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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第一部 少年期スラム編
34/310

33 教会騎士

 何もなくとも時間は進む。


 翌日、俺はいつもと同じ朝を迎え、いつもと同じように目を覚ました。


 暖炉の中では、ぱちぱちと薪が燃え、部屋の温度を保っている。


 それを遠目に見ながらシーツを捲ると、俺の腰に抱き着いて眠るスイとゾイの姿があった。


「……」


 スイはリザードマンの血を引いている。

 リザードマンは砂漠の種族だ。冷気に弱く、夜間は仲間同士固まって眠る性質がある。だからまぁ、スイが俺の寝床に居る事は理解してやってもいい。


 首筋がずきんと痛み、そこに手をやると、固い何かで打たれたような感触があった。


 俺はアスクラピアの蛇を呼び出し、その傷を癒した。


「…………」


 明確にアスクラピアに逆らった事で力が弱まる……最悪、力を失う事まで覚悟していたのだがそんな事はなく、蛇はいつものように力を貸してくれた。いや、寧ろ以前より速やかに術が行使されて……

 気のせいだ。

 しみったれた母だが、聞き分けのない子を受け入れる度量ぐらいはあるようだ。尤も……


「それを喜んでいいのかどうかは分からんが……」


 結局、放置する事になってしまったジナの事はもう考えない。俺が興味あるのは生きているヤツだ。死人じゃない。


「……恥知らずが」


 まとわりつくゾイとスイを押し退け、ベッドから出て、準備されてあった桶の水を軽い祝福で浄化して、それで顔を洗った。

 ゾイとスイは目を覚まさない。

 二人が鈍感なのではなく、俺がそう仕向けた。ジナに使ったのと同じ術だ。このまま何もなければ、小一時間は目を覚まさない。


 棚から『リアサ』を取り出し、袖を通す。襟が高く、十二個のボタンがあり、くるぶしの辺りまで丈があるこの服は『リアサ』と呼ばれ、アスクラピアの神官が好んで着る。

 それからオリュンポスが用意してくれた肩掛け鞄を引っ掛ける。不思議な鞄で、見た目以上に容量があるファンタジーの代物だ。俺が神官として必要と思う物は全てこの中に入っている。

 そのまま部屋を出た。

 現在、俺が居るこの長屋は、全体が秘密保持と安全確保を理由に周囲に壁が張り巡らせてある。


 庭に相当する場所には既にジナの姿はなく、代わりという訳でもないだろうが、短パンにシャツ一枚のアシタが重そうな棍棒を素振りしている。


 出入り口に向け、そのまま素通りしようとした俺に気付いたアシタが駆け寄って来て、ぎこちない笑みを浮かべた。


「お、おはよう、ディ。何処に行く――」


「寄るな。汗臭い」


「あ、ごめん……!」


 ぱっと距離を撮ったアシタは、慌てたように衣服や脇の下の匂いを嗅いでいる。

 こいつらは、どの面下げて平然と振る舞っているのだろう。


「おい……」


 俺が指先を曲げて側に来るように促すと、アシタは焦ったように首を振った。


「あ、汗臭いから、えっと……な、何?」


「いいから、来い」


 そして俺は戯れる指先を宙にさ迷わせる。ふらふら。ふらふらと。


「……」


 その指先に合わせて揺れるアシタの視線は、徐々に焦点を結ばなくなり……


「おやすみ。恥知らず」


 その言葉を就寝の挨拶に、アシタは崩れ落ちるようにして倒れ込むと、たちまち寝息を立てて眠り始めた。


「見張りなら、もっと気を張ったらどうだ。また角を折られても、次は繋がんぞ」


 俺は恥知らずじゃない。あんな仕打ちを受けて、こんな所に居られるか。

 最早、当為ソルレンがない。

 重要な事だ。俺は眠りこけるアシタを躱し、出入り口に向けて歩いた。


 途中、何人かのガキと擦れ違ったが、皆が皆、俺を「おくのひと」と呼んで頭を下げるだけで、引き留められる事はなく――


 異世界に来て一ヶ月以上経つが、俺は、初めて一人で外に出た。


 パルマの貧乏長屋。二十棟あるその内の五棟がアビーの縄張りであり、その五棟を結ぶ道は、今は『貧乏通り』と呼ばれ、安価な食事や装飾品、衣類等を売買する露店の類いが多く見受けられる。


