39 切り捨てるもの
これは長丁場になる。先ずは……
「ロビン。伽羅を買って来い」
「……」
ロビンは約束通り黙っているが、しかめっ面の顔には不平と不満の色が濃く浮かんでいる。
「どうした。簡単なお使いも出来んのか」
そんな無能はいらない。言外にそう告げると、ロビンは、一度強く床を踏み鳴らした後、踵を返してアレックスの部屋を出て行った。
さて、これで人払いが出来た訳だが……
勿論、曲者のアレックスがこの意図に気付かない訳がない。
「それで、ディート。あんたの身体はどうなんだい?」
「……不意の発熱はなくなりましたし、施術中に昏倒するような事はないでしょう。そもそも休みながら行うつもりですし、そちらは問題ありませんが……」
元A級探索者、アレクサンドラ・ギルブレスは覇気を取り戻しつつある。口籠る俺の意図を容易く看破して頷いた。
「なんだい、言ってみな」
「アビゲイルの事です。実は色々とありまして、逐電して参りました」
アレックスは吹き出した。
「いつか、そうなるとは思っていたけどね。我慢ならない事でもあったのかい?」
「……そんな所です。でも、いい機会ですよ。今回は長丁場になりますし、あそこに戻っている暇なんてありません。つきましては、暫くの間、ここにご厄介になれればと思いまして……」
遠慮がちに顔色を伺いながら言うと、アレックスは覇気を絶やさず不敵に嗤った。
「分かった。ガキ共は近付けない。何か伝言は?」
「何も。捨て置けばいいでしょう」
「あんたは、その気概がいいよね。聞いてて清々しいよ」
まだ縁あるというならば、舞い戻る日もあるだろう。
それは母の手に委ねる。今はここ、オリュンポスでやるべき事がある。
「あの教会騎士は?」
そして、即座に核心に切り込む辺りの鋭さがアレックスだ。
「……考えもなく飛び出した所を捕まりました。あればかりは私の手落ちです。申し訳ありません……」
アレックスは肩を竦めて呆れて見せたが、それも一瞬の事だ。
「それで、いつまで猫を被っているんだい?」
ビジネススタイルでいる俺の言葉遣いの事を言っているのだろう。
「礼に倣わざるは卑賤の輩。今回、それだけの落ち度があったとお思い下さい」
「そうかい。ま、あんたの気が済むようにすればいいさ」
遠造辺りは気味悪がるだろうが、マリエールなんかは気にも留めないだろう。
では、早速始めよう。
「それでは術式を説明します」
先ず、アレックスの左腕に強い麻酔を施して完全に感覚を遮断する。
「貴女は強くタフですが、麻酔なしで術式中の痛みに耐える事は出来ません。途中で悶絶死するでしょう。その為、左腕の全感覚を遮断して、神経と血管を繋ぎますが、ここまでで異論は?」
「ない」
アレックスの答えは簡潔で誠に好ましい。
「非常に細かい作業になります。なるべく繋ぎますが、それでも繋がるのは全神経の七割程度と思って下さい」
全ての神経や血管が目に見える訳ではない。また見えていたとしても毛細血管や似たような細かい神経までは繋げない。両手を切断して一ヶ月。母の術の限界はとうに超えている。
「……」
十全な状態にはならない。その事に不満を感じたのだろう。アレックスの表情に不満の色が浮かぶ。
「……そこから先は貴女次第です。貴女の意志に反応して精神感応石が作用します。つまり……」
残りの三割の神経は、オリハルコンの作用により、強い意志に比例して繋がる。
アレックスはニヤリと笑った。
「それなら問題ない」
「その際、麻酔は役に立ちません。神経が繋がる度に、とてつもない激痛に見舞われます」
「問題ない。やってくれ。あたしは絶対にダンジョンに戻る。そして――」
もう一度、ヤツと。
四人もの仲間を死なせた相手と再戦を望むアレックスの気持ちは分からない。だが……
「その意気です。完全に繋がればですが……貴女の左腕は以前より、強固なものになるでしょう」
これも『魔法金属』であるオリハルコンの作用だ。完璧に繋がればだが、アレックスの左腕は、それだけで強力な武器になるだろう。
