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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第五部 青年期『勇者』編(前半)
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78 超越者

 神官服リアサの袖に聖女の目玉を突っ込み、手には聖女の右腕をぶら下げて――


 血に濡れた髪をかき上げると、ぱたぱたと血の雫が飛んだ。


「……俺も詰めが甘いな……」


 皆殺しの予定だったが、トビアスを含め、降伏した二十名ほどの連中は生かして帰した。


 トビアスに関しては、早晩、帝国を離脱するだろうが、他の連中がどうするかは分からない。おそらく、何人かはこの経緯を帝国に報告するだろう。


 さて……勇者の次のはなんだろう。


 聖女を一人始末してやった。余程の阿呆でもない限り、もう油断は期待できない。

 闇がまた深くなる。

 アネットとアイヴィの術だ。その闇に紛れるようにして、俺はその場を後にした。


「……ヨルさま。ヨルさま……こっちです。そっちは上区画の方です。また憲兵と出会でくわしますよ……」


 暗がりを進んで行くと、闇の中からアイヴィが呼び掛ける声がした。


「む……それはいかんな……」


 誰しも欠点はある。俺の場合、もう取り返しがつかんぐらい方向感覚がバグっている。

 このまま進めば意味のない殺しをする羽目になる。俺は慌てて踵を返し……


「……そっちは、トビアスが行った方向です。びっくりさせますよ……」


「お、おお、そうか……」


 もう、どっちに行っていいか分からない。あたふたしていると、アネットがクスクスと笑う声がして、急に神官服リアサの袖を引っ張られた。


「……!」


 突然、霧のように立ち込める闇の中を抜けたかと思うと、そこには面白そうに笑うアネットと仏頂面のアイヴィの顔があった。


「……」


 全身血塗れの俺の姿を見て、アネットは溢れるような笑みを浮かべた。


「やるぅ!」


 俺は快楽殺人者ではない。アネットの言葉には溜め息しか出ない。


「……俺が怖くないのか……?」


「なんで? あぁ、そっか……今のあんたって『使徒』なんだったね」


 そこでアネットは表情を引き締め、俺がぶら下げたままでいる聖女の腕を指差した。


「何、それ。そいつ、神官服リアサを着てたけど、普通の神官とは違うわよね。遠くからでも、そいつがおかしい事はすぐ分かったわ」


「ふむ? いや、続けてくれ」


 アネットはエルフの血を引くマスタークラスのレンジャーだ。通常の人間より知性は高く、魔力を持ち、多種多様の武器を使い、索敵、罠解除……まぁ、なんでもできる。

 アネットは『腕組み』の格好になった。


「……そいつ、かなりヤバイやつよね。あんたは、あっさり片付けたけど、そいつに踏み込まれたら、私とアレックスはヤバかったと思う……」


「ああ……こいつは『聖女』だ。単純な戦闘力だけなら、ガキの俺より上だろうな……」


 俺にとっては人間の域を出ないが、アレックスやアネットには、かなりの強敵になる。更に四個小隊規模の憲兵と合わせれば、オリュンポスは悲劇的な事になっただろう。


 アネットは、胸の前で、ぐっと拳をにぎりしめ、ガッツポーズを決めた。


「こっちで正解! やっぱり、私のリスク管理って最強!!」


「……かもな」


 アネットは、帝国の襲撃という危機と俺の強さとを天秤に掛け、感情だけでなく、知性と理性を根拠に俺に与する事を選んだ。

 現金さに呆れて言葉もないが……

 アネットのこの危機管理能力は感嘆に値する。


「あんたに付いてくけど、いいわよね?」


 姿こそ見られていないが、聖女が『行方不明』になった以上、帝国……勇者はアネットとアレックスの関与を疑うだろう。


「……好きにしろ」


「よっしゃあ!」


「……」


 一方、アイヴィは面白くなさそうだ。目を細め、厄介者を見るようにアネットを見つめている。言った。


「……レディ・バロア。ご厚意には感謝しますが、貴女の協力は必要ありません」


「うふん♡ いいのよ、子猫ちゃん。あんたは子供なんだから、子供らしく指でもしゃぶって見てなさい♡」


 そう言って、アネットは、すりすりとアイヴィの頭を撫でた。


「やめて下さい」


 アイヴィは、鬱陶しそうにアネットの手を払い除けた。珍しく怒っている。

 アネットは、アイヴィから役目を奪うつもりでいるようだ。

 まあ、アイヴィにはいい発奮材料になるかもしれないが……厄介事の匂いしか感じない。


「ふぅん……へぇ……悪くない。やっぱり悪くない……」


 アネットは、じろじろと俺の爪先から頭の天辺てっぺんまで値踏みして、それから満面の笑みを浮かべた。


「うふふ。おチビさんの方もいいけど、私は、こっちの方が好みかな〜」


 ……アネット・バロアはクソ女だ。


「で、これからどうする? 大人の時間?」


「ふん……言ってろ」


 俺は厄介事に巻き込まれる前に、指を鳴らしてディートと入れ替わった。


◇◇


 奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)に帰るなり、俺は手に持っていた聖女の腕を投げ出した。


