81 小さな死神7
場所は冒険者ギルドのギルド長、ヘルマン・レンズの執務室。
俺は満面の笑みを浮かべて言った。
「なぁ、ヘルマンくん。天国と地獄はあると思うか?」
「……」
昔は凄腕の冒険者としても鳴らしたというギルド長、ヘルマンは強張った笑みを浮かべて動かない。
四つん這いになったマッチ棒は、額に冷たい汗を浮かべて俺の椅子をやっている。
その俺と、冒険者ギルド長のヘルマンとが、執務机を挟んで向かい合っている。
俺は、アスクラピアの神官らしく、この世の摂理を語った。
「あるぞ、天国と地獄はある。何せ善と悪とが存在する。ならば天国と地獄は存在しなければならない。そうじゃなきゃ、真っ当に生きるなんて馬鹿馬鹿しくてやってられないだろう?」
「…………」
元は凄腕の冒険者であったというギルド長ヘルマンも、寄る年波には敵わない。
時の流れは全てを残酷に奪う。
俺の目の前にいる老人は、ギルド長とは名ばかりの腰の引けた老人にしか過ぎない。改めて言った。
「俺を帝国に売ったな」
その俺の言葉に、両隣に立つアレックスとアネットが険しい表情で頷いた。当然だが、ヘルマンが帝国に売ったものの中には、アレックスとアネットの二人も含まれる。
ヘルマンは、だらだらと大量の汗を流しながら、呻くように言った。
「へ、ヘスティア様は……」
俺は嘲笑った。
「知らんな。聞いた事もない名だ」
恐らくだが、ヘスティアとは、俺が殺した人工聖女の名だろう。それとも、まだ生きている方か。どちらにしても、俺は嘘は言ってない。
「冒険者ギルドは帝国とずぶずぶだな。ええ、おい」
その俺の言葉に頷いたのはアレックスだ。疲れたように言った。
「大抵のギルドはそうさ。でも、あたしらを売るほどとまでは思ってなかったけどね……」
一方、アネットは、ずっと笑っているが、その目は全然笑ってない。鋭く切り込んだ。
「思ってたより、簡単に私たちを売ってくれたわね。この落とし前はつけてもらうわよ」
ヘルマンは、俺の椅子をやっているマッチ棒と同じように震えていた。聖女に狙われ、それでも尚、無傷でこの場にいる俺の存在に恐怖して震えていた。
俺は改めて言った。
「なぁ、ヘルマンくん。俺は礼儀と法とを重要視する神官の一人だ。そこらの破落戸を売り飛ばすのとは訳が違う。その俺としては、お前たちの立場を尊重し、冒険者の枠から外れず、真っ当にやって来たつもりだ。お前は、その俺を背後からいきなり切りつけた訳だが……これがどういう事か分かるか?」
俺は『アスクラピアの子』。癒しを司り、復讐をこよなく愛するしみったれた女神の信奉者。
「敬愛する母は、復讐を推奨しておられる。さて、どうするか……」
アレックスが腕組みの格好で言った。
「あたしとアネットは、ギルドの口座を解約する。全ての財産を現金化して、今すぐ準備してくれ」
さて、元A級冒険者である二人の財産はいかばかりか。
ヘルマンは、顔色を青くした。
「ま、待ってくれ! ふ、二日! 二日でいい!!」
アネットが冷たく言った。
「駄目ね。信用できないわ。今すぐ用意して」
待っていれば、金を受け取る前にアレックスとアネットには帝国から追手が掛かる。或いは帝国に召喚される。二度とギルドに来る事はないだろう。
「金貨で二千枚近くあるはずよね」
凡そ二億シープ。ギルドを潰すとまでは行かなくとも、一時取り引きを停滞させ、信用を毀損させるには十分な額面だ。
ヘルマンは叫んだ。
「む、無理だ! そんな額、今すぐ用意できる筈がない!!」
「いや、あるだろ。それぐらい」
アレックスは肩を揺らして笑った。何処かしら疲れたような笑みだった。ギルドとの反目は、望む所ではないのだろう。
一方、アネットは強気だ。
「そう。あんたはやるしかない。ここには悪魔神官がいるのよ!!」
俺の背後に佇むアイヴィが、アネットのあまりの言い草に顔を顰めた。
アネット・バロアはクソ女だ。
