88 ゆめまぼろし1
アウグストと向かい合う。
「暗夜。元の姿に戻らないのかい?」
「……」
額に冷たい汗が伝って落ちる。
俺は答えない。馬鹿正直に本体とは接続が切れてます、等と答えた瞬間、アウグストは即座に俺を斬り捨てるだろう。
アウグストは、暗夜を恐れている。だから、まだ戦端が開かれず、互いに動かずにいる。
そこに付け入る隙がある。
今のアウグストは必要以上に俺を警戒している。
刹那が揺蕩う。
その間にも、俺は目まぐるしく考える。
召喚兵と強化術式は使える。だが神聖結界は駄目だ。軍神が支配する『夢幻』では結界術は使えない。白蛇にもエルナにも頼るつもりはない。母の助力も望めない……
「……」
アウグストは少し考える風に眉間に皺を寄せ、怪訝そうに言った。
「ヘスティアを殺ったのは、君だろう? おかしいな……ニンゲンの身体じゃ本気が出せない。キツかった筈だ。でもそんな感じには見えない」
アウグストは優しく笑う。
この笑みが曲者で、俺はつい話に聞き入ってしまう。
「あの子、僕の言う事は全然聞いてくれなくてね。困ってたんだ。って、でも警告はしたんだよ? 母の使徒に会ったら死ぬよって」
その辺は男嫌いの性格が災いしたのだろう。理由が何故かは分からないが……
俺のその疑問に答えるように、アウグストは己の胸を軽く叩いた。
「この身体の元の持主が、女性関係で結構やらかしてたみたいでさ。ニンゲンってのは本当に駄目だね」
アウグストが無駄にお喋りに興じる間にも、俺は思考を重ねる。
フィジカルでは勝負にならない。
では、使い潰しの利く召喚兵で時間を稼ぎつつ、術を使って戦うという事になるが……長い祝詞を必要とする呪詛は駄目だ。実戦向けじゃない。詠唱が終わる前に殺される。
そこまで考えた所で、アウグストは閃いたと言わんばかりに手を打った。
「君が元の姿に戻らないのって……もしかして、ヘスティアの持ってた『石』が関係している?」
「――ッ!」
瞬間、俺はギクリとした。
無駄にペラペラと喋っているようにしか見えなかったアウグストだったが、違う。
考えていたのはヤツも同じだ。
元の姿に戻らない俺の事情に考えを張り巡らせていた。
俺の僅かな動揺を見逃さず、アウグストは、ひゅ、とレーヴァテインを素振りした。
「……」
お喋りは終わった。
聖剣レーヴァテイン。別名『世界を焼く剣』。『厄災の枝』とも呼ばれる。魔王ディーテを葬る為、母が創り出した『神器』だ。
タイミングを測るように素振りを繰り返すアウグストの眦が徐々に釣り上がり、殺意漲る凶相に変わって行く。
最早、別人に見える程の変貌。
(これが……『勇者』か……!)
今はまだ向かい合っているだけだが、凄まじい重圧を感じる。
冷たい汗が止まらない。
せめて、ここが夢幻ではなく、俺の『部屋』だったならと痛切に思う。
先手を取ったのは俺だ。
「聖なる光」
指先で聖印を結び、術を発動させた俺だったが、内心で激しく舌打ちした。
先手を取ったのではない。アウグストの発する重圧に負け、俺は安易な手段で先手を取らされた。
雪が降り頻る夢幻の空が割れ、十二の稲妻がアウグストを打ち据えるその瞬間――
聖剣レーヴァテインは雷を巻き上げ、吸収した。
その光景に俺は目を剥き、咄嗟に叫んだ。
「密集隊形! 密集隊形!」
アウグストはもう笑わない。眦を釣り上げたその双眸は、冷たく俺を睨みつけたままだ。
『厄災の枝』とはよく言ったものだ。レーヴァテインは俺の『聖なる光』を吸収し、眩く光り輝いた。
『神器』レーヴァテインが一閃し、光り輝く斬撃として迫るその瞬間、時間はやけにゆっくりと流れているように感じた。
密集して盾を構え、専守防衛の態勢を取る戦乙女が蒸発するようにして消え失せるが、それでもレーヴァテインの光の斬撃は止まらない。些かも威力を減じる事なく俺に迫る。
この身体じゃ駄目だ。
今の俺に、アウグストの攻撃は止められない。瞬時の判断で回避を選択した俺は、目の前の戦乙女の首ったまにしがみついた。
情けないが、今の俺より戦乙女の方が早い。回避行動を取る戦乙女に引っ張られるようにして、なんとかレーヴァテインの一閃を回避した俺は、雪原を転がり、即座に立ち上がって――
アウグストは叩き上げの勇者だ。
元はそんなに強くない。だが、伝説に残る数々の死闘がこの男を強くした。
顔を上げたその瞬間には既に、刺突の構えで殺到するアウグストの凶相があった。
飛ぶ斬撃ならヤバかった。アウグストは長中距離からの攻撃でなく、近接戦闘で直に俺を仕留めるという選択をしたようだ。
その時にはもう、隠し持っていた回転式拳銃を抜いていた俺は、迫り来るアウグスト目掛け、迷わず発砲した。
夢幻にリボルバーの発砲音が響き渡り、その瞬間、アルフリードは刮目し、九名の使徒は驚嘆の声を上げる。
