83 死神騎士
俺は口の中で伽羅を転がしながら、先頭に立つ鬼人の血を引く女騎士を見つめる。
「守護騎士、アシタ・ベルだな。始めましてと言うべきか、それとも久し振り? それとも……」
現在、ギルドには冒険者の姿はない。抜け目ない奴等だ。ギルド長ヘルマンが死に、統制を失った後は危険を察して逃げてしまった。残っているのは、物好きな俺と、俺の椅子をやっている可哀想なマッチ棒だけだ。
アシタ・ベルが、ゴクリと息を飲み込んだ。
「そ、その姿は……」
その質問には答えるまでもない。
ディートハルト・ベッカー。俺という名の少年。見れば分かる。六年前のまま、変わらない筈だ。
「……」
俺は見る。視る。観る。アシタを凝視して、その人となりを観る。
「ふむ……ほう……悪くない……お前は……悪人じゃないな……」
兜の間から、僅かに覗く瞳が揺れている。
アシタは震える声で言った。
「……お前、暗夜だろ? ディから聞いてる……なんだ……なんでその姿で……」
「……」
俺は答えない。どうでもいい質問だからだ。変わりに微笑みを浮かべて見せた。
哀れなマッチ棒に腰掛けたまま、言った。
「アシタ。お前に幾つか質問がある。構わないか? それとも、すぐ始めるか?」
聖エルナ教会での件に関して、幾つか疑問がある。俺としては、それを尋ねてみたいが、アシタが話し合いを嫌うなら、もう始めてしまっても構わない。大勢のニンゲンが死ぬが、それだけだ。
どちらにしても死ぬ。
俺とアシタが睨み合う間にも、帝国の騎士がじりじりとギルド内に入って来る。
――間合いだ。
ギルド内には、強力な神聖結界を展開している。
俺は強化され、帝国の連中にはエグいデバフが付いている。それなりに鍛えられた連中だが、強化された俺の呪詛には耐えられない。仮に詠唱破棄の呪であったとしても、生き残れる者は半数にも満たないだろう。
俺は伽羅を吐き捨てた。
「アシタ。少し訊ねたい事があると言ってるんだ。どうなんだ?」
一拍の間を置いて、アシタは小さく頷いた。
「あ、ああ……分かった。い、いいよ……」
「ふむ……結構……」
さて、何から問うべきか。聖エルナ教会でのアシタの凶行には疑問が多い。まずは……
「……教会に襲撃を掛けたのは、勇者の命令か……?」
また僅かな間があり、アシタの視線が揺れる。その間も帝国騎士たちは距離を詰め、包囲網を形成して行く。
アシタは答えない。
正確には答えられないのだろう。勇者の事に関して答える事を禁止されている。しかし、この場での沈黙は雄弁な肯定でもある。
俺は、続けて言った。
「何故だ。修道女を皆殺しにするのは容易かっただろう。何故、とどめを刺さなかった」
その場に俺は居なかった。アシタが本当に『その気』なら、修道女たちは皆殺しの憂き目に遭っていてもおかしくなかった。だが、そうしなかった。明確に命を奪ったのはルシールだけだ。他の修道女たちには徹底を欠いた。
「……ゾイの奴、生きてるのか……?」
そう問い返すアシタは、何処かしら安堵の面持ちを見せた。
「……」
俺は答えない。
俺がしたいのは質問であり、会話ではない。
はっきりしない。
俺は、こういう中途半端なヤツが嫌いだった。
「最後の質問だ」
ぽい、と口の中に伽羅を放り込み、鼻腔を突き抜ける香気に耽溺する。最初のキック力が堪らない。言った。
「俺が憎いか?」
アネットに聞いた限りでは、アシタは俺を憎んでいる。細かい事情は分からないが、そうだ。
「……」
アシタは答えなかった。
だが、困惑して揺れていた瞳に怒りの炎が立ち上っている。雄弁な肯定。
俺とアシタは、味方でも友人でもない。明確な敵同士だ。話は終わった。
「……結構。分かった……」
肩を竦め、俺は椅子に向かって話し掛ける。
「なぁ、マッチ棒。俺みたいな子供相手に、大の大人が大勢で害を為そうとしている。酷いと思わないか?」
マッチ棒は椅子としての姿勢を崩さないまま、忌々しそうに言った。
「何を言う、邪悪な子供。お前には、これでも足りんぐらいだ……!」
「酷いな。俺は子供だぞ? ここには、俺の味方をしてくれる大人は居ないのか?」
