50 女王蜂7(第一部終話)
あたしは忙しい。
縄張りを繋ぐ長屋の通りはいつの間にか市が立つようになり、『パルマの貧乏通り』とか呼ばれるようになっていて、日々賑わいを増して行く。それに比例してトラブルも増え、あたしの忙がしさも増して行った。
新しく拾って来たガキは、皆、従順だけど、喧嘩をするには心許ない。セッケン作りや情報集め、使い走りなんかの雑用にしか使えない。こいつらが本当の意味で役に立つようになるには、最低でもあと二、三年は必要だ。
金の目星が付けば、後は人だ。
ディは心配そうに言った。
「……アビー。最近、休んでるか……?」
全然、休んでない。今のあたしにそんな暇はない。
疲れを知らず、多少の怪我もなんのその。ガキ共は、皆、あたしが不死身みたいに思ってる。
そんなあたしの強さの秘訣は、『アスクラピアの子』ディートハルト・ベッカーだ。目の回るような忙しさの中、あたしが潰れずに居るのは、毎日のようにディが祝福してくれるからだ。
ディに祝福を貰うと、頭も身体もすっきりする。エルフ女……マリエールの話じゃ、第三階梯以上の力を持つ神官の祝福は、浄化作用だけじゃなく、疲労回復や気力向上の効果もあるらしい。
危ない薬みたいだけど、こいつに常習性や副作用はないってんだから、恐ろしいぐらいの御利益だ。
でも、あたしは『あたし』がデカくなる度に、『アスクラピア』が鬱陶しくなる。
もっと使える駒があれば、そんなものに頼らなくて済む。ディは、ただのディで居られる。そうしたら……
ディと、二人でゆっくりしたい。
そのディだけど、忙しそうにしているあたしを見る度に、何か言いたそうにする。
言いたい事は分かってる。
アシタ、ゾイ、エヴァ。
この三人を許せば、あたしは大分、楽になるって分かってる。
でも許せない。
力頼みで肝心な所が抜けてるアシタ。能力はあるのに、排他的で惰弱なエヴァ。ディにべったりで、それ以外の事に興味をなくしちまったゾイ。
特に気に障るのがゾイだ。
メシ炊き女でしかないあいつをディは酷く気に掛けてる。スイが止めなきゃ、自分で迎えに行ってただろう。
「ディと、あのチビを絶対に会わせるんじゃないよ。分かってるだろうね、スイ」
スイは従順だけど、頭の方はあんまり良くない。そのスイが泣きついて止まるのは今だけで、その内、本気を出したディに出し抜かれるだろう。
アシタとゾイに関しては、ディから何度も寛恕の要請があったけど、エヴァにはそれがない。
ディにとって、エヴァはただのゴミ箱だ。
汚い感情を捨てるゴミ箱。それはいい。あたしもあいつを許すつもりはない。オリュンポスに、何度もディを売ったあの性悪猫を許す訳には行かない。
ゾイは論外。
あいつはディを特別視し過ぎてる。いざとなったら、あたしよりディの意思を優先する。それがオリュンポスでの悲劇を生んだ。
――二十年。
ディが失った寿命の年数を聞いた時のゾイの顔は見物だった。
普段はカマトトぶってる癖に甘える事もせず、あたしが与えた罰の一切を受け入れた。アシタの倍は鞭で打ってやったけど、それすら文句も言わずに受け入れた。辛抱強いドワーフじゃなかったら死んでただろう。ディの件は、その程度には、ゾイにとってもショックだったんだ。
あたしはこの際、ゾイを売っ払っちまおうって思ったけど、それはディが許さなかった。
あぁ、嫉けたねぇ……こういうの、なんて言ったっけ……
……相思相愛ってのかい?
