45 女王蜂2
戦場稼ぎを諦め、ガキを担いで下水道の塒に帰ると大騒ぎになった。
ドワーフのゾイは小躍りして喜んだ。
「可愛い! ねえ、アビー。ゾイが面倒見ていい?」
見る限り、新入りは十歳ぐらいだ。十二歳になるゾイは、弟分を欲しがっていたから丁度いい。
「そうだね。そうしな。苛めるんじゃないよ」
「しないよお!」
新入りの『クラス』と『スキル』が何かは分からないけど、あたしの直感は、戦場稼ぎなんかよりこの新入りの命を優先した。
ゾイは賢いし気立ても悪くない。預けても問題ない。
「……」
一方、アシタは、初めて見る純血種の人間に戸惑っていた。
「ほ、本当に男か、こいつ。すげえ細っこい……」
アシタには半分だけ『鬼人』の血が混じってて、身長だけなら、あたしとタメを張ってる。今でも頼りになるけど、あと一年もすれば喧嘩でもあたしとタメを張るようになるだろう。種族的にデカいからか、アシタの目に新入りは男に見えないようだった。
「アシタ、新入りは男だよ。あんたも半分は人間なんだから、姉貴分として、ちゃんと守ってやるんだよ」
「え!? あ!? わ、分かった……!」
そして予想通り、猫人のエヴァは目を細くして新入りを睨み付けている。
猫人は、仲間内でつるむ悪癖がある。具体的には、同種族間でのコミュニケーションに言葉を必要としない。
特にエヴァは排他的で、男嫌いの傾向がある。
あたしの集団が、これ以上デカくなるなら、今の内に直しておきたい悪癖だ。
エヴァは眉間に皺を寄せた表情で、新入りの襟首の辺りの匂いを嗅いでいる。
「……こいつ、お香の匂いがするね。まさか、教会の関係者……?」
「あたしは『癒者』なんじゃないかって踏んでる」
新入りの『ジョブ』が癒者なら大当たり。紛れもない『お宝』だ。長い間、あたしたちの為に役立ってくれる。
「今夜は抱いて寝てやりな。人間は弱っちいんだ」
「おーっ!」
と、ゾイは拳を突き上げて新入りに馬乗りになる。よっぽど新入りが気に入ったようだ。
「あ、あたいもか?」
「そうだよ。嫌なのかい? だったら無理強いはしないよ」
「あ、いや、そうじゃなくて、その、細っこいから、潰しちまうんじゃないかって……」
あたしは笑った。
「男ってのは、割と頑丈なんだ。手加減すりゃ大丈夫さ」
「そ、そうか。良かった……」
口には出さないけど、アシタはそろそろ『年頃』だ。新入りを大事にするってんなら問題ない。ただ、こいつと来たら、腕力しか取り柄がない。あたしには従順だけど、目下には突っ張る良くない癖がある。
「あんただって、寒いのは苦手なんだ。新入りとは仲良くするんだよ」
「う、うん……あぅ……」
何処か煮え切らない返事をするアシタは、悪い子じゃないんだけど、ちょっと抜けた所がある。新入りの性格にもよるだろうけど、最初は上手く行かないだろう。
あたしは、大きく溜め息を吐き出して、アシタに、そっと耳打ちした。
「あたしらの弟分だ……気に入ったら、ヤってもいいよ……」
ここじゃ、力が全てを決める。種族的に弱い人間の新入りに選択肢はない。
結局、アシタにはこの言葉が良くなかったんだと思う。何をどう勘違いしたのか、アシタは新入りに舐められないように振る舞うようになる。それが酷い誤解を生んで――
ゴミ箱になっちまうんだ。
「あたしは、やだかんね」
はっきりとそう言ったのはエヴァだ。
「あ? 今、何て言った?」
猫人は強く賢い。おまけに魔力まである。一々言わないけど、仲間内じゃ一番期待してるのがこのエヴァだ。
「お前は、悪い癖があるねえ……」
あたしは手っ取り早く暴力で分からせる事にして、澄ましたエヴァの顔を張り飛ばし、二、三発小突いて分からせた。
あたしは、後にこれを酷く後悔する事になる。
これじゃ、全然、足りなかった。
血反吐を吐くぐらい、徹底的にぶちのめして分からせるべきだった。
この時は、新入りが恐ろしくなるぐらい苛烈な性格だって知らなかったんだ。
あたしはヘマをやった。エヴァの躾には徹底を欠いた。それが原因で――
こいつもゴミ箱になっちまう。
◇◇
目を覚ました新入りは、『ディートハルト・ベッカー』と名乗り、記憶に少し難があるようだった。
無理もない。
十歳程度のガキが、死体の山の中に捨てられたんだ。忘れちまった方がいい事だってある。
ただ、自分の『クラス』を覚えてないのは頂けない。こいつは、今までどうやって生きて来たんだろう。スキルの事すら分からなかったのには驚いた。
やむを得ず、『宣告師』のアダ婆の下へ向かう事にした。
その途中、新入りは、下水道を流れていく死体を見て心を痛めていた。
もし、新入りのジョブが『癒者』なら、その感性はバッチリ当てはまっている。慈悲と慈愛の心を持つ事が『癒者』として最低限の資質だからだ。
死体を見た新入りは怯えていた。『お宝』の可能性が高い。あたしの勘ともバッチリ合ってる。
でも、あたしの勘は鋭すぎて――
とんでもないものを引き当てちまう。
アダ婆はディに言った。
「……神官。才能はかなりのもんだ。いいとこの坊っちゃん。その歳にしては徳を積んでるね。神さまを信じてるだろう。不器用だが暖かい。冷たい言い回しは責任感の裏返し。本当のあんたは慈悲深い」
衝撃的な『宣告』。その瞬間は、目の前に雷が落ちたみたいに全員が震えた。
とんでもない『お宝』だ。
ディが神官なら、それはあたしとあたしの集団にとっての虎の子だ。これが『運命』なんだって、あたしは確信した。
『神官』ディートハルト・ベッカーは、あたしが引き当てた『運命』だ。
あたしは、きっと大成する。ディがそうしてくれる。神官には『神』の加護がある。卑しい戦場稼ぎなんて目じゃない。もう金の心配はいらない。ディがあたしの手にある限り、これからあたしのやる事は絶対に上手く行く。
そんな事を思うあたしに、アダ婆が真面目腐った顔で言った。
「悪いことは言わないよ。この子はアスクラピアの手に委ねるんだね」
「……なんでだ?」
あたしは、何を言ってんだ、この婆って思った。目の前に、あたしの運命があるのに、それを諦めろだって?
「なんでって、この子はあんたなんかの手に負えないよ。強い運命に引かれてる。きっと――」
最後まで言わせない。
ディは、あたしの『お宝』だ。
この日、あたしは初めて人を殺した。
その事に後悔はない。迷いもない。ディはあたしのもんだ。神にだって邪魔なんかさせない。
絶対に渡さない!
「うるせえよ、ババア。あたしが最初に唾付けたんだ。ディはあたしのもんさ」
あたしにぶっ刺されながら、アダ婆は、それでもディから目を離さなかったのが不気味だった。
都合、十回ぶっ刺した所でアダ婆はくたばった。最期の言葉は……
「これも、運命さ……」
そう。
あたしはこの運命を手放すような間抜けじゃない。ディをくそったれの教会に託す?
冗談じゃないね。
あいつらは、あのドブみたいな豚の餌を作って、気取ってりゃいいんだ。