「暗夜さん!」


先生ドク!」


 慌ててロビンとマリエールが駆け寄って来るが、血塗れの俺の姿にギョッとしたポリーとアニエスは固まり、その場に棒立ちになった。


「何処にいても聞こえてる。デカい声を出さないでくれ」


 そこにはフラニーとジナも居て、全身、朱にくれた修羅のような俺の姿を見て固まっていた。


「……」


 俺は、フラニーたちには目をくれず、マリエールとロビンに向き直った。


「今、聖女を一人始末して来た」


 その言葉に、辺りは、しんとして静まり返った。


 俺は、虚無の床に転がる聖女の腕を蹴飛ばした。


「マリエール、聖女のサンプルだ。分析してくれ。比較対象はエルナでいい」


「……」


 マリエールは答えない。眉間に皺を寄せ、悲しそうに項垂れている。

 ロビンが静かに言った。


「……暗夜さん。お疲れ様です……」


「ああ……」


 俺は小さく頷き返すが、辺りを見回すと、ロビン以外の全員が眉をひそめ、視線を逸らしている。


「……なんだ? まあいい……。ロビン、血液のサンプルはここにある。採取してくれ」


 俺は肩を竦め、聖女の血に汚れた神官服リアサの胸の部分を指差した。


「はい」


 静かに答えたロビンは、いつになく表情を消している。

 ドン引きというやつだ。

 別に構わない。俺のやっている事は、俺だけが理解していればいい。誰の理解も必要ない。


「エルナと……いや、エミーリアを書斎に呼び出せ。あいつと少し話したい事がある……」


 そこまで言って、俺はもう一つのサンプルを思い出し、袖の中からそれを取り出した。


「……」


 それを見て、ロビンは僅かに目を見開いて刮目した。


 ヴァイオレットの瞳。聖女の目玉。


 ロビンは、ごくりと息を飲み、震える声で言った。


「そ、それは、暗夜さん……」


「見ろ、ロビン。少しエルナのものと違う。そう思わないか?」


「……」


 ロビンは小さく首を振って、俺の問いには答えなかった。

 俺は不愉快になり、舌打ちした。


「なんだ、お前ら。ビビったのか? こいつが、どういう存在か知らない訳じゃないだろう」


 その俺の言葉に答えたのはフラニーだ。嫌悪感を隠さず、低い声で呟いた。


「……だからって、何をしてもいいって訳じゃないでしょう……」


 俺は首を傾げた。


「フラニー。まだ寝惚けているのか? それとも強く殴り過ぎたか? これは、そういう問題じゃないんだよ」


「……」


 誰も答えない。

 俺は呆れ、深い溜め息を吐き出した。


「倫理観の問題か? なるほど素敵な感性だ。だがそれは、普通の人間相手に必要なものだ。生憎あいにく、これは普通の人間のものではない。意図的に、悪意を持って作られたものなんだよ」


 それを俺たちは深く理解する必要がある。警戒する必要がある。それを怠った時、必ず不測の事態に見舞われる。その代償は取り返しのつかない何かによって贖われる。その時になって後悔するのでは遅すぎる。


 現場に居合わせたアネットとアイヴィは理解していた。聖女あれが普通ではないと。とても危険な代物だと。


 俺は……それを、一々言葉にして説明しなければならないのだろうか。


 ルシール、クロエ、アンナを失って尚、理解できないのなら、説明した所で無駄な事だ。

 俺は、とことん嫌な気分になった。


「いいだろう。お前らの素晴らしい倫理観に合わせてやる」


 俺は、聖女の目玉を踏み潰した。

 湿りを帯びた気味の悪い音がして、潰れた聖女の目玉から飛び出した体液が飛び散った。


 俺は付ける薬のない馬鹿が嫌いだ。理解できないものと向き合うという事が、どれほどの危険を伴うかという事を理解できない者に説明は必要ない。

 忌々しい。

 俺は、こいつらのご機嫌取りじゃない。自分のした事に言い訳するほど暇じゃない。


 フラニーが嫌悪感に眉をひそめ、言った。


「師匠……あんた、イカれてるよ……」


 今のフラニーには、何を言っても無駄だろう。失ってからでは遅い。その時、後悔は役に立たない。すぐだ。結果は、すぐ目に見える形でやって来る。

 代償を払うのは誰だ?

 どんな形になるか分からないが、必ず代償を払う羽目になる。


 フラニーがジナを伴い、俺の下を去ったのは、その数日後の事だった。

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― 新着の感想 ―
うーん。 宿命の為に自ら鬼にならなきゃいけない暗夜には、寧ろ彼の行動の意味を理解して、その上でやりすぎは良くないって言える人物が必要だと思う。この面々ではその役割は果たせそうにない、と。
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