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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第一部 少年期スラム編
41/310

40 母に捧げる

 アレックスの左手を再生する為の準備が整った。


「ロビン、助手はお前だ。やれるか?」


 この再生術式の完了予定時間は、休憩を含めて二日間だ。俺は勿論の事、助手にも相応の体力と集中力が要求される。


「……!」


 ロビンは鼻息を荒くして頷いた。


「よし。だが、術式中の途中下車は、如何なる理由があろうとも絶対に許さん。アスクラピアに誓え」


「……」


 ロビンは静かに、しかしはっきりと頷いた。

 意外。

 これから行う術式は、外法すら取り入れたものだ。狂信者のロビンがいい顔をする筈がないと思っていたのだが、当のロビンは微笑みすら浮かべて喜んでいる。


 レネ・ロビン・シュナイダーという個人の事もそうだが、俺は、まだ『教会騎士』というものに対しても理解が足りない。


 俺は鼻を鳴らした。今、考える事ではなかったからだ。


「それでは、始める」


 先ず、血印聖水をふんだんに使用して、患部の清潔を確保する。

 続けて、マイコニドの胞子とジギザリス草から作った麻酔を鉄針に塗り込み、その鉄針をアレックスの首から左肘まで計六本打ち込む。


「……アレックス。どんな感じだ?」


「ん~……なんか、ちょっと暖かい感じだ。肩から先がなくなったみたいに感じる……」


「そうか。少しでも痛みを感じたら、すぐ言ってくれ」


 アレックスは『鬼人』だ。麻酔を通常の三倍量使用して、漸く想定した反応を見せた。『麻痺』状態の回復も早いと見るべきだろう。


 この左手の再生術式に、俺が要求したのは銀貨で五十枚。五十万シープ。右手より安くしたのは、左手は手首の関節部分が残っており、骨を接合する必要がなかったからだ。


 マリエールに作らせた特殊なゴーグルを掛ける。精密作業用の拡大鏡だ。


 アスクラピアの術は使わない。アレックスの左腕は、手首から先が切断された状態で既に治癒しており、俺の術の効果は及ばない。


 ちなみに、教会に所属する第一階悌の神官なら、失われた四肢を再構築する術を使えるそうだが、それにはA級冒険者であるアレックスすら破産するような超高額な喜捨が要求されるそうだ。


 患部を切開し、本格的な術式を開始する。


 傷口から多量の血が流れ出し、ロビンはハッと息を飲み、アレックスも表情を険しくする。


 このように、時折出血させて血を巡らせる事で左腕の細胞の壊死を防ぐ。


 アラクネという蜘蛛のモンスターから取れる糸を加工した特殊な糸で先ずは大血管から縫合し、続けて腱を含む神経を繋いで行く。


「その糸は……」


「心配するな。聖水で極力魔素を抜いてある。最終的には祝福で消え去る程度のものだ」


「……」


 アレックスは殆ど睨み付けるように術式途中の左手を見つめている。


 俺も似たような表情をしているだろう。繊細、かつ精密な作業が続く。


 術式を開始して、七時間後の事だ。


 繋がりつつあるアレックスの左手の指先が、ヒクヒクと動いた。


「まだ術式途中だ。動かすんじゃない」


「……悪い。つい……」


 アレックスは喜色を湛えた狂暴な笑みを浮かべているが、指が動いたという事は、麻酔が切れかけているという事だ。


「……麻酔を増やすぞ」


 今、正にとんでもない激痛に襲われているはずだが、それでもアレックスは不吉な笑みを絶やさない。

 新たに麻酔の処置を行う。

 そして、ロビンは忠実な助手だったが、術式を開始して十時間程が経過した辺りで妙にそわそわとし始めた。


「疲れたなら下がれ。鬱陶しい」


 想定を超え、術式は上手く行っている。ここで繋げる神経が多い程、後のアレックスの負担が少なくなる。ロビンが俺に休憩を取るように催促した事は分かっていたが、それは出来うる限りの神経を繋いだ後だ。


