その道は困難で、罪と死こそを糧として進まねばならない」


「……」


「我らは、しばしば道に迷い、いっそ生まれざりしならばと迷うこともある……」


「はい。分かります」


 そこでロビンは真面目に聞く気になったのか、膝を折り、椅子に腰掛けたままの俺を見上げた。


「……しかしだ。我らの上には永遠の希望と使命とが輝いている。

 即ち……光と精神と……

 それゆえ、迷える時、仲違いの内にあっても理解が可能だ……」


 俺は特別難しい話をしている訳ではない。毎日、飽きるほど祈り、瞑想している。その中で俺が行き着いた考えの一つを口にしているだけの事に過ぎない。


「……」


 しかし、ロビンは痛み入ったのか、ひざまずいた姿勢で微動だにせず、見上げていた視線を落として真剣に話を聞いている。


 この狂信者の好みに興味はない。俺は青い空を見つめ、深い溜め息混じりに続ける。


「……裁きと憎しみでなく、忍耐強い信仰が……信仰する忍耐が我等を神聖な目的に近付け……頭上に輝く清らかな銀の星が――」


 そこで、俺は押し黙った。

 気付くとルシールを含めた修道女シスタたち全員が集まっていて、ロビンの背後で跪き、祈るように手を組んで、如何にも傾聴してますといった感じで畏まっていたからだ。


「……」


 馬鹿馬鹿しい。俺は偉そうに、何を言っているんだ? その思惑から俺は話を止め、再び食事に戻った。


 すると、ロビンが慌てたように顔を上げた。


「な、何故、黙ってしまわれるのです。素晴らしいお話でしたのに……もっと、もっと貴方の話を…………」


 そこまで言った所で、ロビンはいつの間にか背後で祈るように話を聞いている修道女シスタの存在に気が付いた。


「なんですか、お前たちは図々しい! ディートさんは、今、私に語って下さっていたのです! お前たちに与えた言葉ではありません!」


 かんかんに怒ったロビンに食い下がったのはルシールだ。その頬が恋する乙女のように紅潮している。


「シュナイダー卿、今のディートハルトさまのお言葉は、生きとし生ける者、全てに当てはまる素晴らしいお言葉です。貴女ごときが独占していいものではありません」


 おお、言った!

 流石、金属バット(ルシール)だ。元とはいえ、修道院長の肩書きを持っていただけの事はある。


 ロビンは、ゆらっと立ち上がった。


ディートハルトさま(・・・・・・・・・)? 図々しいだけでなく、馴れ馴れしいですね……。お前ごときが、いつからディートさんの御名を口にしてよくなったのです」


「シュナイダー卿。その言葉、そっくりそのまま、貴女にお返し致します」


 何がどう変わったのか分からないが、ルシールは一歩も退かずロビンを睨み付けた。


「何……? 聞こえませんでした。もう一度、言ってみなさい……」


 暇な奴等だ。

 呆れてサロンの方に視線をやると、こちらの様子に苦笑する遠造と、ニヤニヤと小馬鹿にしたように笑うアレックスの姿が目に入った。

 俺は低い声で言った。


「……ロビン。その辺にしておけ……」


「しかし……!」


「そろそろ、アレクサンドラ・ギルブレスに然るべき罰を与える。お前は俺の第一の騎士だろう。手伝え」


「――っ!」


 俺の言葉に、ロビンはたちまち姿勢を正し、左手を胸に当ててこうべを垂れる。

 その表情は平淡なものに戻り、冷静そのものの口調で静かに頷いた。


「御意に」


 だが、忘れるなと言わんばかりにルシールを一瞥し、舌打ちして見せるのは忘れない。


 呆れるが……今日は、そろそろ最後の仕事を済ませる事にしよう。


 俺は食事を終え、静かに席を立った。


◇◇


 無制限な活動は、如何なるものであろうと結局は破滅する。


 何者の言う事も聞かず。


 何者にも教わる事はなく。


 また故人にも倣うべき事がないというならば――


 それは、自ら「お手製の馬鹿者」であると言っているのと同じだ。


 サロンに入り、一歩一歩を踏み締めて、『戦士』アレクサンドラ・ギルブレスの前に立つ。

 俺は言った。


「アレックス。言い訳があるなら聞いてやろう」


「……何の事だい?」


 デカいソファに腰掛けたアレックスは、ニヤニヤと笑みを絶やさない。


「惚けるな。術式後は休み、身体を労れと言っておいた筈だ」


 その俺の苦言に、アレックスは欠伸混じりに答えた。


「はあ……それで、あたしは、あんたに言い訳しなきゃいけないのかい?」


「馬鹿め。俺にではない。失った仲間に、どう申し開きするのかと言っている」


 ここで無理をするという事は、復讐を遅らせるという事だ。怖じ気付き、尻込みするのと何も変わらない。気が紛れる分、遊んでいた方がいいぐらいだ。


「――っ」


 流石のアレックスも鼻白み、気まずそうに不埒な笑みを引っ込める。


◇◇


 適切な答えは、いつだって愛らしい乙女のキスのようだ。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


「表に出ろ、アレックス。今のお前が、どれだけ愚かか教えてやる」


 俺……『神官』ディートハルト・ベッカーは、『戦士』アレクサンドラ・ギルブレスに喧嘩を売っている。


 それは――


 愛らしい乙女のキスのようだ。


 そう思うのは、俺だけだろうか?

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