マッチ棒とふざけた会話を交わす間にも、包囲網は狭まりつつある。一斉に掛かって来るつもりだろうが……
俺は嘲笑った。
味方が居ないなら呼ぶまでだ。胸いっぱいに息を吸い込み――
「動 く な ッ !」
雷鳴。同時に、強く指を鳴らして『ソイツ』を部屋から召喚する。
元教会騎士にして狂戦士。そして、死神に仕える唯一の騎士。
レネ・ロビン・シュナイダー。
◇◇
俺を包囲する帝国騎士の数は、凡そ三十名という所か。約一個小隊。狭いギルド内では、動員数は限られる。一気に入れるのはそれが限界だ。
バチンッ、と大きなスナップ音がして――ソイツは現れる。
「……暗夜さん?」
ロビンは、一瞬だけキョトンとして、俺の姿を見て微笑んだ。そして、周囲をぐるりと見回して――状況を把握した後で、悩ましい溜め息を吐き出した。
「……暗夜さん、貴方は素晴らしい。貴方は最善の人選をなさった。アイヴィが帰って来た時は、いったいどうした事かと思いましたが……」
ロビンは腰にデュランダルを差しているだけで武装していない。いつもの綿シャツにレギンスという格好だ。
俺はおどけて言った。
「ロビン、聞いてくれ。こいつら、酷いんだ。寄って集って俺をどうにかするつもりなんだ。助けてくれ」
ロビンは、満面の笑みを浮かべて頷いた。
「それはもう、喜んで」
死神に仕える騎士。
その姿を見た瞬間、アシタは腰が抜けたのか、蹌踉めくようにして引き下がった。
「ロ、ロビン姉ちゃん……?」
その声に反応して、ロビンは、のんびりと振り返る。
嬉しそうに言った。
「おや? おやおやおや? これはこれは! アシタじゃないですか! 久し振りですねえ! 今日は、なんて素晴らしい一日でしょう!!」
アシタは、元はロビンの従卒だ。そして狼人種のロビンは優生主義者でもある。ロビンが施したであろう教育は苛烈なものだと想像したが……
たちまち、ロビンは抜剣した。
「さあ、アシタ。始めましょう。最後の訓練を付けてあげますよ!」
ロビンの殺意は明白だった。コバルトブルーの瞳が真紅に染まり、ざわっと髪が巻き上がる。
俺でも分かる凄まじい『剣気』に、包囲網を狭めつつあった帝国騎士たちが鼻白む。
俺は言った。
「ロビン、まだ殺すな。徹底的に痛め付けろ」
ロビンは嬉しそうに言った。
「そうですね。簡単に殺してはつまらないですし……」
次の瞬間、ロビンは青い竜巻になって荒れ狂った。『雷鳴』で行動を阻害されていた所に容赦なく吹き荒れた剣風は瞬く間に帝国騎士を斬り伏せ、阿鼻叫喚の悲鳴が上がり、血飛沫と共に周囲は朱に暮れる。
術による強化は一切していないが、ロビンの力は人間を超えている。獣化すれば、使徒相手にも引けを取らない。
圧倒的な実力差だった。
ロビンは、俺を包囲しつつあった帝国騎士をばら撒いた。
「…………」
時間にすれば十秒ほどだ。たったそれだけの時間で、一個小隊の帝国騎士が居なくなり、辺りは肉片と血溜まりだけになった。
アシタは味方の血に塗れながら、血溜まりに座り込んで恐怖に震えていた。
「ロ、ロビン姉ちゃん……ロビン姉ちゃんは、あの妖精族のおばちゃんが嫌いだったろ? なんで……」
ロビンは全身を血に染めて、闇雲にばら撒いた肉片と血溜まりの中で、だらりと肩を落としてアシタに振り返る。
「……お前は、相変わらず馬鹿ですねえ……」
血に粘る瞳で、じっとりとアシタを睨み付け、ロビンは怠そうに首を鳴らした。
「……お前のせいで、私は永遠に負け犬のままですよ。ムカつきますね……」
アシタ・ベルは人気者だ。
このロビンもそうだが、ゾイもエルナも命を欲しがっている。
「暗夜さん、訓練にもなりませんので、雷鳴は解いて下さい」
「分かった」
指を鳴らして雷鳴による金縛りを解く。同時に、入口の扉から新手の帝国騎士が入って来る。
俺は楽しんでいる訳じゃない。
先ずは追い詰める。そうすれば、アシタは必ず切札を出す。『勝利の石』を持っている筈だ。勝利の石を出した瞬間、それが俺の動く時だ。
ロビンを指差したアシタが、恐怖に震える声で叫んだ。
「か、掛かれ掛かれ! 相手は賞金首のレネ・ロビン・シュナイダーだ! 報奨金が出るぞ!!」
その様子が可笑しくて堪らず、俺とロビンは揃って嘲笑った。




