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アスクラピアの子  作者: ピジョン
プロローグ『刈り取る死』の前触れ
52/310

闇の中にて、邂逅。再び。

 夢。


 夢を見ている。


 俺はいつしか闇の中に立ち、怯える事なく目の前の闇と対峙している。


 その闇の中に、青いロウソクを持つ青ざめた唇の女が立っていた。


「なんだと……!」


 ぎょっとした俺は身を固める。


 すると、隣から、呆れたような若い男の声が聞こえた。


「脆い子は、悩み躊躇う」


 誰だ、こいつ。

 そう思う間もなく俺はハッとして、若い男に倣ってその場に膝を突く。


 アスクラピアは言った。


『間もなく……』


 俺は強い興味から、隣で身を屈める男をちらりと見やる。


 白髪、痩身の男。両の目に包帯を巻いていて、めしいである事が伺い知れる。

 俺は戦慄した。

 この男が母に捧げたであろう犠牲のなんと多い事か。


 この男もまた、『アスクラピアの子』と呼ばれる神官なのだ。


 砂と風に草臥れた外套を身に纏い、そこから覗く足は金の拍車の付いたブーツを履いている。驚いた事に腰には剣を差していて――


 騎士だ、こいつ。


 あり得ない。

 聖書に於いて、かつてのアスクラピアは癒しを司るだけの善性の存在であったとされる。

 だが醜い蛇の姿を忌み嫌った軍神アルフリードの剣に因って、命乞いの甲斐なく無慈悲に斬り殺された。

 故に、母は剣を持つ者を嫌う。

 癒しを与える事はあっても、力を与える事はしない。だが、目の前のこの男は腰に剣を帯び、総身から沸き立つような神力の滾りを感じる。


 初めて見る俺以外の『神官』は、アスクラピアの加護を持つと同時に、軍神アルフリードの加護を頂く『騎士』でもあった。


(馬鹿な! 有り得ん!)


 俺が『五戒』と呼ばれる戒律を持つように、『騎士』にもやはり戒律が存在する。


 軍神アルフリードの定めた『忠誠』『礼節』『武勇』『名誉』『信念』がこれに当たる。これらは神官の五戒と反するものではないが、この男は騎士としての戒律を為しつつ、尚も五戒を守ったのだろうか。

 男が咎めるように言った。


「今は止せ。しみったれた母は、二度も同じ事は言わん。それぐらい知っているだろう」


 俺は慌てて視線を伏せ、しみったれた母の言葉に耳を澄ます。



『全ての者が闇に覆われ、色褪せて行く』



 白髪の男は身を屈め、微動だにせず母の言葉を聞いている。


『砂漠の蛇、白蛇。お前の半分に、我の側に侍るよう命じる』


「は……」


 男は静かにこうべを垂れる。


『残りの半分は、死の砂漠にて運命を待て』


「御意」


 なんだ、これは。

 白蛇と呼ばれるこの男の身を半分に引き裂いてしまわぬ限り、この問答は成り立たない。


『そして――新しき子よ』


 俺の事だ。

 直に向けられた母の視線に震え上がり、俺は身を固くして言葉を待つ。


『お前は、備えなければならない』


「……」


 俺は……

 いつだって俺だ。緊張する事はあっても、怯えてなどやらない。例えそれが――生と死の化身の女神であったとしてもだ。


『……別れが泣き、世界に死が満ちる。そこでは誰もが死に身を任せる事を学ぶだろう……』


 くそ。また、けったいな事を。

 こいつは超自然の存在だ。そんなヤツの言う事が理解出来る訳がない。抽象的過ぎる。

 だが今回は聞かねばならない。

 俺は真剣に言葉の意味を探り、思考せねばならない。アスクラピアの言葉を額面通り聞くならば……これから恐ろしい事が起こるのだ。

 つまりは、警句。


『これより、先。お前の行く手に巨大な困難が立ち塞がる。

 備えよ。

 闇の中に潜む死の大蛇を凪ぎ払え。

 力を得よ。

 やがて刈り取る死が来る前に。

 闇の中、弾け鳴る死がお前を捉えぬように』


「……」


 俺は呆れる思いだった。

 今回、アスクラピアは特大の試練を俺にぶつけるつもりのようだ。


 そこで、白蛇が立ち上がった。


「母よ。俺も力を貸していいか」


 やるじゃないか。アスクラピアの言葉に口を挟むとは、こいつは中々イカれてる。


『駄目だ』


 それが拒絶の言葉であれ、アスクラピアが答えを返すとは思わなかった。

 驚くばかりの俺の前で、アスクラピアは尚も言葉を重ねる。


『人には向き不向きがある。白蛇、お前は確かに役に立つだろう。だが、今回の試練にお前の差し入る余地はない。この子でなければ駄目だ』


 それだけ言い残し、アスクラピアは闇に包まれて消えて行く。


 その闇の中、やはり朧気に姿を消しつつある白蛇が小さく舌打ちした。


「相変わらず、しみったれた女だ……」


「……」


 その言葉に、俺は思わず顔をしかめた。

 あれをしみったれと呼ぶこの男と、同じくそう呼ぶ俺の感性は非常に似ている。


 アスクラピアが消え去り、緊張から解き放たれた俺も立ち上がる。


「なあ、あんた。誰だ? 名を教えてくれ」


「……」


 アスクラピアに『白蛇』と呼ばれていた男は白髪を掻き回し、少し考え込む様子だった。

 ややあって――肩を竦めて笑った。


「……忘れた。蛇に食わせちまったぁ……」


「そうか。それ故の『半分』か」


「仲間は、団長って呼ぶな」


「……」


 こうする間にも、世界は闇に覆われて消えつつある。


 俺たちの出会いには、まだ時の経過と運命の導きとが必要なようだ。


 白蛇は口元に笑みを湛えている。


「また会おう。果てしない旅の行く末に」


「……!」


 いつか俺は、闇の中に消え去ったあいつに似たような事を言った。それは、忘れていいほど昔の話じゃない。


 『俺』と『白蛇』と『ディートハルト・ベッカー』とは、似たような何かを共有しているのだ。


 白蛇は半分包帯を巻いて隠してあるような顔に、笑みを湛えている。


 それは敵に向けるものではなく、親愛を向ける存在に向けるものであったと思う。


 白蛇は気障な仕草で聖印を切って身を屈める。

 最後に言った。


「青ざめた唇の女。その本性は蛇。しみったれた女神、アスクラピアの祝福(災い)あれ!」


 そして右手を胸に当て、気取った格好で闇の中に消え去った。


 この共通点をどう解釈すればいいのだろうか。


 俺もまた、聖印を切った。


「白蛇、また会おう。母の戯れる指先が虚空に貴様の名を描く事がないよう祈る」


 そして、俺もまた闇の中に消えて行く。


 アスクラピアは、いつだって死を思わせる静寂を好む。


 後に残るは静寂のみだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 猫とワルツを、好きだったんですよねぇ
[一言] おかんは中二病?(笑)
[良い点] 情景描写のリアルさと文章が綺麗で世界に惹き込まれます。 誰が何を考えて決断し行動に起こすのか、その結果がどうなるのか…ダークな部分はありますが、人の意思と神?が介在することでただ人間の汚…
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