90 俺がいなくなった日に
その瞬間、覚醒した俺は目を開いた。
漸く本体との接続が繋がった。身体に不備はない。勝利の石を喰う事に成功した。だが……
「ん……」
俺は夢を見ていた。そこで大切な事を聞いたような気がするが……それが思い出せない。
一時的に本体との接続が切れ、分け身の身体に魂を移していたせいだろう。本体との接続が切れていなければこんな事にはならなかった筈だ。それがどうにも悔やまれる。
「……」
辺りを見回すと、そこは寂れた教会の一室だった。
暖炉では薪がパチパチと音を立てて燃えていて暖を取っている。
つい、今しがた目を覚ましたばかりの俺はベッドの上にいて……視線の先では、焼け焦げた神官服と、やはり同じように焼け焦げた古い時代の修道服が重なり合うようにして脱ぎ捨てられている。
そして――ベッドの上で寝ていた俺の胸で、エミーリアが静かに寝息を立てて眠っていた。
「……」
俺は、そっと額に手を当てて呆然とした。
なんなんだ、この状況は。こんなところをロビンやマリエールに見られれば最悪だ。そこにゾイまで含めれば世界の終末だ。アポカリプスだ。俺は終わる。とりあえず……
「お、おい、エミーリア。起きろ……」
「んっ……」
と、悩ましい溜め息を吐き出したエミーリアが、うっすらと目を開いて、エメラルドグリーンの瞳で俺を見つめ返した。
暫くの沈黙を挟み、徐々に意識が覚醒してきたのだろう。エミーリアは不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、つぶやくように言った。
「……ルシールって……聖エルナ教会にいた、おばさんだよね。あんたって相当節操ないわよね。女だったら誰でもいいの……?」
カチンと来て、俺は舌打ちした。
「お前には関係ない」
「あんたは私に無限の負債がある。関係なくても、私の質問には何でも答えるの。分かった?」
そう言って、エミーリアは怠そうに身体を起こした。
一糸纏わぬ姿。ささやかな胸に小さい尻。俺の好みからは大きく外れている。
エミーリアは、そのままの姿で、脱ぎ捨てられていた修道服を手に取り、大きな溜め息を吐き出した。
「あ~あ……」
エミーリアの修道服は、殆どが燃え尽きていて見られたものじゃなかった。
「……」
そっとシーツを捲って見ると、俺も裸だった。
「エ、エミーリア……お前……これは犯罪だ……! おお、母よ……! 許し給え! 許し給え!」
何度も聖印を切る俺に、エミーリアは、ちらりと馬鹿を見るような軽蔑した視線を向け、それから修道服を煽るようにして、バサッと一振りすると、ボロ切れ同然だった修道服が忽ちの内に新品同然の綺麗な形に戻った。
エミーリアは、恐ろしく機嫌悪そうに言った。
「ねえ、あんた燃えたの。分かる? 身体の中から燃えたの。魂だけは分け身に逃がしたのも私なら、崩壊待ったなしだったあんたの身体を修復したのも私。どんだけ貸しがあるか分かる?」
「え……?」
「じゃないわよ。見捨ててもよかったんだから。分かってんの?」
「……」
そこで、俺は『勝利の石』を取り込んだあの時の状況を思い出した。
軍神の力の反発は凄まじく、俺は燃え尽きる寸前だった。あの時は消滅を覚悟した。
「あそこはあんたの部屋だったからね。私が全力を出すには、あんたを私の『部屋』に連れて来るしかなかった」
そこで、俺は全てを理解した。
燃えた修道服。エミーリアは好きで裸になったんじゃない。物理的に燃えた俺のせいでそうせざるを得なかった。そして、本来眠る必要のないエミーリアが眠っていたのは、全力を注いで俺の崩壊を防いだからだ。
エミーリアは言った。
「あんた、私の奴隷ね。拒否権ないから」
「……」
エミーリアはそれ以上言わず、やはりボロ切れ同然になった俺の神官服を拾い上げ、やはりバサッとやると神官服が復元された。
その神官服をあちこち見回し、エミーリアは納得したように一つ頷いた。
「はい、これ着て」
そう言って投げ突けられた神官服には背中に竜胆の花が刺繍されていて、エミーリアの修道服とお揃いだった。
