80 パルマへ
俺の力に怯えた人工聖女は、あの時、何をしようとしたか。
『勝利の石』を使おうとした。
つまり、勝利の石は聖女の切札だった。俺は俺自身の個性でその切札を喰った。
「あ、あんた……」
勝利の石を取り込んだ俺を、エミーリアが呆然として見つめている。
「……」
名無し聖女とは比較にならない神力の塊を取り込んだ。それも、俺とは反発する軍神の神力だ。
さて……何が起こるか。
俺はこの力を俺自身のものにできるか。できなければ、俺はアルフリードは勿論、アスクラピアにも敵わん存在だという事になる。
「……」
ややあって、俺は首を傾げた。
「なんだ? 何も起こらん――」
言いかけて、どくん、と心臓が跳ねたような気がして――視界が赤く染まった。
――猛毒。
俺の抱いた感想はそれだった。
アルフリードとアスクラピアの神力は反発する。次の瞬間には身体が灼熱して、赤く燃え上がった。
――熱い! 熱い熱い熱い!
なんだこれは! 軍神の神力とはこれほどのものか。俺の身体は物理的に燃え上がり……
エミーリアが叫んだ。
「ばっ、馬鹿! 今すぐ吐き出しなさい!!」
そうしたいが、そんなに都合よくできてない。やってしまった事はどうしようもない。俺は、自身の愚かさを呪うと同時に確信もした。
この力を取り込む事が出来れば、俺という存在は確実に次のステージに進む。
邪悪な母の統制から外れ、独立した存在になれる。つまり……可能性を得る。
全身の神力を振り絞り、身体を駆け巡る軍神の力を押さえ付ける。
「うぐ……! 負けるか……負けて……」
負けてたまるか! やれる! やらねばならない! この程度の力を捩じ伏せる事が出来なければ。神を超える事など夢のまた夢。
俺は弱々しい人間とは違う。『使徒』の身体は星辰体だ。血と肉でできた人間のものじゃない。神……アスクラピアやアルフリードのものと同じように出来ている。やれる筈なのだ。
俺は、ギュスターブとローランドの力を取り込んでいる。更には俺自身の力。全ての力を振り絞り、身体中を駆け巡る軍神の熱血を抑え込む。
暴れるな! 従え! 俺のものになれ! 祈るのでも願うのでもなく、力ずくで捩じ伏せろ!
全身全霊の力を以て軍神の力を捩じ伏せ、従わせ、俺自身の糧とする。
おそらく……全使徒中、神力だけで言えばだが、俺の力はトップクラスと言っていい筈だ。実際、ヴォルフは相手にもならなかった。
だが――
その俺をして、軍神の力はこの身に余る。身体が燃える。燃え尽きる。
「……まさか……こんな筈は……」
思った。
駄目だ……力が足りない。今の俺をして、軍神の力を捩じ伏せるには力が足りない。押し切られる。
――俺は死ぬ。
締まらない最期だが……是非もなし。これが俺の限界だったという事だ。ヴォルフを喰っていれば、或いは……
後悔は役に立たない。
俺はその場に膝を突き、赤く燃える炎の中で息を吐く。
「……エミーリア……すまん……後は任せた……」
全てを中途半端な形で投げ出す事になるが、これもまた運命だ。俺は、俺自身の軽率と傲慢さによって燃え尽きる。
身体の崩壊が始まった。
ぱきぱきと音を立て、形を保てなくなった身体が崩れていく。
エミーリアが叫んだ。
「あんた……この馬鹿ッ!!」
アルフリードが切札として持たせる訳だ。嫌というほど理解したが、全て手遅れだ。
俺の死により、部屋が崩壊する事になるが、エミーリアとエルナがいれば皆を逃がしてくれるだろう。
エミーリアが俺を睨み付けている。
エメラルドグリーンの瞳が燃えているような気がした。
駄目なものは駄目だ。そして、最後だから言っておかねばならない事がある。
「……エミーリア、悪かった……」
殺し屋と魔王の元へ使いに出した。そのうち、謝っておかねばならないと思っていた。
身の程知らずの馬鹿が死ぬ。
それだけだ。だが全力を尽くした。力及ばず俺は死ぬが、それでいいとも考える。
最後に言った。
「……ルシール……すまん……今、行く……」
「――ッ!」
その瞬間、エミーリアが動いた。
全身に青白い神力を纏い、赤く燃え上がる俺の胸に飛び込んで――呻くように言った。
「……これは貸しよ。あんたは、私に無限の負債がある……」
なんの事だ? どうするつもりだ? そこまで考えた所で、エミーリアが『跳んだ』。部屋移動だ。
俺の意識は暗転した。そして――
◇◇
…………さま!