本当、死ねば良かったのに。
あたしも馬鹿じゃない。いつかこの三人を許さなきゃいけないなんて事は分かってる。だから、許すとしたら、まずは間抜けのアシタからって事になる。でも、あいつはあたしの期待を二度も裏切った。ガキ共の手前、もう少し冷却期間が必要だ。そんな風に考えてた。
どいつもこいつも使えない。
今のところ、スイはなんとかディを抑えてはいるけど、そろそろ限界だ。だからあたしは、もう一人ディに護衛……見張りを付けようって思った。
そこに、あいつだった。
◇◇
そいつはある日、ふらりとあたしの縄張りに入り込んだ。
犬人のガキ。
フランキーのヤツは落ち目も落ち目。戦場稼ぎの一件で大勢手下を死なせた挙げ句、逃げ出したのが祟って手下の方から縁を切られる始末だ。
元はフランキーの所に居たけど、成功したあたしの噂を聞いて、自分から売り込んで来た連中の中に、あいつがいた。
丁度、あたしは、落ち目のフランキーから人員を吸い上げている最中で、その中にあいつ……ジナが居たんだ。
個人差もあるけど、ワードッグってのは、基本的に頭のネジが一本抜けてる。
その時、あたしの直感が囁いた。
ディと、このジナとは、絶対に『合わない』って。
力の方は、あたしの勘だと、アシタの方がやや上だ。でも、ディはアシタの事も心配している。ゾイに関しては頑なな態度のあたしを見て、まずはアシタの事を何とかしようとしている。気に入らない。でもジナは……
頭のネジが、一本どころか二、三本跳んでそうなのがいい。おまけに汚い。綺麗好きのディとは絶対に合わない。
実際、あたしの勘は当たってた。
頭の悪いジナは組織の事を何も理解しておらず、ディを軽視していたし、一方のディは、ジナの頭の悪さに呆れていて、普段は滅多に変えない顔色に珍しく嫌悪の色を浮かべていた。
この時も、あたしの勘は当たった。でも、それを使うあたしが裏目を引いちまったらどうしようもない。
結果として……
あたしは、またデカいヘマをやった。
馬鹿だ馬鹿だと思ってたジナだったけど、あたしの想像を超える馬鹿だった。
まさか、ジナがディを殺しかけるなんて、思わなかった。
まさか、あのエヴァがディを助けるなんて、思わなかった。
その日のあたしは、露店をやってる商売人たちの喧嘩の仲裁をやってた。そこに血相変えたガキが飛び込んで来て、
「ボス! おくのひとが……!!」
と、来たもんだ。
◇◇
まぁ、狐、犬、猫、兎、種族は色々あるけど『獣人』には『獣化』って技がある。
でも、この獣化を使うには、一皮剥ける必要がある。あたしの見立てじゃ、ジナはエヴァ以上、アシタ以下。
ガキを使いに走らせたのはエヴァで、あたしが長屋に戻った時、既にジナは半死半生の有り様で転がってて、同じようにディも血を吐いて死にかけてた。
何があったかなんて分からない。でも、エヴァは泣きながら、必死になってディに声を掛けていた。
全身、ずたぼろの半死半生のジナの酷い有り様を見て、エヴァが『獣化』したんだってすぐ分かった。
一皮剥けた。エヴァは、もう以前のエヴァじゃない。『獣化』するってのはそういう事だ。
まともじゃ居られない。そんな時、獣人は獣化して本性を現す。泣きながらディに呼び掛けるエヴァに起こったのはそういう事だ。
ディとエヴァの関係に、大きな変化があった。それが切掛で、エヴァは変わった。変わらずに居られなかった。
気に入らないけど、そういう事だ。
気を失ったディは死にかけてた。意識を取り戻す事が出来たら、アスクラピアの蛇を使えるだろうけど、ディの意識は戻らない。
声が嗄れるまで呼び掛けても、涙を流して懇願しても、ディは頑なに目を閉じたまま。
これは、ヤバいやつだ。今、全力で呼び止めないと、ディはこのまま逝っちまうって思った。
こんな時、意地を張ってる場合じゃない。だから、アシタとゾイも呼び出して、全員で必死になってディに声を掛けた。
あたしは、必死でアスクラピアに祈った。
少しでも、アスクラピアを疎ましく思った事を血を吐く思いで後悔した。今はまだ、あんたの子供を連れて行かないでくれって泣きながら祈った。
結局、アスクラピアがあたしの願いを聞き届けてくれたのかどうかは分からない。
でも、ディは目を覚ました。
大量に血を吐いた時は、心臓が止まっちまうんじゃないかってぐらい肝を冷やしたけど、次の瞬間、ディは、いつもの調子で腹が減ったって言って、あたしは安堵した。心の底から、アスクラピアに感謝した。
そして――
ジナの馬鹿には、アスクラピアの『逆印』が刻まれてた。
あたしは嘲笑った。
本当にいい気味だった。
あたしのディは特別製で、アスクラピアにも愛されてんだって思った。
アスクラピアに『逆印』を刻まれた者に、癒しの力は届かない。ジナは神に見放されたんだ。
ディは意外そうだった。
何度も「馬鹿な」とか、「有り得ない」とか言ってたけど、あたしはそんな風には考えない。子供を殺されそうになった母親が激怒するってのは、そんなに不思議な事じゃない。
でも――
これもディの言う通りだったんだ。
以前、ディは言ってた。
「アスクラピア……あれは、超自然の存在だ。あれの考えや思惑は、虫けらの俺たちには理解できない」
本当にその通りだったんだ。
ジナに『逆印』が刻まれたのは、アスクラピアの怒りに触れたからじゃない。ディを贔屓したからでもない。
これは、ただの前触れだったんだ。
アスクラピアは『逆印』を使って警告を発し、それに何かを感じたディは自ら出て行った。
あたしの縄張り全体に、死の風が吹きすさぶ事になる。
アスクラピアすら見放すほどの、恐ろしい死の嵐が訪れる。
ジナは、アダ婆と同じ病気に感染してた。
――天然痘だ。
これも因果ってやつかねぇ……
あたしは、地獄の底でアダ婆がゲラゲラ笑ってるような気がした。
読了、お疲れ様でした。
『アスクラピアの子』第一部、これにて終了です。感想等頂ければ、大変励みになります。また、面白かった。続きが気になる、という方はブックマーク等して頂けると嬉しいです。
描き貯めに入ります。また会いましょう。
読了、ありがとうございました!