さて、冒険者ギルド長ヘルマン・レンズは俺たち三人を帝国に売ってくれた訳だが……勿論、落とし前はつけさせてもらう。
「ヘルマンくん。とりあえず話の続きをしようか。さてさてさて……天国と地獄は存在する訳だが……お前が、その何方に行くかは、この俺にも分からない」
「は……?」
「じゃない。お前は死ぬんだよ。これは確定事項だ」
俺に敵対した冒険者ギルド長、ヘルマン・レンズには死んでもらう。邪悪な母の子として、これだけは譲れない。
しかし……
ヘルマンは、まだヘスティアの訃報を受け取ってないようだ。つまり、憲兵団長のトビアスとその部下たちは全員逃亡した。或いは、その身を隠したと推察される。
俺は少し考え……結局は面倒臭くなった。
「さよならだ。ヘルマン・レンズ」
本体の方なら瞬きほどの間も置かず殺せただろうが、今の俺ではそうもいかない。
「夜空に浮かぶ銀の星が嘲笑っている。
その星は破滅を指し示し、あらゆる喜びを拷問へ変える。
輝く銀の星が儚く消える苦い喜びを撒き散らし、お前に付いてくるように命じる。その案内者は青ざめた唇の女」
呪詛の祝詞を口ずさむ俺を見て、アレックスは短く息を吐き、アネットは、にこやかに笑ってヘルマンを指差した。
勿論、俺は最後の言葉を捧げる。
「――女の名は、死――」
「……」
ヘルマン・レンズは、ぽかんと口を半開きにした表情で死んでいた。
己の身に何が起こったのかのかも理解できてなかったのだろう。その瞳は開け放たれたままだ。
裏切りの代償は死のみ。
当然の帰結だが、俺は、一つ言い忘れていた事を思い出し、小さく舌打ちした。
代わりに、俺の尻の下で、惨めに這いつくばり、椅子をやっているマッチ棒の耳元で囁いた。
「……ヘスティアは決してここにはやって来ない。既に、この世界の何処にもいない……」
「…………」
マッチ棒は、椅子に腰掛けたまま、仰け反るようにして死んでいるヘルマンを見て、絶望したように俯いた。
一つ仕事を済ませた俺は、清々しい気持ちで立ち上がった。
「さて、マッチ棒。ギルドの金庫まで案内してくれ。勿論、開けられるよな?」
「……」
マッチ棒は、哀れっぽく助けを求めるようにアレックスとアネットを見上げたが、二人は揃ってそっぽを向いた。
俺は小さく欠伸した。
「なんだ、開けられないのか。それなら開けられるヤツを呼んでくれ。お前は用済みだな……」
一応、俺は慈悲と慈愛の戒律を持つ神官だ。マッチ棒まで殺すつもりはなかったのだが、『用済み』という言葉に強く反応して、マッチ棒は絶叫した。
「あ、開ける! 開けられる!!」
「そうか、ではそうしてくれ。ああ、それと帝国に援軍を要請するんだ」
「え?」
マッチ棒は意外そうな顔で俺を見るが、俺としては当然の話だ。
「これは戦争なんだよ、マッチ棒くん。既に戦いの火蓋は切られた。どちらかが息絶えるまで戦争は続く。悲しい事だ」
俺は短く聖印を切った。
「さて、軍資金を調達しようか」
女王蜂は侠客だ。手ぶらでは覚束ない。五分の同盟者としての扱いを受けたければ、それなりの手土産が必要だった。
◇◇
洗いざらい、全てを奪う。
冒険者ギルドの地下室にある金庫の中身全てをマジックバッグに詰め込む。
アレックスが言うには、ダンジョンの四十層のボス『首なし騎士』からドロップしたという超大容量のインベントリだ。
そいつに全てをぶち込む。金だけじゃない。全ての権利書、有価証券の類まで全て頂く。
俺は歌うように言った。
「勝てば総取り、負ければ地獄」
戦争は経験済みだ。その倣いは知っている。
「おお、母よ。なぜ、貴女は復讐を是とされたのか」
その冗談にアレックスは呆れ、アネットは堪らず吹き出した。
金庫を開け、全てを擲ったマッチ棒は膝を突き、絶望の呻きを上げた。
「……おしまいだ。何もかも……」
俺は、そのマッチ棒の尻を軽く蹴飛ばして言った。
「とっとと帝国に通報しろ」
掻き回しながら逃げる。
俺の戦争は、まだ始まったばかりだった。




