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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第五部 青年期『勇者』編(前半)
306/309

76 血風

 虚無の闇の中で、俺は喜びに震えていた。


 ああ……今すぐにでも……殺したい。


 いや、駄目だ! まずは捕まえて尋問するのだ。馬鹿な! この機会を逃すのか!? 愚かなフラニーが何をした?


 ――木偶の坊のヴォルフを逃がしやがった!


 迷わず殺せ!

 それで、間違いなく厄介事が一つ減る。またどんな邪魔が入るか分からない。

 俺は頭を掻き毟った。

 理性と本能とが猛烈な綱引きを始めるが、今はこの苦悩すら愛おしい。狂おしい。


「暗夜さん?」


「黙れ」


先生ドク?」


「うるさい。今の俺に話し掛けるな」


 俺の中の蛇が騒ぐ。アルフリード(・・・・・・)の立てた聖女を殺せと悶え狂う。


 俺は、この渇きにも似た衝動に逆らえそうにない。


◇◇


 俺は嗤っていた。


 もう二度と会えない。


 ――手を振る影。


 もしかしたら、あり得た未来。

 全ては炎の中で失われた。もう、二度と元の姿には戻らない。


 ことん、ことん、と小さな音を立てて新しい泪石が石畳の床を打ち――それらを踏み躙って消した。


「……はじめまして、アルフリードの聖女……」


 俺は恭しい仕草でこうべを垂れる。



 あぁ……親愛なるアスクラピアは……復讐が大好きなのだ!!



 ガキ(ディート)で殺るのは勿体ない。やはり……


 闇が深くなる。錬金術『赤』。アネットの仕業だろう。


 帝国騎士約四個小隊に聖女を含め百三十三人。全員揃った。


 銀色の髪。エルナに似ているが、中性的な風貌。白い神官服リアサ。そしてバイオレットの瞳には聖痕が浮かんでいる。


 『焼き付け』の邪法は、未だ謎が多い。グレゴワールは……どうやって『聖女』を造ったのか。

 薬物を使って『刷り込み』を長引かせる。それだけではない筈だ。そんなに簡単に『聖女』や『勇者』が造れるなら、世界はもっと聖女や勇者で満ちている筈だ。


 ――特別な素材が必要だ。


 騎乗し、帝国騎士を率いる白い神官服リアサの聖女が言った。


「……これは驚いた。本当にディートハルトだ……」


「……」


 俺は目を眇め、聖女を見る。観る。視る。その人格と力を値踏みする。

 聖女は馬上から俺を見下ろし、鼻で嘲笑った。


「なんの真似か分からないが、アスクラピアの使徒が送り込んだ尖兵だな。まずは王宮まで御同行願おうか、聞きたい事がたっぷりある」


「……」


 神経質。潔癖症。杓子定規。頑固。高圧的。男嫌い。手には白い手袋を嵌めている。

 俺は言った。


「お前は何者だ」


 聖女は鼻でせせら嘲笑った。


「貴様が知る必要はない」


 そこで、聖女は平伏して動かないトビアスの姿を見て小さく吹き出した。


「トビアス、何を遊んでいるんだ。まぁ、役に立つとは思ってなかったが……目の前の子供を捕らえろ。それぐらいはできるだろう?」


「……」


 その聖女の言葉にも、トビアスは平伏したままで動かない。

 少し興味深い。

 トビアスの行動の真意は、この聖女より、俺の方がまだマシといった所か。


「……」


 俺は、更に視る観る見る。より深く観る。


「男に嫌悪感があるな。匂い、汗、血、涙……年齢すら関係なく、その全てに強い不快感を覚えてならない。それ故、髪を短く切り、男物の神官服リアサを着ている。女に見られたくない。男より女の方が好きだ」


