49 女王蜂6
それから一ヶ月は、嵐みたいに凄いスピードで過ぎて行った。
ディは言った。
「数は力だ。アビー、今は多少の事には目を瞑ってでも数を揃えろ」
捨てられたガキは下水道に行けば何人でも居る。増え過ぎて流れて行っちまうぐらい居る。
あたしの『縄張り』はでかくなった。長屋は勿論、そこに面する通りを含めてあたしのものだ。
その通りで細々と商売やってる奴等にカスリ(上前を跳ねる)を掛けようとしたあたしだったけど、それに待ったを掛けたのはディだ。
「何でさ。カスリなんて、オリュンポスでもやってただろう。なんで、あたしがやっちゃ駄目なのさ」
そうだ。オリュンポスがこの辺の長屋を所持していた理由は、そういう旨味があったからこそだ。
支配と管理はスラムのヤクザ連中に任せ、そこから貸し賃という名目で金を吸い上げる。
こうしてヤクザ共に汚名を擦り付け、オリュンポスは利益だけを得る。いいやり方だって思ったし、間にスラムのヤクザを挟まなきゃ、もっと儲けられる。
それでもディは首を振った。
「それはチンピラヤクザのやってる事だ。アビー、お前はそんなものになりたいのか?」
あたしはそれに頷いた。
「そうだよ?」
最初、ディは何を言ってるんだって思った。
手下を増やすのも、縄張りを維持するのも、全部その為だ。あたし自身がヤクザそのものになる以外で、ここで伸し上がる方法なんてない。
あたしがそう言った時、ディは黙り込み、深く考え込む様子だったけど、ややあって複雑な表情で頷いた。
「……確かにそうだな……」
「だろう?」
ディのいい所の一つに『物分かりの良さ』がある。いつも小難しい理屈を振り回して、事ある毎に説教するディだけど、あたしの全部を否定する訳じゃない。
「だがな、アビー。同じ事をやったとして、果たしてお前は、奴ら以上に上手くやれるのか?」
「う……それは……」
ディの言う事は尤もだった。
あたしらは全員が子供で、大人のヤクザと張り合っても負けるのは目に見えてる。
「確かにお前は強い。お前だけなら、そこらのチンピラなんぞに遅れは取らんだろう。だが、それはお前だけだ。それじゃ意味がない。だから、やり方を変えろ」
「……へぇ、はっきり言うね。そう言うからには、ディ。あんたは、いい考えがあるんだろうね?」
「勿論だ」
ディは頭がいい。
最初、No.2の地位に付けたのは、勘違いした馬鹿がディを便利使いして潰しちまわないようにする為の配慮だったけど、『セッケン』の事があって以降、あたしのその考えは変わりつつあった。
「まず、カスリや脅しはするな」
それは、元々この辺の商売人から金を巻き上げてたヤクザと揉める原因になる。力も数も足りない現状、それは命取りになる。でも、奴らの真似をする訳じゃなかったら、奴らも手出ししづらい。よく分かんないけど、『大義名分』とかいうのがないから、時間を稼ぐ事が出来るらしい。
「う~ん……まずは力を付けるんだね……」
ディの言う事は相変わらず小難しいけど、要はそういう事だ。
「そうだ。まずはチンピラ連中を寄せ付けない力を付けろ。話はそれからだ」
そう。まず、あたしは今以上に強くならなきゃいけない。旨い汁を吸うのはそれからだ。
あたしはそんな風に考えてたけど、ディの考えが全然違うものだって気付くのは、もう少し後になってからだ。
この辺りの新しい顔役になったあたしだけど、そういう理由でカスリや脅しの類いはやらなかった。
身構えていたスラムのヤクザたちにとっても、これは肩透かしだったようで、ディの予想通り、あたしは少しの猶予期間を得る事になった。
でも、それらしい事をしなかった訳じゃない。
「アビー、ナメられるなよ。縄張りを荒らす連中は、どんな汚い手を使ってでも必ずぶちのめせ。二度と寄り付かんように、きっちりカタに嵌めろ」
「まぁ、そりゃそうだね」
力が整うまで、こちらから喧嘩は仕掛けない。でも売られた喧嘩からは逃げられない。
ガキでも、あたしは侠客だ。ディの言う通り、ナメられる訳には行かない。
ディが思い出したように言った。