息つく間も無い攻防戦。
リボルバーの銃撃は、この世界の住人にとって初見殺しだ。装填された銃弾は八発。実にその内の六発が胸板に着弾し、アウグストは、がっと血を吐き転がった。
「なんだ、あの武器は!」
「素晴らしい! 即座に終わると思ったが、意外や意外!!」
俺は死んだかと思ったが、軍神とその使徒たちは、この成り行きを楽しんでいる。
「……いいご身分だな……」
俺はスピードローダーで次弾を装填しつつ、その口は祝詞を口ずさむ。
母の助力は期待できない。……本当にそうか? 呪詛が使えるなら喚べるのではないか? あの邪悪な女を呼び寄せ、対象の命を連れ去る呪詛が一つだけ存在する。
「頭上を星が移って行く 」
初見殺しの銃撃は、あのザームエルすら葬り去った。流石の勇者もこれには面食らい、もろに銃弾を浴びる羽目になった。
咄嗟に頭だけは庇い、即死を避けたのだけは立派だが、両手を突き、激しく咳き込みながら吐血を繰り返す。
「お前がどんなに疲れたか。母だけは知っている」
アウグストは吐血しながらも、その凶相は戦いの高揚に歪み、アルカイックな笑みを浮かべている。
「母がお前の上に身を屈める。髪の中に銀の星が舞っている」
アウグストの胸に空いた六発の銃撃痕が銀の輝きを放ち、ぽろぽろと真銀の弾丸を吐き出した。
――回復神法。
それもかなりのものだ。アウグストは、未だ母の加護を持っているかと思うと複雑な気分だ。
「……流石だね、暗夜。でも……」
むくりと立ち上がるアウグストに、俺は再び弾丸を撃ち込んだ。
都合、二度目の銃撃に備え、アウグストは強い神力のバリアを二重に展開するが、そのバリアは脆くも砕け散り、八発の弾丸の内、二発がアウグストの腹に命中した。
「――え!?」
ばっと血の赤い花を咲かせた腹を抱えるようにして蹲ったアウグストは意外そうな表情だった。
俺は鼻を鳴らした。
「ナメるなよ、アウグスト」
対勇者用に開発した特殊な弾丸。
弾丸の弾芯には真銀ではなく、精神感応石を仕込んである。俺の戦意に応え、威力だけなら真銀弾の数倍になる。
「やがて、明けない夜が来るだろう」
これは個を対象にした術だ。祝詞の長さもあり、使い勝手はよくない。そして、未だ母の加護を持つアウグストに効く筈がない術だが、あのしみったれた女が現れる。必ず何かが起こる。何かすると賭けていい。
再び銃撃を受けたアウグストは苦痛に表情を歪めながらも、次の瞬間にはレーヴァテインを投げ捨てた。
「――ッ!」
オリハルコンの銃弾で受けた傷の回復には時間が掛かる。そう判断したアウグストは、全身を緊張させたかと思うと四肢を使ってバネのように跳躍し、飛び掛かって来た。
アウグストの判断は正しい。
近接格闘に持ち込めば、十歳のガキの身体でしかない俺を捻り殺す事は容易い。だが……
「――悪いが、それは読んでいる」
フィジカルでは圧倒されている。
だが、そこにつけ込む隙がある。俺はアウグストの突進に合わせて、自ら突っ込んだ。
「――!?」
恐らく、アウグストは俺が回避行動を取ると思っていたのだろう。意外な行動に、目を見開き、獣のような凶相に驚愕の色が浮かび――
僅かな隙が生じる。それで十分。
飛び掛かった俺は、抱き着くようにしてアウグストの首筋に噛み付いた。
アウグストは悲鳴を上げた。
「――うわあぁあぁあッ!!」
肉をごっそりと俺に食い千切られたアウグストの首筋から鮮血が噴き出して夢幻の雪原を紅く染める。
大量の出血をみたアウグストを突き飛ばすと、よたよたと後退して再び膝を折り――
俺は口中にあるアウグストの肉片を吐き捨てた。
「……勇者か……つまらん……」
アウグストは歴戦の経験を持つ勇者だ。それだけに油断した。子供の俺に油断した。
ここまでは押している。
だが、俺は決め手に欠けていて、このまま戦闘を続行すれば状況は簡単に逆転する。
……アウグストは本気じゃない。
本体でない今の俺には本気を出す必要はないからだ。多少の痛手を負う事はあっても、負ける要素はないと踏んでいる。
この戦況に、アルフリードたちは大喜びだった。
「アスクレピウス! 素晴らしい!!」
九名の使徒の反応は様々だ。
「アウグスト、情けない……!」
「なんの、まだまだこれからよ!」
「まさかまさか! 今代のアスクレピウスがこれほどの戦士とは……」
今は笑っているがいい。笑えない事になる。アウグストが本気を出してない事は軍神の使徒たちも知っている。それ故の余裕だが……俺に機会を与えた事を後悔するようになる。
そして――
「夜が開き、死の国へ導く」
最後の祝詞を捧げると、夢幻の空に暗雲が垂れ込め、雪原に青ざめた唇の女が現れる。
女の名は――『死』。
俺の祈りと召喚に応じ、邪悪な女神がやって来た。




