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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第五部 青年期『勇者』編(前半)

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不肖の弟子6

 訳が分からなかった。

 師匠は黙っていて何も言ってくれないけど、使徒としての当為ソルレンでデカい戦いがあった事はシュナイダーから聞いて知ってた。でも、その戦いにヴォルフが不参加だった事は知らなかった。


 師匠は、ヴォルフを木偶の坊と嘲弄し、ヴォルフは殺して回る師匠に侮蔑の言葉を投げ付けた。

 師匠は最初から『殺る気』だった。

 聖騎士ギュスターブと剣聖ローランドを取り込んだ師匠は、神力だけで言えば全使徒中、トップクラスだ。

 戦略も戦術もなかった。

 師匠は、その圧倒的な神力で強引にヴォルフを捻じ伏せた。

 恐ろしいぐらいの格の違いだった。


「……」


 ヴォルフは鋭い連撃を放って一方的に攻撃するけど、師匠の神力を抜けない。殺す機会は何度もあったけど、師匠は、つまらなそうに煙草をふかしながらその全ての機会を見送って……呆れたようにヴォルフを見つめていた。


「もう、いい……お前は、もういい……」


 そう言った師匠は、目にも留まらぬスピードでヴォルフの顔を掴んで吊り上げた。


 死んじまう。オレの憧れが死んじまう。オレは、ふらふらと歩み出て師匠の腰に縋り付いて寛恕を乞うた。


 そんなオレの姿に思う所があったのか、白蛇が力を貸してくれたお陰でヴォルフを逃がす事に成功した。


「この馬鹿がッ……!」


 激しい叱責が飛んで、思い切り振り抜かれた師匠の右手がオレの顎を砕き――意識が暗転した。


◇◇


 気が付くと、オレは『海の部屋』にいて、延々と雨が降り頻る夜の港に転がっていた。


「…………」


 確かに顎を砕かれたけど、目を覚ました時、身体の何処にも怪我はなかった。


 なんでだ? なんでこうなった? 師匠は、なんだってヴォルフを殺そうとしたんだ?

 ――分からない。

 分かるのは、師匠がヴォルフを喰おうとした事だけだ。ギュスターブやローランドをそうしたように、蛇に喰わせて力を増そうとした事だけだ。


 マリ姐さんの所に行って経緯を説明すると、マリ姐さんは否定も肯定もせず、悲しそうにオレの話を聞いた。何も言わなかったけど、師匠の行動に気を揉んでるのは分かった。


 ――ルシール姐さんが死んで、師匠はおかしくなった。


 より強い力を求めてる。

 ヴォルフを喰おうとしたのは、怒りだけが理由じゃない。また何か無茶苦茶な事を考えてて、それが今の師匠の行動原理になってる。


 オレは分からなくなった。


 今の師匠はおかしい。師匠の考えている事が分からない。たとえ、ヴォルフに咎があったとしても、不殺ころさずの拳聖ヴォルフは、簡単に殺していい相手じゃない筈だ。

 悩む時間が増える。

 海の部屋には新しくゾイのヤツがやって来て、ジナと一緒に訓練するようになった。

 ゾイはメイスによる格闘術だけじゃなく、体術を取り入れた訓練を積む事でめきめき実力を上げて行った。


 ……ふと思った。


 師匠にとって、オレたちは、ただの『駒』なんじゃないかって。役に立たなきゃ、それきり。

 ゾイは、なんでもなさそうに言った。


「だからなに? 今の私たちは、弱すぎて駒にだってなれないよ。勝手にそう思って、腐ってれば?」


 チビ(ゾイ)は相変わらずだ。師匠にベタ惚れで、疑う事すらしない。話にならない。

 ジナの場合、頭が悪すぎてオレの話は理解できない。


「……ん……ジナは……ヨルのものだから……」


 犬人は人間と相性がいい。師匠は元々人間だし、無関係じゃない。それが理由かどうか分からないけど、ゾイとは案外上手くやってるみたいで意外だった。


 オレは行き詰まった。オレだけが一人取り残されて、何処にも行けないでいるような気がした。


◇◇


 力が無分別と偶然によって邪道に陥る事があるように、どのような罪を犯した者であっても、分別と偶然によって正道に引き戻されないという事はない。

 これは逆についても同じ事が言える。

 どんなに理に適った力でも、無分別と偶然によって邪道に導かれ得ないものはない。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 それから暫くして――

 師匠は、全身、血塗れの恰好で帰って来た。

 人工聖女の一人を狩ったらしい。帰って来るなり、その聖女の腕をぽんと虚無の床に投げ出して蹴飛ばし、マリ姐さんに調べるように命じた後で――神官服リアサの袖から目玉を取り出した。