「いいねえ。実にいい」
先程の不満は消え失せ、アレックスの顔に狂喜の笑みが浮かぶ。
「結構。貴女なら喜ぶと思いました」
そこで、息を切らせたロビンが伽羅の詰まった袋を片手に戻って来た。
余程急いだのだろう。大汗をかき、荒い呼吸を繰り返す肩が揺れている。
「よく戻った。悪さしてないだろうな?」
お使いの間に、仲間の教会騎士に連絡を取ったり、また怪しげな魔道具を所持したりしていないかと言外に問うたのだが……
「……」
息を切らせたロビンは黙ったまま、両膝に手を着いた姿勢で小さく頷いた。
「…………」
俺が黙って視線を向けると、アレックスも小さく頷いた。
冒険者アレクサンドラ・ギルブレスと、クラン『オリュンポス』は抜け目ない。簡単なお使いとはいえ、この教会騎士を完全に一人にするような間抜けじゃない。
問題ないという事だ。
「それでは、とっとと始めましょう」
◇◇
場所をクランハウスの一階にある『治癒室』に移した。
マリエールの魔法陣と俺の聖印結界の合作である特殊な部屋で、ここでは清潔と静寂が確保されており、クランメンバーを除く他の者は俺の許可無しに入れない。
「術式中に忙しいのは私で、アレックスさんは暇ですよ。眠りますか?」
母の術には眠りを誘発するものもある。術式は見ていて気分のいいものではないし、暗に睡眠を示唆したのだが、アレックスは首を振った。
「まさか。こんな機会はそうそうない。この目で見ていたいね」
その言葉にはロビンも頷いた。同じ意見のようだ。
「長くなりますよ。眠くなったら言って下さい」
「ああ、そうする」
そう言って、アレックスはデカい座椅子に腰掛けた。
この椅子も勿論特殊なもので、寝そべる事が出来る他、患部を固定させる為の拘束具が付いていたりする。
その椅子に座ったアレックスの左腕を固定し、麻酔の処置を行っていると、遠造とマリエールの二人がぞろぞろと入ってきた。
遠造は、ちらりとロビンを一瞥して、それから俺に向き直った。
「よお、先生。話は聞いたぜ。とうとうやるんだって?」
「はい、やります。それより遠造さん。身体の具合はどうですか?」
以前、魚の目の処置をした足と、この一ヶ月で、五十ヶ所以上に及ぶ『瘤』の処置をした遠造の身体の事だ。
遠造は居心地悪そうに肩を竦めた。
「おお、そっちは全然、絶好調だけどよ……先生、その口の利き方はどうにかなんねえのか?」
「……けじめですよ」
この場に教会騎士という異物を持ち込んだ俺の責任は大きい。
一方のマリエールは微笑んでいる。
純血種のエルフ『マリエール・グランデ』は知識欲求の塊だ。オリハルコンの人工骨を使用した再生術式には興味津々で、この日を心待ちにしていた。
マリエールが興奮して言った。
「まさか、本当に実現するとは……!」
手を貸してくれたマリエールが、この日の到来を信じてなかったとは思わなかった。
俺は小さく溜め息を吐き出した。
「……間抜けは?」
アネットとかいうヤツの事だ。
アビーとの交渉を経て、すっかり拗ねたアネットは、この一ヶ月間、俺と一言も話してない。
答えたのは遠造だ。
「間抜けなら、外の見張りをやらせてる」
呪詛返しの一件でのオリュンポスの支払いは、アレックスの治療を含めて銀貨で千枚以上に及んだが、その内三百枚はアネットの失態によるものだ。話を纏める為に奔走した遠造の言葉は辛辣だった。
「今、狐目が来て、あんたを返せって騒いでるけど、追い返して問題ねえな?」
やはり来たか、と思う俺の後ろでロビンが首を傾げている。
今のアビーたちに、教会騎士は手に負えない。アレックスへの状況説明の際、伽羅を買いに行かせる事で場を外させたのはこの為だ。
その事とは全く関係なく、俺は厳しく言った。
「問題ありません。死人が出ても気にしません。お任せします」
「おお、怖い。くわばらくわばら……」
遠造はそう言って、アレックスの術式には興味ないのか、そのまま治療室を出て行った。