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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第五部 青年期『勇者』編(前半)

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降り積もる雪のように

 マリエールは、虚空の闇に浮かぶディスプレイを見つめている。

 アイヴィが悔しそうに呟いた。


「……ヨルさま……なんで……」


 現在、下界では、ロビンと守護騎士アシタが因縁の対峙を果たした所だ。

 ロビンの力は圧倒的だった。

 ザールランド帝国騎士団は弱くない。一人一人の武勇を取れば教会騎士よりやや劣るが、そこは数と戦術でカバーできる。

 だが……

 マリエールにとって、見慣れた冒険者ギルドのエントランスホールに、ロビンに斬り伏せられた帝国騎士の無惨な死体が転がり、地獄が顕現している。


 暗夜は何処に行った。聖エミーリアが関係している。何故何故何故。


 下界では、移し身である銀髪の少年が、マリエールにとっては、これも懐かしい宣告師の男を椅子にして腰掛けている。

 この『移し身』がよくない。

 血と肉の通う身体は、使徒の持つ不変の魂魄に強い影響を与える。


 マリエール・グランデは、齢三百年を越えたハイエルフだ。こと『経験』に関しては使徒である暗夜を随分上回る。苦界での生活は、そのマリエールの感性を削り取り、感情が揺れる事は殆どない。


 マリエールは俯き、ロビンの作り出した地獄の映像から目を逸らして現状を分析する。


 現在、この奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)には管理者たる暗夜が居ない。

 あって然るべき下達がなかった。

 無言の内に聖女の分析に対する忌避感を見せた事で失望させてしまったかもしれないが、それだけで信頼が損なわれたとは思えない。


 使徒『暗夜ヨル』の最大最高の理解者は己だ。マリエールには、その自負心がある。


 ロビンは二人の暗夜を見ているが、ある意味でその見解は正しく、また間違っている。


 永遠に不変の存在など、何処にも存在しない。それは使徒たる暗夜もそうだ。血と肉の通う身体に魂魄が強い影響を受けている。そもそもあれは子供の身体だ。そこに成熟した精神が入れば、形はどうしても歪んでしまう。

 だが、それも一時的なものだ。あの少年の身体を破棄してしまえば、使徒暗夜の精神状態は時を追って回復する。

 そこまで考えたところで不意に――


「ああ、シュナイダー。喚ばれたんだ」


 現れたのは、ドワーフのゾイだ。

 武器の類は所持していない。

 エルフであるマリエールと、ドワーフであるゾイの種族相性は最悪だ。これが理知的な二人をして、存外、馬鹿にならない。お互い、近くにいるというだけで嫌悪感がある。だからこそ、ゾイは武器を持ってない。普段なら、絶対に手放さない愛用のメイスを持ってない。それは、強く自制心を働かせようとする意思の現れだ。

 ゾイは小さく舌打ちした。


「一番乗りは、シュナイダーか……」


 守護騎士アシタは人気者だ。

 ロビン。ゾイ。聖エルナ。機会に恵まれれば、あのポリーやアニエスですらも牙を剥くだろう。

 アシタ・ベルは早晩死ぬ。

 それは最早避けられない運命だ。マリエールは保証したってよい。

 ゾイは『腕組み』の恰好だ。


「……さすがシュナイダー。強いね……」


「……」


 マリエールは、ちらりとゾイに視線を送った。


 ……凄まじい速度で神力の上限が上がっている。


 通常の訓練では、こうはならない。おそらく、大量の泪石を使った筈だ。暗夜が無責任に捨て置いた泪石が、この凄まじい成長の原因だ。

 良薬も過ぎれば毒になる。

 アイヴィも気付いているようだ。険しい表情で静かに言った。


「ゾイ……どれだけ使ったんですか……?」


「んん? なんの事?」


「とぼけないで下さい。ヨル……マスターの泪石です」


「……」


 黙り込み、中空を睨み付けるようにして指折り考え込むゾイの様子は、無数の泪石の使用を行った事を推測させた。

 暫くして、諦めたように首を振るゾイに、アイヴィは鋭く言った。


「……癖になりますよ」


 そこで、ゾイは微笑んだ。


「もうなってる。あれ、すごくすごく甘いんだ。優しくて甘くて……『愛』ってこんな味なんだって……」


「……」


 アイヴィは首を振った。諦めたのだ。そもそも健康を害するものではない。暗夜の手を煩わせる事態になる前に、当の暗夜に報告するだけだ。

 ゾイは言った。


「……それにしても、あんたって似てる。小さい時のエヴァにそっくり……」


「エヴァ……?」


「……辛く悲しい記憶だけが残る。アスクラピアは捻くれてるんだ……」


 アスクラピアの蛇は悪食で何でも喰らう。だが、好き嫌いがない訳じゃない。ゾイやアビーの記憶を失った暗夜が、微かにではあるが、仲が悪かったエヴァの事だけは覚えていて、アイヴィを傍に置くというこの皮肉に、ゾイは自嘲の笑みを浮かべる。


