34 レネ・ロビン・シュナイダー
レネ・ロビン・シュナイダーは笑顔で言った。
「それで、小さなアスクラピアの方。あなたのお名前を聞かせてくれれば幸いです」
俺は慌てて言った。
「こ、これは大変な失礼をしました。私はディートハルト。ディートハルト・ベッカーです。皆、ディ、或いはディートと呼びます。どちらでも好きなように呼んで下さい」
「はい。それでは、ディートさん」
「呼び捨てで結構ですよ」
俺としては気軽に返したつもりだったが、ロビンは眉を寄せて険しい表情になった。
「……そんな訳には。失礼ですが、ディートさん。あなたは何階梯ですか?」
階梯、だと? 階級があるのか!? 知らん! そんな事は初めて聞いたぞ!
俺は無茶苦茶に慌てた。顔にも出ていたと思う。
ロビンは訝しむように目を細め、まるで値踏みするように、俺の頭の先から爪先までを見た。
「……そのリアサは五階梯級のものですが……違うのですか?」
「……」
まさか、格好いいから買ったとは言えない。
俺は悩みに悩み……
覚えているディートハルト・ベッカーの記憶を参考に、虚実入り混じった作り話をでっち上げる事にした。
「……私は、兄を探しています……」
「ほう、兄を。失礼ですが、お兄さんは幾つですか?」
「年齢ですか? 生きていればですが、最低でも三十歳近いでしょう」
「……」
俺の言葉にロビンはますます表情を険しくしたが、これは事実だ。俺自身、嘘臭さ満点だと思うがこれは事実なのだ。
「他人事みたいに言ってますけど、家族ですよね。はっきりした年齢も分からないのですか?」
そんな事はディートハルト・ベッカーに聞けと言いたいが、今は俺こそが、そのディートハルト・ベッカーだ。
「……」
俺は記憶の底を探るように目を閉じる。
これは格好付けてやってるんじゃない。瞑想する事で、俺の中にあるディートハルト・ベッカーの『記録』を探っている。
ロビンは厳しい表情で言った。
「お兄さんの名前は?」
知るか、そんな事。だが、答えなければならない。俺は瞑想を深くして、深層にいるヤツに答えを迫る。そして……
「……レオンハルト・ベッカー。エミーリア騎士団所属。最終的な軍階級は少佐。首都サクソンで起こった『サクソンの大火』以降、生死不明……」
「……っ、そ、そうでしたか……」
「……」
今、俺はなんと言った? 答えたのは俺じゃない『俺』だ。俺には聞こえなかった。
ロビンは少し狼狽えているように見える。
つまり、ヤツは相手が聞けば狼狽えるような事を言った。
「その、す、すみません。失礼ですが、お父様のお名前は……」
それなら覚えている。
「父の名はベルンハルト。母の名も聞かれますか?」
「……出来れば」
そんな事を聞いてどうするのかは分からないが、一応、ヤツから聞いた事は全て覚えている。
「母はクリスティーナ。既に鬼籍の人ですが……」
「そ、それは大変失礼を……」
今のところ上手くやっているが……ヤバい事だけは分かる。このまま行けば、俺はきっとボロを出す。
俺は……
怒ったふりをして、この場をやり過ごす事にした。
「先から聞いていれば、人の事情にずけずけと! まだ何かあるか!」
慌てたロビンは胸に手を当て、頭を垂れて謝罪する。『正式』な謝罪。神官である俺と違うのは、胸に当てた手が右手でなく、左手である事だけだ。
「――っ! し、失礼しました! しかしながら……」
「しかし、なんだ!!」
ここは強気だ。強気で押し切ってやる。
「ここザールランドは、お兄さまの居られるサクソンとは全くの逆方向です。あなたの年齢で来るには……あまりに遠い……」
クッソ、しくじった! そうだろうな! そうだろうな! 俺だってそう思ってたぐらいだからな!