………………ヨルさま!
アイヴィの悲鳴がして、俺は目を覚ました。
「……?」
場所はオリュンポスのグランハウス。目の前には、涙を流すアイヴィと、酷く険しい表情のアレックスとアネットがいた。
「これは……」
小さい手の平。ディートハルト・ベッカー。俺という名の少年。
「……なんだ? 何があった……?」
その俺の言葉に、アレックスとアネットは呆れたように首を振り、アイヴィは泣きじゃくりながら俺の胸に飛び込んで来る。
「……」
アイヴィを受け止め、背中を擦りながら顔を上げる俺に、アネットが疲れたように言った。
「あんた、いきなり血を吐いて倒れたのよ。何があったってのは、こっちの台詞よ」
「……そうか」
まぁ、とんでもない無茶をやった。俺が存在する以上、生きているのは間違いないが、本体との接続が切れている。
「そうか、じゃねえよ。ちゃんと説明しろや」
アレックスは眉間に皺を寄せ、厳しく俺を睨み付けている。
「あぁ、うん……すまん。俺もよく分からん……」
エミーリアが何かした。
お陰で俺は生きているが、本体の状態は分からない。生きているのは間違いないが、意識すらない行動不能の状態にある。
『……これは貸しよ。あんたは、私に無限の負債がある……』
助かったが、今後を思うと先が思いやられる。またエミーリアに無限謝罪する羽目になる。いや、それ以上の何かを要求される。
アレックスが仏頂面で言った。
「どうせ、テメーはまた無茶苦茶な事をやったんだろうが」
「……よく分かったな……」
「…………」
アレックスは頭が痛いのか、険しい表情で眉間を揉んだ。
そして、本体と繋がってないこの状況。もし、勇者の襲撃を受ければ一溜まりもない。
「……んで、これからどうすんのよ……」
額に青筋を浮かべたアネットが、ぐりぐりと俺のこめかみを指で押した。
「あんたは聖女を殺ったんだから、すぐに向こうも動くわよ。これからの展望はないなんて言ったら、ぶっ飛ばすわよ」
「……」
俺は生きている。生きているが、危機的状況にあるのは変わりない。少し考えて、それから言った。
「今はヤバい。逃げよう」
本体との接続が切れている。おそらく、今やられれば、今度こそアウトだ。そもそも勇者の力が未だ未知数というのもある。
アネットは首を傾げた。
「逃げようって……あれは? また変身して殺っちゃえばいいじゃん」
「……それができたら苦労しない……」
本体の状態が分からない。きっとエミーリアが骨を折ってくれているのだろうが、今のところ、回復の目処は立ってない。だが、そんなに時間は掛からない筈だ。
死神暗夜は、一回休みだ。
だが生きている。生きているという事は、この先に進めるという事。目を覚ました俺は、それまでの俺とは違う存在だ。
「やったぞ……素晴らしい……」
嗤う俺を見て、アネットは面白そうに笑った。
「うふふ……また、あんたは吃驚させてくれるのね……」
「あぁ、これからだ」
「そうこなくっちゃ!」
アレックスは肩を竦め、とびきり大きな溜め息を吐き出した。
「……んで、大馬鹿野郎のテメーは、次にどうすんだよ……」
「そうだな……逃げるのはいいが、ただ逃げるのはつまらんな……」
俺は、まだ泣きじゃくるアイヴィの背中を擦りながら考える。
暫く考えて、言った。
「掻き回しながら逃げる。それで行こうか」
「……つまり、テメーは、また無茶苦茶するんだな……?」
「ああ、派手にやる」
まずはギルドに帰って、マッチ棒に挨拶したい。それからやって来るだろう憲兵共を蹴散らして……
アレックスが舌打ちして言った。
「……こうなりゃ、あたしも前に出るしかないね。付き合うよ……」
オリュンポスを取り囲んでいた部隊が壊滅したのだ。追手は当然やって来る。アレックスの判断は妥当だった。
「本当か? それは心強い」
さて、引退して六年とはいえ、元A級冒険者アレクサンドラ・ギルブレスが強力な『戦士』である事は疑いない。
これならやれる。
危機的状況にあるが、それを悟られてはいけない。逃げながら攻める。あちこち掻き回しながら目指す先は……
「パルマだ」
帝国に死を。女王蜂と手を組む。
「パルマに向かう」
夜空に流れる銀の星が、進むべき道を指し示している。




