不肖の弟子6
訳が分からなかった。
師匠は黙っていて何も言ってくれないけど、使徒としての当為でデカい戦いがあった事はシュナイダーから聞いて知ってた。でも、その戦いにヴォルフが不参加だった事は知らなかった。
師匠は、ヴォルフを木偶の坊と嘲弄し、ヴォルフは殺して回る師匠に侮蔑の言葉を投げ付けた。
師匠は最初から『殺る気』だった。
聖騎士ギュスターブと剣聖ローランドを取り込んだ師匠は、神力だけで言えば全使徒中、トップクラスだ。
戦略も戦術もなかった。
師匠は、その圧倒的な神力で強引にヴォルフを捻じ伏せた。
恐ろしいぐらいの格の違いだった。
「……」
ヴォルフは鋭い連撃を放って一方的に攻撃するけど、師匠の神力を抜けない。殺す機会は何度もあったけど、師匠は、つまらなそうに煙草をふかしながらその全ての機会を見送って……呆れたようにヴォルフを見つめていた。
「もう、いい……お前は、もういい……」
そう言った師匠は、目にも留まらぬスピードでヴォルフの顔を掴んで吊り上げた。
死んじまう。オレの憧れが死んじまう。オレは、ふらふらと歩み出て師匠の腰に縋り付いて寛恕を乞うた。
そんなオレの姿に思う所があったのか、白蛇が力を貸してくれたお陰でヴォルフを逃がす事に成功した。
「この馬鹿がッ……!」
激しい叱責が飛んで、思い切り振り抜かれた師匠の右手がオレの顎を砕き――意識が暗転した。
◇◇
気が付くと、オレは『海の部屋』にいて、延々と雨が降り頻る夜の港に転がっていた。
「…………」
確かに顎を砕かれたけど、目を覚ました時、身体の何処にも怪我はなかった。
なんでだ? なんでこうなった? 師匠は、なんだってヴォルフを殺そうとしたんだ?
――分からない。
分かるのは、師匠がヴォルフを喰おうとした事だけだ。ギュスターブやローランドをそうしたように、蛇に喰わせて力を増そうとした事だけだ。
マリ姐さんの所に行って経緯を説明すると、マリ姐さんは否定も肯定もせず、悲しそうにオレの話を聞いた。何も言わなかったけど、師匠の行動に気を揉んでるのは分かった。
――ルシール姐さんが死んで、師匠はおかしくなった。
より強い力を求めてる。
ヴォルフを喰おうとしたのは、怒りだけが理由じゃない。また何か無茶苦茶な事を考えてて、それが今の師匠の行動原理になってる。
オレは分からなくなった。
今の師匠はおかしい。師匠の考えている事が分からない。たとえ、ヴォルフに咎があったとしても、不殺の拳聖ヴォルフは、簡単に殺していい相手じゃない筈だ。
悩む時間が増える。
海の部屋には新しくゾイのヤツがやって来て、ジナと一緒に訓練するようになった。
ゾイはメイスによる格闘術だけじゃなく、体術を取り入れた訓練を積む事でめきめき実力を上げて行った。
……ふと思った。
師匠にとって、オレたちは、ただの『駒』なんじゃないかって。役に立たなきゃ、それきり。
ゾイは、なんでもなさそうに言った。
「だからなに? 今の私たちは、弱すぎて駒にだってなれないよ。勝手にそう思って、腐ってれば?」
チビは相変わらずだ。師匠にベタ惚れで、疑う事すらしない。話にならない。
ジナの場合、頭が悪すぎてオレの話は理解できない。
「……ん……ジナは……ヨルのものだから……」
犬人は人間と相性がいい。師匠は元々人間だし、無関係じゃない。それが理由かどうか分からないけど、ゾイとは案外上手くやってるみたいで意外だった。
オレは行き詰まった。オレだけが一人取り残されて、何処にも行けないでいるような気がした。
◇◇
力が無分別と偶然によって邪道に陥る事があるように、どのような罪を犯した者であっても、分別と偶然によって正道に引き戻されないという事はない。
これは逆についても同じ事が言える。
どんなに理に適った力でも、無分別と偶然によって邪道に導かれ得ないものはない。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
それから暫くして――
師匠は、全身、血塗れの恰好で帰って来た。
人工聖女の一人を狩ったらしい。帰って来るなり、その聖女の腕をぽんと虚無の床に投げ出して蹴飛ばし、マリ姐さんに調べるように命じた後で――神官服の袖から目玉を取り出した。
それには、あのシュナイダーですら引いていた。
確かに人工勇者や人工聖女は危険な存在だ。でも、同時に人間でもある。何をしたって許される訳じゃない。
オレが非難しても、師匠は一向に気にした様子がなく、むしろ呆れたように言った。
「いいだろう。お前らの素晴らしい倫理観に合わせてやる」
そう言って、師匠は聖女の目玉を踏み潰した。
湿った音がして、体液の飛沫が辺りに飛び散った。
その残酷な光景には、俺だけでなく、その場に居合わせたポリーさんたちも目を背けた。
思った。
「師匠……あんた、イカれてるよ……」
鼻で嘲笑っただけで、師匠は答えなかった。
第十七使徒『暗夜』。
師匠が人間やめちまった事は知ってたけど、イカれちまってるとまでは思わなかった。
闇の中に師匠が消え、辺りに沈黙が漂う。
マリ姐さんは、ひたすら心配そうに俯いたままで、シュナイダーのヤツはブツブツ何か呟いている。
「……暗夜さんはディートさんでディートさんは暗夜さん……」
本当に、そうか?
