85 鬼札2
さて……母は戦士の死に際し、迎えには好んで戦乙女を使うというが……
俺は指を鳴らし、戦場となったエントランスに無数の戦乙女を召喚して帝国騎士を牽制する。
「一騎討ちだ。決着まで手出しは許さん」
そして、死神騎士ロビンと守護騎士アシタの二人が抜剣して対峙する。
恐ろしい程の静寂と緊張感が張り詰めて行く中、アシタの放つ殺気が増して行く。
一方のロビンは口元に薄い笑みを浮かべたままだ。先手を取る事はなく、アシタが準備を整えるのを待っている。
「……」
俺の見立てでは、アシタがロビンに勝つ確率は万に一つもない。守護騎士の加護によって、幾らアシタが力を高めようと、ロビンには敵わない。地力もそうだが、隠し持っている潜在能力もロビンが圧倒している。
だが――
「ロビン、油断するな。隠し玉がある。俺をして危険なものだ」
「……御意」
そこでロビンの顔から笑みが消えた。身体を斜に構え、油断なくデュランダルの切っ先をアシタに向ける。
先ずは防御の構え。
俺が警告して尚、アシタに先手を譲るのは、狼人のプライドと格上としての余裕から来るものだろう。
無数の戦乙女が円陣を組み、対峙する二人を見守っている。
ギルドを包囲する帝国騎士は幾重にも防御方陣を組み、守備態勢をとってこの場からの逃走を防ぐ形だが……ロビン一人を制圧できない今の状況では無意味だ。
腰溜めの姿勢で剣を構え、油断なくロビンを睨み付けるアシタが唸るように言った。
「……ロビン姉ちゃん、余裕だな……悪いけど死んでもらうぜ……」
ロビンは嘲笑った。
「アシタ、言うようになりましたね。その言葉が口先だけじゃない事を期待していますよ」
ロビンには痛め付けるように命じてある。アシタが死ぬ事はないだろうが、決着の時は五体満足ではないだろう。
じり、とアシタが僅かに距離を詰める。『純鉄』の剣。俺の殺害を見越して備えたものだろうが、それに気付いたロビンは眉間に深い皺を寄せた。
「お前、相変わらずの馬鹿ですね」
ロビンがそう呟いた瞬間、一気に距離を詰めたアシタが大上段からの『切り落とし』で剣を振るった。
ロビンは難なく受け流し、床板を砕いたアシタの剣を鋼鉄製のブーツで踏み折った。
これは、余りに酷い。
比べるまでもない実力差に、俺は頭を抱えそうになった。
武器を失い、慌てて飛び退くアシタだったが、ロビンは追撃せず、床に転がっていた帝国騎士の長剣をアシタに向かって蹴飛ばした。
ロビンが先に殺した帝国騎士の剣だ。
慌ててその剣を拾い上げ、鞘から長剣を抜き放ち、再び戦闘態勢に入るアシタだったが、先のやり取りで絶望的な実力差を理解したのか、視線から怒気が抜け、怯んだように視線を背後に向けるが、そこにいるのは俺が召喚した戦乙女だ。
逃げ出した瞬間、戦乙女はアシタに牙を剥く。この一騎討ちに逃げ場はない。
ロビンは、つまらなそうに言った。
「……その昔……私の父は、ベル氏族の戦士に見逃されました……」
狼の獣人は優生主義。
そして、恩も恨みも忘れない。自らが返せないものは他者が返す。ロビンの父の事は知らないが、この一事を以て、父が受けた情けを返したという事だろう。
ロビンは薄く嘲笑った。
「昔と変わりませんね。次、どうぞ」
「くっ……」
アシタは再び長剣を構えるが、その剣もまた『純鉄』だ。
ロビンの眉間に寄った皺が、先程のものより更に深くなる。そして――
刹那、間合いに踏み込んだロビンがデュランダルで薙ぎ払うと、アシタの剣は脆くも砕け散った。
聖剣デュランダルは、ディーテの魔剣ダインスレイブを圧し折った剛剣だ。当然の帰結。
俺は首を振った。
『純鉄』の剣は、対神官用のものだ。剣としての強度は悪くないが、ロビンの振るう『聖剣デュランダル』に対抗するには、せめて真銀か魔法銀の剣を用意するべきだった。
剣を破壊され、またしても慌てて引き下がるアシタだったが、その背中を戦乙女が蹴り飛ばし、円陣に押し込む。一騎討ちは続いている。
「――っ!?」
ロビンの前に突き飛ばされる格好になったアシタの顔色が変わる。
アシタは無手だ。
ロビンは不快感を隠さず、たたらを踏むようにして距離を詰めて来たアシタの鳩尾に強い前蹴りを放った。
「うぐぅっ!」