詳しい事情は無謀なクソガキのディートハルト少年にお伺い下さいませ。
そう言って走り去りたい気分だったが、今やこの俺が無謀な少年ディートハルトだ。
俺はヤケクソで叫んだ。
「盗賊に拉致されたのだ! 二年間もな! 俺がこのようなクソ溜めに好きで来たとでも思うか!!」
「あっ、いや……その……それはご愁傷さまです……」
「俺が知らん内に教会騎士は礼儀も弁えん破落戸同然の代物になったようだな! 納得したならば去ね!」
よし、上手く繋いだ。
と、思ったのも束の間の事だ。困ったようにロビンが言った。
「しかし……ディートさんは道に迷ったと……」
「……」
状況終了のお知らせ。
◇◇
暫くして――
俺は、ロビンが手綱を引く馬に乗ってパルマの町を歩いていた。
「……それでは、ディートさんは、気付くとこのザールランドに居られたと?」
もう知らん。どうにでもなれ。
「そう、行き倒れになっていた。だから、詳しい経緯は覚えてない。少し記憶に難がある」
「……そうでしたか。苦労されたでしょう……」
俺は強く頷いた。
「ああ。ヒール屋とかいうのをやって日銭を稼いだ事もあった」
「……ヒール屋? ああ、あの紛い物連中がやっている……」
そこでロビンは腹立たしそうに舌打ちした。
「……ちなみに、そのヒール屋というはお幾らほどで……」
「うん。傷一つにつき、銀貨一枚だ。まあ苦労したぞ」
俺は呪詛返しの一件で、一部界隈では有名人だ。その為、なるべく嘘は避けた。
ロビンは顔を覆って悲嘆にくれた。
「……そのような小銭で、母の奇跡を切り売りされたのですか……?」
「馬鹿め、言うに事欠いて切り売りとはなんだ」
安い地金が剥がれたが、もういい。俺はいつも通りの調子で言った。
「お前は母の奇跡に値段を付けてやり取りするのか? そんな事が可能だと、本気で思っているのか? 重要なのはそんな物ではなく……」
「…………」
物の道理を説く俺を、ロビンは呆れたように見て、しかし何処か困ったような、それでいて好ましい物を見たような、何とも言えない複雑な表情をしている。
「やはり、あなたのような方々には、我々のような存在が必要なのですよ」
「……?」
「困った時は、我ら教会騎士にお申し付け下さい」
「む、そうか?」
なんだろう……よく分からない違和感がある。話は上手く行っている筈なのに、何処かにズレのようなものを感じる。
「……して、そのリアサは……」
「これか。これなら古着屋で買った。一目見て、これしかないと思った」
「そうでしょうそうでしょう」
ロビンは気味悪いぐらいの満面の笑みを湛えていたが……
薄暗い路地を抜け、陽の当たる開けた場所に出て、ぴたりと動きを止めた。
突然停止したロビンが手綱を引っ張ったので、驚いた馬が小さく嘶き、前足を振り上げた。
「うわっ……!」
日本では勿論、この異世界でも乗馬の経験などない俺はバランスを崩して呆気なく馬から滑り落ち……
地面に叩き付けられそうになった所を、ロビンに抱き留められた。
「な、何を……」
俺と見つめ合うロビンの目に、みるみる内に大粒の涙が浮かんで零れ落ちた。
「……お髪に、白いものが混じっております……」
「……ああ、少々、身の丈に合わん術を使った。それが……」
どうかしたか? と続けようとした俺だったが、馬鹿力で抱き締められてはそれも叶わない。ロビンの肩を叩きながら、俺は呻いた。
「うぐ、何をする……離せ……!」
「……」
ロビンの瞳から溢れる涙が止まらない。
……要するに、『教会騎士』というのはこういう連中だ。神官大好き、貴方の為なら何処までも……下っぱほど純粋にアスクラピアを信仰し、その力の代行者である神官を慕っている。
しかも、こいつら『教会騎士』は、教会のある所なら何処にでもいる。
信仰の為なら平気で誰とでも揉める。その相手が国でも組織でもお構い無しに揉める。教会騎士が起こした問題は、枚挙に暇がない。
俺の感性じゃイカれてる。
この世界の何処にでもいる狂信者だ。
それ故、皆が皆、こいつらを恐れる。
ちなみに、その上層は神官を囲い込み、アスクラピアの術を『奇跡』と呼んでクソ高い喜捨とかいう代価を押し付けて金を搾り取るのに特化した腐った連中だ。
「……この出会いは母の思し召しです。これからは、このレネ・ロビン・シュナイダーに全てをお任せ下さりますよう……」
母の思し召しだと……? そいつはもう間に合ってる。
そもそも、俺はその『思し召し』とやらが気に入らなくて家出したんだ。
◇◇
まぁ、どんなに綺麗に装ってみたとしても、それは結局、人の問題である。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
可哀想な兄の話は下部リンクにて。
ちなみに読まなくても全然、問題ありません。