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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第五部 青年期『勇者』編(前半)

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空虚

 その日――帰って来た暗夜は血塗れだった。


 狼の獣人であるロビンには分かる。一人や二人を殺した程度では利かない濃厚な血の匂い。暗夜が場を外したのは僅かな時間だ。その僅かな時間で、百人以上、手に掛けた筈だ。

 地獄を散歩して来たと言っても通用しただろう。

 誰もが恐怖を覚える光景だった。

 ロビンが知っていたディートは、激しくも優しい少年だった。目の前の男は……暗夜ヨル……虚無の闇から生まれた男。

 時折、ロビンは思ってしまう。

 ロビンの知っているあの少年と、この暗夜という男は別人なのではないか、と。


 そして、暗夜は何でもない事のように、神官服リアサの袖から聖女の目玉を取り出した。


 ロビンの感性では――気持ち悪い。


 自身も人を殺した事はある。なんなら、暗夜より残忍に殺した。だが、興味からその一部を持ち帰った事はない。


「見ろ、ロビン。少しエルナのものと違う。そう思わないか?」


 これは違う。ディートと暗夜では、違う。中身は同じでも、全く違う存在だ。

 ロビンは何度も首を振った。

 思い出したのは、六年前の事だ。あの日、ロビンは愚かにも違う誰かを連れ帰った。


 それきり、ロビンの主は戻らないままだ。


 そんな風に思ってしまう。

 一時、小さなディートと暮らしたが、目の前の残酷な男とはまるで感性が違うような気がしてならない。


 黙り込む皆の態度に辟易した暗夜が聖女の目玉を踏み潰し、虚無の闇に消えた。


 ロビンは掻き毟るようにして髪を握り締めた。

 ――そんな筈はない、と。

 だが、心の何処かが納得しない。ディートハルト・ベッカーと死神暗夜は別人だ。狼人の鋭い感性が、そう強く訴えるのだ。

 マリエール・グランデが、ぽつりと呟いた。


「血と肉……」


「どういう意味ですか……?」


先生ドクの状態は、あんまり良くない」


 それだけ言って、マリエールは黙り込んだ。


◇◇


 それから数日が経過して、ロビンが海の部屋に行くと、フランキーとジナの姿が消えていた。


 海の部屋では、寡黙なドワーフのゾイが一人で鍛錬に励んでいる。


「ああ、シュナイダー。いい所に来てくれたね。早速だけど、やろうよ」


 ゾイは嗤っている。その笑みは貪欲に強さを求めていた。


「それは構いませんが……フラニーとジナは?」


「ん~、出てった。一応、止めたとは言っておくよ。聖エルナが連れて行ったみたい」


「……暗夜さんの許可もなく、ですか……?」


「だから、一応は止めたって」


 ロビンはこの状況を持て余し、軽く唇を舐めた。

 フラニーとジナが出て行った。

 ロビンですら困難なのだ。あの二人の力では、奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)を出入りする事は不可能だ。きっとエルナを言いくるめ、誘導して力を借りたのだろう。ハイエナ種の獣人のやりそうな事だ。それに優柔不断な犬人ワードッグが付いて行ってしまった。そんな所だろう。