 ここまでで想定外のトラブルはない。呪詛毒が上腕神経叢まで及んでいる事を予測していたが、それもない。


「アレックス、喜べ。予定より、大分早く終わりそうだ」


「そいつはいいね……!」


 アスクラピアは早ければ早い程よいと言っている。


「予定変更だ。このまま最後まで術式を続行する」


「……」


 ロビンは険しい表情で首を振った。

 俺は既に疲労困憊で、ロビンが休憩を促す理由が分からない訳じゃないが、ここが踏ん張り所だった。


◇◇


 三二時間後。

 出来うる限りの神経を繋ぎ終えた俺は、皮膚の縫合を済ませた所で、滲む視界を擦った。


「……よく耐えた、アレックス。終わったぞ……」


「くふふ……そうかい」


 出血は多量に及び、負担は俺より大きかった筈だが、アレックスは術式中、狂暴な笑みを絶やさなかった。


 だが、まだだ。


 俺の両腕にアスクラピアの蛇がとぐろを巻いて浮かび上がる。


 アレックスの左手は、まだ『繋がった』だけだ。このままでは、戦士としての役割を果たさない。


《……その者、全にして一つ。全にして多に分かたる……》


 この術式は、アスクラピアの力によって完遂する。


《……その者、多にして全。全にして永遠にただ一つなり……》


「アスクラピアの二本の手、一つは癒し、一つは奪う」


 俺の祝詞が半分である事が悔やまれる。残りの半分があれば、もっと上手くやれた筈だ。


 両腕にとぐろを巻く『アスクラピアの蛇』が腕を伝い、頬にまで姿を現す。


 これが今の俺の全てだ。


 エメラルドグリーンの輝きが治癒室全体を目映く照らす。


 活性化した細胞が縫合された傷口と神経を元通り復元して行く。


◇◇


 ……願わくば、頭上に輝く清らかな銀の星が、新しい道を示しますように……


◇◇


「彼の者は永遠に一である。多に分かれても一である。永遠に唯一のもの」


 神力を解放し、ひたすら祈る。

 俺の力は全て借り物だ。

 自身に基礎基盤を置かない力ほど儚いものはない。神官の力は祈りと信仰の二つによって保証されている。


 いつしか俺は膝を着き、手を組んで祈りの姿勢を取っていた。


アスクラピアよ……」


 アレクサンドラ・ギルブレスという戦士には、まだ戦う理由がある。失った仲間の為、復讐に立ち上がる義務がある。


 ――癒しと復讐の女神『アスクラピア』――


 しみったれた母よ。

 今こそ、あんたの力が必要な時だ。


《一の中にこそ、多を見出だせ》


《多を一のように感じるがいい》


「……そこに始まりと終わりがあるだろう……」


◇◇


《その者、全にして一つ。全にして多に分かたる》


《その者、多にして全。全にして永遠にただ一つなり》


《アスクラピアの二本の手、一つは癒し、一つは奪う》


《一の中にこそ、多を見出だせ》


《多を一のように感じるがいい》


《そこに始まりと終わりがあるだろう》



 ――ディートハルト・ベッカーの祝詞――



◇◇


 立ち塞がる困難に立ち向かい、あらゆる暴力に逆らって自己を守り、決して屈する事なく力強く振る舞えば――


 アスクラピアの子は、神の手を引き寄せる。


 人事を尽くして天命を待つ。

 人に出来る事は、最善を尽くして、その後を天の定めた運命に委ねる事である。


 レネ・ロビン・シュナイダーは教会騎士という立場から、アスクラピアの様々な『奇跡』を見てきたが、今、正に目の前で起こった事は、泥臭く、人間らしい全力の行いがもたらした『奇跡』だ。


 その奇跡により、アレクサンドラ・ギルブレスの失われた左手が復元した。


 ディートハルト・ベッカーという少年は、全ての神力を使い果たし、祈りの姿勢のまま力尽き、その場に倒れ伏した。


 これぞ、真なる『アスクラピアの子』の姿である。


 奇跡に綺麗も汚いもない。

 全力を尽くしてこそだ。その人間性が起こしたものだけが真の奇跡足り得る。


 この日、齢十ほどの幼子が全力を尽くして発現させたのは、第一階梯の神官の力と同等の奇跡だ。


 アレクサンドラ・ギルブレスは確かに復元した左手の指を順番に折り曲げながら不吉な笑みを浮かべている。


「くふふふふ……完璧だね。これで漸く自分のケツが拭けるようになったよ……」


 長期のリハビリが必要だと言われていたが、その必要はない。新しく復元した左手は既にアレックスに馴染んでおり、十全な働きをしている。


 術式は全て完了した。

 教会騎士、ロビンは公正な誓いを守り、沈黙を以て全てを見届けた。


 次に誓いを果たすのは『アスクラピアの子』、ディートの番だ。


 これにより、教会騎士レネ・ロビン・シュナイダーは、ディートハルト・ベッカーの『第一の騎士』になった。


 特定の神官に仕える『第一の騎士』となったロビンには、教会より様々な義務と権利が課せられる。


 ロビンは静かに言った。


「ディートさん。教会騎士、レネ・ロビン・シュナイダーが宣告します。貴方を第二階梯の神官として認定し、その身柄を聖エルナ教会で保護します」

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― 新着の感想 ―
騙したな!このカルト女!
[良い点] 身柄の保護=軟禁、監禁するって意味でしょうか?(゜∀゜;) 狂信者だから、やらかしそう・・(-∀-`; )
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