「……ッ!」


 聖女は眉間に皺を寄せ、一瞬で険しい表情になった。


「覗き野郎。その嫌らしい目玉をくり抜いてやる」


「やれよ」


 更に闇が深くなる。アネットの術にアイヴィも術を被せている。夜空に暗雲が垂れこめ、闇が深くなる。


 聖女は気付かない。俺を鋭く睨み付け、霧のように漂う闇に気付かない。


 垂れこめる暗雲が、冷たく輝く月明かりを飲み込んで行く。


「……ばら撒け、アイヴィ……」


 その刹那、アイヴィは高く跳躍し、黒い泪石を聖女とその部隊に向かってばら撒いた。


 名付けるなら黒泪石こくるいせきという所か。


「まず、プレゼントだ。遠慮せず受け取ってくれ」


 強い呪詛を込めた黒泪石から闇が噴き出し、辺りに災厄を撒き散らした。


「む……!」


 聖女は素早く神力のバリアを展開して難を逃れたが、背後に控える騎士たちについては、一切援護しなかった。


 ある者は死に、ある者は病を得、ある者はめしい、ある者は気絶し、ある者は歳を取る。


 聖女の背後で恐ろしい阿鼻叫喚が響き渡り、のこのこと死地に踏み込んだ帝国騎士がばたばたと倒れ伏す。


「こんなもの!」


 聖女が大喝し、手を振り払うようにして薙ぎ払うと、黒泪石の闇は流れて消えた。

 神力の方はまずまずだ。

 この程度の呪詛は効かないようだが、それでいい。ただの目眩ましだ。


 ――勇者と聖女は俺が殺る。


 オリュンポスでの宣言に従って、アイヴィは即座に離脱した。

 アイヴィは賢い。

 愚かなフラニーとは雲泥の差だ。

 聖女の神力によって闇は払われる。


 そして――再び冷たい月が闇を照らし出したとき。


 ディートは、ヨルに入れ替わった。


「な! お前は……!」


 本性を現した俺を見て、聖女はギョッとしたように目を剥いた。


 俺は恭しい仕草でこうべを垂れる。


「改めて挨拶する。聖女、その他の雑魚と同様、絶対的な死を約束しよう」


 さて、今の俺ですら扱えない、じゃじゃ馬の運命フォーチュンだが、これも扱い方次第だ。


 新しい右手が白蛇の干渉で簡単に機能不全に陥ったのは、力が強すぎるからだ。ならば、その有り余る力を外に出してやればいい。


 目の前に、身の丈を超える大鎌が出現する。『死神』と来たら、武器はこれ一択だ。


 さて、夜遅く帰らずにいるのは困窮と悪徳だけだ。そんなものに、俺は死神として挨拶する。


「聖女、五秒だけやる。祈るなり逃げるなり好きなようにしろ」


 入れ替わった俺を見て、聖女は激しく動揺した。それも当然。ヨルの力は、聖女を遥かに凌駕している。ガキ(ディート)とは比べ物にならない。


「き、貴様は誰だ!!」


 俺は失笑した。


「もう、お前が知る必要はない」


 こうして話す間にも、俺は無詠唱で強化術式を行使している。聖女の目には、俺の身体から陽炎のように湧き立つ神力が見える事だろう。


 逆の立場なら、俺は後ろも見ずに逃げ出すが、聖女は動揺しながらも、なんとかその場に踏みとどまった。


 本能的に俺を恐れ、激しく嘶き、背を返して逃げ出そうとする馬をなんとかなだめ、更に聖女は叫んだ。


「エリシャを殺したのは、貴様か!」


「……」


 アスクラピアの蛇は悪食でなんでも喰らうが、好き嫌いが激しい。エリシャの死は、当時の俺にとって、余程、不味い記憶だったのだろう。その言葉で少しだけ思い出した。

 俺は嘲笑った。


「違う。あいつは自爆したんだ。凄かったぞ。脳みそが弾け飛んだ」


 仲間の悲惨な死に様を聞いて、聖女は眉をひそめた。


「な、なんだと!?」


 一方、俺が覚えているのは嫌悪感だけだ。


「実に汚らしい最期だった」


 細かい事までは思い出せないが、吹き飛んだ脳みそで神官服リアサが汚れた俺は、実に不愉快だった。


「き、汚い……?」


 茫然とする聖女は、俺の言いように言葉を失っている。

 そこで五秒が経過した。


「それでは始める。お前は最後のデザートだ」


 俺は不偏不党ではないが、公正である事だけは約束できる。


「名無しで死ね」


 遊びは終わりだ。もう、こいつの名前にも興味はない。各個撃破のこの機会チャンスを逃がす訳には行かない。


 足元に迸る青白い神力の軌跡を残し、猛スピードで突っ込んだ俺は、無造作に大鎌を振り回した。


 血飛沫と共に帝国騎士の首が十ほども飛び、地獄のような悲鳴が上がるが、アネットとアイヴィの展開した闇がそれらを掻き消し、飲み込む。


 既に『間合い』に入った。結界を張り、転移の類は封じた。もう誰も逃げられない。


「…………」


 大鎌を振り回し、一方的に殺戮を開始した俺を、聖女はぼんやりと見つめている。

 俺は首を傾げた。


「おや、血には免疫がない? ビビってないで、早く抵抗した方がよくないか? あと七十二人しかいない」


 『鎌』は扱いづらい武器だ。そもそも神官としての俺は、神力の殆どを術の方に振り切っている。


「えい、この、逃げるな!」


 帝国騎士たちは逃げ惑うが、少しばかり闇が深すぎる。アネットとアイヴィの錬金術(赤)。この場合、夜という環境を利用している。

 視界は酷く悪く、音も色も闇に溶けて消える。

 俺は、またしても首を傾げた。


「何故だ。何故、誰も剣を抜かん」


 黒泪石のはったりもあったが、今の俺は、聖女を遥かに上回る神力の持ち主だ。


 仮にも帝国の騎士たちだ。

 それなりに鍛えられているのだろうが、それが却ってよくない。俺との間に広がる絶望的な力の差を理解してしまう。


 使徒と人間の間にある差は大きい。為すすべなく怯え、逃げ惑うしかない程の相手に、何故、手を出したのか。


「……」


 殺戮を黙って見ている聖女は、唇を震わせて怯えていた。


 軍神アルフリードの狙いが分からない。こんな雑魚を使って邪悪な母(アスクラピア)をどうにかできるとでも思っているのだろうか。


 俺が大鎌を振るう度に、聖女の白い神官服リアサが、騎士たちの断末魔と血に汚れて行く。


 俺は、第十七使徒『暗夜』。

 厳しい生贄を求め、夜に荒ぶる嘆きの天使。自己犠牲を好み、復讐をこよなく愛する邪悪な女神の子。


「つまらん……」


 大鎌を肩に周囲を見渡すと、辺りは血に汚れ、首が転がる地獄絵図になっていた。


「ニンゲンが……調子に乗りやがって……」


 聖女は動かない。まるで『蛇』に睨まれた蛙のように動けない。


 夜空に冷めた銀の月が輝き、俺のする事を見つめている……


 俺は、血で濡れた髪をかき上げた。


 あまり美味しくはなさそうだが……


 デザートの時間だ。

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― 新着の感想 ―
 ――手を振る影。  もしかしたら、あり得た未来。 丘の上の教会でってやつですね
うーーん?? え、この聖女生存しそうな予感するの私だけかい?
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