「……」
俺は、自身の権能で刺繍を消そうとしたが、それは出来なかった。
「ここは私の『部屋』よ。あんたが力を使える訳がないでしょうが。これだから引き篭もりの成り立ては……」
エミーリアは、ぶつぶつと文句を垂れ流しながら、修道服の裾から取り出した伽羅を俺の口に突っ込んだ。
「ぼーっとしてないで、早く神官服を着なさい」
「あ、ああ……」
「ここは禁煙よ。モクったらマジで殺すわよ。分かった?」
俺は口の中で伽羅を転がしながら、黙って頷いた。今のエミーリアは恐ろしく不機嫌で、逆らわない方が良さそうだ。
「……あんた、十日間も眠ってたのよ。分け身でも無茶をやったわよね。説明なさい……っていうか、その前から、あんたコソコソやってたわよね? それも全部説明なさい。全部よ、全部……!」
エミーリアの言う通り、俺には凄まじい額面の負債ができた。
俺は項垂れ、頷く事しかできなかった。
◇◇
全て自白させられ、項垂れる俺に対するエミーリアの説教……愚痴は三日間にも及んだ。
「……ヴォルフのヤツをシメたのは褒めたげるわ。あんたがやんなきゃ、私がやってたわよ。でも、フラニーのせいで逃がしたのね。減点。ヌルい事やってんじゃないわよ……」
「……」
「アウグストが生きてた? まぁ、なんか呆気なかったからね。そこは不思議に思ってた。そもそも、あんたに殺れるようなヤツでもなかったしね……」
エミーリアの尋問は厳しかった。
その時、俺が何を考え、何をしたか。その結果、何が起こったかまで何度も説明させられ、俺は、ありとあらゆる種類の罵詈雑言を投げ付けられる羽目になった。
「馬鹿じゃないの?」
「無謀ね」
「死ぬの? ねえ、あんた、死ぬの? 死にたいんだったら、今すぐ私が殺してあげようか?」
「あんたはニンゲンに期待し過ぎる。石を奪うのは、アシタ・ベルを殺してからの方が確実だった。なのに、あんたはわざとその機会を見送った。口では厳しい事を言いながら、実際には詰めを躊躇った。看過できない」
「あんたにはガッカリだわ」
全てを自白しながら、俺はエミーリアの罵詈雑言……叱咤を全て真摯に受け止めた。
「……アスクレピウス? あんたみたいな馬鹿が? あのクソ野郎がそう言ったの……?」
「……」
全ての罵詈雑言に、俺は返す言葉もない。黙って頷くと、それきりエミーリアは深く考え込み始めた。
嵐のように続いた罵詈雑言が終わり、今度は恐ろしい沈黙の時間が流れた。
その沈黙に耐え切れず、俺は上目遣いにエミーリアの機嫌を伺いつつ、小さく呟いた。
「なあ、エミーリア……その、ここはお前の部屋だよな? えっと……」
もう帰りたい、と続けようとした俺を、エミーリアはギロリと睨み付けた。
「駄目、許さない。あんたは、ずっとここに居るの」
「……」
くそッ、無限謝罪の始まりだ。
内心で激しく舌打ちする俺をジト目で見て、エミーリアは鼻を鳴らして嘲笑った。
「あんたはニンゲンに期待し過ぎる。見なさい。あんたが、ちょっと留守にした間に何が起こったか」
「あ?」
訳が分からない。首を傾げる俺の前で、エミーリアがさっと手を振ると、目の前に俺の『部屋』の様子を映したディスプレイが広がった。
「……」
それを見た俺は、ギョッとして目を見開いた。
「な、なんだ、これは! マリエールは何を造っている! ロビンは!? あいつ、また狂ってやがる! ポリーとアニエスとゾイまで……くそッ! まともなのはアイヴィだけか? なんでベアトリクスが居る! フラニーとジナは何処だ! あいつらは何処に行った!! エルナは――」
俺が留守にしたのは、ほんの二週間程度の事だ。
エミーリアが、ぽつりと呟いた。
「……頼りない神父さまには、やっぱり頼もしい修道女が必要よね……」
俺の部屋では、俺自身の権能を使った恐ろしい災厄が訪れようとしていた。
ありがとうございます!
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次話より閑話に入ります。よろしくお願い致します。




