79 勝利の石
『書斎』に引き籠もった俺はソファに腰掛け、仰け反るようにして寝そべって、深く長い溜め息を吐き出した。
その俺に、不意に声を掛けて来たヤツがいる。
「……あんた、大丈夫……?」
エミーリアだ。
書斎は俺の個人スペースだが、今回は特別に許可を出してある。呼び出しに応じてやって来たのだろう。
「私は、あんたのやり方は認められない。人間の身体を使うのは褒められた事じゃない」
「ああ、分かってる……」
答えは『血』と『肉』だ。人間のそれと使徒のそれはまるで違う。血と肉には魂が宿る。それが使徒である俺に与える影響は大きい。
エミーリアは目を細め、注意深く俺を観察している。
「……『人』でいる時の方が心地よく感じる。本来なら、感じる事のない疲れや意味のない休息に安らぎを感じる。眠りに見る『夢』は……」
「やめろ」
「重症だね……」
俺は小さく舌打ちした。
「今回、呼び出したのは、そんな話をしたかったからじゃない」
確かに、今の俺は俺に良くない影響を受けている。だが、今はそんな事はどうでもいい。
「……今日、聖女に出会う幸運に恵まれてな……」
「――!」
そこでエミーリアは刮目し、一気に険しい表情になった。
「殺ったの? ちゃんと殺ったのよね?」
「ああ、問題ない。ちゃんと始末した」
そこでエミーリアは安堵したように息を吐き、小さく頷いた。
「なら、いいのよ。できれば私も呼んでほしかったってのが本音だけどね。で、問題は? 問題があったから私を呼び出したんだよね?」
使徒の当為に関する限り、エミーリアは非情に徹する事ができる。
理解の早いエミーリアの様子に頷き返し、俺は指を鳴らした。
「これだ。お前の所見が聞きたい」
俺が取り寄せた人工聖女の『右腕』を見て、エミーリアは眉間に険しい皺を寄せた。
「……何それ。人間の手みたいに見えるけど……違和感がある……」
俺は身体を起こし、深く足を組んでエミーリアに向き直った。
「お前もそう見るか。俺もだ。瞳に浮かぶ聖痕もエルナのものとは少し違うように感じた」
エミーリアは、険しい表情のままで呟くように言った。
「……これが……人工聖女の成体の……」
「そうだ。人間としては、最高峰レベルの神力だった。相性もあるだろうが、俺以外の使徒だと不味かったかもな……」
「……」
エミーリアは黙り込み、その様子は深く考え込んでいるように見えた。
暫くの沈黙を挟み、俺は言った。
「お前が感じる違和感の正体を教えてやろうか?」
「え、あんた、分かるの?」
「正確なところは分からない。マリエールに分析を頼んだが、いい顔はされなかったな。あの分だと、やってくれないかもな……」
エミーリアは、強く鼻を鳴らして憤慨した。
「所詮、ニンゲンよ。あんたはニンゲンに期待し過ぎる」
「……かもな」
分析、調査、多角的な考察に関する限り、マリエールの能力は俺の上を行く。
――疲れた。
何もかも上手く行かない。フラニーとの事もそうだが、マリエールたちが俺に向けた視線を思い出すとうんざりする。
俺は首を振って懊悩のようなものを追い払う。言った。
「そいつは、『蛇』を出せなかった」
「……だろうね。あくまで造り物。本物にはなれない。特別おかしな話ではないね……」
そこで、俺はエミーリアの鈍さに嫌気が差して顔を背けた。
「な、何よ……」
「お前、相当鈍いな……」
俺が袖の中に入れたままにしてあった赤いルビーを投げ出すと、エミーリアは、それを見た瞬間、目を剥いて飛び退いた。
「な、は!? それ、ウソ! 勝利の石!? やめてよ馬鹿! なんてものを持ってくるのよ!!」
「俺が殺った聖女が所持していたものだと言えば、少しは察しが付くか?」
『勝利の石』には明確な軍神の加護が秘められている。その効果は……不明。そして、人工聖女が明らかに軍神に与する証拠の品とも言える。
つまり……人工聖女の作成には、軍神が深く関与している事になる。
そして――
「あいつはエルナに似ていた。死の砂漠で見たあのガキ聖女共もだ。分かるか。この意味が」
