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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第一部 少年期スラム編
36/310

35 狂信者

 俺が思うに……

 『アスクラピア』という女神は、『不完全な神』だ。

 癒しを司るのはいい。自己犠牲を好むのもいいだろう。しかし、その反面で復讐を好み、それに加護すら与えるというのはどうなのだ?

 不完全な女神『アスクラピア』。

 こいつは……なんというか、『人間臭い』。俺たち人間がそうであるように、こいつは罪深く、また慈悲深くもある。だからこそ俺は……アスクラピアを信仰している。


◇◇


 俺は再び馬上の人となり、手綱を持ったロビンの先導で道なりに進む。


 俺は『オリュンポス』に行きたいのだが、ロビンにそれを言うのは不味いような気がする。

 脳筋のアレックスはともかく、遠造やマリエールには迷惑をかけたくない。……アネット? 誰だそいつ。


「聖エルナ教会に行きましょう。今の私の逗留先です。小さい教会ですが、私とディートさんぐらいならどうとでもなります」


「いや、俺は……」


 クランハウス、オリュンポスに行きたい。何度もそういい掛けて言葉に詰まる。俺の鋭くはない直感ですら『やめておけ』と警鐘を鳴らすのだ。

 ロビンは、何がおかしいのか、口元を押さえてたおやかに笑う。


「……失礼ですが、お金はお持ちですか?」


「……ない」


 今の俺は、びた銭の一つだって持ってない。真の素寒貧だ。アビーの元へ帰るか、オリュンポスに行くかしなければ路頭に迷う事になるだろう。

 そして、このロビンには嫌な予感が付きまとう。

 今は、パルマの貧乏長屋にも、オリュンポスにも行かない方がいい。そこへ向かうには、このロビンと『教会騎士』を見極めてからでも遅くない。


 ロビンは、そんな事はお見通しだと言わんばかりに微笑んでいる。


「うふふ……それでは、今夜の宿はどうなさるおつもりだったのですか……?」


 意地の悪い質問だ。

 おそらく……いや、ロビンは絶対に神官の『五戒』を知っている。知っていて、あえて聞くのは、俺の口から『お世話になります』と言わせたいからだろう。

 俺の勘は『それも不味い』と言っている。

 一度貼り付かれたら最後。俺かロビンのどちらかが死ぬまで離れられない。そんな気がする。

 だが……

 これが『神さまの思し召し』とやらならば、俺は死んだって聞いてやらない。男には、つまらない意地というものが必要なのだ。

 俺はビジネススタイルに切り替え、用心深く言った。


「……実は、さる御方より治癒の依頼を受けています。暫くは、その方にお世話になるつもりでいたのです……」


 ちなみにこれは本音だ。暫く……或いはそれ以上。少なくともアレックスの怪我が治るまでの間、オリュンポスに留まるつもりだった。


「……そのさる御方というのは?」


 ロビンは眉間に小さく皺を寄せ、少し不愉快そうだ。


「……すみません。有名なお方ですので、それは勘弁して頂けないでしょうか……」


 ちなみにこれも嘘じゃない。アレックスは、もう元になるがAランクの冒険者で有名人だ。そのアレックスから、クランのランク低下を防ぐ為、怪我の事は内密にするように言われているのも事実。