 露店の商売人共は何が珍しいのか、皆が皆、揃って俺を見ては、次の瞬間には慌てて目を逸らした。


 何がどう不味いのかは未だに分からないが、この身に纏う神官服リアサのせいだろうか。


「……はっ!」


 そこで俺は大変な事に気付いた。


 ……金を持ってない。


 格好付けて家出してみたまではいいが、その事実に気付き、俺は愕然とした。


 慌てて周囲を見回すが、方向音痴の俺は、歩く度に見知らぬ路地に出会す羽目になった。

 見苦しいが仕方ない。

 せめて安全なアビーの縄張りだけは出まいと思う俺だったが、歩けば歩く程に寂しい路地に出た。


 不味い。不味すぎる。


 遭難した時は動かないのが鉄則だが、しかし……


「クソっ、こうなったら棒でも転がすか?」


 その棒の転んだ先が『オリュンポス』である。と、母はそうのたもうた。

 等と冗談を考えている場合じゃない。そんな事をやっている間にも、方向知らずの足が勝手に寂しい路地ばかりを選んで進む。


「や、ヤバいぞ……」


 俺もアホじゃない。

 アビーの縄張り外は治外法権だ。だからこそ、俺は安全地帯を作る為にアビーをその方向に誘導したのだから。


 今、どれぐらい不味いかと言うと、ちらほらあった露店が今は一軒も見えない。珍しくもなかった商売人の姿が一人も見えない。


 というより、人影一つない。


 俺は、アダ婆が死んだ場面を思い出して恐怖に震えた。


 退く時は退くべきである。過ぎた意地はプライドではなく、最早、頑迷と呼ぶべきだ。

 俺は慌てて引き返そうとしたが……


「ど、何処だ、ここは……」


 人には欠点というものがある。俺の場合、『方向音痴』というのがそれだ。

 落ち着け。落ち着け。こういう時、俺にはあれがある。

 そこで俺は頭を抱えた。


「……伽羅も忘れた……」


 なんということ。なんたる愚。最早、意地も見栄もへったくれもない。そこらに居るだろう浮浪者の集団に絡まれたら一巻の終わりだ。俺がアビーの名を呼ぶ事にした正にその時の事だ。


 石畳の路地を小気味よく打つ蹄の音がして、俺はそちらに目をやった。

 まず、目に入ったのは芦毛の馬だ。

 鞍やあぶみ、手綱等の馬具がちゃんと装備された馬に、黒い外套マントを纏う騎士が乗っていて、こちらに馬を寄せて来る。


「おお、あれが騎士か……」


 この異世界ファンタジーで、騎士の姿を見るのは初めてで、俺は少し興奮した。

 だが、待て。ヤツがいいやつとは限らない。こういう物語のテンプレでは、いかにも騎士っぽいヤツは悪党だと相場が決まっている。


 俺は用心深く道の端に寄り、近付いて来る騎士に道を譲って様子を見る事にした。

 したのだが……

 騎士は俺の気遣い等無視して馬を寄せて来る。

 やがて、芦毛の馬は俺の目の前に来て小さくいなないた後、動きを止めた。

 そこで馬上の騎士がすっぽりと頭を覆う兜を外して小脇に抱えた。


「どうされました? アスクラピアの方」


「……」


 な、なんだ、こいつ。礼儀正しいぞ。しかも凄い美人だ。

 コバルトブルーの髪に、やはりコバルトブルーの瞳。顔立ちは凛々しくて、いかにも正義の味方。


 俺の身体は自然に動き、指先で聖印を切った。


 すると、騎士の方でも聖印を切って返して来る。


「すみません。実は道に迷ってしまったのです」


 女騎士は納得したように頷いて、続いて眉を寄せて難しい表情になった。


「そうだと思いました。アスクラピアの方。ここは危険な場所です。しかも、貴方はまだ幼い。どちらから来られたのですか?」


 まさかパルマの貧乏長屋という訳にはいかない。俺は意味も分からず、以前アシタに聞かれた時と同じ答えを返した。


「ニーダーサクソンです」


「……」


 女騎士は一瞬驚いて刮目した後、何故か馬から降りて、改めて俺に挨拶した。


「まさか、聖地から来られたとは……私はシュナイダー。教会騎士のレネ・ロビン・シュナイダーです」


 わ、分からん! レネか? ロビンか? それともシュナイダーさんと呼べばいいのか?


「それではロビン、さん……?」


 どう呼ぶべきか分からなかったので、とりあえずそう呼んでみたのだが、すると女騎士は口元に手を当てて、たおやかに笑った。


「す、すみません。おかしかったでしょうか? 子供のした事と思って許して頂けると幸いです」


「いえいえ、小さなアスクラピアの方。そう呼んでくれて構いませんよ」


 後で知る事だが、この辺りの風習では、三つ以上の名を持つ者をミドルネームで呼ぶのは家族や恋人のような親しい間柄のような関係の相手だけだ。


 こうして俺は、『教会騎士』レネ・ロビン・シュナイダーに出会った。


 出会ってしまったんだ……

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― 新着の感想 ―
すごく苛烈で、酷薄に感じる所があるけど、方向音痴で迷子になってアビーを呼ぼうとする所とか、ポンコツ感があって好感が持てます。
[一言] 私はシュナイダー。って言ってくれてるやん笑
[一言] 自分ではアホの子だとわかってないのバリおもろい笑
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