「ああ、そうだ。商売人には優しくしてやれ。面白い事が起こるぞ」
「ん? ああ……」
この時のあたしは、ディの考えを全然理解してなかった。いずれメシの種になる奴らだから、今は好きにさせておけって、そういう意味だって思ってた。
でも全然違う。
ディが目指したのは『共存共栄』だ。頭の悪いあたしや、搾り取るしか能のないスラムヤクザには思い付かない新しい道だ。
その『新しい道』は、一ヶ月の時を待たず、形になって行った。
あたしの新しい『縄張り』には、毎日のようにチンピラが入り込んで騒ぎを起こす。
あたしは、ガキ共を引き連れてそこに行って、そういうチンピラを半殺しにしてドブに投げ込んだ。
勿論、そいつらが生きてるか死んでるかなんて気にしない。その反面で商売人には優しくした。肥え太らせて、後でガッツリ行く。この時はそう考えてた。
でも、そんな日々を過ごす内に、あたしの縄張りには妙に人が増え始めた。
通りに様々な露店が並び、市が立つと、空き家ばかりだった長屋に入りたがる奴らが増えた。
最初、あたしは何が起こってるのか分からなかった。
二十日もした頃、あたしが通りを歩く度に商売人が頭を下げ、挨拶替わりだって言って色んな物を押し付けて来た。
それだけじゃない。
手下のガキ共が、孤児だからって理由で商売人に……大人に苛められなくなった。
これの意味はデカい。
あたしの手下になれば大手を振って通りを歩ける。それだけでもスラムのガキにとって、あたしの手下になる十分な理由になる。
気付いた時、元は十人そこそこだったあたしの所帯は、二十人を超えてまだまだデカくなりつつあった。
ちょいとあたしがその辺を歩けば、大人もガキも全員が頭を下げて挨拶する。親しみを持って『親分』だの『ボス』だのって呼ぶ。
これが、ちょっと居心地良すぎる。通りを歩くあたしは、いつだってご機嫌だった。
でも、人が集まるにつれ、周囲は騒がしくなり、あたしは喧嘩だけをやってる訳には行かなくなった。
揉めるのはチンピラだけじゃない。増えてきた商売人たちも商売人同士で揉める。
どこそこの店の位置取りがどうだの、何やらの支払いがどうだの。そんな下らない内容。そういう時、あたしは呼び出されて仲裁の段取りを付けた。
こうなる事はディには予想出来ていたようで、退屈そうに言った。
「面白い事になって来たな」
実際、笑えた。
揉めた商売人たちは仲裁の仲立ちをあたしに頼み、話が着いた時は『謝礼』とか言って、結構な金を置いて行く。カスリや脅しなんて面倒な事をしなくても、金は稼げるって気付いたのはこの時だ。
ディは言う。
「人が多くなってきた。好むと好まざるに関わらず、揉め事は向こうからやって来る。その時、解決するのは誰だ?」
この時にはもう、あたしはディが目指す『共存共栄』に気付いてて、それの居心地良さにハマってた。
好かれて慕われて、それで金が入って来るんだから、居心地が悪い訳がない。
あたしの手下になったガキは口を揃えて言う。
「ボスのお陰で、この辺はすごく良くなった」
全部、ディが考えた事だ。
あたしの『お宝』。大切な大切なあたしのディートハルト・ベッカー。優秀なNo.2。あたしの右腕。アスクラピアの子。
アスクラピアの……
時々は考える。
こうして『あたし』がデカくなって行くと考えちまう。
アスクラピアは、もういいんじゃないかって……
あたしに必要なのは『ディ』で、アスクラピアの神官じゃないんじゃないかって。
長屋に人が増え、通りのあちこちに露店が並び、あたしは忙しくなったけど、シノギは上がって生活の水準も上がって行く。ちょっと前までは、下水道でその日暮らししてたなんて信じられない。あたしの行く道は、とても明るいって実感できる。そこに神は関係ない。
全部、上手く行ってた。
何もかも上手く行き過ぎちまったんだ。だからあたしは調子に乗って……
あんな最低なヤツを引き込んじまう。
力だけじゃ駄目だって、これだけディが教えてくれてたのに、あたしは最低最悪の馬鹿を、ディに近付けちまったんだ。