 ゾイが、クスクスと鼻で嘲笑った。


「フランキー、暗夜ディがイカれてるだって。ホント、笑っちゃう」


 このゾイだけは、六年前から変わらない。ロビンはそれを訝しく思う。


「……お前は、暗夜さんとディートさんが違う人だとは思わないんですか?」


 そこで、ゾイは思い切り吹き出した。


「あれから六年も経ってるんだ。違うに決まってるよ。でも、暗夜ディはディだ。優しくて……隙だらけ……!」


「……でも、残酷です……」


「それは、私たちもだよね。一面だけを見て、シュナイダーは決め付けるんだ。へぇ……フランキーとは違うと思ってたけど、同じだね」


 ロビンは納得できない。がりがりと髪を掻き毟りながら言った。


「……血と肉です。マリエールさんは、そう言ってましたが……お前は理解してるんですか……?」


 ゾイは、呆れたように溜め息を吐き出した。


「ディはディだよ。小賢しいエルフの理屈なんか、どうだっていい。そんな事だから、シュナイダーは先生ルシールに負けたんだ」


「――ッ!」


 かっとして激昂しそうになったロビンに、ゾイは言った。


「好きなように世界を見るがいい。世界は昼と夜の顔を持っていて、お前たちを嘲笑う」


「……アスクラピアの言葉ですね……」


「そういうこと。同じディなんだよ。それが理解できない内は、先生ルシールにも私にも敵わないよ?」


「……お前に?」


 ロビンは、薄く嘲笑って腰の鞘からデュランダルを抜き放った。


「ドワーフの癖に、調子に乗ってますね……」


 そのロビンの言葉には答えず、ゾイはかち上げるようにしてメイスを振るった。


「――ふッ!」


 鋭い呼気と共に振るわれたメイスを躱し、即座に飛び退いたロビンは、鋭くゾイを睨み付けた。

 さらさらとした雨が降っていた。

 雨音が妙に大きく聞こえる。

 不意討ち。遠慮のない、いい一撃だった。ロビンは薄い笑みを浮かべたまま、改めてデュランダルの切っ先をゾイに向けた。


「さすが、シュナイダー。でも、迷いがあるね」


 ゾイは、メイスを肩に乗せて言った。


「そんなんじゃ、またディに迷惑を掛けちゃうよ? また庇われる。大事な時に、また役立たずになっちゃうよ?」


「……っ」


 ロビンの脳裏に浮かんだのは、六年前の悔やんでも悔やみきれないあの選択だ。


「……お前に、私の何が分かるって言うんですか……」


 ゾイは鼻を鳴らした。


「しっかりしなよ、シュナイダー。また暗夜ディを死なせたら、今度は許さない」


 そこで、ゾイは踵を返してその場を去った。

 今の状況で矛を交えれば、それは訓練に留まらず、きっと殺し合いに発展する。勿論、ロビンが勝つ。だからこそ、ゾイは去るのだ。

 本当に忌々しいドワーフだ。

 降り頻る雨の中、闇に消えて行くゾイの背中を見送って、ロビンは小さく舌打ちした。


 暗夜とディートの顔が、脳裏に閃いて消えて行く。同一人物。理屈では分かっている。だが、心が納得しない。矛盾を背負ったまま、ロビンはデュランダルを鞘に納めた。


「胸に……穴が空いたままです……」


 ロビンは、ディートに付いて行ったアイヴィが羨ましかった。


◇◇


 現在、使徒暗夜の『部屋』は、マリエールが門番ゲートキーパーとして管理している。


 ロビンの権限は、非常時を除き、マリエールに劣る。具体的には、『書斎』に出入りできない。超能力で侵入する事もできるが、それには強い意思と力が必要だ。思ったからといって、すぐに実行できる訳じゃない。


 暗夜のプライベートルームである『書斎』への常時出入りを許されているのはマリエールだけだ。


 つまり、使徒暗夜の最側近は、マリエール・グランデだ。ロビンじゃない。ルシールが死んでしまうまでは、その立場に嫉妬していたが、今はそうでもない。

 ロビンは自嘲気味に呟いた。


「……死人を羨む事になるとは、思いませんでしたね……」


 おそらく、ルシールは本物の暗夜ディートに会ったのだ。


 漠然とそんな事を考えながら『リビング』に帰ると、そこには困惑した様子のアイヴィが居て、ロビンは眉間に険しい皺を寄せた。


「アイヴィ。何故、お前がいるんですか?」


 詰問するようなロビンの口調に不愉快さを隠さず、アイヴィは答えた。


「突然、追い返されたんです。それより、マスターの力が上がっています。先日、血を吐いて倒れた事と関係ありますか?」


「血を吐いたですって!?」


 ロビンは睨むようにしてマリエールに視線を送ったが、そのマリエールは、珍しく焦ったように口元を押さえ、深く考え込んでいる。

 ややあって、言った。


「……聖女……」


 ロビンにとって、今は聞きたくないワードだ。暗夜が踏み潰した目玉は既に『部屋』に取り込まれ消え去り、千切られた『右腕』に関しては、暗夜が書斎に取り寄せたまま返って来ない。それきり、暗夜は書斎に閉じ籠もって出て来ない。


 マリエールは慌てたようにキーボードを叩き、何やら調査を始めた。

 ややあって、言った。


「……聖エミーリアと、先生ドクの反応がない……」


「なんですって?」


 そこで――ロビンの視界は暗転した。

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― 新着の感想 ―
ゾイは直感的に理解して盲目の使徒ではない感じがするのは良い成長してるなぁ でもあの目玉の時はゾイいなかったような?いたらゾイだけ理解を示したのだろうか? 理性より感情で生きた方が生き生きとして楽しそう…
現実で代わり映えしない生活を送る自分より 葛藤や悩みのある本作品のキャラの方が生き生きして見える
ほんとおもしろい
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