と苦痛の呻き声を上げ、腹を押さえて膝を折るアシタに背を向け、ロビンは、また床に転がる剣を蹴飛ばしてアシタにまた武器を与える。
ロビンは怒っていた。
「零点。高々、ドワーフに負ける訳です。お前は、あまりに弱い」
「……」
兜の間から覗くアシタの顔が、くしゃくしゃと弱気に歪む。
この様子では、何度続けても結果は変わらないだろう。――勝負ありだ。
「偽物」
ロビンは冷たく言った。
「お前は、能力と憧れとが釣り合わない偽物に仕えるゴミです」
「…………」
力なく顔を上げるアシタに、ロビンは嘲りの言葉を重ねる。
「大神官の地位は、暗夜さんの力の上に成り立ったものです。ディートハルト・ベッカーですか。不快です。ええ、不快ですね。名前を変えるように言っておいて下さい」
「……」
アシタは答えない。
力なく俯き、再び長剣を手にしたが、柄に手を掛けただけで鞘から抜き放つ事はしない。
――心が折れてしまった。
それなりに鍛錬を積んではいたのだろうが、その経験値はロビンの足元にも及ばない。屈辱も挫折も足りなければ、努力も研鑽も足らない。
この結果に、俺も不快になった。
「……自分より弱い者にしか、立ち向かう剣を持たないのか……」
エルナが語るには、アシタは非武装のルシールを容赦なく刺し貫いたのだと言っていた。
それらしい結果に、俺は首を振った。何度も何度も首を振った。
純粋培養のお花畑は、ディートハルトだけじゃない。このアシタにしてもそうだ。そもそも、心構えからしてロビンに敵う筈がなかったのだ。
俺は呆れ、短く息を吐く。
「ロビン、もういい。下がれ」
ロビンも呆れたように息を吐き、蹲るアシタに背を向け、俺に向き直った。
「……それは構いませんが……角を折るのでは……?」
「そこまでする価値もない。捨て置け」
ロビンは片方の眉を釣り上げ、アシタに侮蔑の視線を送った。
「よかったですね、アシタ。暗夜さんが優しくて」
「……」
この一騎討ちの結果を受け、ギルドの外で円陣を組む帝国騎士の間に動揺のざわめきが起こった。
「なんという事だ……やはり下賤の身。訓練された騎士に敵う筈がなかったのだ……」
「ゲオルグ団長は間違われた。あのような者に一軍を授けるのは過ちでしかなかった」
「……大神官の寵愛以外に見るべき所がない。当然の結果よな……」
帝国騎士たちの言い草は散々だ。
これだけで、普段からアシタが受けていた待遇が予想できる。恐らくだが、この様子では訓練相手にも事欠いた有様だったろう。
興冷めも甚だしい。
そして、俺には弱い者いじめの趣味はない。溜め息混じりに言った。
「……アシタ、『勝利の石』を差し出せ。それで見逃してやる。ディートハルトの元へ帰れ……」
ここからだ。
俺は油断なく、懐に隠し持ったリボルバーに手を掛ける。不審な行動をしても戦乙女の援護がある。射程距離内だ。外さない自信もある。
「…………」
圧倒的な敗北の屈辱に塗れ、アシタの顔がくしゃくしゃと歪む。失ったものは戦士としての矜持だけでなく、大神官の守護者としての責任でもある。
アシタは動かない。
俺は用心深く言った。
「ロビン、まだだ。油断するな。もっと俺の側に来い」
「……は」
短く答えたロビンの顔には、不完全燃焼といった不満の色が浮かんでいる。
ややあって――
のろのろと動き出したアシタが、腰のベルトに下げた小さなポーチに手を突っ込んだ。
瞬間、俺はリボルバーを抜き放ち発砲した。
発砲音と共に放たれた弾丸は狙いを違わず、アシタの肩を撃ち抜いた。
アシタは仰け反り、手に持っていた赤い宝石が床に転がる。
聖女の時は上手く行った。
その結果に油断がなかったと言えば嘘になる。
床に転がった『勝利の石』が眩く光り輝いた。
金色の光が辺りを眩く包む。
撃ち抜かれた肩を押さえるアシタの顔が、醜く嘲りの笑みを浮かべていた。
ぞわっと背筋が粟立つような感覚がして、叫んだ。
「――ロビンッ!」
勝利の石が放つ輝きに辺りが包まれ視界が消える。なんとかロビンを部屋に送り返したが、俺は間に合わなかった。
――アシタ・ベル。
まず殺しておくべきだった。
眩い輝きに視界が消える。全てが黄金の輝きに包まれ――
俺が対峙したものは……