「え、それって……」
アスクラピアとアルフリードの間には血縁関係が存在する。或いは……出自を同じくする可能性が極めて高い。そう考えれば、アルフリードが聖女を造れた理由に説明がつく。ついてしまう。
――人工聖女、及び人工勇者の作成に必要な特別な素材。その素材の正体は――
――『神の血』だ。
第一の使徒『聖エミーリア』は、アスクラピアに依り過ぎる。意識改革には強いショックが必要だ。
激発する恐れがある。
俺は、なるべくエミーリアを刺激しないように言った。
「母の神性は深い。もし、そうだとしても俺たちのする事に変わりはない」
「そ、そうね。そうよ。分かってるじゃない……」
そう言ったエミーリアだが、視線を泳がせる様は激しい動揺を隠せていない。これでエミーリアの『信仰』に一石を投じた形になる。
俺にはどうでもいい事だが、エミーリアは、永く続いたアスクラピアとアルフリードの戦いが兄弟間や夫婦間でよくある喧嘩の類のようなものと同じとは思いたくないだろう。
見方によっては、未だ決着を見ない両者の争いは馴れ合いとも取れる。七百年という永きに亘り、アスクラピアに仕えた第一の使徒には認められない事だ。
これで勝手に思い悩む。
少なくとも、アスクラピアの言いなりになって、なんでもやらかす第一の使徒、聖エミーリアのアイデンティティは崩れ去る。
後は時間を置く事だ。
全てはエミーリアが決める。
俺は、虚無に転がる『勝利の石』を指差した。
「ところで……それはなんだ? どうやって使う? 使えばどうなる?」
「……」
エミーリアは親指の爪を噛みながら俯き、深く考え込んでいる。俺の声は聞こえていない。
俺は強く指を鳴らした。
「エミーリア!」
「――っ、な、何よ」
「その石はなんだと聞いているんだ。ぼんやりするな」
「ぼ、ぼんやりなんてしてない。ちょっと考え事してただけで……」
それを、ぼんやりしているという訳だが……
エミーリアは強く頭を振った。
「……勝利の石は……アルフリードを召喚できる……」
「ふむ……」
流石、第一使徒。永きに亘りアスクラピアに仕えただけあって物知りだ。が……
そこで俺が思い出したのは、アウグストらとの戦いに横槍を入れたアルフリードのあの一閃だ。
奇妙な部屋を割り、無常すら切り裂いたあの斬撃。
……つまり、今、ここにはとんでもない爆発物があると言える。エミーリアの話どころじゃない。落ち着いてる場合じゃない。
「――って、嘘だろ、マジかよ。そんなものが俺の部屋にあるのか? 誰だよ、そんな危ねえもんを持ち込んだのは……!」
パニクった俺を見て、エミーリアは指を差して笑った。
「あんたが拾ってきたんじゃない」
「馬鹿、笑い事じゃない。あれが目の前で炸裂したら、俺もお前も間違いなく死ぬぞ!」
エミーリアは爆笑している。
白蛇は軽蔑していたが、俺はこいつの、こういう所が憎めない。
「まぁ、それは私たちの手には負えないから、母に差し出すしかないね」
或いは……俺の蛇に喰わせるかだ。
しくじれば、この部屋に軍神が降臨するかもしれない。そうなれば、俺たちは殺されるだろう。
「……」
やるか? 聖女は問題なく喰えた。やってやれない事はないだろう。
もし、これを取り込む事が出来れば、俺の蛇は、あの邪悪な母にも対抗し得る力を手に入れられる……かもしれない。
そして、気付いた事がもう一つ。
『勝利の石』は、これ一つじゃない。残りの人工勇者と人工聖女の二人も、この勝利の石を所持していると思うべきだ。
おそらく……アシタ・ベルも……
伸るか反るかの賭けになる。だが、残りの石を手に入れて、その力を全て取り込めば……俺の力は、きっと神に比肩し得るものになるのではないか。
俺は勝利の石を手に取った。
「ちょ、ウソ、あんた……本気……?」
エミーリアが慌てて制止するが、可能性を見てしまった以上、止まれない。
願わくば……夜空に輝く銀の星が、新しい道を指し示しますように……