「……」


 黙り込んだロビンは思わしげに視線を伏せ……少し考え込むような仕草をしていたが、不意に顔を上げた。


「それでは、依頼先までお送り致します。近くまででも構いません。どうでしょう」


 食い下がるか。こいつは、なかなか……


「それは、少し困ります。……すみませんが、ロビンさん。少しお金を貸して頂けないでしょうか?」


 金さえあれば、馬車でオリュンポスに向かうまでだ。そこまで行けば遠造もマリエールも居るし、なんとでもなる。そう考えた俺だったが……

 ロビンは即答した。


「お断りします」


「……」


 先程までの笑顔が嘘のような拒絶の返答に、俺は思わず口籠る。

 だが……だが、しかしだ。

 俺は苦笑いを浮かべて頷いた。


「そうですね。初対面のロビンさんに、このような不躾なお願いをするのはおかしいですね。先ほどの事は忘れて下さい」


 まぁ、簡単な大人のやり口だ。

 まず二つの選択肢を用意して置いて、そのどちらに転んでも都合のいい答えを用意しておく。


「ここでいいです。馬から降ろして下さい」


 最早、お前に用はない。言外に、そうはっきりと告げたつもりだった。


 そもそも、金の話はオリュンポスに辿り着きさえすれば解決する。ロビンが首を縦に振ろうが横に振ろうが関係ない。


 日本人の多くが無宗教で、多分に漏れず俺もそうだからか。こいつからは嫌な予感がぷんぷんする。少しでも早く離れたい。


 だが、俺の返答が意外だったのか、ロビンは酷く狼狽えて視線を右に左に泳がせた。


「ちょ、ちょっと待って下さいよ。まだ会ったばかりですし、聖エルナ教会はすぐそこです!」


 おや、心理戦かけひきはお得意ではない。これしきで焦るとはまだまだ。日本でサラリーマンは勤まらんな。


「……」


 俺はアスクラピアの神官らしく、沈黙を以て拒絶の返答とした。すると……

 ロビンは焦ったように言った。


「分かりました。お金を払いましょう。金貨二枚でどうです? これは返さなくていいです。ヒール屋の二十倍儲かります、よ、ね……」


 それに対して俺が沈黙と冷たい視線で答えると、ロビンの言葉は徐々に勢いをなくし、最後には項垂れて黙り込んでしまった。


「……」


 無欲の戒律を持つ俺に、買収は無益なだけでなく、有害ですらあると気付いたのだろう。

 俺は面倒臭くなって言った。


「愚か者が。金でどうにかなる相手だと思ったか」


「…………」


「お前のやり口を見るに、教会騎士とやらも底が知れるな」


 さて、この分かりやすい挑発にどう出るか。教会には興味があるし、返答次第になるが、付いて行ってやってもいい。


 この時の俺は何も知らなかったんだ……。


 アレックスたち冒険者が『教会』を嫌う理由も、アビーやアシタのような孤児が『教会騎士』を恐れる理由も、何も知らなかったんだ。


「……!」


 項垂れていたロビンが顔を上げた。その瞳が、赤く燃えている。

 血の赤。鮮血のあか

 燃えるような怒りに瞳を染め上げ、ロビンは唸るように言った。


「子供の癖に……!」


 おやおや、地金が出た。まぁ、俺も他人の事は言えないが。

 俺は可笑しくなって笑った。


「お前も無欲の戒律は知っているだろう。子供かどうかは関係ない」


「金貨十枚までなら、大丈夫ですよ!」


「そうなのか?」


 こいつは得難い情報だ。

 『無欲』の戒律を持つ俺だが、金貨十枚……銀貨なら百枚までは所持してもアスクラピアの怒りに触れないようだ。

 ロビンは鼻で嘲笑った。


「やっぱり子供です。何も知らないんですね!」


「その子供を買収しようとしたヤツが何を言う。しかも思い通りにならぬからといって、今度は居丈高に振る舞うとは呆れたものだ」


「ぐぬ……!」


 俺は深い溜め息を吐き出した。


「……まぁ、所詮はアスクラピアもこの程度という事なのだろうな」


 この頭の悪い女騎士に、そろそろ最後とどめの一言をくれてやらねばならない。

 ロビンは俺の挑発に反応し、ますます強い怒りに瞳を燃やしている。


アスクラピアが、なんですか。馬鹿にすると、許しませんよ!」


 俺は言った。


「所詮、神というものは信ずる者次第だ。そうでなければ、ここで母が笑い者になる事はなかっただろう」


 まぁ、要するに。

 お前の程度が低いから、その信仰対象であるアスクラピアも程度が低いものになる。と言ってやった訳だ。


「…………」


 ロビンは怒りのあまり絶句して、言葉もないようだ。両肩がぶるぶると激しい怒りに震えている。右手が剣の柄に掛かり……


「さあ、試されるな? 誇りか、信仰か。お前が真に大切に思うのは、この二つのどちらだ?」


 結局……この言葉が悪かったんだろうと思う。俺の挑発は一周回って突き抜けて、ロビンの怒りに冷水をぶっかけた。


 ロビンはその場に膝を折り、こうべを垂れた。


「……貴方の仰る通りです」


「あ?」


 この時までの俺は、こう思っていた。


 その分厚い面の皮、引っがして笑ってやるって。


 調子に乗ってたんだ。


 ロビンは落ち着き払って言った。


「……時として、優秀な神官は処刑されました。何故か分かりますか?」


「知らんな。俺が興味あるのは生きてるヤツだけだ。死人に興味はない」


 ロビンは笑って答えた。


「事実を言ったからですよ。事実を言ったからこそ、彼らは焼き殺されたり、切り殺されたりされなければならなかったんです」


「そうか。それも時代の為せる業だろう。ところで、もう行っていいか? お前と話すのは酷く退屈だ」


「……」


 ロビンは笑っていた。見え透いた俺の挑発は、この時、もう見切られていたと言っていい。


「そう。時代です。全ては時代の為せる業でした。過ちを認めた識者たちがそれに気付いたのはごく最近ですが、貴方はこの場で理解してしまわれた」


「…………」


「本物、見付けました」


 こいつが本格的に不味いヤツだって分かったのは、この時だったと思う。

 ロビンは、にこっと笑った。


「……だからね、お姉さんと行こう? キミは小さいのに、すごいんだよ。寺院に行って、いっぱいいっぱい勉強したら、すごい人になれる可能性があるんだ」


 俺の本性見ただろうに、なに言ってんだ、こいつ。いきなり人拐いみたいな事言いやがって。


 俺はこの時まだ余裕ぶっていて、事態の深刻さに気付いてなかったんだ。


「さあ、行くよ。依頼なんて、放っといていいよ。大丈夫、お姉さんがずっと一緒に居て、一生守ってあげるから……!」


 そんな事を大真面目に言うロビンの目は、キラキラと輝いていて……本気で言ってるんだって分かった。


 こいつ……


 …………狂信者カルトだ。

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― 新着の感想 ―
ちょうど何気なく作者マイページに飛び、琥珀を読んだ今、この話……面白い
[一言] どう見てもショタコンだよお
[良い点] ランキングから。 このとんでもない剛腕な魅力ある文章と凄まじい速さでひたすらに読者を引き摺り回していく感じ、SDGの人だと思ったらやっぱりそうでしたかw 更新、追いかけます!
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