 それには、あのシュナイダーですら引いていた。


 確かに人工勇者や人工聖女は危険な存在だ。でも、同時に人間でもある。何をしたって許される訳じゃない。

 オレが非難しても、師匠は一向に気にした様子がなく、むしろ呆れたように言った。


「いいだろう。お前らの素晴らしい倫理観に合わせてやる」


 そう言って、師匠は聖女の目玉を踏み潰した。

 湿った音がして、体液の飛沫が辺りに飛び散った。

 その残酷な光景には、俺だけでなく、その場に居合わせたポリーさんたちも目を背けた。

 思った。


「師匠……あんた、イカれてるよ……」


 鼻で嘲笑っただけで、師匠は答えなかった。

 第十七使徒『暗夜』。

 師匠が人間やめちまった事は知ってたけど、イカれちまってるとまでは思わなかった。


 闇の中に師匠が消え、辺りに沈黙が漂う。


 マリ姐さんは、ひたすら心配そうに俯いたままで、シュナイダーのヤツはブツブツ何か呟いている。


「……暗夜さんはディートさんでディートさんは暗夜さん……」


 本当に、そうか?

 オレは違うような気がする。人間だった頃の師匠と、使徒になった師匠は別もんだ。


 師匠を変えちまったのは、ルシール姐さんだ。あらゆる意味で、あの人が師匠をおかしくした。


 そう思うと、オレは自分でも訳が分かんなくなるぐらいムシャクシャした。


◇◇


 その晩、オレはジナに言った。


「……なぁ、ジナ。オレと一緒に、ヴォルフのとこに行かねえか?」


「なんで……?」


 場所は『雨の部屋』にある灯台。訓練を終えた皆が、思い思いに過ごす一階のリビングでの事だ。


「なんでって……お前も見たろ? 師匠はイカれちまってる。こんな所に居たら、オレたちまで師匠に殺されちまう」


「……なんで?」


 オレの話は、ジナには少し難し過ぎたみたいだ。頻りに首を傾げていた。

 その話を聞いていたゾイが、肩を揺らして嘲笑った。


「フランキー……変わったかと思ったけど、やっぱり変わってなかったんだね。いいよ。私は許す。ううん、むしろ賛成。ここを出てってほしい」


「うるせえ。テメーには話してねえよ」


 オレにとって、ジナは可愛い妹みたいなもんだ。あの地獄ムセイオンで六年の時間を共にした事で出来た絆は強い。

 オレは、ジナにも分かるように言葉を尽くして説明した。


「……師匠アイツ、怖かったろ……?」


「う、うん……でも、あれは……確かにこわいときもあるけど……それは違くて……」


 ジナはジナで、何か考えがあるみたいだったけど、言葉も頭も足りない。上手く説明できないみたいだった。

 オレたちの付き合いは長い。


「今は、ここに居ない方がいいって!」


「でも……ジナはヨルのもので……」


 ここを出て行こうっていうオレに、ジナは反対みたいだった。


「バッカ! テメーの為に言ってんだよ!」


「ジナの?」


 ジナには優柔不断な所がある。これは『群れ』に対する従属欲求がある犬人ワードッグにはよく見られる性分だ。決断を他者に委ねる癖がある。

 そこを上手く転がす事で、オレはジナの説得に成功した。


「少し距離を置くだけだって。いつでも帰るから、な? オレと行こうぜ? な?」


「う、うん……」


 困惑して、あちこち視線を泳がせるジナに、ゾイは、にやにや嘲笑って手を振った。


「ねえ、毒犬。昔、私は言ったよね。お前は、暗夜ディの為に一生尽くすんだって。それを破るんだから、どうなったって知らないよ?」


「え? あ、う……」


 動揺するジナを慌てて引っ張り寄せながら、オレは叫んだ。


「うっせえ! クソチビが! テメーは黙ってろよ!!」


 ゾイは嘲笑って、すんなり頷いた。


「分かった。でも、フランキー。私は、ちゃんと言ったよ。どうなっても知らない。これは暗夜ディを怒らせたくないから言ったんだ」


「はンッ! テメーこそ、師匠アイツにいいように使われて早死にしないようにな!」


 オレは憎まれ口を叩く事で、俄に湧き出した胸の不安に蓋をした。


 全部、師匠が悪い。なんにも教えてくれない師匠が悪い。


 この事が、師匠の逆鱗に触れるって知ってたら……オレは、どうしただろう。師匠をあんなに悲しませるって分かってたら、オレは……。


 これが、あんな結末を招くなんて、この時の馬鹿なオレには知りようがなかったんだ。

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― 新着の感想 ―
馬鹿ばっか愚か者ここに極まれりという状況だな。わからないならわかるまで聞け! ヨルはわかって当然でいくし口下手だから行動で示そうとするが聞けば一応答えてくれるんだよなぁ理解できないことを忌避と共に吐き…
「語らず、示せ。」の悪いところが出てるな〜と思うけど、 「勇気を失うということは……全てを失うということだ」 ということなのかもしれない。フラニーの決断は『勇気』に拠ったのだろうか。
不殺思考は認められてた訳だし、フランキー別に悪くないよね 何するにしても説明一つしない暗夜が、導く者として不適格過ぎる
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