 ディスプレイでは、ロビンとアシタの決闘が始まった。


「ねえ、エルフの人。音は拾えないの?」


 マリエールは、黙って闇に浮かぶキーボードのボタンを押した。

 同時に、銀髪の少年が言った。


『やれ、ロビン。この底抜けの馬鹿の角をへし折れ。手足は千切っても構わんが、決して殺すな』


 ゾイににとって、アシタに殺された修道女、ルシールは、恋敵であると同時に、尊敬すべき教師でもあった。アンナやクロエは、良き姉、良き友だった。

 ――機会チャンスは残されている。

 ゾイは、ニヤッと嗤って拳を握り込んだ。


◇◇


 マリエールは、ふと思い出す。

 この奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)に引き籠もった七十年という時間は幸せだった。

 知識を分かち、時に意見を戦わせ、仮説を話し合い、新しい武具や戦術を思考する日々は、学者気質を持つマリエールには幸福な時間だった。

 やがて、自然な形で男女の関係になった事もそうだ。抱かれている時は、不安の全てを忘れられた。

 停まった時の中で、全て終わってしまっても構わないと思えるぐらいには、マリエール・グランデは幸福だったのだ。


 ディスプレイに映るロビンは、アシタを圧倒している。


先生ドク……」


 ルシール・フェアバンクスを意識してないと言えば嘘になるが、死者を羨む気にはなれない。

 だが、書斎で一人、顔を覆って涙を流す暗夜の姿を、マリエールだけが知っている。

 優しい死神は一人で泣くのだ。

 愛も命も終わりがあるように、悲しみにも終わりがある。全ては時間が解決する事を、長命種のマリエールは知っている。


 そこで大きな発砲音がして、ハッとマリエールは顔を上げた。


 一瞬、見えたのは、床に転がる『赤い石』だ。その赤い石から眩い輝きが広がり、ディスプレイがホワイトアウトする。殆ど同時に――


『――ロビンッ!』


 少年の甲高い声が響き、マリエールたちの目前に、ロビンが出現した。


「あれ? え……?」


 ロビンは呆然として、それからマリエールの視線を追うようにして虚空に浮かぶディスプレイに視線を移す。


 そこでは、アシタが引き攣った笑みを浮かべて嘲笑っていた。


『やった! やってやったぞ! ざまあみろ! ざまあみやがれ!!』


 そのアシタの哄笑を見つめるロビンの口元に、つっと涎の筋が伝う。


 ディスプレイの中に暗夜は居なくなり、アシタが狂ったように笑い続けている。


 この事態に、いち早く反応したのはアイヴィだ。叫んだ。


「アシタ・ベルが使ったのは『勝利の石』です! マリエールさん、非常事態宣言を!!」


「……勝利の、石……?」


 『勝利の石』が何をするものか。エルフだけは知っている。


 この世界を創ったとされる古代神は、己の姿に似せてエルフを創ったとされる。そのエルフを古代神に託されたのがアルフリードだ。故に、エルフだけは知っている。


「……ッ!」


 マリエールは慌ててコンソールを操作して、世界中を対象に暗夜の存在を検索するがヒットしない。


「……まさか……『夢幻』……?」


 アスクラピアの子が、軍神の支配する領域に送られた。

 すなわち――

 それが人であれ、使徒であれ、行き着く先は変わらない。死あるのみだ。


「マリエールさん、非常事態宣言を!」


 マリエールは叫んだ。


「うるさいッ! うるさいうるさいうるさいッ!!」


 激しい愛なんていらない。

 それは一瞬の輝きを放ち、消えるものだ。仄かな好意だけが永遠の勝利を告げる。夢幻に降り積もる雪のように、決して消える事なく――


 永遠に、想いだけが降り積って行く。


 長命種のエルフ。マリエール・グランデの愛はそういう愛だ。


 時間が解決できない問題もある。


 堪え難い別れは何度もあった。それこそ無数にあった。


 だが、この『別れ』だけは耐えられない。


 マリエールの愛人は、その力の性質故に常に死に近い場所にいる。


 マリエールは発狂した。

これにて閑話終了です。読了、ありがとうございました!

後編の公開予定日は未定です。カクヨムの限定記事にて勇者編91話〜120話+閑話+異世界編(前)121話〜150話。現在、異世界編(下)151話〜154話まで更新しております。

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。やっぱりこの作品は心の動きが面白くてつい読んでしまう。
続き楽しみに待ってます!!
生理的嫌悪感は理性を超えて殴りたくなるほどだしそれを抑えて理性でもって行動してるゾイはえらい
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