オレは違うような気がする。人間だった頃の師匠と、使徒になった師匠は別もんだ。
師匠を変えちまったのは、ルシール姐さんだ。あらゆる意味で、あの人が師匠をおかしくした。
そう思うと、オレは自分でも訳が分かんなくなるぐらいムシャクシャした。
◇◇
その晩、オレはジナに言った。
「……なぁ、ジナ。オレと一緒に、ヴォルフのとこに行かねえか?」
「なんで……?」
場所は『雨の部屋』にある灯台。訓練を終えた皆が、思い思いに過ごす一階のリビングでの事だ。
「なんでって……お前も見たろ? 師匠はイカれちまってる。こんな所に居たら、オレたちまで師匠に殺されちまう」
「……なんで?」
オレの話は、ジナには少し難し過ぎたみたいだ。頻りに首を傾げていた。
その話を聞いていたゾイが、肩を揺らして嘲笑った。
「フランキー……変わったかと思ったけど、やっぱり変わってなかったんだね。いいよ。私は許す。ううん、むしろ賛成。ここを出てってほしい」
「うるせえ。テメーには話してねえよ」
オレにとって、ジナは可愛い妹みたいなもんだ。あの地獄で六年の時間を共にした事で出来た絆は強い。
オレは、ジナにも分かるように言葉を尽くして説明した。
「……師匠、怖かったろ……?」
「う、うん……でも、あれは……確かにこわいときもあるけど……それは違くて……」
ジナはジナで、何か考えがあるみたいだったけど、言葉も頭も足りない。上手く説明できないみたいだった。
オレたちの付き合いは長い。
「今は、ここに居ない方がいいって!」
「でも……ジナはヨルのもので……」
ここを出て行こうっていうオレに、ジナは反対みたいだった。
「バッカ! テメーの為に言ってんだよ!」
「ジナの?」
ジナには優柔不断な所がある。これは『群れ』に対する従属欲求がある犬人にはよく見られる性分だ。決断を他者に委ねる癖がある。
そこを上手く転がす事で、オレはジナの説得に成功した。
「少し距離を置くだけだって。いつでも帰るから、な? オレと行こうぜ? な?」
「う、うん……」
困惑して、あちこち視線を泳がせるジナに、ゾイは、にやにや嘲笑って手を振った。
「ねえ、毒犬。昔、私は言ったよね。お前は、暗夜の為に一生尽くすんだって。それを破るんだから、どうなったって知らないよ?」
「え? あ、う……」
動揺するジナを慌てて引っ張り寄せながら、オレは叫んだ。
「うっせえ! クソチビが! テメーは黙ってろよ!!」
ゾイは嘲笑って、すんなり頷いた。
「分かった。でも、フランキー。私は、ちゃんと言ったよ。どうなっても知らない。これは暗夜を怒らせたくないから言ったんだ」
「はンッ! テメーこそ、師匠にいいように使われて早死にしないようにな!」
オレは憎まれ口を叩く事で、俄に湧き出した胸の不安に蓋をした。
全部、師匠が悪い。なんにも教えてくれない師匠が悪い。
この事が、師匠の逆鱗に触れるって知ってたら……オレは、どうしただろう。師匠をあんなに悲しませるって分かってたら、オレは……。
これが、あんな結末を招くなんて、この時の馬鹿なオレには知りようがなかったんだ。




